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こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブログ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-06-16(Friday) 命を切り取られた人は、その重さを誰よりも知っているのだから。

妊娠中絶は殺人である。――問題は誰が殺されていて、誰が殺しているのかだ。

妊娠中絶は殺人です。

最初にはっきり述べておきます。妊娠中絶は殺人です。

妊娠中絶とは、性暴力や社会制度・周囲からの圧力などによって、

胎児と妊婦自身の一部が殺されてしまうという、

大変許し難く非人道極まりない、史上最悪の殺人行為なのです。


なぜ、妊娠中絶は殺人なのか。

中絶手術を経験した当事者自身が「自分が胎児を殺した」と苦しんでいる、

そんなケースが非常に多いからです。

当事者自身が「胎児」を「命」として認識していること。

中絶が殺人である理由はこれだけで十分である、というのが牧波さんの主張です。


妊娠中絶によって、誰が殺されているのか

まず最初に挙げられる被害者は胎児です。この理由は先述したとおりです。

ですが、胎児だけではありません。

多くの人は気づかないフリをしたまま、中絶妊娠についての妄想を語りたがりますが。

中絶によって殺される被害を受ける*1人間は、胎児以外にも、もうひとり存在するのです。

誰でしょう。ちょっと考えてみてください。


わからなかったら、なぞなぞにしてみましょう。

Q.「胎」児はどこで生きているでしょうか。

A. 母「胎」内

お粗末でした。話を戻しましょう。


母「胎」内に「胎」児を抱える妊婦にとって、

胎児は、妊婦自身の身体の一部でもあります。*2

よって妊娠中絶は、そんな妊婦の身体の一部を殺す行為である訳です。

また、妊婦自身に「自分が胎児を殺した」と自責させる行為でもあります。

つまり妊娠中絶とは、胎児だけでなく妊婦の身体や心の一部までをも殺すという、

恐ろしい、悪魔の所業であるのです。


それでも未だに多くの人は、

「『胎』児は母『胎』内で生きている」ことに気づかないフリをしつづけていますね。

これからも知らない振りを決めこむのでしょうか。


では、誰が殺しているのか

好評のようなので、もう一度なぞなぞに仕立ててみましょう。

性暴力によって望まない妊娠が起きた場合に、胎児を堕胎するのはなぜでしょう。

キャリアを捨てないために、胎児を堕胎するのはなぜでしょう。

学校を退学させられないために、胎児を堕胎するのはなぜでしょう。

出生前診断で、障害を持っていると分かった胎児を堕胎するのはなぜでしょう。


Q.上記の質問すべてにあてはまるもの、なーんだ?

A.中絶の主体(責任)がすべて、「妊婦」に押し付けられていることです。

これは「胎児を堕胎するのはなぜでしょう。」の一句に主語を付け加えて

妊婦が胎児を堕胎するのはなぜでしょう。

こう書き直すとよくわかりますね。


堕胎を引き起こしているのにもかかわらず、

その原因である性暴力が問題にされることは殆どありません*3


堕胎を引き起こしているのにもかかわらず、

女性が妊娠・出産するとき、

同時に女性からキャリアや学歴・生活の基盤を剥奪していく社会制度が

問題視されることは殆どありません。


堕胎を引き起こしているのにもかかわらず、

社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、

自立生活の確立が困難になってしまう社会制度が

問題視されることは殆どありません。


中絶で絶えた命は「女性の勝手で生を受け捨てられ」たものではありません。

ひとりの胎児が中絶で命を失ったら、

その責任はわたしたちひとりひとりに課せられるべきです。

どうか、都合のいい責任転嫁だけは慎んで下さい。


そして願わくば

もう、妄想世界のおとぎばなしを語るのは止めにしましょう。


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「中絶希望者に里親案内の新制度」へのあがき 追記:june_tさんのコメントに擦れ違いレスポンスをしたことについての大反省 - こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブログ

*1:以下に挙げる被害者「自身」は、中絶によって必ず殺されるわけではない、ということを踏まえ、表現を訂正致しました。

*2:だから、中絶手術を経験した当事者自身が「自分が胎児を殺した」と苦しんでいるケースが非常に多いのです

*3:非パートナー間でのもの(多くの人が思い浮かべる強姦)など、一部は扱われることもありますが

akuaku 2006/06/16 21:49 この問題を考える際に、
江原由美子『自己決定権とジェンダー』
は必読文献だと思います。ご参考になれば。

LeiermannLeiermann 2006/06/16 23:36 トラックバックありがとうございます。
確かに私の当該記事は誤解されかねない書き方ではありましたが、「女性の権利」を否定することで強調したかったのは「大人の罪」なのです。従って、烏蛇さんのところのコメントでも書きましたが、社会制度の罪は極めて重いですし、そういう制度を変えていく義務が我々にあるのは当然です。
中絶という歪みによって、人類の宝である子供一人を失ってしまうことは、”All are punish’d” (Romeo and Juliet) としか言いようがありません(まさにこれは、他者を顧みない盲目の情欲がもたらした悲劇なのです)。
恐らく、牧波さんと私の主張はさほど違わないと思いますが、いかがでしょうか。

質問があります質問があります 2006/06/17 00:36 あなたはキリスト教原理主義者と何か関係がある人ですか? 性暴力の結果望まない妊娠をした場合でも、中絶はすべきではない、とお考えですか?

LeiermannLeiermann 2006/06/17 03:02 ようこそ、卑怯者の同義語たる「ヲチ」やさん。
答えを申し上げると、関係ありません。そもそも中絶反対即ち「キリスト教原理主義」とは随分不快ですね。あなたの基準ではヴァチカンも「キリスト教原理主義」なのでしょうか。私は避妊まで否定していないので、ヴァチカンよりも余程「リベラル」かと思いますが。それで、私は自分では仏教徒だと思っておりますが、実家の檀家の宗派以外どこの教団との関係もありません。
二つめですが、性暴力であっても中絶はしないに越したことはないでしょう。どんな原因であれ、子供に罪はありません。ただ、それを禁止するのはあまりに酷すぎるとも思います。よって、性暴力の結果中絶に至った場合、加害者を殺人罪で処罰すべきと考えます。

つまり、つまり、 2006/06/17 09:31 当事者が胎児を人間として認識していなければ
堕胎はオッケイということですね。

LeiermannLeiermann 2006/06/18 02:13 どこが「つまり」なのでしょうか。胎児が人間か否かは当事者が決めることじゃないでしょう。訳がわかりません。でしたらもし私が、あなたを人間だと認識しなければ、あなたを殺してもよいということになるのですかね。

おろろ?おろろ? 2006/06/18 02:29 >なぜ、妊娠中絶は殺人なのか。
>中絶手術を経験した当事者自身が「自分が胎児を殺した」と苦しんでいる、

>そんなケースが非常に多いからです。

>当事者自身が「胎児」を「命」として認識していること。

>中絶が殺人である理由はこれだけで十分である、というのが牧波さんの主張です。


ここで、この主張を引っ張り出しているということは、これをこの論の「中絶が殺人である理由」としているわけですよね?違うんですか?

LeiermannLeiermann 2006/06/18 09:32 ちょっと待ってください、なんで私に対して管理人さんの主張を持ち出して反論するのですか。

demiandemian 2006/06/18 12:27 x0000000000さんが
http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060616/
でしてくださっている考察が興味深いです。

このテーマでは今は自分には何もいえないものがある、と思っていて、2つの水準の問題があるからなんですね。

(1)「〜は殺人である」という時、確かに社会的に他人を殺したり危害を加えるのはまずい。しかし受精卵〜胎児の場合はどこからが「他人」足りうるのか。また、妊娠のやっかいな問題点として、胎児という他人は、誰も頼んでいないのに女性の胎内に現れてくることにあります。

隣の家に住んでる人とは違い、そのために女性の体に負担を与えもし、社会的な活動に制約も加わってしまう(仕事が出来なくなったり)。それゆえに「望まない妊娠」などの場合が生じてきます。また、今のこの社会においては、多くの場合生みの親が育てなくてはならないとされ、その負担を母親が中心に負わねばなりません(仕事が出来なくなったりするのに)。

(2)もうひとつの水準の問題として、そもそも殺人はなぜいけないのか、ということを考え出すと、実はその気になれば腹が減ったのでそのへんの人を取って食ってもいいのだし、なんだかむしゃくしゃするのでそのへんの人をメッタ切りにしたりバットで殴りまくって殺して憂さ晴らしをすることもできる、ということがあることに気がつきます。

それをやると取り締まられるからしないのだ、とは言えますが、取り締まられなければ、人に見つからなければどんどん積極的にそうしたことが行われもするはずです。ところがどうもそうとは限らないようで。人が人を殺さないときにはどうもそれ以外の理由もありそうで、そこを考えた上で、改めて中絶のことに踏み込む必要を考えています。

と、個人的な逡巡の吐露でした。どうもすいません。

あ、あとおまけで昔あったらしい「口減らし」とか「姥捨て」のようなこともからめて考える必要もありそうですね。どんどん話をややこしくするでみあんでした。ではでは。

demiandemian 2006/06/18 12:31 せっかくですので牧波さん、x0000000000のところにお返事でもしてあげてはいかがでしょう。それから、この問題については立岩真也さんが「私的所有論」の中で論じているようで(わたしの今後の読書予定本です)、そこでの立岩さんの考察と対話してみるのもいいと思います。おせっかい失礼しました。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/18 15:54 >akuさん
はじめまして。本のご紹介ありがとうございます。
よろしければ参考になった点なども教えてくだされば、と思います。

>Leiermannさん

こんにちはー。先日はお世話になりました。
私が違和を感じているのは、Leiermannさんが「女性の権利(わたしは権利だなんてこれっぽっちも思っていませんが)」と「胎児の生命」を天秤にかけたことです。
先に見ているものが同じようなものであっても、問題にしている対象が異なるのであれば。私とLeiermannさんの主張はまったく違うものだと思います。

>おろろ?
私が中絶を殺人だとしている理由は3つです。
1、当事者自身が「胎児」を「命」として認識していること。
2、妊娠中絶は母「胎」内に「胎」児を抱える妊婦の、身体の一部を殺す行為であること。
3、妊婦自身に「自分が胎児を殺した」と自責させる行為であること。
そして「ひとりの胎児が中絶で命を失ったら、その責任はわたしたちひとりひとりに課せられるべきです。」と括っています。
私は中絶反対の人間ですが、問題にしているのは中絶それ自体ではありません。堕胎に至らせるプロセスこそが罪だ、と主張しているのです。
小学生レベルの方でも読めるように書いたはずなのですが……。文章力不足ですね。精進します。

>demianさん
はじめまして。本のご紹介ありがとうございます。
よろしければ御読了後、参考になった点なども教えてくだされば、と思います。

>受精卵〜胎児の場合はどこからが「他人」足りうるのか。

たぶん妊娠経験者にとっては「他人」でもなければ「まったく同じ存在」でもないんだと思います。妊娠非経験者による「胎児は人間なのか」の命題と同じで、明確な線引きは出来ないのではないでしょうか。

>それをやると取り締まられるからしないのだ、とは言えますが、取り締まられなければ、人に見つからなければどんどん積極的にそうしたことが行われもするはずです。ところがどうもそうとは限らないようで。

話題とはあまり関係ないと思いますが、中絶は法律などで禁止されていても、無認可施設や合法地域では手術が行われますよね。普段プロライフを主張する人も、自分の子どもが妊娠すれば子どもに中絶を”選ばせ”ますし。

>と、個人的な逡巡の吐露でした。どうもすいません。

罰として原稿用紙200枚分のBL小説執筆の刑に処す。(但しカップリングは自由とする)

>あ、あとおまけで昔あったらしい「口減らし」とか「姥捨て」のようなこともからめて考える必要もありそうですね。

demianさん、よろしくです!

top-cattop-cat 2006/06/18 20:08 〉makinamikonbuさん、はじめまして。中絶が殺人である条件ですが、胎児が生存権を有する「人間」であることがまず必要です。で、先の3条件では、1、と3、がその根拠となっています。そこまでは分かるのですが2、は如何なものか。
〉身体の一部を殺す行為であること。
これは要するに身体に危害を加える行為というところを(意(意識したはともかく)レトリックで加工しただけです。一般的に怪我することを、身体が死んだとか殺されたたどとはいいません。とすると確かに障害罪にはなり得ますね。しかしこれは中絶「反対」の根拠にこそなれ、中絶=「殺人」の根拠とは無関係です。 さらにいえば中絶反対の文脈でも微妙です。 というのは身体に不当に危害が加えられないことは身体の自由の一つであり、その身体の自由(女性の)が中絶を正当化する根本的根拠であるからです。

top-cattop-cat 2006/06/18 20:14 障害罪→傷害罪です。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/18 20:37 >top-catさん
はじめまして。

>要するに身体に危害を加える行為というところを(意(意識したはともかく)レトリックで加工しただけです。一般的に怪我することを、身体が死んだとか殺されたたどとはいいません。とすると確かに障害罪にはなり得ますね。しかしこれは中絶「反対」の根拠にこそなれ、中絶=「殺人」の根拠とは無関係です。

先ほどのコメントは要点抜きだしのものだったので、そう取られても仕方が無いかもしれません。いちおう本文では

>母「胎」内に「胎」児を抱える妊婦にとって、胎児は、妊婦自身の身体の一部でもあります。((だから、中絶手術を経験した当事者自身が「自分が胎児を殺した」と苦しんでいるケースが非常に多いのです))
>よって妊娠中絶は、そんな妊婦の身体の一部を殺す行為である訳です。

と、「身体の一部=胎児」という図式で書いたつもりでいます。で、この「胎児」は、「胎児」という一個体であるのと同時に「妊婦の身体の一部」でもあるから、「妊婦の身体の一部(=胎児)を殺す行為であること→殺人」という主張をしているわけです。

>さらにいえば中絶反対の文脈でも微妙です。 というのは身体に不当に危害が加えられないことは身体の自由の一つであり、その身体の自由(女性の)が中絶を正当化する根本的根拠であるからです。

先のコメントでも書きましたが。私は中絶反対の人間ですが、問題にしているのは中絶それ自体ではありません。堕胎に至らせるプロセスこそが罪だ、と主張しているのです。
中絶自体には正当化も権利も何もありません。身体を削られていくのは当事者なのに。そこまで追い詰めた部外者の人間に、何が言えるのでしょうか。

ななきななき 2006/06/18 22:57 はじめまして、Something Orangeからのトラックバックをたどってきました。
本文、コメント共に読みましたが、論が混乱しているのはやはり要件2の

>2、妊娠中絶は母「胎」内に「胎」児を抱える妊婦の、身体の一部を殺す行為であること。

これがやはり問題かと。
堕胎を殺人と考えるMakinamikonbuさんは当然胎児を一人の人間と考えているわけですが、この考えと、胎児を妊婦の身体の一部とする(胎児を自分の身体から派生した自身の延長であるとする)考えはやはり相容れないでしょう。

妊婦が「自分が胎児を殺した」と自責するのは、“自分の身体の中”に“自分とは別の存在”があることを認識しているからであり、つまり、妊婦は胎児を“自分の一部”――腕や脚、内臓と同列――とは考えていない。

Makinamikonbuさんが「身体の一部を殺す行為」という言葉で言いたいのは、胎児と妊婦は肉体的に接合している部分があり、この繋がりを妊婦は実感している。それが「堕胎=殺人」のリアリティを妊婦に与えているということではないでしょうか。
だとするなら、やはり「身体の一部」という表現は適切ではないで気がします。(私が読み違えていたらすみません。取り下げます)

ちなみに、私は中絶を認める派ですが。
ちょっと気になったもので、でしゃばりました。

LeiermannLeiermann 2006/06/19 02:30 >管理人さん
お邪魔しております。
そうですね、私が一番違和感を持っているのは「権利」(right, Recht, droite) という言葉遣いです。別のところでも書いた気もしますが、これは本来「正しい」という意味ですよね。そしてそもそも、中絶という問題は女性だけに帰属するものではないはずです。
無論、中絶という状況が男性よりも女性にとって深刻であることは間違いないのですが、しかし一番深刻なのは中絶される子供なのですよ。にもかかわらず、「権利」云々という次元で話が進んでしまうのは、子供が邪魔だからこれを生かすか殺すか、大人の都合だけで話を進めてしまうということではないですか。私はそれが許せなかったのですよ。まずは子供の都合であって、女性だろうが男性だろうが大人の都合はこの場合「どうでも良い」とさえ言って良いと。まずそれが大前提だと思ったのです。
その意味で、まず第一義的には、「子供」と「大人」(女性、に限りません)の権利対立の問題が出てきます。私はそこを取り上げたわけです。
無論、話はそこで終わりません。ただ「産め」と言えばよいわけはなく、出産が誰からも祝福され、喜ばれるような状況を整えなければなりません。ですが、それは優先順位としてはそのあとの話だと思いますし、そのあとは牧波さんの議論に接続できると思うのです。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/19 22:31 >ななきさん
はじめまして。

>Makinamikonbuさんが「身体の一部を殺す行為」という言葉で言いたいのは、胎児と妊婦は肉体的に接合している部分があり、この繋がりを妊婦は実感している。それが「堕胎=殺人」のリアリティを妊婦に与えているということではないでしょうか。
>だとするなら、やはり「身体の一部」という表現は適切ではないで気がします。

おそらくは、そういう感じだと思います。ただ「実感している繋がり」だけならば、私がコメント欄で提示した「中絶を殺人だとしている理由」のうち、

>1、当事者自身が「胎児」を「命」として認識していること。



>3、妊婦自身に「自分が胎児を殺した」と自責させる行為であること。

だけで済んでしまう訳でして。(もちろん、1と3だけでもいいんですけど)
で、なぜ私が

>2、妊娠中絶は母「胎」内に「胎」児を抱える妊婦の、身体の一部を殺す行為であること。

を入れたのかを言い訳しますと。
胎児と言うのは確かに妊婦の「他人」である訳ですが、ただの「他人」とは違いますよね。
妊婦と言う「他人」と、胎児と言う「他人」。この「他人」同士は、常に身体同士がつながっているわけですよね。共生といえば良いのでしょうか。確かに身体は二つあるけれど、胎児は妊婦の母胎に寄生しているわけです。そして、妊婦は体内(母胎)に胎児がいるという感覚を受けるわけです。
話をややこしくするようですが、たとえば結合性双生児の方や臓器移植を受けた方にとっての「身体の一部」と考えていただければと思います(註:結合双生児の方にとって、双子の片割れは「他人」であるようです 参考→アリス・ドムラット ドレガー著, 針間克己訳『私たちの仲間―結合双生児と多様な身体の未来』(緑風出版, 2004))
以上から、私は「胎児」が「ひとりの人間」であり、また同時に「妊婦の身体の一部」である、と主張しているわけです。

>Leiermannさん
難しかったので要点をまとめてみますと。Leiermannさんの主張は「子どもの権利 vs 大人の権利」という図式なのですよね。そして子どもの権利こそが一番大事である、と。
で、対する(?)私の主張というのは、妊婦や胎児が追い込めれている状況を作り出しているのは私たちなのだ、というものです。つまり、Leiermannさんと私の主張とでは、もはや大前提からして違うわけです。
もっというと、「女性の権利」という言葉の捉え方も違います。Leiermannさんは「女性」が「中絶」することを「大人の都合」と仰ってますが、私は「女性」が「中絶」に追い込まれるのは「性暴力や社会制度・周囲からの圧力などによって」引き起こされているからだと主張しています(また同時に、女性も被害者であると主張しています)。やはり、Leiermannさんと私の主張とでは、もはや大前提からして違うわけです。
以上から、Leiermannさんの主張と私の主張とが接続できるものではない、と考えます。

LeiermannLeiermann 2006/06/20 01:26 意図はわかりました。
ただし、次のことを考えてみてほしいのです。牧波さんのご意見ですと、中絶の殆ど全ては、他の選択肢を排除されてしまった挙句の悲劇であると考えてよい、ということになるかと思います。
しかし例えば、出生前診断といった問題はどうでしょうか。子供が障害児であるから「生まれても不幸になる」と中絶を選ぶ人は、無意識の偏見に侵されているか、贔屓目に言っても認識の錯誤をしています。実際に診断を受け入れて子供を産み、自らの内なる偏見を克服しつつ愛し育てていく人はいくらでもいるのですから、これを「社会が悪い」として免罪してしまうことは、余りにも個人の責任を軽く見積もりすぎではないかとの懸念を拭えません。
なお私は、身内に障害者がいるのでこのことを取り上げましたが、他の状況でも似たようなことはあり得るかも知れません。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/20 12:30 >Leiermannさん
ちょうどhttp://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060616/p2#cにて、そのことで意見交換していただきました。ちょうどいいので(話に沿うよう改変して)転載したいと思います。

「出生前診断で、障害を持っていると分かった胎児を堕胎する」場合、選択肢を狭めているものは「社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、自立生活の確立が困難になってしまう社会制度」であると思っています。こういったケースで中絶を決断する場合、将来のことを考えて行われると思います。「中絶しか選択肢がない」ところで中絶を「選ぶ」という言い方そのものがおかしいのではないでしょうか。
そして「社会の『五体満足な子がほしい』という強固な価値観もまた、影響してくるはずです」についてですが。この強固な価値観(偏見)もまた、社会的な影響を強く受けていると思います。それに加えて「出生前診断で、障害を持っていると分かった胎児を」産むか堕ろすかと判断する場合には、いわゆる「家族」の権力が非常に強く出るということも考慮に入れるべきと思います。ですから、やはり「出生前診断で、障害を持っていると分かった胎児を堕胎する」ケースもまた、「女性の勝手で生を受け捨てられ」たものではない、と考えます。

ついでに以下の記述についてですが。

>実際に診断を受け入れて子供を産み、自らの内なる偏見を克服しつつ愛し育てていく人はいくらでもいるのですから、これを「社会が悪い」として免罪してしまうことは、余りにも個人の責任を軽く見積もりすぎではないかとの懸念を拭えません。

これは育てていく人(Leiermannさんの論旨から察するには、おそらく(産んだ)母親を指しているでしょう)の「自己責任」を神格化しているだけにすぎないと感じます。偏見の前には現実に「社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、自立生活の確立が困難になってしまう社会制度」が存在しています。それなのにこれを「中絶経験者が悪い」として免罪してしまうことは、余りにも個人の責任を重く見積もりすぎではないかとの懸念を拭えません。「結局あなたは胎児の命をダシに、中絶経験者をバッシングしたいだけと違う?」と私に言わせるおつもりですか。

top-cattop-cat 2006/06/20 23:11 Leiermannさん、makinamikonbuさん、お二方とも自分の主張が整理できてないみたいです。割り込んで申し訳ないけど、勝手に少し説明します。まず法と倫理は違います。でもって権利は法に属します。善悪は倫理に属します。二人とも一見中絶に付随する倫理について論じてますが、「権利」とか「社会が悪い」とかを混ぜて使ってるので法と倫理がごっちゃです。法的責任主体たりえるのは判断力のある、つまり自己決定ができる個人かそれに類するもの(法人とか国家)です。社会は個人の集合であり、漠然とし過ぎてるので法的責任主体にはなり得ません。従って「社会は悪い」と倫理的にいえても殺人などの法的責任は問えません。「中絶をもたらすプロセス」についても同じです。
もちろん法廷で「社会の方も悪い」といって罪を軽くできるかもしれませんが、このときはあくまで責任主体は中絶した女性の場合です。
makinamikonbuさんの根本主張は「中絶する女性が悪いんじゃなく、そこに至らせるプロセスが悪い」という倫理的主張だと思います。これ自体は上の法的責任の話と全く矛盾しないはずです。
 では何が二人の論点か。
  共有点の方は「胎児が『生存権』をもつ主体だ」という部分です。これは二人につもりがなくてもプロライフの主張です。ここまで共通
 でも、これは中絶した女性はとりあえず捕まるということです(笑)。いくら「社会が悪い」といって罪を軽減できてもその女性は責任主体から逃れられない。経済的な理由にしろ強姦の結果であろうと最終的な中絶の決定を彼女がしたな・ら・ば。ところがどっこい。makinamikonbuさんは中絶する女性は自己決定能力がないという。ならば法的責任が生じないのは無理もない(笑)。 精神鑑定でもするのかな。
 ここで質問ですがmakinamikonbu さんはその女性は倫理的責任だけがないといっているのですか?それとも法的責任もない?
 今度はLeiermannさんに質問ですが
〈まずは、子供の都合であって、女性だろうが男性だろうが「どうでもよい」
 のか?
〈まず第一義的には「子供」と「大人」の権利対立 
  なのか?
私見では後者の方が生存権と身体の自由の衝突ととれば、論理的整合性が合います。この場合はどっちが無条件に優先されるわけでなく、ケースにより責任の重さは変わり得ます。

top-cattop-cat 2006/06/20 23:19 うぁわ千文字いっちゃった。長文すみません。トラバが失敗しまくってるので。

LeiermannLeiermann 2006/06/21 02:16 >牧波さん
障害者の自立生活が困難であることはよく知っています。特に「自立支援法」以降、環境は覿面に悪くなりました。
しかし、それを「中絶しか選択肢がない」と言われるのはひどすぎます。それでは、私の家族を含め、障害を持った子供を産み、人並みに苦労しながらも人並みに幸せに暮らしている者は一体なんなのでしょうか。
同様に、現在の労働環境、雇用環境が余りよいとは言えず、しかも悪化しつつあることは事実です。しかし「ニートになるしか選択肢がない」と言ってしまえば明らかに暴論でしょう。そういうことを言い出せば、人間は須く自殺すべき、という結論さえ導かれてしまいます。
「個人」にせよ「社会」にせよ――あるいは「当事者」にせよ「他者」にせよ――責任というのは、1 か 0 かという話ではないはずです。社会に責めを帰すべき面があったからといって、個人をすべて免責することなどできません。むしろ、余程の場合を除けば、ある程度までは社会の不備を個人が肩代わりすることは可能です。そして、「肩代わり」した分を後から請求することもできるはずで、子供のことを最優先するならば、まずそういう選択肢を考えるべきではないでしょうか。現実問題として、本当に「他に選択肢がない」状況など、そうそう存在しないと思いますよ。
そして、冷たい言い方かもしれませんが、当事者がどれほど苦しんでいようと、悪いことは悪いことです。無論、中絶をした当事者が苦しむのはわかるし、だからその人に直接ことさらに責める言葉をかけようとは思いません。しかし、障害ゆえの中絶が悪いことかと否かと問われれば、これは「悪いこと」であると言わざるを得ないと思うのです。一般論として。

>top-cat さん
整理ありがとうございます。全部理解できているとは正直言いがたいのですが、私は中絶一般には、法的にも倫理的にも問題がとすべきと考えています。ただし、母体保護、性犯罪、経済的事情などの場合には他の行為の期待可能性がないと考え、少なくとも法的責任は免除されるべきだとも。
その上で、障害児を中絶することは、倫理的には勿論、法的にも「過剰避難」の責めは免れないと考えています。
そこでご質問の件なのですが、引用された文脈ならば、確かに後者の方が辻褄が合うようにも思えます。

top-cattop-cat 2006/06/21 12:36 <Leiermannさん、
<母体保護、性犯罪、経済的事情などの場合には…‥法的責任は免除されるべき
母体保護はともかく、性犯罪や経済的事情で法的責任をかわすのは極めて難しいですよ。Leiermannさんの立場からは。たしかに、中絶は基本的に法的に罰せられるべき、ただし性犯罪による場合などは例外。そういう主張はありえます。しかしそれはLeiermannさんの立場からは難しい。胎児の生存権を認め、中絶を殺人としているからです。殺人で法的責任が免除される場合について考えればわかります。少なくとも明らかな場合は2つあると思います。1つは自分の生存権を守る場合です。たとえばある人Aが喉元にヤクザにナイフを当てられて、別の人Bを殺せ、といわれ、Bを殺したとします。この場合自分の生存権を守るという理由で法的責任からは逃れられるでしょう。正当防衛も同じ原理です。この点から母体保護、つまり中絶しないと母親が死ぬ場合は法的責任を免れ得ます。
もう一つは判断力、自己決定能力が明らかにない場合です。具体的には認知症の老人や精神病患者の場合です。で、これを測るのが精神鑑定などです。つまり、精神鑑定で判断力がないと認められなければ法的責任を負うのです。では性犯罪にかかわる場合や経済的な場合はどうか。明らかにその女性の大多数の人はこの意味での自己決定能力はもっています。従って法的責任をかわすのは極めて困難です。もちろん倫理的には、性犯罪の結果ならしかたない、無理やりつくられた選択肢を選んだだけだから、といえるでしょう。具体的にその選択肢は好きでもない、まして自分を強姦した男の子供を産んで育てる(もちろん養子って手もあるが)かその子供を殺すかでしょう。前者をえらべばその女性は極めて不幸になります。逆にいえば、後者を選ぶことはその女性にとってより大きな不幸より、より小さな不幸(中絶は幸ではないはず)を選ぶことであり、これは幸福の追求の一種です。もちろん倫理的には認められるでしょう。しかし、法的には幸福の追求の権利は生存権に対して貧弱過ぎます。経済的な場合も同じ道理です。借金苦から子供を殺してもその親は殺人者です。

スープスープ 2006/06/21 20:44 はじめまして。興味深く読ませていただきました。
しかし僭越ながら、幾ら何でもご主張されている内容は無茶があるように感じます。

まず、妊娠中絶の原因を
>性暴力や社会制度・周囲からの圧力
と限定しておられますが、これの根拠は実質的には全く書かれていませんね。
これは不思議なところです。

さらにこれが非常に重要なのですが、管理人さんはこのエントリにおいて
レトリックを駆使することによって「殺人」と「殺人に等しいと比喩される殺人でない行為」を
「殺人」として同列に並べたて、論理展開を行っておられます。

この問題はtop-catさんも指摘しておられることで、それへの返答として管理人さんは、
>そう取られても仕方が無いかもしれません。
>「身体の一部=胎児」という図式で書いたつもりでいます。
>で、この「胎児」は、「胎児」という一個体であるのと同時に「妊婦の身体の一部」でもあるから、
>「妊婦の身体の一部(=胎児)を殺す行為であること→殺人」という主張をしているわけです。
と書いておれます。しかしでは、

>胎児と妊婦自身の一部が殺されてしまう
>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在する
>妊娠中絶とは、胎児だけでなく妊婦の身体や心の一部までをも殺す
これらの文はどう説明なさるのでしょうか。管理人さんの返答とは全く辻褄が合っていませんよ。

管理人さんは――あえて遠慮せずに申しあげますと――
醜悪なレトリックを駆使して詐欺師紛いの都合のいい破綻した論理展開を行ったあげく、
それへの指摘に対してもあまりに誠実さを欠いた言い訳を行ってはいませんか。
どうですか。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/21 21:00 >top-catさん
煽りには反応しないように返信したいと思います。

>二人とも一見中絶に付随する倫理について論じてますが、「権利」とか「社会が悪い」とかを混ぜて使ってるので法と倫理がごっちゃです。

ご教示ありがとうございます、少なくとも私自身は確かに混同しております。ただおそらくは私もLeiermannさんも、「権利」そのものではなく、「『権利』という言葉の捉え方」について論じているのではないかと思います。

>法的責任主体たりえるのは判断力のある、つまり自己決定ができる個人かそれに類するもの(法人とか国家)です。社会は個人の集合であり、漠然とし過ぎてるので法的責任主体にはなり得ません。従って「社会は悪い」と倫理的にいえても殺人などの法的責任は問えません。「中絶をもたらすプロセス」についても同じです。

社会が法的責任主体になり得ない(殺人などの法的責任が問えない)からこそ、母体保護法は中絶当事者の身を保証するのでしょう。母体保護法について、私は全面肯定こそしておりません(男性の同意が基本的に必要であったりなど)。ですがこの点においてのみは、社会に改善傾向が全く見られない(法的責任が取れない)現状においての苦肉の策として評価・支持をしております。

>ここで質問ですがmakinamikonbu さんはその女性は倫理的責任だけがないといっているのですか?それとも法的責任もない?

top-catさんがご承知の通り、倫理的責任は無い、と考えております。そして法的責任も、現段階ではないと考えております。
たとえば日本の法律では、妊娠12週目をすぎてからの中期中絶の場合には胎児の死亡届を書く必要がありますが、やはり(母体保護法によって)女性が逮捕されることはありません。これが何を意味するかと言いますと、
・「胎児が『生存権』をもつ主体」である(あった)こと
・「中絶した女性」に法的責任が生じないこと
の双方が、日本の法律では認められていることを証明している、ということです。

>Leiermannさん

>それを「中絶しか選択肢がない」と言われるのはひどすぎます。それでは、私の家族を含め、障害を持った子供を産み、人並みに苦労しながらも人並みに幸せに暮らしている者は一体なんなのでしょうか。

先のコメントは、Leiermannさんが「育てていく人(Leiermannさんの論旨から察するには、おそらく(産んだ)母親を指しているでしょう)の「自己責任」を神格化しているだけにすぎない」という旨で書いています。
私がいつ出産した人を否定しましたか。私がいつ中絶しなかった人を糾弾しましたか。
Leiermannさん、ほんとうにがっかりです。「結局あなたは『障害を持って生まれる予定の(だった)胎児』の命をダシに、中絶経験者をバッシングしたいだけと違う?」と私に言わせるおつもりですか。

>同様に、現在の労働環境、雇用環境が余りよいとは言えず、しかも悪化しつつあることは事実です。しかし「ニートになるしか選択肢がない」と言ってしまえば明らかに暴論でしょう。そういうことを言い出せば、人間は須く自殺すべき、という結論さえ導かれてしまいます。

ニートについて、私はまったく詳しくはありませんが。ニートに関してはニートと呼ばれる人たちそのものではなく、ニートという、現実とかけ離れた暴挙な分類の方が問題であったはずです。
さらに、本来の意味である「ニート」の問題と、現在の労働環境、雇用環境の問題とは、本来分けて考えるべきものであったはずです。Leiermannさんはフリーターとニートの概念を混同したまま扱われていませんか。

>社会に責めを帰すべき面があったからといって、個人をすべて免責することなどできません。むしろ、余程の場合を除けば、ある程度までは社会の不備を個人が肩代わりすることは可能です。そして、「肩代わり」した分を後から請求することもできるはずで、子供のことを最優先するならば、まずそういう選択肢を考えるべきではないでしょうか。現実問題として、本当に「他に選択肢がない」状況など、そうそう存在しないと思いますよ。

勘違いされては困るのですが、私は(強い叱責やバッシングの問題について、)責任の所在をどうこうの話をしている訳ではありません。
私は中絶経験者の方、そしてこれから誰かの胎内に生まれてくるであろう命の(身体面の)安全のために、現在や過去までに何が問題や障害となっているのかを浮きだしているのです。
Leiermannさんにとっては、それ(責任の所在の問題)だけが大事なのかもしれませんが。

>そして、冷たい言い方かもしれませんが、当事者がどれほど苦しんでいようと、悪いことは悪いことです。無論、中絶をした当事者が苦しむのはわかるし、だからその人に直接ことさらに責める言葉をかけようとは思いません。

人の気持ちを「わかる」だなんて言わないでくれますか。あなたに何が分かるとおっしゃるんですか。いったい誰の気持ちを理解されているつもりでいるんですか。
自分勝手な正しさや優しさで「正義」を気取りたいのであれば、どうぞいつまでも妄想世界から出てこないでください。

LeiermannLeiermann 2006/06/21 23:19 >top-cat さん

法的責任をかわせない、ですか……。緊急避難、という訳にはいかないのでしょうか。というのは、性犯罪の場合に出産を強要することは、まずその女性にかけられる精神的負担は、生命に関わるほど甚だしいと一般的に仮定してよいのではないでしょうか。そして、精神鑑定をしている時間的・精神的余裕もないはずです。このことの責任は、本来性犯罪の加害者が背負うべきではないかと思うのですが、無理でしょうか。
経済的理由に関しては、母体保護法の趣旨がそもそも、母体に危険を及ぼすほどの困窮を想定しているようですので、従って母親の生存権に関わる場合と考えてよいかと思ったのですが。ただし、生活保護などの制度が完備しているならばこの限りではないかもしれない、とは思います。

いずれにせよこの問題に関しては、図書館で本を借りてきたので、もう一度勉強してみるつもりです。丁度明日、遠出をしなければいけない用事があるので、電車の中ででも。

>牧波さん

落ち着いてください。恐らく趣旨を誤解されています。

まず、中絶経験者を批判して私に何の得があるでしょうか。そういうことを言われるのは理解に苦しみます。そもそも、私は「育てていく人」を女性のみに限定していません。一般的には、子供の両親共に、育てる(法的?倫理的?)義務があるべきだと思います。
ただし、中絶経験者の全てを一緒くたに批判するのが間違いなのは確かですが、同時に全員を擁護することが正しいということはあり得ません。そして、「障害を持った子供が生まれる」ことを理由に中絶をした人は、殆ど全ての場合何らかの誤りを犯していると言ってよいのです。これは確かです。この「行為」を批判することは、同様の悲劇の再生産を避けるためにどうしても必要なことです。
当事者を責めたくないというのは、飽くまで情緒的な理由にすぎません。殊に出生前診断の場合、両親が内面の差別感情を克服できないが故に中絶を選ぶという例も多いのですよ。それを弁護することは、差別を肯定することにも繋がりかねないのです。
同時に、実際に障害を持った子を産んで、結局幸福に暮らしている人も多いのですから、「選択肢がない」というのは「事実として」誤っていると言わざるを得ないのです。そこが私の言いたかった点です。責任の所在云々ではない。

申し上げたくはないのですが、中絶当事者に肩入れしすぎた挙句、感情論に走られているのではないでしょうか。逆の立場からすれば、全く逆の結論を導くことも可能なのですよ。「社会が悪いというのは簡単ですが、だからお前らには生まれて来られる余地はないのだ、と言われる障害者の身にもなってみてください、と言わせたいのですか」、とでも言えば話の収拾がつかなくなることは明らかでしょう?

なお、ニートに関しては、雇用環境だけの問題ではありません。例えば疾病や障害などで就職できない人も「ニート」扱いされています。ただし、議論が発散するのは避けたいのでこの点に関しては省きます。

ついでに、当事者が苦しむのは「わかります」と書いたことを批判されているようですが、正直理解に苦しみます。これは当然、「事実として知っている」くらいの意味です。他者の内面を「わかる」というような深い意味で言っているのでないことは、文脈から当然わかるはずですし、そういうことを言う必要のある文脈でもないはずです。

どうか落ち着いて再度読みなおしてくださることを期待します。「妄想世界」だの「自分勝手」だの、感情的になりすぎですよ。

top-cattop-cat 2006/06/21 23:50 makinamikonbuさん、
<煽りには反応しないように
煽ったつもりはないです。でもそういった印象を与えたならごめんなさい。
で、「生存権」ですが、makinamikonbuさんは、死亡届がでる→いままで生きてた証拠だ。国家が死亡届を出すことを命じる→胎児がいままで生きてたことを国家が認めたのだ、と考えてるようだ。ここまでは私もわかる。でもここからmakinamikonbuさんは胎児は「生存権」を有する主体だと国家が保証していると飛躍する。「生きているのを認める」ことと「生存権」を守ることは違う。「生存権」は他者から生命を奪われない権利のこと。従って国家が「生きているのを認め」ても、他者から生命を守らないのならば「生存権」を守ったことにならないし、現実にその胎児に「生存権」はあたえられてないことになる。なるほど確かに国家は胎児が「生きていることを認めている」のかもしれないが、その内実としてやってるのは生命を他者から守ることではなく、ただ死亡届をださせているだけだ。つまり実質、戸籍にのる権利を保証してるだけだ。もしかしたら国家は戸籍にのる権利を「生存権」だと勘違いしてるのかもしれない。すると人を殺しても戸籍に残しておけば生存権は守られることになる。自衛隊に間違った命令を出し、大勢の国民を殺しても、戸籍に残しておけば、「生存権」を守ったことになる。そして天皇は始めから戸籍にのっておらず、「生存権」はないので殺しても殺人に問われないことになる。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/22 23:50 >スープさん
はじめまして。

>これの根拠は実質的には全く書かれていませんね。
>これは不思議なところです。

「では、誰が殺しているのか」の項で述べておりますが。

>レトリックを駆使することによって「殺人」と「殺人に等しいと比喩される殺人でない行為」を
>「殺人」として同列に並べたて、論理展開を行っておられます。

あ、スープさんの言及でよく分かりました。
「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
こう答えれば良かったんですね。

>返答として管理人さんは、
>>そう取られても仕方が無いかもしれません。
>>「身体の一部=胎児」という図式で書いたつもりでいます。
>>で、この「胎児」は、「胎児」という一個体であるのと同時に「妊婦の身体の一部」でもあるから、
>>「妊婦の身体の一部(=胎児)を殺す行為であること→殺人」という主張をしているわけです。
>と書いておれます。しかしでは、

>>胎児と妊婦自身の一部が殺されてしまう
>>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在する
>>妊娠中絶とは、胎児だけでなく妊婦の身体や心の一部までをも殺す
>これらの文はどう説明なさるのでしょうか。管理人さんの返答とは全く辻褄が合っていませんよ。

http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060616/p1#c1150723862にて、既に説明しております。

>Leiermannさん

>まず、中絶経験者を批判して私に何の得があるでしょうか。そういうことを言われるのは理解に苦しみます。

落ち着いてください。恐らく趣旨を誤解されています。
私は「Leiermannさんにとっては、それ(責任の所在の問題)だけが大事」なんでしょう?と言ったのです。

>そもそも、私は「育てていく人」を女性のみに限定していません。一般的には、子供の両親共に、育てる(法的?倫理的?)義務があるべきだと思います。
ただし、中絶経験者の全てを一緒くたに批判するのが間違いなのは確かですが、同時に全員を擁護することが正しいということはあり得ません。そして、「障害を持った子供が生まれる」ことを理由に中絶をした人は、殆ど全ての場合何らかの誤りを犯していると言ってよいのです。これは確かです。この「行為」を批判することは、同様の悲劇の再生産を避けるためにどうしても必要なことです。

落ち着いてください。恐らく趣旨を誤解されています。
私はhttp://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060616/p1#c1150774251にて提示したとおり、

>「障害を持った子供が生まれる」ことを理由に中絶をした人

というレッテル自体に異論を唱えているのです。
家族や支援者と呼ばれる人々の権力が絶大であることや、「社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、自立生活の確立が困難になってしまう社会制度」、「社会の『五体満足な子がほしい』という強固な価値観」を再生産しつづけているのは自分たち自身なのだ、と社会の一人ひとりが自覚をすること。これは同様の悲劇の再生産を避けるためには絶対に避けては通れない必要なステップだと、私は考えております。
全ての責任を「女性」に転嫁するのは簡単だと思います。しかし、それでは絶対にこの問題は解決しないと考えます。

>同時に、実際に障害を持った子を産んで、結局幸福に暮らしている人も多いのですから、「選択肢がない」というのは「事実として」誤っていると言わざるを得ないのです。そこが私の言いたかった点です。責任の所在云々ではない。

仮に「実際に障害を持った子を産んで、結局幸福に暮らしている人も多い」というのが事実であったとしましょう。だからと言って「中絶手術を受ける/受けない人」に責任を押し付ける行為を正当化する理由にはなりません。
ていうか、結局Leiermannさんは「『選択肢がない』というのは『事実として』誤っている」という言説を論拠に「中絶手術を受ける/受けない人」の「自己責任」を神格化したいのですね。

>申し上げたくはないのですが、中絶当事者に肩入れしすぎた挙句、感情論に走られているのではないでしょうか。逆の立場からすれば、全く逆の結論を導くことも可能なのですよ。「社会が悪いというのは簡単ですが、だからお前らには生まれて来られる余地はないのだ、と言われる障害者の身にもなってみてください、と言わせたいのですか」、とでも言えば話の収拾がつかなくなることは明らかでしょう?

えーと。私がいつ「だからお前らには生まれて来られる余地はないのだ」と言いましたか。Leiermannさんは確かに「中絶経験者をバッシング」されていますが。私は「社会的少数者は生まれてくるべきではない」などとは言っておりません。むしろ逆に、社会的少数者が「障害」を押し付けられないように、との目的も含めて書いているつもりです。

>なお、ニートに関しては、雇用環境だけの問題ではありません。例えば疾病や障害などで就職できない人も「ニート」扱いされています。ただし、議論が発散するのは避けたいのでこの点に関しては省きます。

こちらはLeiermannさんが提示された「ニート」言説のおかしさに突っ込みを入れただけなので、どうぞご自由に。

>ついでに、当事者が苦しむのは「わかります」と書いたことを批判されているようですが、正直理解に苦しみます。これは当然、「事実として知っている」くらいの意味です。他者の内面を「わかる」というような深い意味で言っているのでないことは、文脈から当然わかるはずですし、そういうことを言う必要のある文脈でもないはずです。

この点に関しましては、反論の余地がございません。ただ、そういった意味でとられることもあるのだ、ということを「事実として知っている」くらいの意味でとっていただければと思います。

>top-catさん

>煽ったつもりはないです。でもそういった印象を与えたならごめんなさい。

ありがとうございます。これから気を遣っていただければと思います。

それとスープさん宛にも書きましたが、私は「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。もっと早く気付くべきでした。
法律については完全に無知な上、自身の傲慢のために「生存権」に関してはtop-catさんの仰るとおり飛躍した主張をしておりました。反省します。
ご指摘ありがとうございました。

top-cattop-cat 2006/06/23 00:51 <ご指摘ありがとうございました。
いいえ。わかってもらえてよかったです。

スープスープ 2006/06/23 00:51 >「では、誰が殺しているのか」の項で述べておりますが。
はて? そこでは、性暴力・キャリア放棄回避・障害児回避・放校回避の場合などの
ごくごく限定された場合しか述べておられませんが? ご冗談が過ぎますよ。

>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
>こう答えれば良かったんですね。
>私は「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。
いいえ、「法律用語としての殺人」ではない「殺人」という単語を使ったというつまらない問題などではなく、
国語の範囲においても、比喩表現の殺人とそうでない殺人を混ぜて不適切で卑怯な用法をあなたはお使いになったのですよ。

>http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060616/p1#c1150723862にて、既に説明しております。
いいえ、残念ながら全く説明になっておりません。

そこでもあなたは私が先のコメントでも指摘したように、
>「身体の一部=胎児」という図式で書いたつもりでいます。
>「胎児」が「ひとりの人間」であり、また同時に「妊婦の身体の一部」である
との説明しかしておりません。
この説明では、私が先のコメントで指摘したあなたの文の中身がまったく説明できません。
ここで注意しておきますが、あなたはtop-catさんや私の指摘コメントの後もなお、
自らの意見の不適切をお認めたになったわけでも、文章の不適切を認めたなったわけでもありません。

さて、このとき、
>妊娠中絶とは、胎児だけでなく妊婦の身体や心の一部までをも殺すという、
>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在する
このような文に対してそれらのどこが、説明になるのですか。

中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在する。
それは、妊婦の身体の一部である胎児である! 

とでも主張なさるおつもりですか。いい加減にしなさい。
あなたは卑怯者ですよ。

スープ 若干訂正スープ 若干訂正 2006/06/23 00:54 文章の不適切を認めたなったわけでもありません。

文章の不適切をお認めになったわけでもありません。(法律用語云々で話をそらすことはなさりましたが)

スープスープ 2006/06/23 01:37 また、どうも法律理解においても、管理人さんは詳しい詳しくない以前の段階で根本的に間違っておられるように感じます。
>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
>「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。
などと書いておられますが、そもそも母体保護法に基づかない場合であっても、
刑法において中絶者が問われる罪はもともと「殺人罪」ではなく「堕胎罪」です。
中絶行為を「刑法における意味の殺人」で逮捕することは、元より不可能です。
(これは、全くの他者による不同意の殺人行為(ここでは国語としての殺人)であっても同様です)

そしてこれより逆に、
あなたがお書きになっている「殺人」が法律用語としての「殺人罪」でないことは元より明白なのです。

それをいちいち説明なさったということは、
よほど管理人さんが中絶の問題について無知であるか、あるいは私が酷くバカな人物であると見做されているのか、
のどちらかなのだろうと考えるしかありません。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/23 21:15 >スープさん

>はて? そこでは、性暴力・キャリア放棄回避・障害児回避・放校回避の場合などの
>ごくごく限定された場合しか述べておられませんが? ご冗談が過ぎますよ。

「キャリア放棄回避」「障害児回避」「放校回避」ですか。まるで全ての妊婦が自分から放棄することを強く希望しているかのような書き方ですね? ご冗談が過ぎますよ。
妊婦が「放棄」する云々の以前に、他者による問答無用の「剥奪」が行われているのですが。どこに妊婦の選択権があるのでしょうか?
「障害児」に関してはLeiermannさんとの議論にて述べておりますので割愛いたします。

>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在する。
>それは、妊婦の身体の一部である胎児である! 
>とでも主張なさるおつもりですか。

>でも主張なさるおつもりですか。いい加減にしなさい。
>あなたは卑怯者ですよ。

そうですね。top-catさんのコメントを読み返して、中絶によって妊婦自身は必ず殺されるわけではないこと、つまり

>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在するのです。

という文面が誤解や混乱を招いており、適切でない表現であることに気付くことができました。ご指摘ありがとうございます。

>そもそも母体保護法に基づかない場合であっても、
>刑法において中絶者が問われる罪はもともと「殺人罪」ではなく「堕胎罪」です。

コメントの議論を追っていただければご理解いただけると思いますが、私のそのコメントは、top-catさんのコメント(http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060616/p1#c1150812698より後)からはじまった議論:「胎児」に「生存権」があるのかないのか、の主旨に沿って答えています。

>あなたがお書きになっている「殺人」が法律用語としての「殺人罪」でないことは元より明白なのです。

左様でございますか。えーとですね、明白云々の以前に、私は

>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」

と書いているのですし、既にtop-catさんにも

>私は「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。

と返信しているのですが。
top-catさんは、わたしとLeiermannさんとがコメント応酬のなかで「倫理」と「法律」の問題を混同し、話を脱線させていたから助言してくださったのであって。私が書いた元々の記事本文においては、「倫理」のみに絞って記述しています。
私の説明が下手だったのが原因かと思われるのですが。そのことをスープさんが理解されていないようでしたので、失礼とは思いながらも説明させていただいたまででございます。ご気分を害したようでしたら申し訳ございません。
ただ一つ申し上げるならば、私は決してスープさんのことを「酷くバカな人物である」などと失礼極まりない評価をしているわけではございません。

スープスープ 2006/06/23 22:45 >「キャリア放棄回避」「障害児回避」「放校回避」ですか。まるで全ての妊婦が自分から放棄することを強く希望しているかのような書き方ですね? ご冗談が過ぎますよ。
何をおっしゃりたいのかさっぱり分かりません。性暴力・キャリア放棄回避・障害児回避・放校回避などの場合というのは、仮に管理人さんの論理展開に沿ったとき、他者による「剥奪」が行われたとなる場合であって、したがってそのような限定した場合しか想定しない時点でおかしい、と私は指摘しています。
中絶全体の一部をとりあげても、それで全体を語ることはできません。これ、当たり前ですよね? 違いますか?

>適切でない表現であることに気付くことができました。ご指摘ありがとうございます。
なるほど。では、
>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在するのです。
というのは、完全に誤りであるとお認めになるということでよろしいのですね?

最初にも書きましたが、私はそれが群を抜いて最も重要だと考えていますので。
さて、人間、文章を書くにミスはつきものとはいえ、「もうひとり存在する」だなんて、
一体どういうミスを犯したらこのような表現の捻り出しに至ったのでしょうか?
文章の上手い下手・知識の有る無しの次元じゃないと思うのですが。


>明白云々の以前に、私は
明白云々の以前に? 元よりというのは、このエントリ本文が投稿された時点から、ですよ。
「元より明白」なんですから。それらのコメントがなされた時系列をもう一度考えなさい。私のコメント投稿の後じゃないですか。
あなたのそれらの文章を引用した上で、私が元より明白と書いているのに、
>明白云々の以前に、私は
>>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
>と書いているのですし、既にtop-catさんにも
>>私は「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。
>と返信しているのですが。
とは全く理解不可能です。私は、
>>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
>>「社会は”胎児及び妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げてはおりません。
>などと書いておられますが、そもそも母体保護法に基づかない場合であっても、
>刑法において中絶者が問われる罪はもともと「殺人罪」ではなく「堕胎罪」です。
>中絶行為を「刑法における意味の殺人」で逮捕することは、元より不可能です。
と書きましたよね? あなたのコメントは全く返答になってないじゃないですか。

私は、あなたの文章をそのまま受け止めますと、
レトリックを駆使することによって「殺人」と「殺人に等しいと比喩される殺人でない行為」を「殺人」として同列に並べたて、論理展開を行ったか、
のどちらかであると指摘しており、
あなたはそれに対して文章に著しい誤りがあったと認めるわけでも、(ミスの結果偶々そうなってしまった?)卑怯なレトリックを認めるわけでもなく、
>スープさんの言及でよく分かりました。
>「私がいつ、『お前らは、”妊婦の”殺人罪で逮捕されるべきだ!』と申し上げたのでしょうか。」
>こう答えれば良かったんですね。
このようなコメントを返してよこしましたよね?
ですから私は、そんなことは「元より明白」だ、何を言ってるんだ。話を逸らすな。とお答えしたのですよ。

>私の説明が下手だったのが原因かと思われるのですが。
説明が下手だったのではなく、管理人さんの文章に著しい問題があるのですよ。それも誤読やミスリーディングの範疇でない次元で。
なお私がtop-catさんの〜と書いているのは、私の最初のコメント内容を見れば分かるでしょうが、
top-catさんの最初のコメントについてです。ま、どちらにせよ私が書くことは同じなので何でもいいのですが。

スープスープ 2006/06/23 22:47 「か、のどちらかである」は編集投稿時のミスです。飛ばしてお読みください。

LeiermannLeiermann 2006/06/24 02:02 >牧波さん

余り、不必要に人の文章を換骨奪胎してお答えになるのは趣味の良いものとは思えませんが、それはさておき。
何度も申しますが、私は中絶の当事者を全部一緒くたに批判したりはしていません。やむを得ぬ中絶が存在することは承知しています。ですから、当事者を「バッシング」しているというのは誤りです。
私が批判しているのは、その中で「やむを得ない」と客観的に思えるほどの理由がない人、特に出生前診断で障害児を中絶する人です。即ち、ここでの批判の焦点は「障害者差別」という行為にあるわけで、「中絶の当事者である」ことがこの批判を免れる理由になるのはおかしい、と言っているわけです。

言っておきますが、出生前診断を肯定する人は存在します。障害者の当事者・家族の団体にいれば、一度や二度はその類の話を耳にし、心を痛めることになります。実際、例えばこのサイト。
http://www.kokugai.com/zakki_abortion.html
よく読んで下さい。「強姦や近親相姦によって妊娠してしまった女性だけでなく、奇形児が生まれてくることが予想されていても中絶に反対する」ことを批判対象として挙げています。つまり、この人にとっては、「奇形児」を中絶することは、「強姦」や「近親相姦」(性的虐待というべきだと思います)を中絶するよりも倫理的に問題がないというのは自明のことなのですね。これこそ差別以外のなにものでもないでしょう。
こういうことを平気で言う人が、障害児を中絶したとして下さい。その行為は非難に値しないでしょうか?値しないとなれば、むしろその理由を私は伺ってみたいです。牧波さんはこういったことを想定されていましたか?

rossmannrossmann 2006/06/24 11:36 脇から失礼します。
Leiermannさんのエントリーには、出生前診断を批判するという記述はなかったと思うのですが。
記憶によれば、そこではフェミニズムが中絶の権利を主張することを批判されていたり、男性が自分の子供を殺されない権利が主張されていたと思います。
前者の主張と、後者の主張はどういった関係にあるのでしょうか。前者と後者は、普通に考えて同一の中絶を指してなされている議論とは思われません。フェミニズムが中絶の権利を主張したのは、世界的に見て70年代などにおいてです。そこで問われていたのは、合法化することによって、きちんとした知識を得、安全な中絶を行うことでした。まずフェミニズム自体が出生前診断を行うことを目標にしていなかったわけですし、時期的にも出生前診断は社会的な問題として特別意識されていなかったのではないでしょうか。
男性の子供を殺されない権利に関していえば、出生前診断を関連させると、女性が他の理由によって中絶する必要が全くないにもかかわらず、独断で出生前診断を受け、その上でパートナーとの相談なしに中絶するケースを想定しなければなりません。私はこうしたケースが多く起きているとはとうてい思えないので、とりわけ問題にする必要が感じられません。また、そもそも障害などのない子供であれば育てるコンセンサスが男女の間にできていたにもかかわらず、ひそかに女性が出生前診断を受け、障害のある場合に中絶していたとしたら、夫や家族が自分を非難するかもしれないという恐怖をその女性が持っているのではないかと推測することができます。その恐怖が故のないものであることを、誰が主張できるでしょうか?
出生前診断をめぐる倫理的問題は、議論すべき重要な問題でしょう。とはいえ、最初の段階では明らかにもっと広い中絶を問題にしていたかに思われるにもかかわらず(当初のエントリーが、出生前診断の問題を論じていたとは思われませんから)、途中からそちらの議論に(特別な断りもなく)移行するのはまずいと思います。最初の段階でLeiermannさんが問題にしていた中絶一般の問題を論じたあとで、出生前診断という事柄に触れた方がよいのではないでしょうか。

LeiermannLeiermann 2006/06/24 12:01 確かに当時の記事にはそこまで書いていた訳ではありませんでした。
少し調べてみたのですが、「中絶の権利」に関する論争は未だ続いているようです。70 年代の事情は存じませんが、未だに「出生前診断」が問題になる程度には、議論は未成熟なのではないでしょうか。
「子供を殺されない権利」はさほどの本筋ではなくて、この問題に関して男の関与を排除することを、結果的に無責任な男が増えているのではないかという懸念も含めて指摘したかっただけです。子供は大人全てが全力で護るべきものですから。
また、中絶の問題に関して言うと、問題の中核にあるのは結局、子供の人生を生まれる前から「生まれてくるだけ不幸」と断定するような粗雑な議論ではないでしょうか。それはまるで「ポア」の思想だと思うのです(実際、出産後の子殺しさえも否定しないような暴論さえも学問の水準で存在するようです)。結局、「自分の私利私欲のためには子供が邪魔だ」ということを屁理屈をこねて正当化しているだけではないかと。
本当にまともにこの問題を考えたいのなら、そうした欺瞞をまずは排除しなければならないはずで、そのためには「出生前診断」の問題に注目することが最もわかりやすいと思うのです。大人の利己主義と差別感情という醜さが最も露わになるのがこの問題ですから。ですから私は「出生前診断」こそがこの問題の中核であり、ここに対する態度さえ決まれば一般論は自ずと定まると思うのですが、違いますでしょうか。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/24 13:46 >スープさん

>性暴力・キャリア放棄回避・障害児回避・放校回避などの場合というのは、仮に管理人さんの論理展開に沿ったとき、他者による「剥奪」が行われたとなる場合であって、したがってそのような限定した場合しか想定しない時点でおかしい、と私は指摘しています。
>中絶全体の一部をとりあげても、それで全体を語ることはできません。これ、当たり前ですよね? 違いますか?

「性暴力」とひとことで言っても、非パートナー間のものもあればパートナー間のものもありますし。肉体的暴力によるものもあれば、関係性に利用して巧みに行われるものもあります。
本文内では取り上げておりませんでしたが、性教育や避妊方法へのアクセスなどの不備、そして家族や友人・パートナーなどから中絶「選択」を迫られることなども挙げられます。
性教育の不備に関しては避妊方法の知識(アクセスも含む)にはじまり、妊娠した際のリスク(肉体・精神・社会的ダメージ)に関する知識、同じく中絶手術にまつわるリスクに関する知識、そして自己肯定感の支持(「相手に尽くす」ために性暴力にNOと言えないため)などが必要であると考えております。
避妊方法へのアクセスに関しては、低容量ピルが医師の診察を受けないと入手できないこと、これによってピルを入手するために大きな支出が発生することが挙げられます。

>なるほど。では、
>>中絶によって殺される人間は、胎児以外にも、もうひとり存在するのです。
>というのは、完全に誤りであるとお認めになるということでよろしいのですね?

はい。すでにエントリ本文も「以下に挙げる被害者『自身』は、中絶によって必ず殺されるわけではない、ということを踏まえ、表現を訂正致しました。」という但し書を加えた上で、「中絶によって殺される」から「中絶によって被害を受ける」に変更しております。
私の意図したメッセージも伝わりやすくなったと思います。重ね重ねお礼を申し上げます。

>最初にも書きましたが、私はそれが群を抜いて最も重要だと考えていますので。
>さて、人間、文章を書くにミスはつきものとはいえ、「もうひとり存在する」だなんて、
>一体どういうミスを犯したらこのような表現の捻り出しに至ったのでしょうか?
>文章の上手い下手・知識の有る無しの次元じゃないと思うのですが。

スープさんの想像されるとおり、「卑怯なレトリックを使った」で宜しいのではないかと思います。卑怯な悪事を重ねに重ねた史上最低の詐欺師である牧波昆布郎は、ついにスープ様によって正義の鉄槌を下されたのである!めでたしめでたし、じゃないですか。
って、あああああああー昨日クロサギ最終回観るの忘れてたあああああ(´Д`;)

>Leiermannさん

>私が批判しているのは、その中で「やむを得ない」と客観的に思えるほどの理由がない人、特に出生前診断で障害児を中絶する人です。即ち、ここでの批判の焦点は「障害者差別」という行為にあるわけで、「中絶の当事者である」ことがこの批判を免れる理由になるのはおかしい、と言っているわけです。

ええ、焦点は「障害者差別」にあることは私も同意します。
だからといって、「障害者差別」の根本的な原因(責任の所在)を「中絶経験者」に押し付けることは出来ないでしょう。これは先のコメントで何度もご説明したとおりです。

>言っておきますが、出生前診断を肯定する人は存在します。障害者の当事者・家族の団体にいれば、一度や二度はその類の話を耳にし、心を痛めることになります。

Leiermannさんが挙げた「出生前診断を肯定する人」は、イコール中絶経験者オンリーなのですか。私にはどうしてもそうは見えないし、現実問題として認識できないのですが。
また、「障害者の当事者・家族の団体」がそういった主張をしていると言うことは、「社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、自立生活の確立が困難になってしまう社会制度」が強く影響しているのではないのでしょうか。
そしてrossmannさんがより詳しく指摘されていますが、先のコメントで私が

>「出生前診断で、障害を持っていると分かった胎児を」産むか堕ろすかと判断する場合には、いわゆる「家族」の権力が非常に強く出るということも考慮に入れるべきと思います。

と申し上げたのを覚えておられますか。

Leiermannさん、あなたが中絶――特に「出生前診断」を取りあげて主張している「大人の利己主義と差別感情という醜さ」で護りたいものは何ですか。
「子供は大人全てが全力で護るべきもの」という言葉がLeiermannさんの本心であるならば、あなたがしている「責任の所在を「中絶経験者」に押し付けること」とは絶対に相容れないはずです。

素朴素朴 2006/06/24 19:34 これまでの議論について殆ど読んでいないので、そこには触れませんが、「出生前診断」についてだけ。
「出生前診断」をしなければならないという事自体が、当事者である妊婦を追い詰めているのではないかという、管理人さんやrossmannさんのご意見にはおおいに同意できますね。
「出生前診断」へと駆り立てている「障害者差別」を行っているのは誰なのか。
その中には当事者である妊婦自身も入るケースもあるでしょうが、それでも、「彼女」をその点で無自覚にさせているのは誰であるのか・何であるのかは考えなければならないと思いますね。
「彼女」を責めたてて自覚を促すことも必要な場面もあるでしょうが(何故なら「彼女」も社会を構成する一員であるから)、それと同時に「彼女」を取り巻いている社会に対して疑義を訴え続けることも必要ではないかと私は思います。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/25 19:28 >rossmannさん

>フェミニズムが中絶の権利を主張したのは、世界的に見て70年代などにおいてです。そこで問われていたのは、合法化することによって、きちんとした知識を得、安全な中絶を行うことでした。

勉強になります。現在でも、もし中絶が違法という形で厳しく取り締まられてしまう事を考えると、結局は闇にもぐってしまうのだと考えます(多くの人は他人事の中絶には反対するけど、身内の望まない妊娠には中絶を選択させるものですから)

>素朴さん
はじめまして。冷静でわかりやすいご説明をありがとうございます。私自身、自分の脳内でちゃんと整理が出来ていない問題なので、大変勉強になりました。

LeiermannLeiermann 2006/06/26 02:09 >牧波さん

誤解をなされているようですが、何度も言うように「障害者差別」の責任が中絶経験者「だけ」にあるとは言っていません。だから、責任の所在を押しつけているというのは明らかに誤りなのです。

ただし、中絶経験者を免罪すること「も」できないと思うのです。どれほど状況に問題があっても、個人が責任を免れることができないのは、例えばナチスやオウムの例を出せばおわかり頂けるかと思います。
無論、この観点からすれば、出生前診断を肯定し、「胎児条項」を母体保護法に盛り込もうとしている勢力も万死に値するのは当然です。ただし、麻原を断罪すれば実行犯の責任を問わなくてよいということにならないのと同じ理由で、障害を理由に中絶を選んだ人「も」非難されるべきです。
「家族の権力」も当然考慮すべき問題ではありますが、それは飽くまで個別の事情に過ぎませんし、そのような「権力」が働いていた場合は家族「も」非難されるべき、というだけのことでしょう。
同情の余地は同情の余地として、責任は負うべきだと思うのです。

あと、もう一点。「社会的少数者の人間が障害を押し付けられ、自立生活の確立が困難になってしまう社会制度」は大いに問題です。しかし、こうした社会的圧力の存在故に、中絶を結果的に容認してしまうのであれば、これは現状を固定するだけなのです。
残念ながら現実問題として、権利は闘わなければ手に入りません。そして、闘える者は闘う義務があると思います。社会的圧力を取り除くのは勿論、当事者としても圧力に屈しないための努力が必要です。その努力を最初から放棄することは、やはり保護者として、社会の一員としての自覚が欠けていることになると思いませんか?

素朴素朴 2006/06/26 18:43 >makinamikonbuさん
通りすがりのコメントなのにレスポンスありがとうございます。
私のコメント中「責めたてて」という表現が気になり再び来ました。
「出生前診断」をしよう・する人は一体どういう人たちなのかを考えてみたところ、間接的直接的に何らかの差別を経験してる人ではないだろうかと気づきました。
私は、そういう人々が「こんな差別はもう御免だ」と、「耐えられない」と思う気持ちがあっても当然だろうと思います。そういう人々に向かって「出生前診断をするな」「中絶するな」とは、私は言えないんですね。
彼らを、不安や過去の傷からまず逃がしてやって、その上で彼らが経験した差別について共に考えていければ……と思います。

rossmannrossmann 2006/06/26 19:06 >Leiermannさん
>また、中絶の問題に関して言うと、問題の中核にあるのは結局、子供の人生を生まれる前から「生まれてくるだけ不幸」と断定するような粗雑な議論ではないでしょうか。

これ以降の部分に関してですが、私は中絶の問題全てを出生前診断の問題と同一視できるとは思いません。そもそも、命を奪うことは許されないという理由を論拠とするなら、選択的に命を奪うことが悪いという議論をする余地がなくなります。Leiermannさんの議論に従えば、出生前診断を批判対象にすることは全く無意味になってしまいます。

あと、男の責任を強調したい、という議論として、「男の子供を殺されない」権利を持ちだすのはおかしいと思います。これではまるで全ての場合に女性がパートナーの男性に全く相談もせず中絶を行っているように取れますが、実際は相談の上で決定されるケースの方がはるかに多いでしょう。男性が自分の責任を果たすための情報と機会は十分に与えられています。

また相談しなかった、ということ自体、2人の間に信頼関係がなり立っていない証拠なのですから、そこで男性の権利を持ちだす理由が分かりません。女性が信頼できないと思っている男性が、最善の選択を行うと考える根拠はありません。リスクも含めて妊娠しているのは女性なのですから、最終的な決定権は女性のものであるべきです。そうでなければ、国家や周囲の人間がある女性個人の身体を所有するという、奴隷状態が導かれるだけです。
とはいえ、私は出生前診断の問題から、中絶一般が否定されるとは考えないので、とりあえず傍論である「男性の権利や義務」の問題について深入りするつもりはありません。

繰り返しますが、私は出生前診断の問題は、中絶一般の問題ととりあえず別個に論じられるべきだと思います。また、Leiermannさんのこの点に関する主張が説得的だとは思えません。なぜなら、そもそも出生前診断に対する批判は、選択的な中絶を行う権利があるかどうかという、中絶の一部分を占める問題を扱っているだけだからです。

top-cattop-cat 2006/06/26 23:42 >Leiermannさん、
もっと早くに指摘すればよかったですが、出生前診断を考えるのに経済的面が抜けてますよ。障害児や治療法のない子供を育てるのに莫大な金がかかる。でもってLeiermannさんはは経済的中絶を肯定している。例えばある夫婦人が障害児に差別感情を抱きつつ経済的な問題から中絶した。でも経済的な問題から中絶することは悪くない。では何が悪いか。障害児に差別感情を抱くことでしょう。でもこれはもはや中絶する人に限った問題じゃありませんよ。

makinamikonbumakinamikonbu 2006/06/27 00:37 つづく!
http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20060627/p1#c

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