介護マシーンとしてのワタクシ

桜散る


仕事柄なのだろうか?それとも仕事とはそういうものなのか?小さいことだけれど嫌な気持ちになることがいくつか続く。今まで、その家のドアを閉めたら、気持ちを切り替えて次の家に向かうようにしていたけれど。それが上手にできなくなる。少し自分に責任がつく立場になったからなのか。切り替えて済むことではないからなのか。沈んだ気持ちやササクレタ気分がなかなか晴れない。いつもその度に自分の足らない所見せられるようで、つらくなる。誰に責められるわけでも、誰に指摘されるわけでもないけれど、自分の目の前に自分の足らない所が、いつもべろんと提示されてる。目を背けていくには「べろん」が大きくてはっきりしすぎて。わたしはわたしという人間の足らない部分を考えずにはいられない。やっぱり黙々と向き合わなくてはならないんだなと思う。わたしに起こることは総て、(よいことも悪いことも)やっぱり自分が招いているんだなと思う。今の私に付いて回る問題なんだろうなと思う。気分はなかなか晴れないけど、今の自分に起こることは、これすべて自分が招いてることだと腹を括って、引き受けていかなくては。引き受けて、しっかり働いていかなくっちゃなと思う。

 


そんなことを考えながら、阿佐谷の街を自転車で走っていたら、ケヤキの新芽が柔らかく芽吹いていて、すごく驚いた。自分でもびっくりするぐらい驚いていて。当たり前のことなのに、こんなに驚くなんて。わたしは今年のケヤキの芽吹きを信じていなかったことに気が付いた。わたしはすっかり疑い深くなっていたのだ。ケヤキは芽吹くこと。柳も芽吹くこと。春は進むこと。新芽は柔らかく出て色みをますこと。ちゃんと信じようよとあらためて思った。改めてぐるりと見回した世界はしっかりとした春だった。春に少し後れを取ってると思った。とりあえず明日は映画に行こうと思った。洗濯も掃除もそっちのけで映画館に出掛けようと思ったのだ。