三代王神社

祭神 天種子命  
七年祭での役割 産婆
262-0031 千葉市花見川区武石町1-4




→ 「七年祭」関連の記事
二宮神社(父・夫) → その一その二
大原大宮神社(叔母)→ その一
菊田神社(叔父) → その一




今日はいつもの土曜日の通り、
ラーメン二郎京成大久保店で、
シャッター前で*1、開店を待つつもりでおりましたが、
かみさんと子供達に所用があり、
かみさん、どうしてもジロりたいようなので、
珍しく「夜の部」に行ってみることにしました。




そんな訳で私は昼は一人きり。
前々から気になっていた、
こちらの神社にお参りしてみました。




京葉道路、武石ICにほど近い、
三代王神社です。




武石という地名は、
千葉常胤の三男、
武石胤盛に由来します。
「三代王」という名前は、
いったいなぜ付いたのだろうか。
千葉常胤が千葉氏三代だからか。
それとも胤盛が三男だからか?。




さて、七年祭りは、我が自説では、
藤原氏と千葉氏の歴史のコラボレーション。
藤原時平の子孫が流れ着き、
開いた土地に祀った神社へと、
後の千葉(馬加)康胤の安産祈願をしたことから、
現在の七年祭りの形になったのだと思います。



ですから、こちらも、千葉氏、
武石胤盛の篤い帰依によるという伝承ながら、
なぜか祭神は、中臣氏(後の藤原氏)の祖神、
天児屋命の孫で、
天種子命(アメノタネコノミコト)という、
あまり聞きなれない神様を祀っています。




私も藤原氏の子孫の端くれです。
祖神にはご挨拶せにゃなりません。




鳥居 




急な石段の前に建つ鳥居の左、
「懐盗心境内入者不遠可神罰
と記された石柱があります。




懐盗心境内入者不遠可神罰 




「盗み心を懐いて境内に入った者は、
遠からず神の罰を受ける」ということですね。
「思っただけ」でも「罰」を受けるというのは、
現代の日本国憲法からすれば違憲です。(笑)




急な石段 




急で小さな石段を上がります。




三代王神社   




拝殿は、このシャッターのような、
赤い雨戸が取り付けられて、
なんとも形容のしがたい建物です。




本殿 




しかし、裏に周って、
隙間から覗き拝した本殿は、
歴史を感じさせる、
立派な春日造り形式でありました。




御神灯  御神灯の月星紋と八曜紋 
神輿蔵の八曜紋 




嘉永六年(1853)に建てられたこの御神灯や、
七年祭りに参加するお神輿の蔵の扉にも、
八曜紋と月星紋が記されています。
やはり千葉氏の信仰した神社です。




神楽殿 




この神楽殿は、なんとも半端な年ですが、
皇紀二千六百二年」を記念(?)して、
昭和十七年(1942)に建てられたものだそうです。




人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しています。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 応援クリックをお願い致します。

*1:再開後はシャッターがないのですが・・・。