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元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

江戸御府内八十八ヶ所関連の記事 → [御府内88]
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2009-01-11

成田山 明王院 神護新勝寺 その三 〜 大厄(前厄)厄除・お寺編 〜 

宗派 真言宗智山派 大本山 

本尊 不動明王

286-0023 成田市成田

公式サイト http://www.naritasan.or.jp/




成田山 新勝寺 → その一その二

→ 「成田山」関連の記事




私は元々「無宗教無神論者」でありましたが、

御府内八十八ヶ所など、

様々な神社仏閣詣を重ね、

「多宗教・多神論者」となった「お参ラー」です。

氏神産土神に、厄除け参りをしたのであれば、

やはり仏様にもお参りしたい。

さて、どちらのお寺にお参りしましょうか。

私は酉年生まれなので、

生まれ歳の守り本尊は不動明王尊です。

そして、千葉県民であれば、

やはりここにお参りしましょう。

初詣日本一の参拝者数を誇る寺院

成田不動こと、成田山新勝寺です。




成田山表参道




年が明けてもう十日を過ぎますが、

まだまだ多くの人出で賑わう成田山表参道

すげぇーなぁ。

色んな方言が聞こえてきます。




薬師堂




駅から表参道のちょうど中間ほどにある薬師堂です。

お参りしている人はほとんどいませんが、

ここは新勝寺飛び地境内で、

このお堂は明暦元年(1655)に建立された、

三代前の本堂なのです。

安政二年(1855)にここに移転されました。

成田山最古の建造物でもあるので、

必ずここにもお参りすることをお勧めします。




総門




昨年、開山1070年を記念して建立された、

まだ白木の真新しい総門です。

十六体の獅子頭十二支の蟇股によって結界が張られ、

この門の楼上には、

生まれ歳の守り本尊の八体仏が奉安されているのだとか。




成田山金剛王院新勝寺?



去年は気付きませんでしたが、

この総門の向かって右にある、

この山号・院号・寺号碑が刻れた碑には、

成田山金剛王院新勝寺」と記されています。

あれ!?。成田山の正式名称は、

この記事のタイトル通り、

成田山明王院神護新勝寺」であったはず・・・。




高雄神護寺の護摩堂の本尊であった、

弘法大師空海が敬刻開眼したという不動明王像を、

平将門の乱平定の為、

朱雀天皇より密勅を受けた寛朝大僧正が、

難波の津の港(現・大阪府)から海路を、

尾垂ヶ浜(現・横芝光町)に上陸させ、

成田の地に祀り、乱平定の為護摩を奉修しますが、

乱の平定後も、不動明王像の自らのご意思により、

この地に留まったというのが、このお寺の起源です。

明治までご本尊の借り賃を、

神護寺に支払っていたという説もありますが、

成田山広報はこの説をあまり公にしていません。

ですから寺号から、

「神護」を外したいという意味合いは分かりますが、

明王院」が「金剛王院」に院号が変わる意味が分からない。

いったい、正しい正式名称はどちらなのか・・・。

お寺に直接聞いても、

おそらくあやふやにされてしまうでしょう。

数年前にご本尊の不動明王がなぜ、

「国指定重要文化財鎌倉時代作)」

なのかと質問した時もそうでした。

そんなこたぁ〜、どうでもいいか。あはは。



仁王門




さて、急な石段を上がり、

その中央仁王池の手前に、仁王門。

国指定重要文化財に登録されています。

天保二年(1831)の再建です。

四天王ではなくて、

正面左右に密迹金剛、那羅延金剛

その裏側に広目天多聞天が祀られています。

大提灯は重さ800kgなんだとか。




三重塔




石段を上がりきると右側には、

やはり国指定重要文化財三重塔。

正徳二年(1712)の建立で、

周囲に十六羅漢の彫刻が施され、

塔内には五智如来が祀られています。

煌びやかでありながら、

荘厳で美しい塔です。




一切経蔵と鐘楼




三重塔の手前には、一切経蔵と鐘楼があります。

これは市指定文化財ですが、

私が子供の頃は、一回転させれば、

一切経の全部を読誦したのと、

同様の利益があるといわれる台を廻せました。

今は文化財保護の為、立ち入りが出来ません。




大本堂




さて、昭和四十三年(1968)建立の、

この巨大な鉄筋コンクリートの大本堂。

まずは午後一時からの、

新春特別御護摩祈祷に詣でます。




鐘を鳴らしてお知らせ




大本堂内は、すげぇー、人・人・人・・・。

座る場所すらなくどうにか四人で隅に立ちます。

鐘が鳴るとお坊さんがぞろぞろと、

まるでアリーナに向けて入場するボクサーのように、

堂内にお入りになります。





偉いお坊さんが入堂




最も偉いお坊さんは、

いつも赤い傘の下なのですぐに分かります。

なんだか、わくわくしてしまう私です。

大本堂内は撮影禁止なので、

写真はありませんが、

太鼓の音に響く、護摩の火に揺れる、

お経はなんとも心が洗われます。

やっぱ、いいね。

まるで、大好きなアーティストコンサートで、

歌詞を口ずさむファンのように、

般若心経不動明王の真言を唱える私です。




釈迦堂




さて、今日の目的「開運厄除御祓」は、

この大本堂ではなく、その左手にある、

安政五年(1858)建立の、

前本堂である釈迦堂で行われています。

本尊は歴史のありそうな釈迦如来像、

脇侍は新しい文殊菩薩普賢菩薩

千手観世音も祀られていました。

30分置きに行われているようですが、

全員の名前の後に、

大本堂のお経とほぼ同様の読経がありました。

この回、ざっと約二百人、

全員が最低の初穂料の七千円でも、

え゛、140万円・・・・。

・・・などと、俗なことを考えていると、

数珠の中で合わせた手を、

上から何かがギュっと押えます。(本当)




・・・どうもすみませんでした。(汗)




光明堂




大本堂裏手の階段を上がると、

釈迦堂のさらにその前の旧本堂の光明堂。

元禄十四年(1701)建立で、

本尊は密教の教主でもあり、

不動明王の本当の姿でもある、

大日如来が奉安されています。




開山堂




光明堂の向かって右手前にある、

この開山堂は実はあまり古いものではなく、

昭和十三年(1938)の建立。

開山の寛朝大僧正像を祀ったお堂で、

歴代先師の御影も掲げられているのだとか。



額堂




その向かい側、光明堂の向かって左にあるのは、

国指定重要文化財の額堂。

文久元年(1861)の建立で、

信徒から奉納された額や絵馬が懸けられています。

これが一つ一つ眺めると、

とても皆個性的で皆面白い。

まさに庶民の祈りの歴史、そのものなんです。




平和大塔と清瀧権現堂




成田山の鎮守であるという、

光明堂の右後ろにある清瀧権現です。

妙見様も祀られているそうです。。

この権現様越しに、

昭和五十九年(1984)建立の平和大塔を拝み、

もうお腹がペコペコになったので、

そろそろお暇致します。




大師堂




この時季、境内が混み合うので

一通で元の参道には戻れず、

光輪閣の横を過ぎ、

明治二十一年(1888)再建、

平成十八年にこの地へ移転された、

大師堂の横を通り、

成田山をあとにしました。




戴いた御札と御供物と御神酒




戴いた御札と御供物と御神酒です。




私のお札コーナー



我が家のダイニングの角の、

カウンターの左側には、

私の書斎コーナーがあり、

PCもそこにあって、

今もそこでこれを入力している訳ですが、

その上の、お札コーナーに、

昨日の二宮神社のお札に並べ、

今日成田山のお札を掲げました。




江戸時代に記された、

成田参詣記という書物にも、

成田山に参る途中、

二宮神社に詣でたという記述もありますから、

先人の例の順序を真似た形になった訳です。




さて今年は大厄の前厄ですから、

本厄・後厄と、、、

また来年・再来年と伺う予定です。




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い志ばし

286-0001 成田市船形910-1




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昨年の晩秋、タヤパンが、

「御祓いがしたい。」

と、いうことで、

成田山を勧め、

だったら、

うなぎが食べたい。」

と、いうことで、

こちらを勧めました。




成田山には何度かお参りしているものの、

この鰻屋さんに、最後に伺ったのは、

おそらく学生時代?、

浪人時代?のこと。

佐倉在住の友達と、

原付で来たのが最後だと思い出されます。

何年ぶりのことでしょう。

迷いながら行ってみました。




印旛沼の東湖畔



もう午後三時を過ぎています。

もはや夕日になりかけた、

印旛沼の東の湖畔の片隅の・・・、




い志ばし




広大な田園にぽつりと浮かぶ、

まさに「掘っ立て小屋」のような、

プレハブの「い志ばし」さんです。




い志ばし(裏)



子供が近づくと吼える犬が牙を剥き、

大歓迎してくれる裏手に車を停め、

掘っ立て小屋の裏に参ります。




メニュー



人数を告げ、メニューをみて注文。

ここは父ちゃんの奢りの約束ですが、

てやんでぃ、しゃらくせー、人数分(四人)、特上でぃ。




番号札



番号札をもらい、

後は大人しく順番を待ちます。

寒空の下、待つこと約一時間

ようやくテーブルに通されました。

だってテーブルは四つしかないのです・・・。




うな重・特上(1890円)




席に着くと、ほどなくやって来ました、

お待ちかねの「うな重・特上」(1890円)×4=7560円。

肝吸いとお新香と佃煮メロンが付いています。



ぷりぷりのうなぎ




ぷりっぷりのうなぎです。

蒸さずに、白焼きにして、

タレにつけて、また焼いているそうで、

他で知っているうなぎの蒲焼とは、

まるで食感が違います。

時代小説歴史小説を読む限り、

これは越中島辺りで辻売りされていた、

原始的な調理法であり、

当時は「脂が多すぎ」て、

重度の肉体労働者以外では敬遠されたと聞きますが、

現代人の味覚でいえば、

さほど「脂が多すぎ」とも思えません。




いや、ほんと、美味かった。




こちらもまた来年、再来年と伺いますよ。




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タヤパンタヤパン 2009/01/12 00:27 「成田山」護摩は、落ち着いていますよね。
東京別院のハードロックとは違い、
ロックバラードのようです。
私はお祓いしてから、少し「前向き」になれた気がします。


「い志ばし」のうなぎが忘れられません…。

シュバルツカッツェシュバルツカッツェ 2009/01/12 03:45 遅ればせながら・・・・
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

神社とお寺、両方で厄落としをされた方は初めて見ました。(笑)
お寺部門を成田山でされたのは大正解だと思います。
私もここで大厄の厄落としをして参りました。
昨年よりは毎月深川の成田山で護摩行を受けています。
何とか日常を無事に送れているのは
ご加護を頂いけていると思っております。
揺らぎまくりの信仰心では有りましたが(苦笑)
心からありがたく思っています。
きっとmakotoさんの厄災も去ったと思います。

そして、いつもながら詳細なレポートは実に楽しめました。
昨年厄落としに行って以来の千葉の成田山に初詣に行きましたが
その時は立派な山門がまだ工事中だった気がします。

makoto-jin-reimakoto-jin-rei 2009/01/12 09:06
>>タヤパン
それが新春特別バージョンなのか、
気のせいか、大太鼓のテンポが速くて、
ストーンズほどのハードさだったのだ。
い志ばしのうなぎはいいけど、
父ちゃんの小遣いが・・・。(T△T)

>>シュバルツカッツェさん
おめでとうございます。
こちらこそよろしくお願い致します。

神社とお寺、お恥ずかしい。
欲張っているというよりも、
どうしても神仏両方にご挨拶がしたくて。
・・・いい訳です。(笑)

栴檀栴檀 2009/01/13 12:59 いや〜成田山、読みごたえ抜群です。
ありがとうございました。

makoto-jin-reimakoto-jin-rei 2009/01/13 21:21 栴檀さん、ありがとうございます。
成田山新勝寺は実はその三なんですが、
今までは写真がショボかったので、
改めて一通り記事にしてみました。

kuwamoikuwamoi 2018/02/11 08:21 成田山明王院神護新勝寺という名称を知りませんでした。

makoto-jin-reimakoto-jin-rei 2018/02/13 13:11 成田山新勝寺は、
江戸時代は弥勒寺末だったり、
大覚寺末であったり、
今は智山派大本山ですが、
総本山智積院よりも勢力は上ですね。
院号も最近しれっと金剛王院を名乗り、
神護の二文字を冠することが少なくなりましたが、
一度正式に質問したらはぐらかされました。

makoto-jin-reimakoto-jin-rei 2018/02/13 13:13 ワタシはこの方と同じ説を支持しています。
https://daihonnzann-naritasann.jimdo.com