最判平成22年6月17日 売買の目的物である新築建物に重大な暇疵がありこれを建て替えざるを得ない場合において,当該暇疵が構造耐力上の安全性にかかわるものであるため建物が倒壊する具体的なおそれがあるなど,社会通念上,建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるときには,上記建物の買主がこれに居住していたという利益については,当該買主からの工事施工者等に対する不法行為に基づく建て替え費用相当額の損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできないとした事

最判平成22年6月17日 売買の目的物である新築建物に重大な暇疵がありこれを建て替えざるを得ない場合において,当該暇疵が構造耐力上の安全性にかかわるものであるため建物が倒壊する具体的なおそれがあるなど,社会通念上,建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるときには,上記建物の買主がこれに居住していたという利益については,当該買主からの工事施工者等に対する不法行為に基づく建て替え費用相当額の損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできないとした事例


事件番号
 平成21(受)1742
事件名
 損害賠償請求事件
裁判年月日
 平成22年6月17日
法廷名
最高裁判所第一小法廷
裁判種別
 判決
結果
 棄却
判例集等巻・号・頁
民集 第64巻4号1197頁
原審裁判所名
名古屋高等裁判所
原審事件番号
 平成20(ネ)1063
原審裁判年月日
 平成21年6月4日
判示事項
 売買の目的物である新築建物に重大な瑕疵がありこれを建て替えざるを得ない場合に,買主からの工事施工者等に対する不法行為に基づく建て替え費用相当額の損害賠償請求において買主が当該建物に居住していたという利益を損益相殺等の対象として損害額から控除することの可否
裁判要旨
 売買の目的物である新築建物に重大な瑕疵がありこれを建て替えざるを得ない場合において,当該瑕疵が構造耐力上の安全性にかかわるものであるため建物が倒壊する具体的なおそれがあるなど,社会通念上,建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるときには,上記建物の買主がこれに居住していたという利益については,当該買主からの工事施工者等に対する不法行為に基づく建て替え費用相当額の損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできない。
(補足意見がある。)
参照法条
民法709条



判旨

損害賠償請求事件
最高裁判所第一小法廷平成21年(受)第1742号
平成22年6月17日判決


主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。


理由

 上告代理人西野泰夫の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 本件は,新築建物を購入した被上告人らが,当該建物には構造耐力上の安全性を欠くなどの瑕疵があると主張して,その設計,工事の施工等を行った上告人らに対し,不法行為に基づく損害賠償等を求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)上告人Y1は,上告人Y2との間で,鉄骨造スレート葺3階建ての居宅である第1審判決別紙物件目録記載2の建物(以下「本件建物」という。)の建築を目的とする請負契約を締結した。その工事の施工は上告人Y2が,その設計及び工事監理は上告人Y3及び上告人Y4が行い,本件建物は平成15年5月14日までに完成した。
(2)被上告人らは,平成15年3月28日,上告人Y1から,代金3700万円で,持分を各2分の1として本件建物及びその敷地を購入した。被上告人らは,同年5月31日,本件建物の引渡しを受け,以後これに居住している。
(3)本件建物には,柱はり接合部に溶接未施工の箇所や,突合せ溶接(完全溶込み溶接)をすべきであるのに隅肉溶接ないし部分溶込み溶接になっている箇所があるほか,次のような構造耐力上の安全性にかかわる重大な瑕疵があるため,これを建て替えざるを得ない。
ア 1階及び2階の柱の部材が小さすぎるため,いずれも柱はり耐力比が制限値を満たしていない上,1階の柱については応力度が許容応力度を超えている。
イ 2階の大ばりの部材が小さすぎるため,応力度が許容応力度を超えている。
ウ 2階及び3階の大ばりの高力ボルトの継ぎ手の強度が不足している。
エ 外壁下地に,本来風圧を受けない間仕切り壁の下地に使用される軽量鉄骨材が使用されているため,暴風時などに風圧を受けると,大きなたわみを生じ,外壁自体が崩壊するおそれがある。
オ 基礎のマットスラブの厚さが不足しており,その過半で応力度が許容応力度を超えている。
3 原審は,上告人らの不法行為責任を肯定した上,本件建物の建て替えに要する費用相当額の賠償責任を認めるなどして,被上告人らの請求を各1564万4715円及び遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきものとした。
4 所論は、被上告人らがこれまで本件建物に居住していたという利益や,被上告人らが本件建物を建て替えて耐用年数の伸長した新築建物を取得するという利益は,損益相殺の対象として,建て替えに要する費用相当額の損害額から控除すべきであるというのである。 
5(1)売買の目的物である新築建物に重大な瑕疵がありこれを建て替えざるを得ない場合において,当該瑕疵が構造耐力上の安全性にかかわるものであるため建物が倒壊する具体的なおそれがあるなど,社会通念上,建物自体が社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであるときには,上記建物の買主がこれに居住していたという利益については,当該買主からの工事施工者等に対する建て替え費用相当額の損害賠償請求において損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできないと解するのが相当である。
 前記事実関係によれば,本件建物には,2(3)のような構造耐力上の安全性にかかわる重大な瑕疵があるというのであるから,これが倒壊する具体的なおそれがあるというべきであって,社会通念上,本件建物は社会経済的な価値を有しないと評価すべきものであることは明らかである。そうすると,被上告人らがこれまで本件建物に居住していたという利益については,損益相殺ないし損益相殺的な調整の対象として損害額から控除することはできない。
(2)また,被上告人らが,社会経済的な価値を有しない本件建物を建て替えることによって,当初から瑕疵のない建物の引渡しを受けていた場合に比べて結果的に耐用年数の伸長した新築建物を取得することになったとしても,これを利益とみることはできず,そのことを理由に損益相殺ないし損益相殺的な調整をすべきものと解することはできない。
6 原審の判断は,以上と同旨をいうものとして是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官宮川光治の補足意見がある。
 裁判官宮川光治の補足意見は,次のとおりである。
 建物の瑕疵は容易に発見できないことが多く,また瑕疵の内容を特定するには時間を要する。賠償を求めても売主等が争って応じない場合も多い。通常は,その間においても,買主は経済的理由等から安全性を欠いた建物であってもやむなく居住し続ける。そのような場合に,居住していることを利益と考え,あるいは売主等からの賠償金により建物を建て替えると耐用年数が伸長した新築建物を取得することになるとして,そのことを利益と考え,損益相殺ないし損益相殺的な調整を行うとすると,賠償が遅れれば遅れるほど賠償額は少なくなることになる。これは,誠意なき売主等を利するという事態を招き,公平ではない。重大な欠陥があり危険を伴う建物に居住することを法的利益と考えること及び建物には交換価値がないのに建て替えれば耐用年数が伸長するなどと考えることは,いずれも相当でないと思われる。


(裁判長裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 横田尤孝 裁判官 白木勇)

最判平成25年7月12日 (1)登録価格が固定資産評価基準の定める評価方法に従って決定される価格を上回る場合は,その登録価格は違法である。(2)独自の鑑定意見書を提出して,登録価格が客観的な交換価値を上回るということを直接主張・立証することはできないとした事例

最判平成25年7月12日 (1)登録価格が固定資産評価基準の定める評価方法に従って決定される価格を上回る場合は,その登録価格は違法である。(2)独自の鑑定意見書を提出して,登録価格が客観的な交換価値を上回るということを直接主張・立証することはできないとした事例


事件番号
 平成24(行ヒ)79
事件名
 固定資産評価審査決定取消等請求事件
裁判年月日
 平成25年7月12日
法廷名
最高裁判所第二小法廷
裁判種別
 判決
結果
 破棄差戻
判例集等巻・号・頁
民集 第67巻6号1255頁
原審裁判所名
東京高等裁判所
原審事件番号
 平成22(行コ)336
原審裁判年月日
平成23年10月20日
判示事項
 1 固定資産課税台帳に登録された基準年度に係る賦課期日における土地の価格が固定資産評価基準によって決定される価格を上回る場合におけるその登録された価格の決定の適否
2 固定資産評価基準によって決定される基準年度に係る賦課期日における土地の価格とその適正な時価との関係
裁判要旨
 1 固定資産課税台帳に登録された基準年度に係る賦課期日における土地の価格が固定資産評価基準によって決定される価格を上回る場合には,同期日における当該土地の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るか否かにかかわらず,その登録された価格の決定は違法となる。
2 評価対象の土地に適用される固定資産評価基準の定める評価方法が適正な時価を算定する方法として一般的な合理性を有するものであり,かつ,固定資産課税台帳に登録された基準年度に係る賦課期日における当該土地の価格がその評価方法に従って決定された価格を上回るものでない場合には,その登録された価格は,その評価方法によっては適正な時価を適切に算定することのできない特別の事情の存しない限り,同期日における当該土地の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るものではないと推認される。
(2につき補足意見がある。)
参照法条
 (1,2につき)地方税法341条5号,地方税法349条1項,地方税法388条1項,地方税法403条1項


判旨
平成24年(行ヒ)第79号 固定資産評価審査決定取消等請求事件
平成25年7月12日 第二小法廷判決


主 文

原判決中上告人に関する部分を破棄する。
前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。


理 由

上告代理人吉田修平,同友田順,同沼井英明の上告受理申立て理由第3及び第4の4について


1 本件は,東京都府中市内の区分建物(不動産登記法2条22号)を共有し,その敷地権(同法44条1項9号)に係る固定資産税の納税義務を負う上告人が,府中市長により決定され土地課税台帳に登録された上記敷地権の目的である各土地の平成21年度の価格を不服として,府中市固定資産評価審査委員会(以下「本件委員会」という。)に対し審査の申出をしたところ,これを棄却する旨の決定(以下「本件決定」という。)を受けたため,被上告人を相手に,その取消し等を求める事案である。



2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1) 上告人及びAは,上告人を登記名義人として,原判決別紙物件目録(専有部分の建物の表示)記載の区分建物及びその敷地権を共有している。この敷地権の目的である土地が同目録(敷地権の目的である土地の表示)記載1ないし9の各土地(以下「本件各土地」という。)である。


(2) 本件各土地を含む一帯の土地は,共同住宅である車返団地の敷地等であり,府中市の都市計画において都市計画法8条1項1号所定の第一種中高層住居専用地域と定められている。当該地域の指定建ぺい率は60%,指定容積率は200%である(同条3項2号イ,ハ)。
車返団地は,府中市の都市計画において定められた同法11条1項8号所定の


「一団地の住宅施設」であるところ,本件各土地のうち車返団地の敷地である原判決別紙課税明細目録記載1ないし3の各土地(同別紙物件目録(敷地権の目的である土地の表示)記載1,2及び5の各土地の課税対象部分。以下「本件敷地部分」という。)については,上記都市計画において,建ぺい率が20%に,容積率が80%にそれぞれ制限されている(同条2項,同法施行令6条1項7号)。


(3) 府中市長は,本件各土地について,地方税法341条6号の基準年度に当たる平成21年度の価格を決定し,これを土地課税台帳に登録した。このうち本件敷地部分につき登録された価格(以下「本件敷地登録価格」という。)は,原判決別紙課税明細目録記載1の土地については26億0357万6166円,同2の土地については2億5557万4844円,同3の土地については25億9418万6372円であり,これらの1㎡当たりの価格は16万4560円である。


(4) 上告人は,平成21年7月2日頃,本件委員会に対し,本件各土地に係る平成21年度の土地課税台帳に登録された価格につき,上記(2)の建ぺい率及び容積率の制限を適切に考慮していないとして審査の申出をしたところ,本件委員会は,上告人の審査の申出を棄却する旨の本件決定をした。


3 原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断し,上告人の請求をいずれも棄却すべきものとした。


地方税法434条に基づく固定資産評価審査委員会の決定の取消しの訴えにおいては,原則として固定資産課税台帳に登録された価格が適正な時価を超えた違法があるかどうかが審理判断の対象となるべきものであり,例外的に固定資産評価審査委員会の審査決定の手続に不服審査制度の根幹に関わり結論に影響がなくても違法として取り消されなければ制度の趣旨を没却することとなるような重大な手続違反があった場合に限り,固定資産評価審査委員会の決定を取り消すこととなると解すべきである。上告人は,本件敷地登録価格につき,その決定には標準宅地の適正な時価の評定の誤りなど多くの誤りがあり,同法388条1項の固定資産評価基準(以下「評価基準」という。)によって決定された価格とはいえない旨主張するが,それは,上記の重大な手続違反を主張するものではなく,適正な時価を超えた違法があると主張するに帰するものであるから,本件敷地登録価格の決定の適法性の判断に当たっては適正な時価を超えているかどうかを検討すれば必要かつ十分である。



そして,本件敷地部分に関しては,上告人と被上告人が提出した各鑑定意見書により認められる諸般の事情を総合考慮すると,平成21年度の賦課期日における本件敷地部分の適正な時価は本件敷地登録価格を上回るものと認められるから,本件敷地登録価格の決定が違法となることはない。


4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。


(1)ア 地方税法は,土地に対して課する基準年度の固定資産税の課税標準を,当該土地の基準年度に係る賦課期日における価格で土地課税台帳又は土地補充課税台帳に登録されたもの(以下,これらの台帳に登録された価格を「登録価格」という。)とし(349条1項),上記の価格とは「適正な時価」をいうと定めている(341条5号)ところ,上記の適正な時価とは,正常な条件の下に成立する当該土地の取引価格,すなわち,客観的な交換価値をいうと解される。したがって,土地の基準年度に係る賦課期日における登録価格が同期日における当該土地の客観的な交換価値を上回れば,その登録価格の決定は違法となる(最高裁平成10年(行ヒ)第41号同15年6月26日第一小法廷判決・民集57巻6号723頁参照)。


イ また,地方税法は,固定資産税の課税標準に係る固定資産の評価の基準並びに評価の実施の方法及び手続を総務大臣(平成13年1月5日以前は自治大臣。以下同じ。)の告示に係る評価基準に委ね(388条1項),市町村長は,評価基準によって,固定資産の価格を決定しなければならないと定めている(403条1項)。これは,全国一律の統一的な評価基準による評価によって,各市町村全体の評価の均衡を図り,評価に関与する者の個人差に基づく評価の不均衡を解消するために,固定資産の価格は評価基準によって決定されることを要するものとする趣旨であると解され(前掲最高裁平成15年6月26日第一小法廷判決参照),これを受けて全国一律に適用される評価基準として昭和38年自治省告示第158号が定められ,その後数次の改正が行われている。これらの地方税法の規定及びその趣旨等に鑑みれば,固定資産税の課税においてこのような全国一律の統一的な評価基準に従って公平な評価を受ける利益は,適正な時価との多寡の問題とは別にそれ自体が地方税法上保護されるべきものということができる。したがって,土地の基準年度に係る賦課期日における登録価格が評価基準によって決定される価格を上回る場合には,同期日における当該土地の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るか否かにかかわらず,その登録価格の決定は違法となるものというべきである。



ウ そして,地方税法は固定資産税の課税標準に係る適正な時価を算定するための技術的かつ細目的な基準の定めを総務大臣の告示に係る評価基準に委任したものであること等からすると,評価対象の土地に適用される評価基準の定める評価方法が適正な時価を算定する方法として一般的な合理性を有するものであり,かつ,当該土地の基準年度に係る賦課期日における登録価格がその評価方法に従って決定された価格を上回るものでない場合には,その登録価格は,その評価方法によっては適正な時価を適切に算定することのできない特別の事情の存しない限り,同期日における当該土地の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るものではないと推認するのが相当である(最高裁平成11年(行ヒ)第182号同15年7月18日第二小法廷判決・裁判集民事210号283頁,最高裁平成18年(行ヒ)第179号同21年6月5日第二小法廷判決・裁判集民事231号57頁参照)。



エ 以上に鑑みると,土地の基準年度に係る賦課期日における登録価格の決定が違法となるのは,当該登録価格が,① 当該土地に適用される評価基準の定める評価方法に従って決定される価格を上回るとき(上記イの場合)であるか,あるいは,② これを上回るものではないが,その評価方法が適正な時価を算定する方法として一般的な合理性を有するものではなく,又はその評価方法によっては適正な時価を適切に算定することのできない特別の事情が存する場合(上記ウの推認が及ばず,又はその推認が覆される場合)であって,同期日における当該土地の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るとき(上記アの場合)であるということができる。



(2)ア 上記(1)に説示したところによれば,本件敷地登録価格の決定及びこれを是認した本件決定の適法性を判断するに当たっては,本件敷地登録価格につき,適正な時価との多寡についての審理判断とは別途に,上記(1)エ①の場合に当たるか否か(前記2(2)の建ぺい率及び容積率の制限に係る評価基準における考慮の要否や在り方を含む。)についての審理判断をすることが必要であるところ,原審は前記3のとおりこれを不要であるとしてこの点についての審理判断をしていない。そうすると,原判決には,土地の登録価格の決定が違法となる場合に関する法令の解釈適用を誤った結果,上記の点について審理不尽の違法があるといわざるを得ず,この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。



イ また,上記(1)に説示したところによれば,上記(1)エ②の場合に当たるか否かの判断に当たっては,本件敷地部分の評価において適用される評価基準の定める評価方法が適正な時価を算定する方法として一般的な合理性を有するものであるか,その評価方法によっては適正な時価を適切に算定することのできない特別の事情があるか等についての審理判断をすることが必要であるところ,原審は,前記3のとおり評価基準によらずに認定した本件敷地部分の適正な時価が本件敷地登録価格を上回ることのみを理由として当該登録価格の決定は違法ではないとしており,これらの点についての審理判断をしていない。そうすると,原判決には,上記の点についても審理不尽の違法があるといわざるを得ず,この違法も原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。



5 以上によれば,論旨は上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち上告人に関する部分は破棄を免れない。そして,上記4(2)ア及びイの各点等について更に審理を尽くさせるため,上記部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。


よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見がある。



裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。


私は,法廷意見との関連で,次のとおり所見を付加しておきたい。

地方税法341条5号は,固定資産税の課税標準となる固定資産の価格を「適正な時価」としているところ,同法434条に基づく固定資産評価審査委員会の決定の取消しの訴えにおいては,固定資産課税台帳に登録された価格が適正な時価を超えた違法があるかどうかが審理判断の対象の一つとなる。そこで,土地の所有名義人が,自ら独自に提出した鑑定意見書等に基づき,その時価となるべき価格を算出して(以下,この価格を「算出価格」という。),法廷意見の述べる「特別の事情」(又は評価基準の定める評価方法自体の一般的な合理性の欠如)の主張立証を経ずに,上記の適正な時価を直接主張立証することにより,当該算出価格が評価基準の定める評価方法に従って決定された登録価格を下回るとして,当該登録価格の決定を違法とすることができるかが一応問題となろう。



2 上記の「適正な時価」とは,正常な条件の下に成立する当該土地の取引価格,すなわち,客観的な交換価値をいうと解されるが,これは評価的な概念であり,その鑑定評価は,必ずしも一義的に算出され得るものではなく,性質上,その鑑定評価には一定の幅があり得るものである。したがって,鑑定意見書等によっていきなり登録価格より低い価格をそれが適正な時価であると摘示された場合,その鑑定意見書等による評価の方法が一般に是認できるもので,それにより算出された価格が上記の客観的な交換価値として評価し得るものと見ることができるときであったとしても,当該算出価格を上回る登録価格が当然に適正な時価を超えるものとして違法になるということにはならない。当該登録価格が,評価基準の定める評価方法に従ってされたものである限り,特別の事情がない限り(又はその評価方法自体が一般的な合理性を欠くものでない限り),適正な時価であるとの推認が働き(法廷意見の引用する平成15年7月18日第二小法廷判決等参照),これが客観的な交換価値であることが否定されることにならないからである。


3 そもそも,このような算出価格が当該登録価格を下回る場合,それだけで,上記の適正な時価であることの推認が否定されて登録価格の決定が違法となるのであれば,課税を行う市町村の側としては,このようにして所有名義人から提出される鑑定意見書等が誤りであること,算出方法が不適当であること等を逐一反論し,その点を主張立証しなければならなくなり,評価基準に基づき画一的,統一的な評価方法を定めることにより,大量の全国規模の固定資産税の課税標準に係る評価について,各市町村全体の評価の均衡を確保し,評価人の個人差による不均衡を解消することにより公平かつ効率的に処理しようとした地方税法の趣旨に反することになる。



4 実際上,登録価格が算出価格を上回ることにより,登録価格が上記の客観的な交換価値を上回る場合というのは,評価基準の定める評価方法によることが適当でないような特別の事情がある場合に限られる。このような特別の事情(又はその評価方法自体の一般的な合理性の欠如)についての主張立証をしないまま独自の鑑定意見書等を提出したところで,その意見書の内容自体は是認できるものであったとしても,それだけでは当該登録価格が適正な時価であることの推認を覆すことにはならないのであって,登録価格の決定を違法とすることにはならない。

(なお,実際上は,このような特別の事情の存否が争われている場合でも,評価基準の定める評価方法自体が不適当であるというのではなく,評価方法の当てはめの適否(すなわち当てはめの過程で所要の補正をすることの要否等)の問題として処理すべきであることが多いものと思われる。また,仮にこのような特別の事情があると認められる場合には,課税を行う市町村の側としては,登録価格が適正な時価を超えていないことの主張立証をする必要が改めて生ずることになるが,その場合においても,実務上は次のような対応が求められることが多いであろう。すなわち,評価基準の定める評価方法の全部ではなくその一部につき特別の事情があるときは,地方税法の趣旨からして,適正な時価の認定において当該評価方法の他の部分を前提として行うことの可否,要否をまず検討すべきである。この点は,個々の事案ごとに適用の排除される評価方法の範囲や性質等を勘案して個別具体的に検討することになるが,実際には,当該評価方法を全て放棄するのではなく,排除された部分を除き残余の部分を前提として適正な時価を認定していくべき場合が多いものといえよう。)


5 したがって,土地の所有名義人が,独自の鑑定意見書等の提出により適正な時価を直接主張立証し登録価格の決定を違法とするためには,やはり,その前提として,評価基準の定める評価方法によることができない特別の事情(又はその評価方法自体の一般的な合理性の欠如)を主張立証すべきであり,前掲最高裁平成15年7月18日第二小法廷判決もこの考えを前提にしているものと解される。


(裁判長裁判官 千葉勝美 裁判官 竹内行夫 裁判官 小貫芳信 裁判官鬼丸かおる)

最判平成25年10月25日 収用委員会の裁決の判断内客が損失補償に関する事項に限られている場合でも,損失補償に関する訴えではなく,裁決の取消訴訟を提起することができるとした事例

最判平成25年10月25日 収用委員会の裁決の判断内客が損失補償に関する事項に限られている場合でも,損失補償に関する訴えではなく,裁決の取消訴訟を提起することができるとした事例


事件番号
 平成24(行ヒ)187
事件名
徳島県収用委員会裁決取消請求事件
裁判年月日
 平成25年10月25日
法廷名
最高裁判所第二小法廷
裁判種別
 判決
結果
 破棄自判
判例集等巻・号・頁
 集民 第244号67頁
原審裁判所名
高松高等裁判所
原審事件番号
 平成23(行コ)24
原審裁判年月日
平成24年2月23日
判示事項
土地収用法94条7項又は8項の規定による収用委員会の裁決の判断内容が損失の補償に関する事項に限られている場合にその名宛人が上記裁決の取消訴訟を提起することの可否
裁判要旨
土地収用法94条7項又は8項の規定による収用委員会の裁決の判断内容が損失の補償に関する事項に限られている場合であっても,その名宛人は,上記裁決の取消訴訟を提起することができる。
参照法条
土地収用法94条7項,土地収用法94条8項,土地収用法133条


判旨
平成24年(行ヒ)第187号 徳島県収用委員会裁決取消請求事件
平成25年10月25日 第二小法廷判決


主 文
原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。
本件を徳島地方裁判所に差し戻す。


理 由

上告人の上告受理申立て理由について

1 本件は,被上告人が実施した里道の拡幅工事に伴い,当該工事により新設された道路に接する土地の所有者である上告人が,当該道路を管理する阿南市による損失の補償について道路法70条4項に基づく土地収用法94条の規定による裁決の申請をしたところ,徳島県収用委員会からその申請を却下する旨の裁決を受けたため,同委員会の所属する被上告人を相手に,裁決手続の違法等を主張して,上記裁決の取消しを求める事案である。



2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1) 上告人は,徳島県阿南市○○所在の土地(以下「本件土地」という。)ほか2筆の土地を所有し,これらの土地を自宅の敷地として一体として使用している。


(2) 被上告人は,平成19年9月11日から同20年3月7日までを工期として,県道××線改良工事の附帯工事として,本件土地に接する里道を拡幅して市道となる道路を新設する工事(以下「本件工事」という。)を実施した。阿南市は,道路法所定の道路管理者として,本件工事により新設された道路(以下「本件道路」という。)を市道として管理している。

(3) 上告人は,平成20年12月25日付けで,阿南市長に対し,本件工事により上告人の自宅の敷地への出入りに支障が生じているとして,道路法70条1項に基づく通路の新築を請求した。これに対し,阿南市は,平成21年1月26日付け及び同年2月4日付けで,上告人に対し,上記請求には応じられない旨の回答をした。


(4) 上告人は,平成21年3月4日付けで,徳島県収用委員会に対し,阿南市との間で道路法70条1項の規定による通路の新築に係る損失の補償についての協議が成立しなかったとして,同条4項に基づき,土地収用法94条の規定による裁決の申請をした。これに対し,徳島県収用委員会は,本件道路から本件土地への出入りは可能であり,本件工事による損失は生じていないなどとして,上告人の上記申請を却下する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。


3 原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断して,上告人の本件訴えを却下すべきものとした。


本件裁決は,上告人に本件工事による損失が生じておらず損失の補償は不要であるとしたもので,道路法70条4項に基づく土地収用法94条8項の規定による裁決であって,損失の補償に関する事項についてしか判断していないところ,損失の補償に関する事項については損失の補償に関する訴え(同法133条2項)によるべきであるから,本件裁決の取消訴訟は不適法である。


4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。


土地収用法に基づく収用委員会の裁決は,行政事件訴訟法3条2項の「処分」に該当するものであるから,上記裁決の名宛人は,土地収用法133条1項又は行政事件訴訟法14条3項所定の出訴期間内に,収用委員会の所属する都道府県を被告として(同法11条1項),収用委員会の裁決の取消訴訟を提起することができる。


また,土地収用法133条2項及び3項は,収用委員会の裁決のうち損失の補償に関する訴えに係る出訴期間及び被告とすべき者を定めているところ,上記各項が収用委員会の裁決の取消訴訟とは別個に損失の補償に関する訴えを規定していることからすれば,同法において,収用委員会の裁決のうち損失の補償に関する事項については損失の補償に関する訴えによって争うべきものとされているのであって,上記裁決の取消訴訟において主張し得る違法事由は損失の補償に関する事項以外の違法事由に限られるものと解される(同法132条2項参照)。もっとも,これは収用委員会の裁決の取消訴訟において主張し得る違法事由の範囲が制限されるにとどまり,上記裁決の名宛人としては,裁決手続の違法を含む損失の補償に関する事項以外の違法事由を主張して上記裁決の取消しを求め得るのであるから,同法94条7項又は8項の規定による収用委員会の裁決の判断内容が損失の補償に関する事項に限られている場合であっても,上記裁決の取消訴訟を提起することが制限されるものではない。


そうすると,土地収用法94条7項又は8項の規定による収用委員会の裁決の判断内容が損失の補償に関する事項に限られている場合であっても,その名宛人は,上記裁決の取消訴訟を提起することができるものというべきである。そして,以上の理は,道路法70条4項に基づく土地収用法94条7項又は8項の規定による収用委員会の裁決についても同様に当てはまるものである。


したがって,本件裁決についてその名宛人である上告人が提起した取消訴訟である本件訴えは,本件裁決が同条7項又は8項のいずれの規定によるものであるかにかかわらず,適法である(なお,本件裁決は,道路法70条1項所定の要件を満たさない旨の判断に基づいて申請を却下したものであり,同条4項に基づく土地収用法94条7項の規定による裁決であると解される。)。


5 以上と異なる見解の下に,本件訴えを却下すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,第1審判決を取り消し,上告人の主張に係る裁決手続の違法事由の存否につき審理させるため,本件を第1審に差し戻すべきである。


よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。


(裁判長裁判官 鬼丸かおる 裁判官 千葉勝美 裁判官 小貫芳信)

最決平成25年11月21日  会社の訴訟追行と信義誠実の原則:新株発行無効判決の対世効と第三者による再審の訴え

最決平成25年11月21日  会社の訴訟追行と信義誠実の原則:新株発行無効判決の対世効と第三者による再審の訴え

事件番号
 平成24(許)43
事件名
 再審請求棄却決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件
裁判年月日
 平成25年11月21日
法廷名
最高裁判所第一小法廷
裁判種別
 決定
結果
 破棄差戻
判例集等巻・号・頁
民集 第67巻8号1686頁
原審裁判所名
東京高等裁判所
原審事件番号
 平成24(ラ)904
原審裁判年月日
平成24年8月23日
判示事項
 1 新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決に対する再審の訴えと上記確定判決の効力を受ける第三者原告適格
2 新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決と民訴法338条1項3号の再審事由
3 新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決に民訴法338条1項3号の再審事由が存在するとみる余地があるとされた事例
裁判要旨
 1 新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決の効力を受ける第三者は,上記確定判決に係る訴訟について独立当事者参加の申出をすることによって,上記確定判決に対する再審の訴えの原告適格を有することになる。
2 新株発行の無効の訴えの被告とされた株式会社の訴訟活動が著しく信義に反しており,上記訴えに係る請求を認容する確定判決の効力を受ける第三者に上記確定判決の効力を及ぼすことが手続保障の観点から看過することができない場合には,上記確定判決には,民訴法338条1項3号の再審事由がある。
3 新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する判決が確定した場合において,次の(1)〜(4)など判示の事情の下においては,上記訴えの被告とされた株式会社の訴訟活動が著しく信義に反しており,上記訴えに係る請求を認容する確定判決の効力を受ける第三者に上記確定判決の効力を及ぼすことが手続保障の観点から看過することができないものとして,上記確定判決には民訴法338条1項3号の再審事由が存在するとみる余地がある。
 (1) 当該第三者は,上記訴えに係る訴訟の係属を知らず,上記訴訟の審理に関与する機会を与えられなかった。
 (2) 当該第三者は,上記訴訟の係属前から,上記株式会社に対して自らが発行を受けた株式につきその発行の有効性を主張するなどしており,仮に上記訴訟の係属を知れば,上記訴訟に参加するなどして株式の発行の無効を求める請求を争うことが明らかな状況にあり,かつ,上記株式会社はそのような状況にあることを十分に認識していた。
(3) 上記株式会社は,上記訴訟において請求を全く争わず,かえって,請求原因事実の追加立証を求める受訴裁判所の訴訟指揮に対し,自ら請求原因事実を裏付ける書証を提出した。
 (4) 上記株式会社は,当該第三者に対して上記訴訟の係属を知らせることが容易であったにもかかわらず,これを知らせなかった。
参照法条
 (1〜3につき) 会社法828条1項2号,会社法838条 (1につき) 民訴法第1編第3章 当事者,民訴法47条,民訴法338条 (2,3につき) 民訴法2条,民訴法338条1項3号


決定要旨

平成24年(許)第43号 再審請求棄却決定に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件

平成25年11月21日 第一小法廷決定


主 文
原決定を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。


理 由
第1 事案の概要
1 本件は,株式会社の成立後における株式の発行の無効の訴え(以下「新株発行の無効の訴え」という。)に係る請求を認容する確定判決の効力を受ける抗告人が,上記確定判決につき,民訴法338条1項3号の再審事由があるとして申し立てた再審事件である。


2 記録によれば,本件の経過は次のとおりである。

(1) 相手方Y1は,抗告人が新株予約権を行使したことにより,平成23年2月7日,1500株の普通株式を発行し(以下,この発行を「本件株式発行」という。),抗告人は,上記株式の株主となった。


本件株式発行がされた当時,抗告人は,相手方Y1の代表取締役であったが,平成23年3月15日,代表取締役を解任され,その後,相手方Y1は,抗告人の保有する相手方Y1の株式について質権の設定を受けたとするAに対し,同月30日付けの内容証明郵便により,本件株式発行は見せ金によって払込みの外形を作出してされた無効なものであることなどを通知した。これに対し,抗告人及びAは,相手方Y1に対し,同年4月1日付けの内容証明郵便により,本件株式発行は有効なものであることなどを通知した。


(2) 相手方Y1の株主である相手方Y2は,平成23年7月13日,相手方Y1を被告として,東京地方裁判所に,本件株式発行が存在しないことの確認を求める訴えを提起し,その後,予備的に本件株式発行を無効とすることを求める訴えを追加した(以下,上記各訴えに係る訴訟を「前訴」という。)。相手方Y2は,前訴において,本件株式発行は見せ金によって払込みの外形が作出されたものにすぎないことなどを主張した。


相手方Y1は,前訴の第1回口頭弁論期日において,請求を認めるとともに,請求原因事実を全て認める旨の答弁をしたが,前訴の受訴裁判所は,当事者双方から提出された書証を取り調べた上,請求原因事実についての追加立証を検討するよう指示して口頭弁論を続行し,第2回口頭弁論期日において,相手方Y1から提出された,本件株式発行が見せ金によるものであることなどが記載された陳述書を更に取り調べた上,口頭弁論を終結して,平成23年9月27日,本件株式発行を無効とする判決(以下「前訴判決」という。)を言い渡した。そして,前訴判決は,同年10月14日の経過により確定した。


(3) 抗告人は,平成23年10月19日,前訴が提起されて前訴判決がされたことを知り,同年11月11日,前訴について,独立当事者参加の申出をするとともに(以下,上記申出による独立当事者参加を「本件独立当事者参加」という。),本件再審の訴えを提起した。


3 原審は,①抗告人は,前訴判決の効力を受ける者であって共同訴訟的補助参加をすることができるものであるから,本件再審の訴えの原告適格を有するということができるが,②相手方らが前訴の係属の事実を抗告人に知らせず前訴判決を確定させ,これによって抗告人の権利が害されたとしても,前訴判決に民訴法338条1項3号の再審事由があるということはできないとして,本件再審の訴えに係る請求を棄却すべきものとした。



第2 職権による検討


新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決の効力を受ける第三者は,再審原告として上記確定判決に対する再審の訴えを提起したとしても,上記確定判決に係る訴訟の当事者ではない以上,上記訴訟の本案についての訴訟行為をすることはできず,上記確定判決の判断を左右できる地位にはない。そのため,上記第三者は,上記確定判決に対する再審の訴えを提起してもその目的を達することができず,当然には上記再審の訴えの原告適格を有するということはできない。


しかし,上記第三者が上記再審の訴えを提起するとともに独立当事者参加の申出をした場合には,上記第三者は,再審開始の決定が確定した後,当該独立当事者参加に係る訴訟行為をすることによって,合一確定の要請を介し,上記確定判決の判断を左右することができるようになる。なお,上記の場合には,再審開始の決定がされれば確定判決に係る訴訟の審理がされることになるから,独立当事者参加の申出をするために必要とされる訴訟係属があるということができる。


そうであれば,新株発行の無効の訴えに係る請求を認容する確定判決の効力を受ける第三者は,上記確定判決に係る訴訟について独立当事者参加の申出をすることによって,上記確定判決に対する再審の訴えの原告適格を有することになるというべきである。 最高裁昭和59年(オ)第1122号平成元年11月10日第二小法廷判決・民集43巻10号1085頁は,旧民訴法の下,確定判決の効力を受ける第三者が適法な独立当事者参加の申出をすることができなかった事案において,当該第三者の再審の訴えの原告適格を否定したものであり,本件との抵触が問題になる判例ではない。



記録によれば,原々審が,平成24年3月30日に本件再審の訴えに係る請求を棄却する決定をした後,本件独立当事者参加の申出に係る事件においては,同年4月3日,訴訟係属を欠くことを理由に同申出を却下する判決がされ,現在,同事件は,控訴審に係属している。しかるに,原審は,上記の観点から本件独立当事者参加の適法性について検討することなく,抗告人が前訴判決の効力を受ける者であって共同訴訟的補助参加をすることができるものであるとして直ちに本件再審の訴えについての抗告人の原告適格を肯定したものであり,原審の上記判断には,裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。



第3 抗告代理人榎本峰夫,同松井智,同平田和夫の抗告理由について


新株発行の無効の訴えは,株式の発行をした株式会社のみが被告適格を有するとされているのであるから(会社法834条2号),上記株式会社によって上記訴えに係る訴訟が追行されている以上,上記訴訟の確定判決の効力を受ける第三者が,上記訴訟の係属を知らず,上記訴訟の審理に関与する機会を与えられなかったとしても,直ちに上記確定判決に民訴法338条1項3号の再審事由があるということはできない。


しかし,当事者は,信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならないのであり(民訴法2条),とりわけ,新株発行の無効の訴えの被告適格が与えられた株式会社は,事実上,上記確定判決の効力を受ける第三者に代わって手続に関与するという立場にもあることから,上記株式会社には,上記第三者の利益に配慮し,より一層,信義に従った訴訟活動をすることが求められるところである。そうすると,上記株式会社による訴訟活動がおよそいかなるものであったとしても,上記第三者が後に上記確定判決の効力を一切争うことができないと解することは,手続保障の観点から是認することはできないのであって,上記株式会社の訴訟活動が著しく信義に反しており,上記第三者に上記確定判決の効力を及ぼすことが手続保障の観点から看過することができない場合には,上記確定判決には,民訴法338条1項3号の再審事由があるというべきである。


本件において,抗告人は,前訴の係属前から,相手方Y1に対して内容証明郵便により本件株式発行の有効性を主張するなどしており,仮に前訴の係属を知れば,自らの権利を守るために前訴に参加するなどして相手方Y2による本件株式発行の無効を求める請求を争うことが明らかな状況にあり,かつ,相手方Y1はそのような状況にあることを十分に認識していたということができる。


それにもかかわらず,相手方Y1は,前訴において,相手方Y2の請求を全く争わず,かえって,請求原因事実の追加立証を求める受訴裁判所の訴訟指揮に対し,自ら請求原因事実を裏付ける書証を提出したほか,前訴の係属を知らない抗告人に対して前訴の係属を知らせることが容易であったにもかかわらず,これを知らせなかった。その結果,抗告人は,前訴に参加するなどして本件株式発行の無効を求める請求を争う機会を逸したものである。


このような一連の経緯に鑑みると,前訴における相手方Y1の訴訟活動は会社法により被告適格を与えられた者によるものとして著しく信義に反しており,抗告人に前訴判決の効力を及ぼすことは手続保障の観点から看過することができないものとして,前訴判決には民訴法338条1項3号の再審事由が存在するとみる余地があるというべきである。 しかるに,原審は,上記の観点からの審理を尽くさず,上記の再審事由の存在を否定したのであるから,原審の上記判断には,裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由がある。


第4 結論


以上によれば,原決定は破棄を免れない。そこで,以上の説示に従って,原告適格の有無について審理を尽くさせ,これが認められる場合には更に民訴法338条1項3号の再審事由の有無について審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。


よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。


(裁判長裁判官 白木 勇 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官横田尤孝 裁判官 山浦善樹)

最判平成22年10月19日 取消債権者が弁論準備手続で被保全債権を別の債権に変更したところ、この債権が訴訟提起後弁論準備手続に入る前に時効期間を経過していた場合、詐害行為取消訴訟の訴訟物である詐害行為取消権は、取消債権者が有する個々の被保全債権に対応して複数発生するものではないから、かかる変更は攻撃防御方法が変更されたにすぎず、訴訟提起により消滅時効は中断するとした事例

最判平成22年10月19日 取消債権者が弁論準備手続で被保全債権を別の債権に変更したところ、この債権が訴訟提起後弁論準備手続に入る前に時効期間を経過していた場合、詐害行為取消訴訟の訴訟物である詐害行為取消権は、取消債権者が有する個々の被保全債権に対応して複数発生するものではないから、かかる変更は攻撃防御方法が変更されたにすぎず、訴訟提起により消滅時効は中断するとした事例



事件番号
 平成21(受)708
事件名
 詐害行為取消等請求事件
裁判年月日
 平成22年10月19日
法廷名
最高裁判所第三小法廷
裁判種別
 判決
結果
 棄却
判例集等巻・号・頁
 集民 第235号93頁
原審裁判所名
大阪高等裁判所
原審事件番号
 平成20(ネ)2283
原審裁判年月日
 平成21年1月23日
判示事項
 詐害行為取消訴訟の訴訟物である詐害行為取消権は,取消債権者が有する個々の被保全債権に対応して複数発生するか
裁判要旨
 詐害行為取消訴訟の訴訟物である詐害行為取消権は,取消債権者が有する個々の被保全債権に対応して複数発生するものではない。
(補足意見がある。)
参照法条
民法424条,民訴法246条



判旨
詐害行為取消等請求事件
最高裁判所第三小法廷平成21年(受)第708号
平成22年10月19日判決

主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理由

 上告代理人岡田康夫ほかの上告受理申立て理由について

1 本件は,Aの債権者である被上告人が,上告人に対し,詐害行為取消権に基づき,Aと上告人との間の不動産持分の売買契約の取消し及び上告人への上記持分の移転登記の抹消登記手続を求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)被上告人は,平成9年2月24日,B信用組合から事業の全部を譲り受け,同信用組合がAに対して有していた,C株式会社を主債務者とする連帯保証債務履行請求権(以下「甲債権」という。)及び有限会社Dを主債務者とする連帯保証債務履行請求権(以下「乙債権」という。)を取得した。

(2)Aは,平成15年1月10日,債務超過の状態にあるのに,上告人との間で,第1審判決別紙物件目録記載1〜7の各不動産についてのAの持分につき売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し,同年7月15日,上告人に対し,本件売買契約に基づき,上記各持分の移転登記(以下「本件各登記」という。)の手続をした。

(3)被上告人は,平成16年9月14日,Aに対し,甲債権に係る連帯保証債務の履行を求める訴訟(以下「別件訴訟」という。)を提起し,次いで平成18年9月6日,上告人に対し,甲債権を被保全債権として,詐害行為取消権に基づき,本件売買契約の取消し及び本件各登記の抹消登記手続を求める本件訴訟を提起した。

(4)その後,別件訴訟における裁判上の和解に基づき甲債権が消滅したことから,被上告人は,平成19年5月16日,本件訴訟の第1審第1回弁論準備手続期日において,被保全債権に係る主張を甲債権から乙債権に変更した。

(5)上告人は,被上告人が遅くとも別件訴訟を提起した日には取消しの原因を知っていたから,上記(4)の主張の変更より前に,乙債権を被保全債権とする詐害行為取消権については,民法426条前段所定の2年の消滅時効が完成した旨主張し,これを援用した。


3 原審は,上記事実関係等の下で,本件訴訟の提起により,被上告人の上告人に対する詐害行為取消権の消滅時効が中断したと判断して,被上告人の請求を認容すべきものとした。
 所論は,被上告人が本件訴訟において被保全債権に係る主張を変更したことは,訴えの交換的変更に当たるから,乙債権を被保全債権とする詐害行為取消権には本件訴訟の提起による消滅時効の中断の効力は及ばないというのである。


4 そこで検討すると,詐害行為取消権の制度は,債務者の一般財産を保全するため,取消債権者において,債務者受益者間の詐害行為を取消した上,債務者の一般財産から逸出した財産を,総債権者のために,受益者又は転得者から取り戻すことができるとした制度であり,取り戻された財産又はこれに代わる価格賠償は,債務者の一般財産に回復されたものとして,総債権者において平等の割合で弁済を受け得るものとなるのであり,取消債権者の個々の債権の満足を直接予定しているものではない。上記制度の趣旨にかんがみると,詐害行為取消訴訟の訴訟物である詐害行為取消権は,取消債権者が有する個々の被保全債権に対応して複数発生するものではないと解するのが相当である。


 したがって,本件訴訟において,取消債権者の被保全債権に係る主張が前記事実関係等のとおり交換的に変更されたとしても,攻撃防御方法が変更されたにすぎず,訴えの交換的変更には当たらないから,本件訴訟の提起によって生じた詐害行為取消権の消滅時効の中断の効力に影響がないというべきである。


 これと同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。


 よって、裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の補足意見がある。 



 裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。

 本件における論点は,従前ほとんど論議されていなかった点であることにかんがみ,若干の補足的意見を述べる。

 本件は,詐害行為取消訴訟の提起後に,原告が当初主張していた被保全債権が消滅したところから,主張に係る被保全債権を交換的に変更した事案であるが,以下に例示するように,債権者が債務者に対して複数の債権を有していて,その一部を被保全債権として詐害行為取消訴訟を提起した後に,その被保全債権が第三者に移転した場合を考えれば,法廷意見の述べるところの妥当性がより検証されると考える。

 事例として,甲は乙に対して,A(債権額120万円),B(債権額150万円),C(債権額170万円)の3口の債権を有しているところ,乙は,その債権発生後に丙に現金200万円を贈与し,乙にはその他にさしたる財産がないとする。
 その場合,甲は,任意の2口の債権を被保全債権として丙に対して詐害行為取消訴訟を提起し,200万円の給付を求めることができるが,それは1個の請求と解することに異論はないと思われる。そして,甲が,A,B両債権を被保全債権として訴えを提起した後に,甲が丁に対してB債権を譲渡し,あるいは,B債権につき丁を差押債権者とする差押転付命令を受けた場合,甲が従前の訴訟を維持するためにはC債権を被保全債権として追加主張する必要があるところ,その主張は,攻撃防御方法の追加としか評価し得ないのである。
 なお,B債権を取得した丁が,甲の提起した詐害行為取消訴訟に独立当事者参加(民訴法47条)をすることができるか否かについては,その訴訟の目的である権利を譲り受けたといえるか否かとも関連して問題となり得るが,その点については立ち入らない。


(裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 田原睦夫 裁判官 近藤崇晴 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦)

最判平成21年12月8日 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはないとした事例

最判平成21年12月8日 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはないとした事例


事件番号
 平成20(あ)1718
事件名
 殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
裁判年月日
 平成21年12月8日
法廷名
最高裁判所第一小法廷
裁判種別
 決定
結果
 棄却
判例集等巻・号・頁
刑集 第63巻11号2829頁
原審裁判所名
大阪高等裁判所
原審事件番号
 平成18(う)698
原審裁判年月日
 平成20年7月23日
判示事項
 1 精神鑑定の意見の一部を採用した場合と責任能力の有無・程度の判断
2 責任能力の有無・程度について原判決の判断手法に誤りがないとされた事例
裁判要旨
 1 裁判所は,特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に拘束されることなく,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定することができる。
2 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはない。
参照法条
 (1,2につき)刑法39条



判旨
主文

本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中380日を本刑に算入する。

理由
 弁護人佐武直子の上告趣意は,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 なお,所論にかんがみ,職権により判断する。

1 原判決及び記録によれば,本件の事実関係及び審理経過等は,次のとおりである。

(1)ア 被告人は,両親方で生活していたところ,平成12年11月ころ,階下の住民とのトラブルから自宅に引きこもるようになった。平成14年夏ころから,窓から通行人めがけてエアガンの弾を発射するようになり,平成15年2月,統合失調症の疑いと診断され,措置入院となった。主治医は,被告人を「特定不能の広汎性発達障害」と診断し,同年3月に措置解除となって退院した。被告人は,同年5月,自宅から近所の女性をねらってエアガンの弾を撃ち,同女の右大腿部に命中させるなどして逮捕され,同年6月から8月まで措置入院となったが,これに先立つ精神保健指定医2名の診断は,「1 主たる精神障害反社会的行為,2 従たる精神障害広汎性発達障害の疑い」,「1 主たる精神障害人格障害,2 従たる精神障害『妄想』の疑い」というものであった。主治医は,1回目の入院時と同じで,被告人を「広汎性発達障害」と診断した。

イ 被告人は,2回目の退院後,同年9月から,祖母方で母親と3人で生活するようになり,しばらくは落ち着いていたが,平成16年3月ころから再び精神状態が悪化し,隣家に住む男性(以下「被害者」という。)の長男が被告人がドライブから帰ってきたら「チェッ」と言っていた,上記長男が盗聴し,家の中をのぞきに来ているなどと言い出し,被害者方の家族から嫌がらせを受けていると思い込んで悪感情を抱くようになり,無断で被害者方2階に上がり込んだり,被害者方の玄関ドアを金属バットでたたいたりしたことがあり,その際,被害者からしっ責され,通報を受けて臨場した警察官の聴取を受けるなどした。

ウ その後,祖母方から両親方に戻って生活するようになった被告人は,友人とドライブをした際,同人から,被害者方に上がり込んだ時に手を出したのかと尋ねられると,「手は出していない。そういうことをしたら捕まってしまう。」と答えた。
 同年6月1日午後10時過ぎころ,被告人が金属バットを振り上げて被害者方に向かって来たため,被害者の妻が警察に通報する一方,被害者が玄関ドアを開け,被告人に対しなだめるように話しかけると,被告人は,金属バットを下ろし,自動車に乗って走り去った。被告人は,同月2日午前1時45分ころから上記友人とドライブをしたが,その途中,被害者方近くにしばらく自動車をとめてたばこを吸うなどした。

 被告人は,同日午前3時45分ころ,上記友人と別れ,午前4時過ぎころ,金属バットとサバイバルナイフを持って被害者方に向かい,被害者とその妻が在室する1階寝室の無施錠のサッシ窓を開けて,淡々とした低い声で「お前が警察に言うたんか。」と言いながら,同室の中に入り,被害者の頭部を金属バットで殴り付けた後,2階に逃げた被害者を追いかけ,同所において,被害者の二男の右頸部を上記ナイフで切り付けるなどし,さらに,被害者の頭部,顔面を同ナイフで多数回にわたって切り付け,その胸部等を突き刺すなどして同人を殺害した(以下,上記殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反の犯行を「本件犯行」という。)。

 被告人は,被害者方に駆け付けた母親に連れられて祖母方に戻り,自首するように言われたが,母親が電話で警察に通報している間に,上記ナイフとは別のサバイバルナイフを持って逃走し,約1kmほど離れた路上で警察官らに見つかり,「散歩ですか。」と声を掛けられると,同ナイフを腰の辺りに構えて警察官らを威嚇し,「おれは人を刺してきたんや。おれはもうどうなってもいいんや。」「けん銃で撃ってくれ。殺してくれ。」などと言って,同ナイフを振り回すなどしたものの,警察官らに制圧され,同日午前4時56分,本件犯行等により現行犯逮捕された。

(2)捜査段階で精神鑑定を担当した医師Nは,その作成に係る精神鑑定書及び第1審公判廷における証言(以下「N鑑定」という。)において,被告人を人格障害の一種である統合失調型障害であり,広汎性発達障害でも統合失調症でもないとした上で,被告人は本件犯行当時に是非弁別能力と行動制御能力を有しており,その否定ないし著しい減弱を考えさせる所見はなかったが,心神耗弱とみることに異議は述べないとする。
 第1審判決は,N鑑定を基本的に信頼できるとしながらも,統合失調型障害とまでは断定できないとして,被告人は,統合失調症の周辺領域の精神障害にり患し,本件犯行時,是非弁別能力及び行動制御能力がある程度減退していたが,それらが著しくは減退していなかったことが明白であるとして完全責任能力を認め,被告人に対し懲役18年を言い渡した。

(3)原審で裁判所から被告人の精神鑑定を命じられた医師Sは,その作成に係る精神鑑定書及び原審公判廷における証言(以下「S鑑定」という。)において,被告人は,本件犯行時,妄想型統合失調症にり患しており,鑑定時には残遺型統合失調症の病型に進展しつつある旨診断した。そして,被告人には,平成16年3月ころから妄想型統合失調症の病的体験が再燃し,同年4月中旬ころから同年5月ころにかけて被害者方がその対象となって次第に増悪し,犯行時には一過性に急性増悪しており,本件犯行は統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされたものであり,被告人は,本件犯行当時,是非弁別能力及び行動制御能力をいずれも喪失していたとする。
 原判決は,被告人は是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったとして,第1審判決を事実誤認を理由に破棄し,被告人に対し懲役12年を言い渡した。原判決の理由の要旨は次のようなものである。

 N鑑定は,統合失調症かどうかの判断の基礎となる十分な資料を収集できていないため,同鑑定から被告人が統合失調症にり患していなかったと断ずることはできないが,S鑑定は,十分な診察等を経た上で本件犯行当時に被告人が統合失調症にり患していたと診断したものであることなどからすると,被告人は本件犯行当時,統合失調症にり患していたと認められる。そして,S鑑定は,本件犯行の前から,被告人の注察妄想,被害妄想と幻聴が顕在化・行動化し,病的体験が被害者方に向けられるようになり,犯行時にはそれが一過性に急性増悪し,本件犯行は,統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされているとする。しかしながら,S鑑定は,状況を正しく認識していることをうかがわせる本件犯行前後の被告人の言動についての検討が十分でない上,犯行の直前及び直後にはその症状はむしろ改善しているように見受けられるとしているのに,本件犯行時に一過性に幻覚妄想が増悪しそれが本件犯行を直接支配して引き起こさせたという機序について十分納得できる説明をしていない。また,被告人の幻覚妄想の内容は,被害者の長男からテレパシーでおちょくられるなどしていたというものであって,通常相手方を殺傷しようと思うような非常に切迫したものとまではいえず,前記の「お前が警察に言うたんか。」との発言等に照らすと,被告人が幻覚妄想の内容のままに本件犯行に及んだかどうかにも疑問の余地がある。そして,これらの諸点に加え,被告人の統合失調症の病状の程度,被告人の公判供述から認められる本件犯行の動機,従前の生活状況から推認される被告人の人格傾向等の諸事情を総合考慮すると,本件犯行は暴力容認的な被告人の本来の人格傾向から全くかい離したものではなく,被告人は,本件当日,被害者の長男の幻声(テレパシーで「おれはやくざだ。」,「やったるで。」,「金属バット持って上がってこい。」などと語りかけてくるものであったという。)が聴こえ,被害者方への侵入を敢行し,その病的体験と上記のような被告人の人格傾向に,以前に警察を呼ぶなどした被害者方に対する怒りが加わり,本件犯行に及んだものであって,本件犯行は,統合失調症による病的体験に犯行の動機や態様を直接に支配されるなどして犯されたものではなく,被告人は是非弁別能力ないし行動制御能力を完全に失っておらず,心神喪失の状態にはなかったものの,本件犯行が被告人の病的体験に強い影響を受けたことにより犯されたものであることは間違いなく,その能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったと認められる。

2 所論は,責任能力判断の前提である生物学的要素である精神障害の有無・程度のみならず,これが心理学的要素に与えた影響の有無・程度についても,専門家であるS鑑定の意見に従って,本件犯行当時,被告人は責任能力を欠いていたと判断すべきであると主張する。
 しかしながら,責任能力の有無・程度の判断は,法律判断であって,専ら裁判所にゆだねられるべき問題であり,その前提となる生物学的,心理学的要素についても,上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題である。したがって,専門家たる精神医学者の精神鑑定等が証拠となっている場合においても,鑑定の前提条件に問題があるなど,合理的な事情が認められれば,裁判所は,その意見を採用せずに,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定することができる(最高裁昭和58年(あ)第753号同年9月13日第三小法廷決定・裁判集刑事232号95頁,最高裁昭和58年(あ)第1761号同59年7月3日第三小法廷決定・刑集38巻8号2783頁,最高裁平成18年(あ)第876号同20年4月25日第二小法廷判決・刑集62巻5号1559頁参照)。そうすると,裁判所は,特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に事実上拘束されることなく,上記事情等を総合して判定することができるというべきである。原判決が,前記のとおり,S鑑定について,責任能力判断のための重要な前提資料である被告人の本件犯行前後における言動についての検討が十分でなく,本件犯行時に一過性に増悪した幻覚妄想が本件犯行を直接支配して引き起こさせたという機序について十分納得できる説明がされていないなど,鑑定の前提資料や結論を導く推論過程に疑問があるとして,被告人が本件犯行時に心神喪失の状態にあったとする意見は採用せず,責任能力の有無・程度については,上記意見部分以外の点ではS鑑定等をも参考にしつつ,犯行当時の病状,幻覚妄想の内容,被告人の本件犯行前後の言動や犯行動機,従前の生活状態から推認される被告人の人格傾向等を総合考慮して,病的体験が犯行を直接支配する関係にあったのか,あるいは影響を及ぼす程度の関係であったのかなど統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人は本件犯行当時是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったと認定したのは,その判断手法に誤りはなく,また,事案に照らし,その結論も相当であって,是認することができる。

 よって,刑訴法414条,386条1項3号,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 涌井紀夫 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志

最判平成21年11月18日 町議リコール請求の無効取り消し訴訟

最判平成21年11月18日 町議リコール請求の無効取り消し訴訟


事件番号
 平成21(行ヒ)83
事件名
 解職請求署名簿無効決定異議申立棄却決定取消請求事件
裁判年月日
 平成21年11月18日
法廷名
最高裁判所大法廷
裁判種別
 判決
結果
 破棄自判
判例集等巻・号・頁
民集 第63巻9号2033頁
原審裁判所名
高知地方裁判所
原審事件番号
 平成20(行ウ)7
原審裁判年月日
 平成20年12月5日
判示事項
地方自治法施行令115条,113条,108条2項及び109条の各規定のうち,公職選挙法89条1項を準用することにより,公務員につき議員の解職請求代表者となることを禁止している部分は,地方自治法85条1項に基づく政令の定めとして効力を有するか
裁判要旨
地方自治法施行令115条,113条,108条2項及び109条の各規定のうち,公職選挙法89条1項を準用することにより,公務員につき議員の解職請求代表者となることを禁止している部分は,その資格制限が解職の請求手続にまで及ぼされる限りで,同法中の選挙に関する規定を解職の投票に準用する地方自治法85条1項に基づく政令の定めとして許される範囲を超え,無効である。
(補足意見及び反対意見がある。)
参照法条
地方自治法80条1項,地方自治法80条3項,地方自治法85条1項,地方自治法施行令108条2項,地方自治法施行令109条,地方自治法施行令113条,地方自治法施行令115条,公職選挙法89条1項,公職選挙法施行令90条2項,公職選挙法施行令別表第2


判旨

解職請求署名簿無効決定異議申立棄却決定取消請求事件
最高裁判所大法廷平成21年(行ヒ)第83号
平成21年11月18日判決


主文
原判決を破棄する。
別紙決定目録記載の決定を取り消す。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。


理由
 上告代理人中北龍太郎の上告受理申立て理由及び上告代理人樺島正法,同小西憲太郎,同佐竹明の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 本件は,東洋町選挙管理委員会(以下「処分行政庁」という。)が,東洋町議会議員A(以下「A議員」という。)に係る解職請求者署名簿の署名について,解職請求代表者に非常勤の公務員である農業委員会委員が含まれているとして,そのすべてを無効とする旨の決定をし,さらに,請求代表者等の関係人である上告人らによる異議の申出も平成20年5月20日付けの決定(以下「本件異議決定」という。)により棄却したことから,上告人らにおいて本件異議決定の取消しを求める事案である。


2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)上告人X1を含む6名(以下「本件代表者ら」という。)は,処分行政庁に対し,平成20年3月14日,A議員に係る解職請求書を添えて,本件代表者らがその解職請求代表者である旨の証明書の交付を申請し,同月17日,処分行政庁からその旨の証明書の交付を受けた。当時,上告人X1は,非常勤の公務員である農業委員会委員であった。
(2)公職選挙法(以下「公選法」という。)89条1項本文所定の公務員は,同項ただし書所定の者を除き,在職中,公職の候補者となることができないが,地方自治法(以下「地自法」という。)及び地方自治法施行令(以下「地自令」という。)は,公選法89条1項を議員の解職の投票に準用するに当たり,「公職の候補者」を「普通地方公共団体の議会の議員の解職請求代表者」と読み替え,かつ,同項ただし書(同項2号に関する部分を除く。)の準用を除外している(地自法85条1項,地自令115条,113条,108条2項,109条。以下,地自令の上記4条項のうち,公選法89条1項を準用することにより議員の解職請求代表者の資格を制限している部分を併せて「本件各規定」という。)。したがって,本件各規定によれば,農業委員会委員は,公職の候補者となることができる場合であると否とを問わず,在職中,議員の解職請求代表者となることができないこととなる。
(3)本件代表者らは,処分行政庁に対し,同年4月14日,上記解職請求書に係る1124名分の署名簿(以下「本件署名簿」という。)を提出し,同月17日に受理されたが,処分行政庁は,本件各規定により農業委員会委員は議員の解職請求代表者となることができないことを前提に,同年5月2日付けで,本件署名簿の署名をすべて無効とする旨の決定をした。
(4)上告人らが上記決定に対し異議の申出をしたところ,処分行政庁は,本件署名簿の署名は農業委員会委員を解職請求代表者の1人とする署名収集手続において収集されたものであって,すべて成規の手続によらない署名であるなどとして,同月20日付けで,異議の申出を棄却する本件異議決定をした。


3 原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,上告人らの請求を棄却した。
 本件各規定の委任の根拠規定である地自法85条1項は,議員の解職請求に係る投票手続のみならず,これと一連の手続の中で密接に関連する請求手続についても,公務員の職務遂行の中立性を確保し,手続の適正を期する観点から,公選法の規定の準用を認めたものであって,本件各規定はその委任の範囲内の適法かつ有効な定めと解されるから,農業委員会委員を解職請求代表者の1人とする署名収集手続において収集された本件署名簿の署名は,すべて成規の手続によらない署名として無効である。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1)普通地方公共団体の議会の議員の選挙権を有する者は,法定の数以上の連署をもって,解職請求代表者から,当該普通地方公共団体選挙管理委員会に対し,当該議会の議員の解職の請求をすることができ(地自法80条1項),選挙管理委員会は,その請求があったときは,直ちに請求の要旨を関係区域内に公表するとともに(同条2項),これを選挙人の投票に付さなければならないこととされている(同条3項)。このように,地自法は,議員の解職請求について,解職の請求と解職の投票という二つの段階に区分して規定しているところ,同法85条1項は,公選法中の普通地方公共団体の選挙に関する規定(以下「選挙関係規定」という。)を地自法80条3項による解職の投票に準用する旨定めているのであるから,その準用がされるのも,請求手続とは区分された投票手続についてであると解される。このことは,その文理からのみでなく,〔1〕解職の投票手続が,選挙人による公の投票手続であるという点において選挙手続と同質性を有しており,公選法中の選挙関係規定を準用するのにふさわしい実質を備えていること,〔2〕他方、請求手続は,選挙権を有する者の側から当該投票手続を開始させる手続であって,これに相当する制度は公選法中には存在せず,その選挙関係規定を準用するだけの手続的な類似性ないし同質性があるとはいえないこと,〔3〕それゆえ,地自法80条1項及び4項は,請求手続について,公選法中の選挙関係規定を準用することによってではなく,地自法において独自の定めを置き又は地自令の定めに委任することによってその具体的内容を定めていることからも,うかがわれるところである。
 したがって,地自法85条1項は,専ら解職の投票に関する規定であり,これに基づき政令で定めることができるのもその範囲に限られるものであって,解職の請求についてまで政令で規定することを許容するものということはできない。 
(2)しかるに,前記2(2)のとおり,本件各規定は,地自法85条1項に基づき公選法89条1項本文を議員の解職請求代表者の資格について準用し,公務員について解職請求代表者となることを禁止している。これは,既に説示したとおり,地自法85条1項に基づく政令の定めとして許される範囲を超えたものであって,その資格制限が請求手続にまで及ぼされる限りで無効と解するのが相当である。
 したがって,議員の解職請求において,請求代表者に農業委員会委員が含まれていることのみを理由として,当該解職請求者署名簿の署名の効力を否定することは許されないというべきである。
 最高裁昭和28年(オ)第1439号同29年5月28日第二小法廷判決・民集8巻5号1014頁は,以上と抵触する限度において,これを変更すべきである。
(3)処分行政庁は,本件異議決定において,本件署名簿の署名は農業委員会委員を解職請求代表者の1人とする署名収集手続において収集されたものであって,すべて成規の手続によらない署名であるから無効であると判断し,原審も前記のとおり同様の判断をしたものであるところ,上記のとおり,本件各規定は少なくとも請求手続に適用される限りでは違法,無効な定めといわざるを得ないから,これに基づいて上記署名を成規の手続によらない署名であるとすることはできない。
 なお,公務員は一般職,特別職を問わず議員の解職請求の請求手続の当初から解職請求代表者となることができないとするのが,地自法85条1項に関する従前からの一貫した行政解釈であり,前記の最高裁昭和29年5月28日第二小法廷判決も,これを是認するものであった。それにもかかわらず,本件代表者らにおいて上告人X1を含めて請求代表者証明書の交付を申請し,処分行政庁もこれを交付した理由は,定かでないが,上記の行政解釈が地自法の法文の文理とは整合しないものであり,解職請求代表者の資格制限を定める本件各規定が明確性を欠いていることも一因であることがうかがわれるところである。地自法の定める直接請求に関し請求代表者の資格制限を設けるのであれば,住民による利用の便宜や制度の運営の適正を図る見地からも,制限の及ぶ範囲は,法律の規定に基づき,可能な限り明確に規定されていることが望ましいことはいうまでもない。
5 以上によれば,本件署名簿の署名をすべて無効とした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,前記説示によれば,本件異議決定は違法であり,その取消しを求める上告人らの請求は理由があるから,本件異議決定を取り消すこととする。
 よって,裁判官堀籠幸男,同古田佑紀,同竹内行夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同涌井紀夫の各補足意見,裁判官宮川光治,同櫻井龍子の補足意見がある。


□ 補足意見


 裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見に同調するが,「本件各規定」が地自法85条1項による委任の範囲を超え違法無効であると解すべき理由につき,若干の補足をしておくこととしたい。
1 私は,本件についての最終的判断は,問題となる法令の規定(特に地自法85条1項の規定)の解釈に当たり,解釈作法の在り方(解釈方法選択の視角)をどう考えるかに懸かるものと考える。
 厳密な文言解釈による限り,地自法85条1項は,公選法上の普通地方公共団体の選挙に関する規定を「第80条3項・・・の規定による解職の投票」に準用すると定めているのであり,また,地自法80条は,解職の請求(1項)と解職の投票(3項)とを明確に書き分けているのであるから,同法85条1項にいう「解職の投票」の中には「解職の請求」は含まれないこととなるのが,当然の帰結であるといえよう。そうすると,地自法85条を受けた地自令115条が,公選法89条1項の「公職の候補者」を読み替えることによって公務員に「議会の議員の解職請求代表者」たり得る資格を与えないこととしているのは,法律の委任の範囲を超えて違法無効(全面的無効)であるか,あるいは,少なくとも解職請求代表者の「解職の投票」段階における役割を超えて規制する限りにおいて無効(限定合法解釈),ということにならざるを得ないのであって,多数意見を支えているのは,基本的にはこのような法解釈であるということができる。
 しかし,法解釈の方法として,法規定の合目的的解釈ないし立法趣旨の合理的解釈という方法を採用するならば,〔1〕一連の(広義の)解職請求手続の中で,公務員の政治的中立性が保障されなければならないとすれば,それは何よりも請求手続の段階においてであって,投票の段階における代表者の役割については,この見地からして見るべきものはさほど残されていないこと(言葉を換えるならば,地自法が,特に投票の段階に絞って公務員に代表者資格を否定しようとする合理的な根拠は余り無いこと),〔2〕そもそも,地自法の定める直接請求制度は,住民の側から直接に請求ができるということに制度の根幹があるのであって,投票は,(条例制定における議会の議決などと同様に)直接請求がなされた(有効に成立した)ことの結果行政側が執らなければならない処置として位置付けられているものに過ぎない(そもそも地自法上,解職請求代表者と区別された固有の意味での解職投票代表者なるものの存在は予定されていない。同法82条等参照)こと,等に鑑みて,同法85条1項がいう「解職の投票」とは,少なくとも本件との関係では,あくまでも(広義での)解職請求手続の一環としての投票という意味と解すべきである,との解釈が成り立ち得ないではないようにも思われる。言葉を換えていえば,地自法は,確かに「解職の請求」と「解職の投票」とを制度的に区別してはいるが,しかし,両者は元々一つの目的を追求するためのプロセスの一環を成すものに他ならないのであるから,問題によっては,両者の一体性こそが重視されなければならない側面もあるのであって,「代表者」という制度は,正にこういった意味で両者に共通するものとして制度設計されているのだという考え方をすることもできるのではないか,ということである。
 そして,従来の裁判例は全てがこのような解釈を採るものであり,また,国(旧自治省総務省)においても,少なくともあえてこれに異を唱えるものではないといった状況にあること,また,このような解釈を採った結果に実質的な不都合があるとは必ずしもいえないこと(もとより,あらゆる公務員につきこのような制約を課することが合理的か否かの問題はあるかもしれないが,それは,公務員の概念の外延をめぐる問題であって,地自法85条1項の解釈に関するここでの問題とは,問題の次元を異にする)等を考えれば,昭和29年最高裁判決をあえて変更するまでもなく上告棄却とすべきであるとする反対意見にも,それなりの合理的理由は存在するものと考える。そこで,それにも拘らず,何故本件においては厳密な文言解釈の道を選択しなければならないのかが問題となるが,この点については,理論的には次のような回答がなされ得るであろう。
 すなわち,仮に上記の合目的的解釈の立場に立ったときには,地自法85条の上記明文との違いをどう説明するのかが問題となるが,いずれにせよそれは,法令上用いられた概念を通常理解される意味を超えより広い意味に理解するという意味において,一種の拡張解釈をする結果とならざるを得ない。そして,本件の場合には,そのような拡張解釈が,公務員の権利の制限を拡大する目的のために行われることになるのである(もっともこの点,ことは立法技術の問題であって現行85条の明文の下でも「解職の投票」中に「解職の請求」が含まれているものと読める,という考え方をするならば,これは「拡張解釈」ではないことになろうが,ここでは,立法の専門家でなく,上記のように,一般国民の目線でどう読めるかを基準として「拡張解釈」の語を用いている)。
 もとより,刑事法の分野に属さない公法の分野において,国民の権利の制限の幅を広げる目的の下に明文規定の拡張解釈をすることが,解釈作法としておよそ禁じられるものとは必ずしもいえず,より大なる公益目的のためにそれもやむを得ないと考えるべき場面が生じ得ないとはいえない。しかし,本件の権利制限の場合には,このような権利制限の拡張を(解釈上)認めないことが,取り返しのつかない重大な公益の侵害をもたらす結果につながるとは,必ずしも考えられない(例えば,直接請求に際しての公務員の政治的中立性を担保する結果をもたらす現行法上の規制は,必ずしも本件における規制のみに止まるわけではない)反面,制限される権利自体は,国民の参政権の行使に関わる,その性質上重要なものであるということができる。そうであるとすれば,権利制限の幅を広げようとする以上,明文の規定についての拡張解釈によってではなく,法的根拠と内容とを明確にした新たな立法によって行うのが本来の筋であるというべきことになろう。
2 問題はさらに,こういった規制の明確化を求めるという目的のために,本件において,あえて最高裁判例変更の道にまで踏み込むべきであるという判例政策上の決断をすべきか否かである。
 今回,当審が本件各規定を法律の委任の枠を超え違法無効と判断する解釈の道を選んだとき,その後始末をどうするのかは,もはや司法権の判断の枠を超えることであるが,仮に立法府(法律)ないし行政府(政令)が,公務員についてはおよそ解職請求代表者への就任資格を持たせないこととする政策自体を不可欠であると考えるのであれば,直ちにそれに対応した立法措置を執ることとなるであろうが,仮に,そのような措置が執られなかったとするならば,それはすなわち,そのような規制は必ずしも不可欠の規制ではなかったことを裏書きするものであるということになるはずである(なお,この点に関し,地自令115条が無効とされることによって,解職請求代表者の資格制限につきいわば空白事態が生じることをどう考えるかという問題もあるが,私自身は,公務員の政治的行為の制限につき,およそあらゆる場面につき一瞬の空白を置くことも無く法令による完全な規制がなされるのでなければ危機的事態が生じるとは考えていない)。国民の権利を制限する法令の規定の上記に見たようなあるべき姿に鑑みるとき,権利を制限される国民の側から問題が提起されている本件を契機として,この点についての再確認を行うことには,それなりに十分な意義があるものと考えられる。
 また,本件のような訴訟が起き,また学界においてこれを支持する声が生じるのは,一つには,本件の農業委員会委員等も含め,およそ一切の公務員にこのような権利制限を加えることに果たして合理的な意味があるのかが問題とされるからであることは明らかであり,このような点も含め,改めて資格制限の在り方を検討するきっかけを創出すること自体に意味があると考えることもできよう。
 上記の理由により,私は,上記のような決断に基づき昭和29年最高裁判決を変更し,本件各規定の違法を前提とした処理をするとの判断を採用することも一つの合理的判断であると考え,多数意見に同調するものである。
 裁判官涌井紀夫の補足意見は,次のとおりである。
 私の見解は,多数意見のとおりであるが,反対意見には,本件を処理するに当たっての多数意見の基本的な考え方について誤解を招き兼ねないところがあるように思われるので,念のためにこの点を明らかにしておくこととしたい。
 本件では,農業委員会委員が議員の解職請求代表者になることができないものとした処分行政庁の判断の適否が争われているのであるが,その中心的な争点は,議員の解職請求代表者の資格を制限した地自令の本件各規定が委任の根拠規定である地自法85条1項の規定の文理との関係で有効なものと見られるか否かという点にある。そこで,多数意見は,専ら法文の文理からして,この地自法85条1項の規定が解職の投票に関する規定であって,解職の請求についてまで政令で規定することを許容する規定とは解し得ないものとし,このことを理由に,解職請求代表者の資格について定めた本件各規定が法の委任の範囲を超える定めをしたものであって,その効力を認めることができないとしているのである。すなわち,それは純粋な法理の問題であり,それ以上に,解職請求代表者の資格について本件各規定が定めるような制限を加えることが立法政策として相当であるか否かといった実体について判断しているものではない。
 もちろん,このように本件各規定の効力が否定されることとなった場合,公務員について解職請求代表者となる資格を制限するためには,改めて法律の規定に基づく明確な定めを置くことが求められることになるが,この場合に,制限等の内容としてどのようなものが許容されるか,あるいはどのような定めが望ましいかといった問題は,立法政策の問題として,関係する当局の権限と責任において検討されるべきものであることは,いうまでもないところである。


□ 補足意見

 裁判官宮川光治,同櫻井龍子の補足意見は,次のとおりである。
 私たちは,多数意見に同調するものであるが,更に私たちが考えるところを補足して述べておきたい。
1 本件の経緯をみると,処分行政庁は議員の解職請求に関し農業委員会委員である上告人X1を含めた本件代表者らに対し請求代表者証明書を交付し,かつ,その旨を告示しており,本件代表者らはこれにより署名の収集を開始し,1か月以内に処分行政庁に対し選挙権を有する者の3分の1以上であるとする1124名分の議員の解職請求に係る署名簿を提出し受理されたところ,その後,処分行政庁は,農業委員会委員が請求代表者の一人となった署名簿の署名は成規の手続によらない署名であるという理由で,署名簿の署名をすべて無効とする旨の決定を行ったものである。私たちは,この事態は,住民の直接請求制度の在り方の根幹にかかわる重大な問題を提起しているものと考える。
 地方行政の基本は間接(代表)民主制であるが(憲法93条,地自法89条,139条),住民が主権者として選挙によって代表者を選んだ後,代表者の意思と住民の意思がかい離するという事態が生ずることがある。そのような間接民主制の欠陥を直接民主制の原理により補完するという直接参政制度が地自法において一定の範囲で設けられている。普通地方公共団体に一定の施策の実施を求めるいわゆるイニシアティブ(発案制度)として条例の制定又は改廃の請求(12条1項,74条〜74条の4)及び事務の監査の請求(12条2項,75条)があり,いわゆるリコール(解散・解職請求制度)として議会の解散請求(13条1項,76条〜79条)及び議員・長その他役員の解職請求(13条2項,3項,80条〜88条)がある。後者は,憲法15条1項の「公務員の罷免権」を具現したものとしてみることができる。住民のこうした権利を実現するための重要な手続については,法により疑問の余地なく明確に規定されていなければならない。
 そこで,請求代表者の資格制限についての根拠規定をみるに,多数意見において指摘したとおり,これまでの実務上の解釈,運用,また昭和29年最高裁判決が示すところについては明確な根拠を見いだすことは困難であるといわざるを得ない。それが署名簿の署名の効力をすべて失わせるという結果をもたらすということの重大さにかんがみると,私たちは,上記判例を変更せざるを得ないと考えるものである。
2 ところで,公選法において,公務員は,在職中,公職の候補者となることができないと定められているところであるが(89条1項本文),一定の範囲の公務員についてはその制限が解除されている(同項ただし書)。例えば,非常勤の消防団員・水防団員(同項4号),臨時又は非常勤の委員等で政令で指定する者(同項3号)がこれに該当する。農業委員会委員は在職のままで市町村の議会の議員及び長の選挙に関してはその候補者となることができる(公職選挙法施行令90条2項1号,別表第2及びその備考欄)。このような資格を有する農業委員会委員に関し,他方で,議員の解職請求については,請求手続段階において代表者となることを否定するといったことが,処分行政庁の実務における混乱の背景にはあるものと考えられる。今日,地方自治体の行政を支える非常勤の特別職公務員は,多種多様にわたっている。特に,地自法制定当時に比べると,各種審議会の数は著しく増え,様々な立場の者がそれらの委員に幅広く任命されるに至っており,中には公募の一般住民を審議会委員に任命する自治体も増えている。本件の東洋町は,記録によれば,人口がおよそ3300人の町であるが,このような規模の普通地方公共団体においては,青壮年者の相当数は何らかの役を担っているものと考えられる。これらの非常勤の特別職公務員について,一般職の常勤公務員と同様に,請求代表者になることを制限しなければならないのであれば,その根拠規定,理由等はできる限り明確で,かつ,一般の住民にも理解され周知されるような形のものであるべきであろう。
3 また,地自法85条1項の立法趣旨も必ずしも明確であるとはいい難い。地自法は,直接参政制度をいずれも請求手続と請求の効果に関する手続の二段階として構成しており,条例の制定・改廃の請求に関する規定を他の請求手続に準用している(75条5項,76条4項,80条4項,81条2項,86条4項)。以上の請求はいずれも代表者により行われる必要があるところ,地自法は,条例の制定・改廃の請求に関し,請求代表者の資格について選挙権を有すること以外に制約を設けていない。こうした構成からすると,他の直接請求に関しても,請求代表者についての請求段階における資格制限を設けるものとすることが地自法の趣旨であったのか否かは容易に断定できないと思われる。
4 直接請求制度は,我が国においては,これまで十分活用されてきたとはいい難い制度であったが,近年,住民の自治意識が高まるに伴い,全国的に件数も増え,重要性を増してきていることがうかがわれる。とりわけ,政策的な地方分権の推進により,都道府県,市町村の行う業務についての自治権限が強まってきているが,このような団体自治の確立と併せて,真の意味の地方自治の発展には,住民が自ら判断し,自ら責任を負うという形の住民自治の拡充が不可欠である。そして,その住民自治の拡充を進めるシステムの一つとして,各種の直接請求制度,住民投票制度などの直接民主制の機能の充実が要請されているところである。本件の直接請求制度における請求代表者の資格要件については,このような地方分権の流れを踏まえながら,住民の基本的な権利行使の問題として法的にも明確な整理を行い,住民自らの決定が滞りなく行われ得る環境を整えることが,法律の立案等に携わる者の責務であることを補足して強調しておきたい。


□ 反対意見

 裁判官堀籠幸男,同古田佑紀,同竹内行夫の反対意見は,次のとおりである(裁判官竹内行夫については,本反対意見のほか,後記の追加反対意見がある。)。
 私たちは,原判決は正当であり,最高裁昭和29年5月28日第二小法廷判決を変更すべき理由はなく,本件上告を棄却すべきものと考える。その理由は,以下のとおりである。
1 普通地方公共団体の議会の議員(以下「自治体の議員」という。)についての請求による解職制度(以下「解職制度」という。)は,署名収集等の請求のための手続と投票の手続の二つの部分からなるが,これらは解職制度の一部をなす一連のものである。解職請求代表者は,解職制度全体を通じた存在であり,法の関係規定から,解職制度において,請求者の代表として,解職の実現のため,解職を請求し,署名収集のみならず賛成投票を得るための活動(以下「投票運動」という。)などの一連の活動を主導し,投票の手続に関与する主体として位置付けられていることが認められ,解職制度を構成する重要な主体である。
 地自法85条1項は,「政令で特別の定をするものを除く外,公職選挙法普通地方公共団体の選挙に関する規定は,・・・第80条第3項・・・の規定による解職の投票にこれを準用する。」と規定する。これは,選挙によって選出された自治体の議員の解職は投票によって明らかにされた住民の意思により決すべきものであるところ,その投票が住民の意思を問うという点において,自治体の議員の選挙と実質的に同様の性質を有することにかんがみ,その選挙の場合と同様の公正を確保することが必要であることから,原則として選挙と同様の仕組みによることとしたものである。そして,解職請求代表者に公務員がなることは,その地位を利用して住民の投票に不当な影響を及ぼすおそれがあることなど,選挙において公務員が公職の候補者になる場合と同様,投票の公正を害するおそれがあることから,公選法89条1項の規定等の資格制限規定も除外することなく準用しているものであり,これを受けて,地自令115条は,自治体の議員の解職投票に公選法89条1項を準用する場合に,「公職の候補者」を自治体の議員の「解職請求代表者」と読み替える旨規定しているのであって,これらの規定により,公務員は解職請求代表者となることが禁止されているのである。地自法85条1項にいう「解職の投票」の意味も上記趣旨に照らして解釈しなければならない。同項にいう「解職の投票」とは,公選法「選挙」に対応する概念として,解職の投票の仕組みの全体をいうものと解すべきである。
2 多数意見は,要旨,地自法85条1項は公選法中の選挙関係規定を同法80条3項による解職の投票に準用する旨定めているから,準用されるのは請求手続と区分された投票手続についてであると解されることのほか,解職の投票手続が,選挙人による公の投票手続であるという点において選挙手続と同質性を有しており,公選法中の関係規定を準用するのにふさわしい実質を備えていること,請求手続は選挙権を有する者の側から当該投票手続を開始させる手続であって,これに相当する制度は公選法中には存在せず,その選挙関係規定を準用するだけの手続的な類似性ないし同質性があるとはいえないこと,それゆえ,地自法80条1項及び4項は,請求手続について,法に独自の定めを置き又は政令に委任することによってその具体的内容を定めていることを理由として,同法85条1項を受けた政令において,解職の請求について規定することはできず,したがって解職請求代表者の資格制限が請求手続にまで及ぼされる限度において公選法89条1項本文の規定を解職請求代表者の資格に準用することは許されないとする。
 しかしながら,前記のとおり,地自法85条1項は,解職投票につき選挙と同様に公正を確保する観点から投票の仕組みを原則として選挙と同様のものとすることとしたものである。同法は請求の要件や署名収集等に関する規定を設けているが,これらは専ら請求に関する事項についての必要な規定を設けたものであって,投票に関する事項については原則として公選法の選挙に関する規定によることとしているものである。多数意見は請求手続と投票手続の区分を強調するが、前記のとおり,両者は一連の不可分のものであり,解職請求代表者は,両者を通じて投票による解職を実現しようとする者として解職投票の仕組みを構成する主体である。したがって,その資格は投票に関するものであり,公選法89条1項の準用があるのは明らかというべきである(多数意見によれば,請求及び投票の事務を管理する選挙管理委員会の委員等も請求手続に関しては代表者になることができることになるが,明らかに不当であろう。)。
 多数意見に従えば,解職の実現という目的に向けて行われる一連かつ一体的な活動を主導する法律上1個の主体の資格を分断することになり,そのような主体の資格の決め方として不自然かつ不合理である。署名収集段階においても投票運動が認められていることとも整合しない。また,公務員が解職請求代表者になることにより投票の公正が害されることを防止しようとする法の趣旨に反するものである。公務員が解職請求代表者になれば,投票に不当な影響を及ぼすおそれがあることは,署名収集などの段階においても何ら変わりはない。投票手続に関して代表者になることができない者が解職請求の代表者となることは法の予定するところではない。 
3 以上は,地自法85条1項その他法の関係規定から十分理解できるし,また,地自令において,同項の適用に関して,公選法の公職の候補者に関する部分は請求代表者に関する規定とみなす旨の規定が設けられているなど(108条2項等),その適用関係が明確にされている(地自令は準用規定が多用されて複雑になっているが,これは,請求の種別ごとに規定を設ける必要によるものと思われる。)。
 私たちの意見は,地自法85条1項その他法の関係規定から合理的に導かれ,法の趣旨に沿った解釈で,しかも行政実務のみならず,既に当審において是認され,裁判においても長年にわたり確立している解釈が相当であるというものである。多数意見は,解職請求代表者の資格に関して,投票の公正の確保を図る法の趣旨に反して,公務員につき,いかなる公務員であるかを問わず,自治体の議員の解職制度における請求手続段階では無制限であると宣言するものといわざるを得ず,このようなことまでしてあえて前記の昭和29年最高裁判決を変更すべき理由はないと考える。多数意見には到底賛同できない。
 裁判官竹内行夫の追加反対意見は,次のとおりである。
 私の意見は前記反対意見として述べたとおりであり,これと重複するところもあるが,多数意見に賛同し得ない私の基本的考えを補足して述べておきたい。
1 多数意見は,地自法は,議員の解職請求について,解職の請求と解職の投票という二つの段階に区分して規定しており,同法85条1項は,公選法中の選挙関係規定を地自法80条3項による解職の投票に準用する旨定めているのであるから,その準用がされるのも請求手続とは区別された投票手続についてのみであるとして,同法85条1項に基づき政令で定めることができるのは専ら投票手続の範囲に限られるのであって,解職請求代表者の資格制限が請求手続にまで及ぶとすることはできないとしている。
 地自法85条1項に基づく解職請求代表者の資格制限をこのように専ら投票手続に限定する多数意見の解釈についての諸問題は,前記反対意見において指摘したところであるので,ここではあえて詳述しないが,多数意見の解釈姿勢が,規定の文言や法形式を重視する余り,地自法85条1項の立法趣旨や昭和29年5月28日の最高裁判決(以下「昭和29年最高裁判決」という。)を始めとする裁判例及び実務により定着してきた合理的解釈に十分考慮を払っていないところに根本的な問題があると考える。
2 地自法85条1項及び本件各規定の目的は,普通地方公共団体の議会の議員の解職請求(リコール)に関する手続の適正を確保することにあり,そのために公務員が公務遂行上の中立義務に反して解職請求代表者になることを認めないとする点にその立法趣旨があると解される。このことについて,昭和29年最高裁判決は,地自法85条1項によれば,公選法中の選挙関係規定は村長及び村会議員の「解職請求及びその投票に至る一連の行為に関し準用される」とした上で,「(農業委員会)委員在職中の者が請求代表者のうちに名をつらねていることが署名のしゆう集に影響を及ぼす可能性は常に否定し得ないところであるから,在職中の委員を請求代表者となり得ないものとする法意にかんがみれば,かような手続によりしゆう集された署名は,すべて成規の手続によらない署名として無効と解さざるを得ない。」とした。そして,下級審においても,神戸地裁昭和28年10月9日決定(行裁集4巻12号3149頁),青森地裁昭和28年10月31日判決(昭和29年最高裁判決の1審判決),神戸地裁昭和29年4月20日判決(行裁集5巻4号879頁),広島地裁平成6年4月1日決定(公刊物未登載),那覇地裁平成16年7月14日判決(最高裁ホームページ)において,一貫して同様の解釈が採られている。また,解職請求に関する実務においても,公務員が請求代表者となることは請求手続段階から否定されてきているところである(地方自治制度研究会編『新訂注釈地方自治関係実例集』119頁以下,同編『地方自治関係実例判例集(第13次改訂版)』341頁以下)。
3 多数意見は,昭和29年最高裁判決が述べた地自法85条1項の「法意」,すなわち,その立法趣旨について言及していないし,公務員の中立義務や解職請求の手続の適正といったことにも触れていない。しかしながら,公務員の中立義務,なかんずく政治的中立性は,憲法が求める極めて重要な原則であり,これを受けて,国家公務員法地方公務員法等に服務規律が定められ,当然のことながら,公務員に関する法令上,公務員は,解職請求の投票手続の段階のみならず請求手続の段階においても署名運動を主宰したり投票の勧誘運動をしたりすることができないこととされている。そして,地自法はその85条1項において,住民の直接請求制度である解職請求の手続の適正の確保という視点から,解職請求代表者の資格について,中立であるべき公務員は解職請求代表者とはなり得ないとの制限を設けているものと解されるのである。確かに,解職請求代表者の資格制限は,国民の公務員罷免権の行使を制約するという側面を有するものではあるが,一般の国民の参政権に対する制限ではなく,飽くまでも上記のように中立であるべき公務員に対する制限にすぎない。しかも,公務員は,このような制限の下においても,自ら署名や投票を行うことは何ら妨げられていないのみならず,解職請求に係る署名収集受任者となり署名収集活動を行うこともできるのであるから,この程度の制限は,住民の自由な意思の形成に基づく直接請求制度の適正の確保のために,地自法85条1項が当然予定するところであると解される。
 多数意見によれば,公務員に関する資格制限は請求手続段階には及ばないこととなるが,そのような新たな解釈は,裁判例や実務により既に定着した合理的な解釈をあえて覆すものであるといわざるを得ない。解職請求代表者は,請求手続の段階において,自ら署名活動を行い又は署名収集受任者にこれを委任するという権限を有し,解職請求者署名簿を選挙管理委員会に提出するという一連の手続についての責任者としての地位にある。このように,解職請求代表者は投票手続よりはむしろ請求手続において,解職請求を主導し,住民を一定の方向へ政治的に方向付けるという重要な役割を担っているのである。公務員が,その中立義務に反して,その地位を利用して,このような権限と地位を有する解職請求の主導者となってそのイニシアティヴをとるようなことは,本来住民の側から自由な意思に基づいて直接請求をすることに制度の根幹があるとされる解職請求の手続の適正を損なうので許されないというのが,地自法85条1項及び関連規定の立法趣旨にのっとった自然かつ合理的な解釈であり,仮に文理上や法形式において多少明確さを欠くことがあるとしても,上記の最高裁判決を始めとする裁判例及び実務により,かかる合理的解釈が既に定着しているのであり,このように確立した合理的解釈をあえて変更する必要は認められない。
4 また,多数意見によれば,国家公務員法の適用又は準用がある公務員及び地方公務員法の適用がある公務員について,結果として,公務員法上の服務規律があることを除けば,およそ公務員が普通地方公共団体の議員の解職請求に関する請求段階の手続において代表者となることを地自法は何ら規制しないこととなる。そして,内閣総理大臣,その他の国務大臣や各省副大臣大臣政務官,さらに本件で対象となった農業委員会委員とともに公職選挙法施行令90条2項,別表第2に掲げられている中央選挙管理会及び選挙管理委員会の委員,国家公安委員会委員,公害等調整委員会委員,衆議院議員選挙区画定審議会委員,教育委員会委員等が解職請求を主導する代表者となり得ることとなる。公務員が解職請求手続の代表者のうちに名を連ねることが住民の態度に影響を与える可能性は否定できないとの昭和29年最高裁判決の指摘は今もなお重要である。地自法の定める解職請求は,直接民主制に基づき住民が有する重要な権利であり,その制度の根幹は住民がその自由な意思により直接請求をすることができるということにある。上記判例を変更することは,立法趣旨の合理的解釈という解釈方法を後退させ,直接請求制度の根幹を損ないかねないものであると危ぐする。
(裁判長裁判官 竹崎博允 裁判官 藤田宙靖 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 堀籠幸男 裁判官 古田佑紀 裁判官 那須弘平 裁判官 涌井紀夫 裁判官 田原睦夫 裁判官 近藤崇晴 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 竹内行夫 裁判官 金築誠志