野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

もう一つのガムランプロジェクト「桃太郎」

昨日、碧水ホールの「野村誠の世界vol.4」が無事終わりました。

ラジオ沼で、座布団に関する面白いコメントがあります。以下で聴けます。
http://sweet.podcast.jp/home/numa/archives/release/main/2006/08/28_161244.html

今日は、もう一つのガムランプロジェクト「桃太郎」のリハーサルでした。大阪府豊能町にある「スペース天」まで行く。2001年から5年かけて作った作品。一切楽譜を使わず、全てをワークショップ形式で作り上げて、演奏者の記憶だけを頼りに作っていく作品。だから、日々変化し更新されていく作品。

第1場は2001年に作ったもので、桃太郎が生まれるまで。上演時間25分。
第2場は2002年に作ったもので、桃太郎が鬼退治を決意するまで。上演時間40分。
第3場は2003年に作ったもので、桃太郎が鬼が島に着くまで。上演時間55分。
第4場は2004年に作ったもので、桃太郎が鬼に殺されるまで。上演時間30分。
第5場は2005年に作ったもので、鬼が袋を背負って村に運び込むまで。上演時間30分。

つまり休憩なしで全部で3時間かかる音楽劇なのです。
休憩を入れることを考えると、9月10日の公演は、13時開演で17時ごろ終演となるでしょうか。

今日は通し稽古でしたが、19時に稽古開始で、一通り通し終わるのが23時。それから、改善点を試していたら、あっという間に深夜25時。明日は早朝に東京に行って、NHKで収録なので、早く寝たかったけど・・・。

この作品は、2001年9月に第1場を初演しました。そして、その2001年9月11日にNYでの自爆テロがあって、この自爆テロの直後に「桃太郎」第1場を初演しました。

第4場を初演した日の日記を読み返してみる。

2004年第4場初演の日の日記より

 よりによって、「鬼が島での戦い」の場面を9月11日に上演することになった。フィクションの民話「桃太郎」だが、9月11日に戦いの場面を上演するからには、それなりの覚悟と考えがいる。ところが、マルガサリのメンバーと話をしても、そもそも誰も戦いたい、という動機自体がない。言語でディスカッションしても答えが見えないので、フィクションの世界の中で即興でカラダを動かしながら、戦いについてカラダで考えていった。
 そうして、出来上がっていった作品では、戦っている人の戦い始めた動機が、本当に些細なことだったのだ。しかし、いざ戦い始めてしまうと、戦いという空間が現出してしまい、とにかく戦い続けなければ存続できないので、目的も動機も分からずに、とにかく戦うことになる。
 
 この場面は、鬼4人、桃太郎+3匹の計8名の舞踊で表現されるのだが、鬼チームの4人は、プロの舞踊家2人を含むダンス経験者チームで、身体による表現力のある4人だが、桃太郎と3匹に選ばれた4人には、舞踊の経験がない。この8人で戦いを(セリフなしで)身体で表現するように設定したのだが、誰の目から見ても、鬼チームが圧倒的な力の差を見せつけることになる。
 だから、桃太郎軍は、通常の舞踊では歯が立たないので、「舞踊でない舞踊」に持ち込まなければならない。そうしなければ、ステージは鬼の独壇場になり、桃太郎の表現は観客に全く届かないからだ。結果、桃太郎たちは、ゲリラ的な手法で、鬼に踊らせないように、あの手この手で脱舞踊を促す。鬼は何とか舞踊に持ち込み、自分の力を見せつけようとする。
 練習当初は、何度やっても鬼の一人勝ちだった。桃太郎+3匹にステージ上での存在感がないのだ。存在感がなければ、ステージ上では死を意味する。桃太郎たちは生き残るために、必死に自分の存在感を主張する。踊りの技術がないから、技術ではなく、それ以外の方法あの手この手で、技術のあるプロのダンサー以上の存在感を出す方法を目指す。練習を重ねるにつれて、鬼は手こずり始めるのだ。桃太郎の存在感が増してきた。

 そして、4場の結末は、とんでもない結果になった。桃太郎が鬼を退治できず、3匹が死に、鬼の子分たちも死に、ついには桃太郎も死に、桃太郎を殺した鬼の大将も死んでしまうのだ。全滅だ。ステージ上での存在感を巡り、舞踊の技術を脱し、ゲリラ的な舞踊になっていく中、最終的に誰もが生き残ることができず、死んでいく。そして、死んだ人たちの霊が、桃太郎の死体を囲んで「かごめかごめ」をして遊ぶところで、第4場が終わる。
 笑いの多い第3場と続けての上演で、観客の人々もあまりにも壮絶な戦いと、予想もしない幕切れに茫然としてしまったようだ。でも、これが、ステージ上で(フィクションの世界の中で)見つけた4場の結末だった。

 ぼくらは、第4場でただただ戦い続けた。演奏者には、踊りを見て合わせることを禁止した。踊りに合わせる限り、ワンテンポ遅れるし、ワンテンポ遅れることは戦場では致命的だ。また、合わせている限り、存在感がなくなり、存在感のない音は戦いの中では死を意味する。考えたり、迷ったりしてもダメだ。その時点で死を意味する。
 だから、音の戦場では、戦い続けなければならないよう、音を出し続けなければならないのだ。そして、ちょっとした隙を見つけて、仲間と交信する。困った時は、自分の近くにいる一番強そうな演奏者を見つけて、必死に追いかけて追い付いて共演する。
 フリージャズでも、3〜5人くらいで即興することが多いと思う。15人ものガムランフル編成が、合図が一つもなく、しかも、お互いに耳をすますこともなく、周りの音をあまり聞かずに連射しながら、なおかつ曲調が変化したり、展開する。誰もが全体像を把握せず、指揮官となって統率する人もいない状態で、音が集合体として渦巻く。戦いの中にいると、本当に考えることができないし、考えることは死を意味するから考えてはいけない。とにかく、考えずに、自分の出している音が正しいとか間違っているとか、そんなことを判断もできず、それでも発音し続ける体験は、貴重だった。音楽という空間で、完全に戦いを疑似体験してしまった。
 こうして出来上がった音楽を、ぼくは客観的には全く聴いていない(これから録音を聴くことになるだろう)。観客からは、かなりの好感想を得た。ぼくらの音の戦いは成功したようだった。
 そして、戦いの後に残されたのは、来年第5場を作る、ということだ。ここからは、民話のテキストもない。すべてフィクションの空間の中で、創作していけばいい。この壮絶な戦いの後に残った絶望的な現実に、どうやって光を見出せるのか?本当に大きな課題だ。それをしなければ、ぼくら自身が今のこの現実からも目を背けることになる。第5場、もう後がない。ぼくの作曲のすべてを注ぎ込むしかないだろう。すべてを注ぎ込むだけでも、無理かもしれない。ぼくの作曲のすべてを捨てなければいけないかもしれない。その覚悟はできている。もう後戻りはできない。

2005年第5場初演の日の日記より

桃太郎第5場初演。

ストーリーは、第4場の戦いで、桃太郎は戦いに敗れ死んでしまう。うろたえる鬼。そして、第5場では、鬼は大きな袋を引きずっている。袋の中身は何か、船着場の番人、哲学者、空手家、たまご大王が、それぞれの見解を述べる。誰も真実は分からない。そして、鬼は自分の引きずってきた重荷から解放され、袋の中の重荷が溶けていく。重荷は何であったかは分からない。そして、重荷から解放された出演者たちが解放されて、作品は終わっていく。

桃太郎と鬼の戦いは何であったか?鬼の背負った重荷は?

我々は、日々戦っている。一体、何で戦っているのか理由を忘れてしまうような戦いもあったり。そして、気づいたら重荷を背負っていることも、よくある。何の義務だか責任だか分からないのに。誰にも頼まれないのに、本人すら自覚なく、背負っていて、身動きできなくなったり・・・。

だから、鬼が重荷を置いた後、重荷から解放された状態でマルガサリに音楽をして欲しい、とぼくは思った。重荷から解放。桃太郎を完結させなければならない重荷、ガムランの新しい境地を開こうとする義務感、伝統を踏まえた責任感、コンサートの観客を満足させたいという気持ち、いろんな重荷を脱ぎ去り、「こうでなければならない」から解放されて、みんなが好き勝手に考え行動した結果でてくる音楽、それが聴きたい。全5場のストーリーの結論。

遠い道のりだった。96年に「踊れ!ベートーヴェン」を作曲して、インドネシアをツアーしたとき、中川真さんから、次は桃太郎をやろうと思っている、各場面ごとに違った作曲家に曲を委嘱して一つの曲になるような、と聞いた。てっきり、97年か98年あたりには、そのプロジェクトが実現すると思った。ところが、そこから10年かかった。

中川真は、楽譜に作曲された現代ガムラン曲の可能性に限界を感じ、自らが作ったガムラングループ「ダルマブダヤ」を脱会。98年にマルガサリを立ち上げ、現代曲を封印して、3年間徹底してジャワの伝統曲をやり続けた。

2000年にぼくの「せみ」とエイスマ作曲の「ウグイス」を演奏したのが桃太郎への序章だったが、3年間伝統曲だけをやり続けたグループにとって、現代作品に取り組むこと自体が大きなプレッシャーになっていた。この時期のマルガサリは、古典の演奏もまだまだ今より相当下手だったし、創作する意欲も意識も希薄だった。プロジェクトをなんとか形の上でやるのが精一杯だった。

そこから、年々時間をかけて、一歩ずつ成長し、意識も少しずつ前向きになって、ここまで来た。第5場は、野村誠が作曲した部分は全くない。林加奈の言葉を借りれば、やっと自立し始めた。甘えを捨て始めた。野村誠からも中川真からも自立できたときに、野村誠中川真はもっと力を発揮できるし、マルガサリはもっとユニークに力強くなれるはずだ。第5場は、全て、マルガサリのメンバーが作っていったもので、さらに言うと、ほとんどが即興に近い形態だ。マルガサリの未来。

初演が終わってすぐで、興奮しています。

とにかく、中川真が強い意志を持って、ここまで進んでいたこと。その結果、「桃太郎」と「マルガサリ」がある。それに、本気で応えるしかない、と思って、ぼくはこの5年間京都に住んだ。京都女子大の先生になったのも、「桃太郎をやりたい」「そのためには野村誠の力が必要」という中川真の熱意を感じ、それに応えようという決意があったことが、一番の理由だ。

マルガサリ中川真は、本当に牛歩のように一歩一歩、ここまで着実に地道に進んできた。ものすごく、泥臭いやり方で、ここまで来た。これは、ぼくらの財産だ。この体験で、マルガサリは大きく成長したが、ぼく自身が得たことも相当に多かったと思う。

ぼく自身、次の段階に、移行しようとしている。

この11月、野村誠の活動は大きな転換点を迎えるだろう。作風も大きく変化するだろう。活動の仕方も大きく変化するだろう。そんな予感がする。この時期をいい加減に過ごしてはいけない。じっくり、見つめなおしてみようと思っている。

う〜む、楽しみ。

ポスト桃太郎。

新しい時代に突入。

どうなる野村誠

今日は特別な日だった。この5年のプロジェクト「桃太郎」は特別なプロジェクトだった。

以上の日記を踏まえて

マルガサリの自立、そんなことを、ぼくはすっかり忘れていて、第5場を構成しようとしていました。さてさて、過去の日記を読み返して、もう一度、今から本番までに何をすべきか考えようと思います。