野村誠の作曲日記

2017-02-20 ことばの森裡

新幹線で京都に戻る。東京駅で新聞を買おうと思いながら、慌てて乗って新聞を買えず、仕方ないので京都までは読書。先日、古本屋で買って読みかけの「モーツァルト=二つの顔」があり、楽しく読書。購入したまま読もうと思いながら読んでいなオリヴィエ・メシアンの「リズムと色彩と鳥類学の論文」全7巻の第4巻のモーツァルトの楽曲分析を、今度読もうという気になる。そして、モーツァルトについて読んでいると、なぜか「だじゃれ音楽祭」の今後のアイディアが次々に湧き出るように出てくる。不思議なものだ。ちょうど京都駅に着く直前に読み終える。京都駅のキオスク京都新聞を購入してから、改札を出る。歌手柱本めぐみさんエッセイが載っている。ぼくは学生時代に、柱本さんの演奏で、メシアンの「ハラウィ」を聴いたことを思い出す。その横に、声楽家の青野浩美さんの「前例がなければ作ればいい」というコラムがあり、よくよく読むと、23歳で原因不明の神経性難病発症し、車椅子生活となり、25歳で気管切開をし、「気管切開をすると声を失います。でも、スピーチカニューレを使えば、しゃべることはできるかもしれない」が、歌うことは「無理です」と説明を受け、自分が前例になろうと思ったと言うのです。この記事が読めて、東京駅では売っていない京都新聞を、京都駅で購入したことを嬉しく思いました。(ちなみに、記事は、以下のサイトでも読めます。)

http://kyoto-np.co.jp/fukushi/column/zenrei/170220.html

そして、短歌のページの下の方に、「詩歌の本棚」という詩の紹介のコーナーがひっそりとありました。よくよく読むと、原発事故に対して詩人はどのように詩で表現してきたのかを、4人の詩人をとりあげて紹介している。そもそも、新刊の詩集が、こんなに出版されていること自体、知らないでいるので、有り難い限りです。ひとまず、この河津聖恵さんの新刊評の中で紹介されていた詩を以下に転載します。

北村真の「キハーダ」(ボートハウス

どれだけ 風にさらせば

音の間から青空が立ちあがるのだろう

どれくらい 打ちならせば

乾いた音はかなしみの海をわたるのだろうか

放射能に汚染され

薄暗い厩舎につながれたまま

取り残されて餓死した馬

たてがみを揺らし平原を駆けることも

干し草をはみながら

夕暮れの森をながめることもなく

キハーダひとつ

口の中に忍ばせた

馬頭の骨

木村孝夫「夢の壺」(土曜美術社出版販売

仮設住宅に住んでから

毎晩のように夢の壺に落ちた

壺の中で何度ももがいて

這い上がろうとした

夢を見る時間ばかりを歩いていたのだ

あの時会った見知らぬ人は

どうしているのだろうか

それから急に眠れなくなった

夢の壺に落ちる恐怖心からだ

夢の中では私も姿形がない筈

それでも現実の出来事に

情けない話だが

未だに睡眠導入剤を手放せない

金田久璋「賜物」(土曜美術社出版販売)

水辺に写る満開の

あやかしの花の枝振りは時差を彩り

水面は一面虚実の被膜

はなびらにしめやかに降り積もる

セシウム137・ストロンチウム90・ヨウ素131の微塵

水底に身じろぐミジンコのかそかな震えしも

田窪与思子「水中花」(ふらんす堂

けれど、ああ、水中花。

それは百花繚乱のニッポン。

Kawaii、ニッポン、水中花

放射能汚染水に封じ込められた、ニッポン、水中花。

蘇るのか、朽ち果てるのか‥‥

静かにたゆたう、ニッポン、水中花。

新聞の紙面の中に、いろいろ見落としそうな記事が隠れている。市バスに乗っている間に、とても良い時間が過ごせて、自宅に戻れた。家に帰ると、途端に外は大雨。濡れずにすんでよかった。

夜は、アバンギルドで「あたしの森裡」(小池芽英子、城戸みゆき、やぶくみこ、伴戸千雅子、やんぢゃ)を見る。ライブハウスでのパフォーマンスで、音楽、映像、美術、ダンスのパフォーマンスで、お客さんでタバコを吸う人がいないのか、この会場なのに、煙たくない。5人の様々な表現の重なり合いの森を体験。森には、客席でカレーなどの注文を運ぶ人や食べる人も含まれているだろうから、時々、客席の色々も気になりながら、鑑賞。客席の後ろの方で、思わず自然身体が動いている人がいて、この人はこれから出演するのかな、と注目したら、どうやら観客のようだった。とても動きがいいので、きっと良いダンサーだ。終演後には勇気を持って声をかけてみよう、と思って、終演後に近づいていったら、きたまりさんだった。やぶさんは、ガムラン楽器(グンデル、クンダン)、トイピアノ、他を演奏。森を巡ってのパフォーマンス創作過程で出て来た言葉を集めた「ことばの森裡」という冊子も100円で販売していたので、購入。何と言うか整理されていない言葉が、色々と散りばめられている。未整理な溢れるような創造エネルギーが、あっちからもこっちからも湧き出たらいいなぁ、と。この「ことばの森裡」を家に帰って読んでみるのも、また面白い。ああ、森のパフォーマンスは、もう終わったと思っていたけれども、まだ家に帰っても続いていたのかぁ。そうか、ひょっとすると昼に京都新聞を読んでいる時には、もう既に始まっていたのかもしれないなぁと、「ことばの森裡」と京都新聞を交互に読んでいたら、突如、お腹が痛くなり下痢トイレに駆け込み、とにかくお腹を暖めて、苦しみながら布団に入って寝ると、朝まで熟睡した。

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