野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

肥後琵琶リサーチ4回目

肥後琵琶の稽古4回目。後藤昭子さんのお宅で、岩下小太郎さんと3人で(途中で、小太郎さんのオンラインの生徒さんも合流)。里村真理さんが編集で関わった中野裕介さんのカタログが完成し、後藤さん、小太郎さんは、2年前の不知火美術館・図書館での中野裕介展で琵琶の演奏もし、カタログにも寄稿していただいているので、里村さんから預かりお渡しする。不思議なご縁である。

 

宮川光義さんの写真集『肥後琵琶夫婦讃歌』を見ながら、後藤さんのお話を聞く。山鹿さん宅に9年間毎週通われた後藤さんなので、色々なことを思い出しながら話をしてくださるのが興味深い。

www.kosho.or.jp

 

九州では「おはっつぁん」と言い、仏壇に炊き立てのご飯、お茶、水をお供えし、神棚にご飯と水をお供えするのだそうだ。ぼくの名古屋の実家では、仏壇にご飯をお供えするだけだったので、お茶や水もお供えするのかぁ、と新鮮。堀教順さんのお墓は琵琶の形をしていて、そこで山鹿さんが琵琶を持っている写真もあり、次回はこのお墓に行ってみようということになった。また、『千人まいり』と言って、地域の中で88ヶ所を決めて巡ることがあり、88ヶ所のうちの1ヶ所が山鹿さんの家だったと言う。

 

山鹿さんの演奏の動画を見ていると、語っていて琵琶を弾いていない時に、左手が随分と駒の近くに行くので、それが不思議だった。その疑問をぶつけると、肥後琵琶には、薩摩琵琶や筑前琵琶にはない『竹ざわり』というものがあり、それが外れないように調整していると言うのである。薩摩琵琶や筑前琵琶は、桑の木を使って楽器がよく響くが、肥後琵琶はセンダンの木などを使っていて鳴りが悪い。だから、『竹ざわり』をつけて響きを強調する必要も出たのでは、との推測も。『竹ざわり』は、肥後琵琶のセールスポイントになり得る特色と思った。

 

肥後琵琶の手の型について説明を受けていると、後藤さんが「山鹿さんのは、こうですね」と弾き始める。小太郎さんによると、この手は、山鹿さんの音源では聞いたことがあったが、どう弾いていたのか今まで謎だったそうで、それを突然、後藤さんが思い出して弾き始める。小太郎さんは興奮しながら、ビデオを撮られる。ぼくは次回までに、この手を練習してみようと思った。

 

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肥後琵琶リサーチは続く。

 

庭仕事/千住の1010人

もう長いこと、生ゴミを庭に埋めている。これで可燃ゴミが大幅に減らせるのと、埋めたゴミから想定外に野菜が出てくることもあり、出てこなくても畑の栄養になるからいいや、と埋めている。ぼくの作曲に似ている。鍵盤ハーモニカ、ペットボトル、廃棄された古瓦、だじゃれ、など、価値を見出されずに捨てられてしまう。だから、生ゴミから予想外の野菜が出てくることは、創作活動と似ている。

 

生ゴミを埋めるときは土をかぶせていた。しかし、猛烈に雑草が成長しているので、土をかぶせるかわりに大量の雑草をかぶせてみようと考える。そうすると、生ゴミを埋めるのと、雑草を抜くのがセットになって、庭の雑草勢力が少し減少する。ぼくの作曲精神からすれば、雑草こそ応援しそうなものだが、実は雑草はマジョリティで、そんな中で奇跡的に出てきた野菜の方がマイノリティなので、マジョリティに駆逐されないように雑草を減らしている。

 

などと、自分の庭仕事について、もっともらしく理屈を考えるが、要するに何か食べられるものができたら嬉しいのだ。

 

ただ、外での作業を長時間するのも考えもので、気象庁の予報でも黄砂やPM2.5が酷い。洗濯物を外に干してしまったが、部屋干しにすべきだっただ、と少し後悔。窓を閉め切ると暑い初夏のような気温なので、窓を開けて風を呼び込むが、なんだか痒いような気がし窓を閉める。とりあえず、家中に掃除機をかけて空気清浄機を稼働させる。うーむ。東南アジアの排気ガスの中で、ベチャやトゥクトゥクに乗って過ごし、大気汚染への耐性はあると思っていたが、そうした身体への酷使でのつけか、この歳になってアレルギーっぽい。免疫力高めなくっちゃ。

 

庭仕事や掃除も、どこか創作につながっているし、目的もなく本を読んだり、楽器をしても、それは創作につながってくる。どんなアイディアも、来年度に実施するつもりの《千住の1010人》につながるが、そうしたアイディアはメモしないと忘れてしまう。そこで、ボードにポスターの裏紙を貼って、そこに《千住の1010人》のアイディアをメモすることにした。

 

今日のメモ

 

1010人の『ねってい相撲聞』

playerでありlistenerであること

出演者(奏でる人)、観客(聴く人)という境界を行き来する

全員が「聴く」というパフォーマンスのプレイヤーになる仕掛け

 

楽譜あり+練習あり:202人

楽譜あり+練習なし:101人

楽譜なし+練習あり:202人

楽譜なし+練習なし:505人

 

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荒井良二がケンハモを描いている/世界のしょうない11年目/バルトーク

4月20日から刈谷市美術館で始まる荒井良二展のチラシが届く。絵が新しい。ちらしもニューボーン。ギターを弾いている人の横に、鍵盤ハーモニカを吹いている人がいて、小さなエレキギターを弾いている人がいる《生まれたばかりのぼくのギターの音はどこか遠くの家族のにおいがする》という絵。

arairyoji-nb.exhibit.jp

 

豊中市大阪音大、日本センチュリー交響楽団による「世界のしょうない音楽祭」の打ち合わせ。過去10年を踏まえた上での11年目の方向性を確認。

 

Amanda Bayley編『The Cambridge Companion to Bartok』(Cambridge University Press)読了。おそらく2001年にイギリスで購入した本で、昔は本は買っても、たまに開いたところを読み、何か触発されればいいと考えていたので、読了などあり得なかった。近年、1ページ目から最後のページまで全部読んでみることで、違ったものが見えるかなと思うようになり、全部読むことにしている。

 

www.cambridge.org

 

この本は15人の音楽学者による15の論考が載っていて、バルトークを様々な切り口で味わえるのが勉強になる。アメリカ時代、弦楽四重奏、12音的調性、などなど、色々あってどれも面白いが、最後に読んだバルトークの演奏の話が印象に残っている。《アレグロ・バルバロ》の自作自演で繰り返しの小節数が違っていたり、楽譜通りじゃない演奏が多々あるみたい。また、自作以外の演奏も残っていて、バルトーク夫妻によるテンポの伸縮するモーツァルトを、ストラヴィンスキー親子によるテンポ一定のモーツァルトと対比していたので聞いてみたら、本当にそうだった。

 

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「計画しない」を計画するー即興力とコミュニケーション

高松市美術館の開館・閉館の音楽の編集作業。閉館時刻が違うバージョンのものをつくる。要するに、「午後5時になりましたので閉館いたします。」を「午後7時になりましたので閉館いたします。」に差し替えるのだが、「午後7時」だけして言ってもらっていなくて、「午後7時」、「になりましたので閉館いたします。」とつなぐのだが、「時」と「になりましたので」がつながっていて、なかなか微妙につながらないので、結構手間取る。「午後7時になりましたので閉館いたします。」と言ってもらえば楽だったが、後悔先立たず。一応、全バージョンの初稿が完成。

 

今日は熊本の震災があった日で、熊本市現代美術館が災害とアートをテーマにしたトークを行いオンライン配信もあるので、オンラインで視聴する。日比野克彦さんが美術館の館長なので、司会というかモデレーターみたいな感じで、10人近い登壇者(金沢や東北からのリモート登壇者3名を含む)に話をふっていくと同時に、ご自身が能登に視察に行かれた時の現地報告などもされる。震災から3ヶ月ほど経っての現状を少しだけでも感じることができ、情報を橋渡しする存在の必要性を改めて感じる。

 

ライフラインとしてのアート」という副題もついていた。アートはライフラインのために存在しているわけではないが、ライフラインになり得るアートがあることは確かだ。ぼくは登壇者ではなかったので、ここに書いておくけど、マニュアルでは対応できない非常事態に対応できる即興力+互いに協力し合う人間関係がライフラインになり得る。要するに、

 

プラン通りに進まない柔軟な即興をすること

いろいろな人とコラボすること、

 

この二つをしておくことは、ライフラインになり得る。ライフラインだけを目的にアートをするわけではないが、プランされること、計画されたことを遂行することが多い日本の社会で、いかに計画から逸脱できる力を育む場を確保するか。その必要性が現代のアートに最も求められていることと思った。

 

このシンポジウムは、「熊本市第8次総合計画展」は、「計画」を感じる展覧会らしいので、強調しておきたい。災害は計画できない。紛争や事故も計画なく起こる。そういう予測不能な世界に対応していく柔軟さを獲得するために、我々は「計画しない」を「計画」する必要がある。「計画できないこと」を「計画」する必要がある。「計画」という概念を刷新する必要がある。

 

そこでキーになるのは、やはり「即興力」と「コミュニケーション力」で、それは人と関わるコラボレーションをすること、自分でルールを更新していく「遊び」とでも言うべきプランされ過ぎていない「ワークショップ」などに価値を見出せるとは、改めて思った。

 

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レインボー岡山のワークショップ/千住の1010人を考える日々

宇城市不知火美術館で本日より『マナブマベ・ツナグ』展が始まり、レインボー岡山さんのワークショップが開催されたので、ワークショップを見学に行ったが、参加できそうだったので参加した。

 

岡山さんは、派手な衣装を着ているが、ワークショップの進行も非常に控えめで、自分を全面に出してくるタイプではない。これだけ奥ゆかしいから、こういう衣装を着てレインボーマンに変身する必要があるのかもしれない。岡山さんが控えめなので、参加者の個性が目立つ。同じ変身するにしても、きむらとしろうじんじんとは違うなぁ、と思った。本日、創作した作品も、展示の一部になるらしい。楽しみだ。

 

2025年に開催する予定の《千住の1010人》について、今年度一年かけて作品をブラッシュアップしていきたいと考えていて、日々、漠然と考えている。忘れそうなので、日々、何かメモしておこう。

 

1)ウクレレなどの音量の弱い楽器に対して、手作りのポータブルアンプをつくるワークショップを開催するなど、音量の問題にクリエイティブに取り組みたい。

2)1010人の中に、五線のスコアなどで記譜されたパートと、甚だフリーに近いパートなどを共存させてみたい(先日、メメットの曲をだじゃ研でやってみて思った)

3)上演作品という形態をとりながら、それ自体が公開収録みたいになったり、リハーサルやワークショップみたいになったり、ゲームのようになったり、参加者同士の交流の場になったり、考えられる限りの自由で柔軟性のある形にしたい。

 

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レインボー岡山/香港の高校生

高松市美術館の閉館の音楽の調整をして後、不知火美術館で設営中のレインボー岡山(岡山直之)さんを訪ねる。明日から始まる展覧会『マナベマブ・ツナグ』展の準備をされている。岡山さんは、2001年に東京オペラシティアートギャラリーでの『出会い』展で、島袋道浩くんと《タコとタヌキ 島袋野村芸術研究基金》を開催した際に、基金の企画としてお招きして、トークなどしていただいた。泥団子を転がして子どもたちと描く抽象絵画、子どもたちと田植えをする、商店街の店舗にインタビューしてその内容を各店舗の前に展示する、など岡山さんの美術には、コミュニケーションが根底にある。久しぶりに岡山さんと話し込み、展示も見せてもらう。明日のワークショップに向けて準備中。

 

夜は、香港のCCCDの企画での高校生とのオンラインワークショップの3回目。宿題で作ってきてくれた曲を聞かせてもらったり、以前作った曲を聞かせてもらったり。メロディーは作れても、それに伴奏を作ってアレンジするのが難しいと言う。だったら、伴奏を先に作って、それにのせてメロディーを作ってごらんよ、と色々例示しながら説明した。

 

高松市美術館閉館の音楽

高松市美術館の開館・閉館の音楽を作っていて、「開館の音楽」、「閉館30分前の音楽」ができたので、本日は「閉館の音楽」に取り組む。

 

閉館の音楽は、合唱曲の《ライオンの大ぞん》を流したいと思い、最終的に、《おむすび山の磬の祈り》の冒頭で行なったサヌカイトの即興と《ライオンの大ぞん》とサヌカイトのワークショップの音源と野村が自宅で弾いたピアノの4者が交差する音楽になり、高松市美術館35周年のために行なった別々の作品やワークショップをコラージュして新たな作品をリメイクするのは、大変楽しい作業。

 

時々、気分転換に本を読んだり、将棋名人戦中継を見たり、楽器を弾いたりしては、音源の編集をする。一応、完成。一晩寝かせて、明日の朝に再チェックしよう。