野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

フィリピンからの贈り物/日本の音楽・アジアの音楽/佐久間と新井のダンス

フィリピンのDayang Yraolaから、Tシャツが届く。ぼくが関わった『Music for 1000 bicycles』と『Lstening Biennale』のTシャツ。こうやってプロジェクトのTシャツがあり、着る度に思い出せる。ダヤンにありがとうのメッセージを送ると、ダヤンがギギーと一緒にいる写真が送られてくる。インドネシアの作曲家Gardika Gigih Pradiptaが、今マニラのフィリピン大学に3ヶ月レジデンスしているようだ。ギギーが活躍しているのは嬉しい。

 

岩波講座『日本の音楽・アジアの音楽第2巻』読了。熊本市内の古本屋で安く売っていたので、全9冊を買っのだが、飾っているだけだと高い買い物になってしまうので、全集を全部読もうと思っている。ようやく2巻まで読んだ。肥後琵琶リサーチを始めているので、久保田敏子先生が書かれた章『盲人音楽ー音楽専業職能集団の内と外ー』が、特に興味深く読めた。

 

www.kosho.or.jp

 

琵琶に煤竹をつけた竹ざわりを参考に、琵琶にプラスチックやウレタンなどをつけて響きの変化を遊んでみる。音の変化は面白い。

 

佐久間新さん(ジャワ舞踊家)から、新井英夫さん(体奏家)とのダンスの実験の動画をシェアしていただく。ALSを発症し車椅子のダンサーとなった新井さんと佐久間さん、そしてヘルパーの板坂さん、そして二人のタクヤ(音楽家の大井卓也さんと小日山拓也さん)がサポートしながら、身体と向き合う時間。大変刺激を受けるものだった。

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肥後琵琶リサーチ#5

2月28日に琵琶を購入してから、まもなく2ヶ月。熊本に移住してから、もうすぐ3年。肥後琵琶について、色々学ぶ日々が続く。本日は肥後琵琶リサーチ5回目。南関町地域おこし協力隊で肥後琵琶奏者の岩下小太郎さん、最後の琵琶法師とも言われた山鹿良之さん(1901-1996)から9年間琵琶語りを習ったという後藤昭子さんと。

 

玉名市立歴史博物館に晴眼者の琵琶奏者永松大悦さんが使っておられた肥後琵琶と達筆に書き綴った譜本が展示されているとのことで、見に行く。譜本は、戦争で物資が不足する中で、徐々に紙質が悪くなっているとのこと。

www.city.tamana.lg.jp

 

移動中の小太郎さんの車内のBGMは肥後琵琶の貴重な歴史的な記録音源が鳴り続ける。永松大悦さんの演奏を聴くと、琵琶は完全5度と4度の音程に調弦され、語りや歌の声と琵琶のピッチは、明確に連関しているのが聞き取れる。それが、単に合っているだけでなく、独特のグルーヴ感や揺らぎを持ちつつ、説得力がある。なるほど、山鹿さんの琵琶の調弦がユニークなのは、アート・リンゼイのギターの調弦が唯一無二であるのと同様。ロックギターの定型を知っている耳にアート・リンゼイの斬新さが魅力的であるように、肥後琵琶語りの定型を知った耳で聴くと、山鹿さんの特殊性の魅力が際立ってくる。山鹿さんの琵琶語りの魅力に迫るために、他の琵琶弾きの音源に耳馴染むことの必要性を痛感した。

 

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南関町まちの駅ゆたーっと、にて肥後琵琶定期演奏会。毎月1回開催していて、入場無料。南関の特産品(南関あげ、南関そうめん)の販売、廃校になった南関高校の美術工芸コースの卒業制作作品の展示も行われている。観客の高齢の方が多い。小太郎さんが導入に端唄を歌い、後藤さんが『道場寺』を語る。よく考えると、男性の芸として伝えられてきた肥後琵琶で、清姫の言葉を女性の声で語られるのは、希少な機会であることに気づく。最後に、小太郎さんが『狐葛の葉』を語る。狐の小別れのシーンは、当時子どもの出兵を経験した人に、リアリティがあるものとして受け取られていた、とのこと。肥後琵琶の様々なストーリーを、現代人がどのような文脈で真実味を持って聞けるかも、肥後琵琶を21世紀に着地させていくための課題の一つかもしれない。肥後琵琶が過去の遺産となるのか、21世紀の生きた芸能として続くのかの瀬戸際で、小太郎さんのような意欲的な方が存在することは本当に大きい。岡田利規さんがオペラ《夕鶴》を演出した際に、テキストは一切変えないにもかかわらず、ポスト資本主義、ポストトゥルース時代の演劇として描くことに成功していたことを、ふと思い出す。

 

山鹿さんの家があった場所(現在は更地)を経て、山鹿さんの位牌がある善光寺にお参りし、玉川流の始祖の堀教順さんの琵琶の形をしたお墓に墓参りをする。山鹿さんは堀さんの孫弟子にあたる。お花をお供えし、後藤さん、小太郎さんがそれぞれ琵琶語りをされる。ぼくも即興でご挨拶演奏をさせていただく。

 

片道2時間近い移動の帰り道も、ずっと琵琶の音源を聴きながら移動。後藤さんのお宅で夕ご飯もご馳走になり、肥後琵琶の世界を少しずつ教えていただく。インドネシアジョグジャカルタに住んだ時、カラウィタン(ジャワガムラン古典音楽)の奥深い世界を少しずつ体感していくプロセスを思い起こす。こうしたご縁に感謝。

 

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合唱の思考 柴田南雄論の試み

永原恵三『合唱の思考 柴田南雄論の試み』(春秋社)読了。宇土ブックオフに入った時、自分が読みたい本はないだろうと、ぼくは舐めていた。しかし、そこに、この本があり、郊外のブックオフに、柴田南雄に関する本がある熊本の文化度の高さに感激して購入。《追分節考》などのシアターピースで知られる作曲家のアプローチに、インドネシアのSutantoのことを思い出す。柴田南雄の音楽を通して、《千住の1010人》について色々考える機会をもらえた。

 

www.shunjusha.co.jp

 

空間的な音楽は、なかなか動画では体感しきれないけど、この曲の演奏動画も複数ネットに公開されている。よく考えると、この曲は団扇を指揮に使う作品である。ぼくが《帰ってきた千住の1010人》(2020)で、ファンファーレとして、ファとレが書いてある団扇を考えて、そのために巨大な団扇を準備した。その団扇は、《タリック・タンバン》(2023)の世界初演の時に使った。こんなところで柴田南雄と繋がれたのは嬉しい。

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竹野相撲甚句とテトラコルド/永田法順さん/今年も門限ズ

朝起きて、突然、竹野相撲甚句の分析をし始めた。どういう特色があるのだろうと、前唄と本唄について分析していくと、小泉文夫のテトラコルドの考えが有効。

 

1 レファソ

2 ラドレ

3 ドレファ

4 ソラド

 

という4つのテトラコルドに分解してピッチだけに着目する。(2は1の完全5度上、4は3の完全5度上)

 

本唄は、2→1→4→1→3→1→4→1となっているが、前唄も2→1→2→1→4→1→3となっていて、拍にのって歌う本唄と、こぶしを聞かせて朗々とテンポなしに歌い上げる前唄は、ある意味、同じ流れを違う時間感覚で進んでいる。ということは、分析しなくても体感としてはそうなのだけど、でも、そうなんだなぁ。

 

ちなみに、この完全5度の関係にあるテトラコルドを増4度にすると、途端に不穏な響きになりメシアンの「移調の限られた旋法」第2番の構成音になる。肥後琵琶の山鹿さんの調弦が時に前衛的に聞こえるのは、完全5度や完全4度に調弦せず、調弦が狂っている(あるいは狂わせている)ことが一因だと思う。これから、山鹿さんの調弦はどう狂わせているのかを研究していきたいと思っている。調弦を狂わせれば弦同士が共鳴しなくなるので、結果として楽器が鳴らなくなる。だから調弦するのが一般の考え方だが、肥後琵琶は楽器の鳴りを補うために、「竹ざわり」をつけてプリペアド琵琶にする。山鹿さんは、それでも余韻が短いからか、全部の弦を太い弦にして低い調弦にしている。ぼくは、そこが面白いと思う。

 

facebookに肥後琵琶について英語で投稿したのだが、日本語話者の方々からも反響が色々あり、永田法順さんという日向琵琶の最後の琵琶法師という方の存在を教えていただく。隣の宮崎県に行くだけで、全然違って面白いものだ。

 

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門限ズとユニバーサル舞台芸術実行委員会と佐伯市桜ホールとでのオンライン会議。今年度、実施する予定のプログラムについて。

 

mongens.wixsite.com

 

本日は、里村さんの仕事がお休みで、家の掃除や片付けを二人でいっぱいやり、里村さんはDIYで棚も作っていた。片付けがはかどり、リフレッシュする日だった。

 

 

トーマス・マン/橋口桂介さんの琵琶語り/千住の1010人と天候

我が家では、毎晩寝る前にトーマス・マンの『魔の山』を朗読するとよく眠れるので、毎日、朗読をしているが、すぐに寝てしまうので、少しずつしか進まない。でも、ついに上巻を読み終え、明日から下巻に。上巻の最後は、それなりにドラマだった。はたして、下巻を読み終えるのはいつだろう?

 

1000ya.isis.ne.jp

 

肥後琵琶にも色々ある。最後の琵琶法師と言われた山鹿良之さんが1901年生まれだが、橋口桂介さんは1914年生まれ。演奏も、山鹿さんのものとは随分印象が違う。今日は一日中、橋口さんの演奏を聞いていた。

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熊本は雨が続き、なかなか洗濯物を干せない。2025年に『千住の1010人』を開催するにあたって、天候のことを考える。晴天がよくて雨天がダメとしてしまうのでなく、雨は雨で雨の音とも共演できるとも言える。どんな天候にも対応できるように準備することって可能なんだろうか?昨年の『ガチャ・コン音楽祭』では、途中で豪雨があり、途中で雨はあがり、天気の変化自体が本当に劇的だった。天気に左右されずに開催するために、プロ野球ドーム球場を作り、大相撲は国技館を作ったけど、野外で公演するならば、天気の影響を受ける。天気をコントロールすることはできない。でも、天気に順応することならできる。どう考えるのか?そこは要検討。ちなみに、2014年に『千住の1010人』を開催した際は、台風の到来が予定より一日遅れて奇跡的に雨が降らず開催できた。翌日はどしゃぶりになった。

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3分音/千住の1010人の人数構成について

庭でミントが育っているので、採れたてのミントでミントティーを入れてみる。ハーブの生命力はすごい。

 

モーリス・オアナの作曲作品はしばしば「3分音」を使用するのだが、作曲家曰くスペインなどの民謡には、3分音は自然に出てくるのだと言う(ドビュッシーブゾーニが考えていた3分音による18音平均律よりも、もっと民謡ベースでできてきたもののようだ)。平均律の半音が100セント、四分音が50セントなので、とりあえず、66.7セントくらいで、3分音に箏を調弦してみる。なるほど、このくらいか、と思いながら、3分音の箏で即興して遊ぶ。

 

『千住の1010人』は、2014年に開催し、その6年後の2020年に再度開催する予定がコロナで開催できず、2025年の開催に向けて動いている。出演者を1010人集めるのが非常に大変だが、千住という地名で「だじゃれ音楽」をやっているので、2014年も必死になって1010人を集めた。

 

2014年に作曲した際に考えたのは人数だった。作曲にあたって、応募にあたって、楽器と人数を想定した。それは以下のようなものだった。

 

弦楽器(142)

ギター(50)

ウクレレ(90)

箏(2)

 

管楽器(254)

金管(30)

木管(50)

リコーダーなど(70)

鍵盤ハーモニカなど(104)

 

打楽器(301)

紙ドラム(50)

ジャンベなど(60)

瓦(100)

炊飯器/フライパン(50)

ガムラン(25)

ピパート(15)

小鼓(1)

 

行為(255)

犬の散歩(101)

紙飛行機(100)

凧(10)

キャッチボール(4)

なわとび(10)

売る人(30)

 

進行役(58)

ヤッチャイ隊(30)

だじゃれ音楽研究会(25)

指揮(3)

 

2025年バージョンでは、この人数を想定しないで進めたい。募集はするが、どんな比率で人が集まるかは、集めてみたいと分からない。色々な層を満遍なく集めようとしても、結果はそうならないだろう。ウクレレを90人と設定したのは、ウクレレは音量が弱いので最低でも90人はいないと音で負けてしまうと思って90人に設定した。でも、そんなに集まらなかった。集めた結果、マイノリティになるパートが絶対に生じる。数にばらつきは当然できる。でも、ぼくが作りたい音のイメージに合わせた人数比で人を構成するのを目指すのをやめよう。とにかく参加を表明して集まった人のバランスがぼくの想定を超えるアンバランスであろうと、野村+音まち事務局+だじゃ研の即興力/現場力で、その場でアンサンブルを成立させる調整をしよう。その方が絶対に面白い。

 

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サンリオ展と藤浩志

熊本市現代美術館で、明日から開催される『サンリオ展』の開会式と内覧会に参加。熊本会場では特別に藤浩志さんが出品しているので、藤さんご夫妻にお会いするのがメインの目的。

sanriocharactermuseum.com

 

サンリオの創業が1960年で藤さんが1960年生まれとのことで、同じ年であるらしい。藤さんは、サンリオのグッズだけを使ってインスタレーションをしていた。日比野克彦さんの参加型の作品も、熊本会場だけでの特別企画。

 

展覧会は、『ニッポンのカワイイ文化60年史』という副題がついているので、サンリオ以外にも様々な「かわいい」文化が登場するのか、と言えばそうではなく、サンリオの60年史である。また、『ニッポンの』とついているので、海外にどのように受容されていったか、などがあるのかと思ったが、そうではなく、『ニッポンのカワイイ文化』が日本においてどのように受容されていったかの歴史であった。

 

あと、『カワイイ』がキーワードになっているが、実はそんなに『カワイイ』が強調されているわけではない。「ぶりっ子」、「いじめ」、「ベトナム戦争」など様々なテーマに対する読者の投稿が生々しい『いちご新聞』は印象的で、単なる消費ではなく参加していくところが面白く、その意味で、本展が藤浩志や日比野克彦の作品で、「共につくる」あり方を提示しているのは合点がいった。

 

今回の展示で知ったのだが、藤さんが「かえっこ」を始めて24年とのこと。ぼくが「しょうぎ作曲」を考案したのが1999年。「しょうぎ作曲」で一つの価値観に回収しないやり方での多文化共存としての共同作曲のやり方を提示してから25年かぁ。東西冷戦が終わり、アメリカ一強時代、9.11のテロが起こる少し前の20世紀の終わりのことだった。

 

あれから25年、無我夢中で活動してきた。義務感とか責任感とかじゃなくて、本当に面白くて楽しくて、のめり込むように続けてきた。でも、楽しんで活動していく中で、社会の中で無視されている声をいっぱい耳にして、少しでも力になりたいと思って活動してきた。でも、深刻になりすぎると自分らしさを失ってしまうので、常に楽しくユーモアを交えて伝えてきた。楽しそうだったり、ユーモラスだと真剣に聞いてもらえない時もあり、深刻そうだと重たくて聞いてもらえない時もある。だから、ずっと伝え方を模索してきたし、今も探している。楽しいことと深刻なことが両方あるようなことを、現実に正面から向き合いながらファンタジーであるようなことを、やってきたし、やっていくぞーー、と藤さんとの再会とサンリオ展から思った。