Hatena::ブログ(Diary)

高山真のよしなしごと

2017-12-11 サイゾー『羽生結弦の「戻ってくる世界」を考えてみた』加筆

 12月9日のエントリー(『羽生結弦は助走をしない』という新しい本が出ます)の中で、サイゾーさんのエッセイのアップ日を間違ってお知らせしてしまい、申し訳ありませんでした。

 サイゾーさんに原稿を送ったのが土曜日。この時点で担当さんに思いっきりイレギュラーな時間帯にお仕事をさせてしまっているわけでして、本当にさまざまなところにご迷惑をおかけしているなあ、と……。反省しきりです。

羽生結弦が足の痛みがひかず、まだ氷の上での練習ができていない」というニュースを目にしたのが日曜日。ですから、サイゾーさんのエッセイにはこの情報が反映されていません。このことについての私なりの思いを、追記のような形でこのブログで少々書かせていただけたらと思います。

 私はサイゾーさんの過去のエッセイで、「羽生も宇野も、自分を追い詰めすぎるくらいに追い詰める性格で、私の胸には痛いくらい」と書いたことがあります。今でもその気持ちは変わっていません。

 だから、語弊のある表現かもしれませんが、羽生が「治療を優先させている」ことに、ちょっとホッとしたくらいです。「痛みをおして氷の上での練習を再開している」というニュースを目にしたら、もっともっと心穏やかではいられなかったでしょう。

 サイゾーさんのエッセイに書きましたが、私は、羽生結弦平昌で素晴らしいパフォーマンスを披露することを露ほども疑っていません。それは誰よりも羽生自身が強く望んでいることでしょう。

部外者の私が僭越なことを言っている」という自覚は深々とありますが、羽生自身の強い思いを実現するためならば、全日本をスキップすることも視野に入れてほしいなあと考えています。

 大会に優先順位をつけること……。これも、部外者の私がしてはいけないことだと承知していますが、オリンピックを最優先に考えてほしい。一介のスケートファンのわがままだと知っていますが、羽生結弦が(そして、出場する全選手が)オリンピックでもっとも大きく、強く、美しく輝けますように。そう祈ってやみません。

 私としては、いま、羽生結弦自身が、ポジティブな気持ちで日々を送ってくれていることを望むのみです。

2017-12-09 『羽生結弦は助走をしない』という新しい本が出ます

 ずいぶんご無沙汰してしまって申し訳ありません。実はずっと新しい本の執筆に取り組んでいました。

 1月17日に、集英社さんから『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』というタイトルの新書を出すことになりました。

 私が初めて「仕事」としてフィギュアスケートのことを書き始めたのは2016年3月。サイゾーpremiumさんでの連載がきっかけでした。このブログでは「フィギュアマニア歴〇〇年」というタイトルで、何度かフィギュアスケートのことを書いていることは、推定5人の読者のみなさんはご存知かもしれません。ま、「ずっと読み続けてくださっている読者の方」にまで範囲を狭めると、推定2人くらいだと予想していますが。うふふ。

「あまりに好きすぎるものは、仕事にしないほうがいい」というテーゼを、私はわりと長いこと信じてきました。ですから「サイゾーpremiumさんでポツポツ書いていければいいかな」くらいの気持ちでいたのですが、それを変えてくれたのは友人の言葉です。

 体調が上向いてきた今だから言えますが、春から夏にかけて、「今のうちに遺言状を書いといたほうがいいかも」とまあまあ覚悟をするような状態でした。それを友人に言いましたら、

遺言状より先に、書くべきものがあるはずでしょ。私は、アンタのフィギュアスケートのエッセイかなり好きよ。ああいう視点で書いてるの、いかにもアンタらしくて。まずは書き溜めることから始めてみたら? それがこの先、日の目を見るかどうかより、書いていくうちにもしかしたら、体調面でも仕事面でも新しい扉が開くかもしれないでしょ。そちらのほうに期待をしたいわ」

 と発破をかけられたのです。私も私で、

「ま、確かにそれも一理あるわ。書くことはベッドの上でもできるし。それで結局『遺言状がわりの文章がフィギュア関連のことで埋め尽くされている』なんてことになったんだったら、逆におしゃれよね」

 と、前向きな気持ちを取り戻したのです。どこに売り込みをすると決めたわけでもなく執筆を続けていく中で、手術もわりとうまくいき、体調も上向いてきたのですから、不思議なものです。

 私は、集英社の『小説すばる』という文芸誌で期間限定のエッセイの連載も持っているのですが、『小説すばる』の担当編集の方と、電話やメールではなく久しぶりにお目にかかっての打ち合わせを、秋の終わりにしました。そのときの軽いおしゃべりの中で、フィギュアスケートのことをあれこれ話していましたら、

フィギュアスケートのこと、1冊の本にまとめられませんか? 私は文芸の編集なので難しいんですけど、社内の別の部署の人間に話を通したい」

 と言ってくださって。

 そんな素敵なお申し出をいただいたのに、私ったらワガママをひとつ言いました。

「出版される・されないは、私の文章力や構成力、ものの見方が深いか浅いかといった、私の『能力』の問題なので、出版されないことになってもなんの文句もありません。でも、もし出していただけることになりそうなら、可能な限りお手頃な価格で読者の方にお手に取っていただけるようにしたい。そういう部署の方とつながりはありますか?」

 フィギュアスケートファンの方々は、チケットをとり、試合会場やイベント会場がご自宅から遠い場所であれば交通費やホテル代まで考えなくてはいけません。私も体がしっかり動いていたころは、「どうやってやりくりしようかしら」とよく考えていました。私の場合はファッションヴィクティムでもあったので服飾代もかさんでいたし、病気のお母様の面倒を見ながら昼も夜もなく働いていた恋人が生きていた頃、そして彼が先に亡くなりやがって病気のお母様が残されてしまった後は、お母様の医療費バックアップを自分なりにしていた時代もありました。なので、「どんな状況であっても、フィギュアスケートを観に行きたい!」という気持ちを経済面でも叶えるのは大変だ、ということは知っています。

フィギュア好きの方々にもお読みいただけるものにしたいのならば、やはりなるべく価格は抑えたい」

 というのは、生意気ながら譲れないラインだったのです。『小説すばる』の担当さんは私の気持ちをくんでくださり、新書の編集部の方をご紹介くださいました。そして新書の担当さんからゴーサインが出て、さらに気合を入れてパソコンに向かい、原稿用紙で280枚ほどの原稿を書き、こういう運びになったわけです。

 遺言状のつもりで書いていた文章が、数か月後、1冊の本の中に入る。ご縁や流れというものは本当に不思議です。

 サイゾーpremiumさんで書いていたエッセイのいくつかも、加筆・再構成をして入れています。ものすごく生臭いことを言ってしまえば、サイゾーpremiumさんには1円も入らない案件なのに、サイゾーpremiumの担当編集の方も手放しで喜んでくださって。集英社さんとサイゾーさんの間で面倒くさい話し合いは一切ナシ。つくづく、いい方ばかりに恵まれている幸せを実感しています。そんな太っ腹な姿勢を見せてくださったサイゾーpremiumさんで、まだまだフィギュアスケートのエッセイを続けさせていただきたいな、と新たな欲も生まれています。

 まだすべての作業が終わったわけではないのですが、かなり形としてはまとまってきました。

羽生結弦の演技のツボ」という観点で、2010年の世界ジュニア選手権フリーの『パガニーニ』から、今シーズンの『ショパン バラード第1番』&『SEIMEI』まで、私が目を引かれた演技の「ツボ」を、箇条書き形式を織り交ぜて書いているのですが、その部分だけで100ページほどあります。目次やまえがき・あとがきまで含めて全250ページほどの本のうち、100ページ。読み返してみて、あまりの分量に自分で笑ってしまいました。

オタクとは空気も流れも読まないもの」と、一介のフィギュアスケートオタクの私は常々言っていますが、それを自ら証明するかのような…。でもまあ、「羽生結弦のすごさ」ですとか「羽生結弦がシーズンごとにどのように飛躍的な成長を遂げていったか」を私なりに書くために、必要な分量であったことは、ご理解いただけたらなあと思います。

サイゾーさんに12月11日にアップされる予定の「羽生結弦の『戻ってくる世界』を考えてみた」というエッセイで書いた、オータムクラシックショートプログラムの「ツボ」の完全版も当然ですが入っています。「長い・ウザい」と言われることは百も承知でございます・笑)

★申し訳ありません。エッセイのアップ、「12月10日」だと書いていましたが、担当さんからのメールを再読したら「12月11日」でした。お詫びして訂正いたします。

 さて、体力の問題もありますので、今日のブログはここまでで…。また数日後、続きをアップできればと思います。

2017-09-20 安室奈美恵の引退に想う

 安室奈美恵の引退のニュースに、周りの若いオカマたちが阿鼻叫喚の様相を呈しています。その気持ちはわからなくもありません。あたくしも、ジャンヌ・モローが亡くなったときは似たような感じになったし、今後、松田聖子ユーミンが引退したらそんな感じになることでしょう。ただ、「聖子やユーミンは絶対に引退しない」という確信に近い思いも抱いているのですが。

 安室奈美恵は、なんと言うか、「芸能人の中で、もっとも歌とダンスが好きな人」であり、同時に「芸能人の中で、もっとも芸能界が大嫌いな人」だと、あたくしは思っています。(メディアまでを含めた)日本の芸能界について回る、ズブズブな感じとか、しがらみだけで回っている感じとか、芸事だけでなく何もかもを売り物にしてしまおうとする感じとか。

 大好きな歌とダンスを極めれば極めるほど、その人気は高まるけれど、人気が高まれば高まるほど、本名の「安室奈美恵」にまつわるあれやこれやまでが否応なく人目にさらされることにつながってしまう。安室奈美恵は、25年間のキャリアの、たぶん20年近くは、そのジレンマの中で生きてきたのではないか、と。

 そのジレンマを最初から感じない人だったり、そのジレンマを飲み込んでも「売れたい!」と思える人だったり、あるいはすべてを人前にさらすこと自体が喜びになってしまう人でないと、芸能界というのは、生きていくこと自体が難しい世界なのかもしれません。いや、そういう人であったとしても、安室奈美恵クラスのジレンマに耐えられるかどうかは正直わからない。あたくしの知る限り、そのクラスのジレンマを受け止めているのは松田聖子くらいものですから。

 誰よりも突出した「芸能」の才能を持ちながら、「芸能界」には最後までなじめなかったフツーさを併せ持つ。それこそが、安室奈美恵を唯一無二の存在にしていたのかもしれません。一年後からは、本当に静かな生活だけを望むアムロちゃんが今から想像できるようです。ここからの長い人生、せめて彼女が、本当に望んでいる生活、あれほど好きだった歌とダンスを捨ててまで欲しかった生活を手に入れられますように。

 そういえば、『小説すばる』(集英社)、発売されています。よかったらぜひご一読くださいませ。

2017-08-26 『一年ののち』はサガン

 肝臓がんの告知を受けて2年が経ちました。この2年で何度か入院して手術をしましたが、告知されたときに自分で予想したよりは平穏な日々を過ごせています。正直、「お鮨やお蕎麦は大丈夫だろうけど、ケーキ禁止令とかイタリアン禁止令とか天ぷら禁止令がでたらどうしよう」と震えあがりましたもの。

「そこ!?」と思った方もいるでしょうか。でもあたくしにとっては、寿命が2〜3年伸びることよりも、日々の生活の『好きなこと』がなくなってしまうことのほうが重い問題だったのです。ダンナ(仮名称)はあたくしと食事をする際、お店をいろいろ悩むのが定石なのですが、その悩み方が「少ない選択肢の中から選ばざるを得ない」のか、それとも「お互い好きなものがたくさんかぶっているがゆえの嬉しい悩み」なのか、そこは本当に大きな問題ですものね。

 先日は久し振りに神楽坂の「おの寺」へ。コストパフォーマンスの素晴らしさゆえ、予約が非常にとりづらい和食のお店です。前回行ったのは、あたくしの病気が発覚する前だったはず。今回も、最初のお皿の「お野菜のおひたし」から、お出汁の深みと切れ味を堪能したわ。お出汁の素晴らしさに加え、もうひとつ。トマトには岩塩、アスパラガスにはキャビア…と、違ったものがちょこんと乗っているのも素敵。野菜ごとに「この塩っけで、このエクストラな味つけで食べてほしい」という、さりげなくも素敵な心遣い。すべてのお料理から、そういった「しっかりとしたベースに加えた、ちょっとしたサプライズ」が感じられる。カチョカバロが入った茶碗蒸しも大好物。最後の「アジの炊き込みご飯」なんておかわりしちゃったもの。病人とは思えない、相変わらずの健啖家…。うふふ。

 頻度は確かに減りましたが、ケーキも楽しんでいますわよ。ケーキ禁止令が出ていないおかげで、小説すばるの連載も続けていられるわけですから、ほんとうにありがたい。お声がけをいただいたときは、半年の連載予定だったのですが、そこから1年伸びて、全18回の連載になったのは、ひとえに推定4人の読者の皆様のおかげです。それをまっとうできそうで本当によかった。9月号が8月17日に発売されています。よかったらご一読くださいませ。

2017-08-03 追悼 ジャンヌ・モローに捧ぐ

チュマディジュテム

ジュテディアトン

ジャレディフプフモア

チュマディヴァトン


「愛してる」とあなたは言った

「待って」と私は言った

「抱きしめて」と言おうとした私

「行っちまえ」とあなたが言った


 この文章は、私が生まれて初めて言葉に出したフランス語と、その日本語訳です。フランス語のほうは耳だけで覚えたものでしたから、それがどんな綴りなのか、どの音がどの意味になっているのか、それ以前にカタカナで認識したこの音は発音として正しいのか、何もかもわかりませんでした(実際、あとで調べたら微妙に間違っていました)。1984年、私が14歳のときのことです。

 この4つの文章は、『突然炎のごとく』という映画の、最初のモノローグです。何かの手違いで偶然録画した、テレビの深夜映画。田舎の漁師町の中学生だった私は、雷に打たれたようなショックを受けました。こんな世界が、こんな考え方があったなんて、と。

 当時はまだビデオテープの時代です。あまりにも繰り返し見たために、17歳のときにはテープが擦り切れてしまいました。レンタルビデオ店もなかった時代、実家から電車で1時間弱かかる街のレコード屋で売られていた正規のビデオは1万5千円くらいしたのです。手など出るはずがありません。そしてその分、私はますます作品が描く世界に思いを募らせることになりました。私は、東京より先に、パリに憧れを抱いた人間なのです。

突然炎のごとく』は、1960年代フランス映画で、ものすごく俗な言い方をしてしまうと、三角関係(時々、男が3人に増える四角関係)を題材にしています。この作品で、私が何よりも惹かれたのは、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌが、男たちの間を『不誠実』ゆえに行ったり来たりしていたようには断じて見えなかったことでした。

「1対1の関係をずっと続けることが誠実である」というテーゼは、あの映画が公開された60年代初頭は、いまよりもさらに強力なものだったでしょう。カトリーヌは、ほとんど映画全編にわたって、「演技」というよりは、ある種の「反抗」や「問いかけ」をしているように私には見えたのです。それは、こういったことでした。

「自分の気持ちにとことん誠実に向き合ったゆえに生まれた行動が、はからずも、『1対1の関係性』とか『結婚制度』みたいなもの……、要するに『現在の常識』への『裏切り』になってしまったとき、『自分自身に対する誠実さ』のほうを通せるか。しかも、パワフルに、かつエレガントに」

 素晴らしい映画が投げかけてくるものは、観る人それぞれが抱えている「何か」にダイレクトに響きます。ですから、上に挙げた問いかけ以外の「強い何か」を受け取った人も、それこそ人の数だけあるでしょう。ただ、少なくとも私は、ずっとジャンヌ・モローに「あなたは、どう?」と問いかけられているような気がしたものです。

 この映画の中で、ジャンヌ・モローは風のように軽やかでした。口ひげを描いて男装し、男ふたりを従えるようにして鉄橋を駆け抜ける。海岸沿いの道を自転車で駆け抜ける(ウディ・アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』で、このシーンのオマージュがありました)。ギターのシンプルな伴奏に乗せて歌う、映画のテーマそのもののような内容の『つむじ風』……。

また、この映画の中で、ジャンヌ・モローは火のように激しくもありました。観劇のあと、男ふたりが、女に対する偏見丸出しの議論を交わしている横で、セーヌ河に飛び込んでしまう。映画のセリフを借りれば「プロテスト」の、もっとも強力な表現。偏見丸出しで持論をぶっていた男は、青い顔をして口をつぐみます。ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌが「君臨」した瞬間でした。

 14歳のときに、ジャンヌ・モローから「あなたは、どう?」と問いかけられたとき、私の人生は、なんとなく決まったのだと、今にして思います。

 高山真の名前でいままでに出した本は、振り返ってみたらすべてが「アタシはいま、これこれこんな理由と決断で、こんな感じなの。で、あなたは、どう?」というトーンで書いていたような気がします。いちばん新しい『恋愛がらみ。』という本は、「お悩みにこたえるQ&A方式の本なのに、回答というより、自分の考えを述べたあとで読者に決断を投げるような文章だ」と言われたことがありますが、私はそう言われたときに「そりゃそうだわ」と、非常に嬉しく感じたものでした。私は、やっぱり、ジャンヌ・モローの娘だわ、と(もちろん、ジャンヌ・モローが創ってきたものと私が創ったものに雲泥の差があることは深々と自覚していますが)。

 2002年、ジャンヌ・モロー来日したときに1対1でインタビューができたことは、死ぬまで私の宝です。その宝から、やりとりをひとつ、推定4人の読者の皆様に……。

高山「あなたのように、長期間充実した人生をおくるために必要なものはなんでしょう」

ジャンヌ・モロー「好奇心。そして、その好奇心を分け合える人の存在ね」

 即答でした。

 ジャンヌ・モロー、安らかに。日本の片隅の小娘ゲイに、「あなたは、どう?」と言い続けてくれて、ありがとう。