Hatena::ブログ(Diary)

高山真のよしなしごと

2016-08-18 ケーキを食べればいいじゃない

 集英社から昨日発売された『小説すばる』という文芸誌で、連載が始まりました。『小説すばる』の編集者の方からご連絡をいただいたのは、今年の2月の頭だったかと思います。1月に発売されたエッセイ『恋愛がらみ。 不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)をお読みくださって、『小説すばる』のリレー式のエッセイ「思い出ステーション」執筆のご依頼をいただいたわけです。

 読者の方々に笑っていただきたい原稿であれ、どうにもしんみりしてしまうような原稿であれ、いままでに載せていただいたすべての媒体、すべての原稿で、私なりに努力をしてきたつもりではありますが、文芸誌からご依頼をいただくことは想定のはるか彼方にあったことで、メールをいただいたときに本当に驚いたことを覚えています。で、4月号の「思い出ステーション」で鶴瀬駅のことを書き、しばらく経ってから、小説すばるさんから今度は連載のご依頼があったのです。

 連載のテーマは、ケーキ。私の人生を、本当に多くの場面で彩ってくれたケーキたちです。「高山真」としてのキャリアのスタートは、ラブピースクラブさん。「ノンケのオトコの子ちゃんの落としかた」を、自分の生活やものの考え方にからめて書き始めたのが15年ほど前でした。今回のテーマである「ケーキ」でも、そういったことができればと思っています。美味しく食せるものを、いろんな角度から見てみる…。ほんとあたくしったら、15年間変わっていませんことね。うふふ。

 最愛のケーキをご紹介しつつ、自分の来し方も振り返ることができるようなもの、そして、読んでくださる方々それぞれに何かを感じていただけるようなものにしたいと思っています。第1回目の原稿では、それができているでしょうかしら…。

 何かの機会にご一読くださるのなら、本当に嬉しいです。そして、わがままを申しますが、もし何かを感じていただけたのであれば、『小説すばる』さんを通じてご感想やご指導をいただけたら、さらに幸せです。

2016-07-20 肝臓がんを得て、より明確になったこと

がんのことを公表し、このブログでもその病気をベースにした日々のことを書くようになってから、できている場所は違えど同じ病を持つ方、またはお身内に同じ病を持つ方からのメールを頂戴するようになりました。

いただいたメールにはすべて、自分なりに考えていること、病への私なりの向き合い方をお返事したつもりではあります。が、先日いただいた、奥さまのサポートをなさっている方(Aさんとさせてください)からのメールに、化学反応のようなものが自分の中で起こりまして、最近ではいちばん長いお返事を書きました。

Aさんは、私に下さったメールに「お金を出すこと、簡単な家事、笑わせることくらいしかできない自分が歯がゆい」とお書きになっていました。同時に、「この病気に対して『ふてぶてしい』というスタンスで臨んでいることに、勇気づけられた」というご感想もくださいました。

そのメールを拝読したとき、なんと言いますか、自分の中でもう一度、自分の考えをクリアにしておきたい気持ちになり、クリアにした気持ちを、このブログの推定読者6人の皆様方にもお伝えしておきたい衝動にかられまして。

以下は、本来は私信である「私からAさんへのお返事」ですが、Aさんのご了承のもとに公開いたします。Aさんにまつわる個人情報はすべて削除して、少し加筆・修正しています。

その前に大切なことをひとつ。これを公開したからといって、「もうこういう分野のメールの返信はしない」という意図は微塵もありませんからね。「メールを下った方、おひとりにつき一通は必ずお返事したい」という気持ちは全く変わっていません。「If you need me, call me」って感じかしら(ダイアナ・ロス『Ain't No Mountain High Enough』)。やだ綺麗!

・・・・・・・

はじめまして。高山真でございます。

いただいたメール、身を正して拝読いたしました。ありがとうございます。

まずは何より、奥さまのご快癒を心よりお祈り申し上げます。


私も現在、肝臓がんの治療中ですが、過去には、母親、パートナー、パートナーの母親の、闘病や旅立ちを横で見ていた身です。「横で見ていた」と言うと、「木偶の坊もここに極まれり」という感じですが、実際、健康だった時代に病気の人が身近にいると、他人様にはどんなに身なり心なりを砕いているように見えたとしても、本人としては「何もできていないなあ」という気持ちばかりになりますね。実の母が亡くなったときは私は14歳でしたので、「何もできていない」というのは正しい認識だろうとは思いますが。


ただ、それなりに大人になってからの経験だった、彼との時間、彼の母親との時間を振り返ってみても、私はいまだに、「彼と、彼女に、自分がしたこと・できたこと」に対して、友人たちがつけてくれたような点数を自分自身につけることにためらいがあります。


僭越ながら、私は、Aさまも、その点において私と同じ世界の住人であると拝察いたしております。


率直に申しまして、私は、自分が病気をしている現在のほうが、あの時代にくらべてはるかに焦点の合った日々を送っています。この種の仮定は非礼極まりないことをお詫びしたうえで申しますが、Aさまは、奥さまではなくむしろご自身が病を得ている状態のほうが、はるかに落ち着いて日々を送れるタイプなのでは、と。


このようなメールを頂戴し、私も自分なりに踏み込んだお返事を差し上げる以上、私とAさまの間には、友情に近い感情の交流がすでにあると、私は勝手に判断しています。ですので、私は、私の友人が私に言ってくれた言葉を、今度はAさまに、心からの言葉としてお伝えいたしたく存じます。(そしてここからは、友情の名の下に、敬称を「さん」に変えること、そして、くだけた口調になることをご了承ください)


あなたは、完璧です。

お金と、日々の雑務のヘルプと、笑わせること。

病気の人を安心させるために、周りの人がしなくてはいけないことを、あなたはすべてやっているでしょう。

あなたが「自分が歯がゆい」と思うのは、それはあなたの性格だから仕方がないことだけれど、

どこをどのように判断しても、私にAさん以上のことができるとは思わない。

何度でも言います。あなたは完璧です。


私も、かつて友人たちがかけてくれた言葉を額面通りには受け取れなかった(そして今でもその傾向は残っている)ものですから、「Aさん、あなたはこの言葉にうなずかなきゃダメ!」とは申しません。ただ、近い将来、奥さまがご健康を取り戻し、そして遠い将来にAさんが奥さまのお世話を受ける立場になったとき、今度はAさんが同じような言葉を奥さまにおかけになるだろうと思います。


私も、しぶとくサバイブして、今度は自分が周囲の人たちに、かつて私が受けとった言葉や思いを渡していくことを目論んでいます。ブログを通じて、あるいは今、Aさんに、もしかしたら何かをお渡しできたかもしれないように。


「自分がしていること・してきたこと」に高い点数をつけられないのは、もう性(さが)とか業のようなものなので、これをどうにかしようなどという気持ちはとうの昔に放棄しています。ただ、私が他者に高い点数をつけたとき、その人は、私が自分にそうしているように、自分自身に低い点数をつけている。まあ、点数をつけるなどという行為はもともと非常に親しい人間にしかしないものですし、親しい人と大なり小なり似た部分があるのも当然といえば当然ですが。高いんだが低いんだか分からなくなっているのに、想いが循環していることだけは確か、と言いますか。


Aさんも私も、ずっと階段を上り続けているのに1周回ったところでいちばん低い場所に戻ってくる、騙し絵の世界の住人みたいで、それはそれで面白いですね。


ただ、そういう人間として申し上げるなら…。身近な人たちとの間に生まれる、感情の円環構造のようなものを認知できることを、「幸せ」と呼ぶのかしら、と私は最近になってつくづく実感しています。


最近出した本にも少し書いたことですが、昭和40年代に、ドがつく田舎の漁師町に生まれたLGBTの私には、「クローゼットに一生隠れたまま、自分を偽って、誰とも何かを共有せずに生きていく」という人生も、非常にリアリティのある選択肢でした。そして、それを選択することは、「死が、一生続く」という人生を選択することと、ほぼ同義でした。


いま、こうしてクローゼットから出て、様々な人たちと感情の交流を持ち、40代の半ばになって病を得た身になり、そして、「騙し絵の世界に生きる者同士」が感じる幸せを実感できるようにもなりましたが、私の「選ばなかったもう一つの人生」は、病気以外のことを得られる可能性は最初からゼロでした。はじめから死んでいるようなものだったのです。それを思ったら、「病ごときがなんぼのもんか」なんてふてぶてしくもなりますわね(笑)。


生きていれば様々なことが起こりますが、「災難(のように見えるもの)」に、なんというか、スパイスとか触媒のようなものを振りかけ、違う角度なり視点なりから見ることで、新しい「何か」が得られるかもしれない…。私は常に、それを期待して生きてきたところがあります。


病を得た今、そういった強欲な部分が消えないどころか、どうも強まっているらしいことを、自分なりに歓迎しています。「これなら完治した後は、あたくしったらますますもって手がつけられないオンナ(正確にはゲイ)になっているはず」などと公言し、すでに一部の友人たちを震えあがらせていたり(笑)。


奥さまに、日々笑いを提供しようとなさっているAさんのお気持ちの尊さは、私のような人間には本当によくわかります。「エレガントな強欲」とか「ふてぶてしいほどに前向き」とか、矛盾する言葉を組み合わせて一体化させるようなスタンスでいこうと思ったら、そこに「触媒」としての「笑い」は必須だからです。


奥さまが、医者のケアとともに、Aさんが日々用意されている「触媒」で、お元気になられることを心よりお祈り申し上げます。


どうにもウザいご返信だったかもしれません。ただ、私もAさんからお気持ちや力を頂戴した身です。私なりのお返しとして、お許しをいただけたらと思います。


20年後、30年後あたりに、「そう言えば、メールのやり取りがありましたわね」と、奥さまを含め三人で、どこかで懐かしくお話ができますことを。


Aさんも、どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

お気持ち、心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

高山


(追記)

タイトル変更しました。ふだんは、どんな分野のことを書くのであれ、こんなド直球のタイトルはつけない人間なのですが、今回ばかりは、私の昔からの読者(推定6人)だけではなく、病気で悩んでいる人が検索などでここにいらしてくださること、その中の数%の方でいいので、何かを感じていただけることを、ちょっとだけ願って…。

2016-07-16 トライアルに励まされ

 昨日は、漫画家の栄羽弥(さこう・わたり)さんと、本当に久しぶりにお目にかかったの。アタシの最初の本『こんなオトコの子の落としかた、アナタ知らなかったでしょ』(飛鳥新社)をお読みくださった栄羽先生が、先生のマンガ『コスプレアニマル』(講談社)の中に、「高山さんをモデルにしたキャラクターを作りたい」と、担当の「みどさん」を通じて飛鳥新社に連絡を取ってくださったのが、知り合ったきっかけ。アタシたちの出会いの一部始終は『コスプレアニマル』の5巻の巻末で描かれているわ。ものすごく引力の強い、魅力的なキャラとして描いてくださって、うれしいやら恐縮するやらだったことを、今でもはっきり覚えています。

 友人がやっている四谷三丁目イタリアン、スティモーロで軽いランチをいただき、そのあとはアタシ的ナンバーワンのパティスリー、イデミ・スギノで軽くケーキを…、という流れ。美味しいものをはさんで、お仕事のことやアイドルのこと、それから健康のことなどをたっぷりおしゃべりしたわ。

 栄羽さんは、お描きになるマンガに負けず劣らず、ご本人もすごくチャーミングな女性。多方面への熱烈な興味の持ち方も、「エンタメ作品を描く人」として、学ばせていただくことも多いの。「生きていく中で得られることのすべて、感じることのすべてを、自分の心の栄養にしていこう」という、とても前向きな欲張り感が素敵なのよ。そういう方といろんなことを共有できているなんて、アタシにはとても名誉なことだし、うれしいのね。スティモーロとイデミ・スギノも、お気に召していただいたようで、本当によかった。

 アタシの最新刊『恋愛がらみ。 不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)を、「私の読者さんには10代の方たちも多いんですけど、そんな若い読者さんにとって、10年後も20年後も『刺さる』と思える本だと思います」と褒めてくださったのもありがたくて…。基本的に私の読者さんは20代以上の方たちばかり。『恋愛がらみ。』も、ファッション誌『Oggi』(小学館)で連載しているエッセイがベースになっているものだしね。栄羽さんがおっしゃるように、10代のオンナの子ちゃんにも、「もっと大人になったとき、この本はもっと刺さる」と思っていただける本になっていたら、本当にうれしい。そう思ってくださる方がいる限り、まだまだがんばって書き続けなくてはね!

 栄羽さんは『ハニー・ホリック』(講談社)を完結させたばかり。イケメンを描かせたら、大げさでもなんでもなく「当代有数」と言っていい栄羽さん。その栄羽さんが、「オムニバスの恋愛模様がひとつの大きな流れにつながっていく」という、とても難しい物語の構造にチャレンジなさっている意欲作よ。もちろん少女マンガの必須要素「キュンキュン」も健在。エンタメに必要な「基本」から目をそらさず、しかし常に「something new」(何か新しいもの)を探す…。自分を高めるために新しい挑戦を続けていく栄羽さんの姿に、大きな励ましもいただいたデートでした。そうね、『コスアニ』風に言えば、リカちゃんとオーナーの「おとな力アップ」のデートって感じかしら。うふふ。

 さて、8月17日発売の『小説すばる』(集英社)9月号から、エッセイの新連載が始まります。期間限定ではありますが、文芸誌での連載ということで、アタシにとっても新しいトライになります。集英社の「すばる」ブランドの文芸誌は、『すばる』と『小説すばる』がありまして、『すばる』は純文学系作品、『小説すばる』はエンタメ系作品を扱っています。ご参考までに。

 それにしても、アタシが文芸誌…。お話をいただいたときは「あまりにもおそれ多い」と思ったけれど、栄羽さんの「いままでの自分を越えるためにトライする」という姿に励まされたし、アタシも自分なりに全力を尽くすつもりです。近づいたらまたお知らせいたしますね。

2016-07-05 安く見ないでいただきたいわね

 かれこれ46年生きてきたあたくしですが、いままでの人生で、どんなときにものすごくカチンときたか、つらつらと考えてみましたら、「こいつ、あたくしという存在をナメてやがる」とか「安く見られたもんだわね」と思ったときが、そのほとんどを占めていました。ゲイであることに対する相手の反応・行動とか、びっくりするようなお仕事のオファーとか、まあいろいろありますが、若いうちは「相手は、こちらをナメている。あたくしが属する、こちらの世界をナメている」ということに気づくまでに少々タイムラグがあったりして、よけいに悔しい思いをしたこともございます。

 さて、今日の毎日新聞に、こんな記事が載っていました。

http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160705/ddm/041/050/056000c

 要するに、リオ五輪の会場での、日本人選手や日本メディア関係者のコメントなどを各国メディアに英語で訳して伝える任務、そしてその逆、すなわちオリンピック会場内で使用される英語を日本人選手メディア関係者に伝える任務を、東京外国語大学の学生ボランティアでまかなう、というもの。人生の半分以上昔に卒業したとはいえ、自分の出身校の名前が出たので、ちょっと目を留めたニュースです。ほどなく、「ちょっと目を留めた」レベルではない不快感に変わりましたが。

「貴重な経験になるはず」と胸躍らせる学生たちの気持ちは本当によくわかります。あたくしが不快感を覚えたのは、そんな学生たちの熱意や夢を買い叩く、というか、ほとんど搾取しかしていない、組織委員会のやり口です。

 記事から一部抜粋しますと、「ユニホームや活動日の食事は提供されるが滞在費や渡航費は自己負担。宿泊先は大学側が手配したものの、地球の反対側への渡航費約30万円は学生が賄うため」ですって。なんじゃこりゃ。

 外大も外大よ。どうしてここまでの負担を学生に強いるような取引を飲んだのか。自分たちが大学で極めようとしている学問を、そこまで安いもの(というかこちらからお金を払ってまで「使っていただく」ようなもの)だと見積もられたことに、怒りがないのかって話ですよ。

 不快感はもうひとつあります。そもそもこんなオファーがあったということは、世界中の人々が集まる大イベントにおける「意思の疎通」問題に、組織委員会が予算を全く割いていない…という意味もあるはず。「ちがう言語を持つ者同士でも、意思の疎通をしっかり図る」のは、あたくしは非常に大切な問題だと思っています。大切な問題だからこそ、プロの通訳を使う。大切な問題だからこそ、プロにプロとしての「責任」を持ってもらう。そのためには、お金が必要である。あたくしは、そう思っていたの。

 何度も言います。学生たちの熱意は素晴らしい。学生たちの英語力に疑問をはさむ意図はない。でも、たとえば企業の大事な問題をインターンには決して任せないように、「何か」が起こったときに「責任」をとれる人たちが「報酬」と引き換えにその責任をきっちり果たす…。それがどんな分野においても非常に大切なことだとあたくしは思っていたのです。「言葉」って、外大の教授陣たちにとっては、大事な問題ではないのかしら…。毎日新聞毎日新聞よ。どうしてこんなことを美談のように伝えているのかしら…。

それにしてもあたくし、「OBとして物申す」みたいなマネ、絶対にしたくなかったタイプのオンナだったはずなんだけど…。恥ずかしい…。

2016-06-30 あゆ(not浜崎)イタリア進出

 神楽坂の「DIRITTO(ディリット)」というイタリアンは、今年出した新刊『恋愛がらみ。 不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)の出版パーティーではじめて訪れたお店です。トリュフの使い方の見事さに心ゆくまで悶絶した記憶はいまでも鮮やか。前菜のサラミに練りこんだ、あの素晴らしい香り。そしてお店のスペシャリテのスフレオムレツトリュフを組み合わせた演出。サービスは、おしつけがましさなど微塵もないのに、かゆいところにさりげなく手が届くような、とても温かでやさしく、かつ洗練されたもの…。「これはいつかダンナ(仮名称)を連れてきたいわ」と思いつつ、日々のあれこれに忙殺されて、バタバタと時は流れていくばかりでした。

 そして話は先週の土曜。イデミ・スギノの月に1度の焼き菓子頒布会で、そら豆がたっぷり入ったバニラのパウンドケーキを受けとり、「山分けしましょう」とダンナの家へ。食事の約束もしていたので、そのまま家を出て、散歩がてら街をぶらぶら。で、着いたのは、ディリットでした。

「あ、ここ、『いつか一緒に行きましょう』と言おうと思っていたところだわ」と言うと「そうなんだ。やっぱり目をつけてたか。ここ美味いよね」と。「来たことあったの?」と尋ねると、「まだ3〜4回くらいだけどね」との返事。

 忘れてたわ。このダンナ、お洋服にはまったく頓着しないけれど、すきやばし次郎をはじめ美味しいお店は店主と友人になるくらい通う人だった…。

 4か月ぶりに訪れたディリットは、やはり素晴らしいきらめきがありました。すべてのお皿が印象深かったけれど、あえて3つだけ。思わずお酒を飲みたくなる衝動を必死に抑えた、鮎のコンフィの、身の甘さ、わたのほろ苦さ、全体を覆う香り高さ。タルタルオムレツに散らしたトリュフは、この時期特有のサマートリュフではなく、季節が反対のオーストラリアから空輸したもの、という念の入れよう。そして、和牛のステーキは、見事なレアなのになぜか1滴の血も流れず、すべてが肉汁になっているという信じられない焼き加減で、周りの炭の香りと高貴なほどのコントラストを成していました。そうそう、フォカッチャの美味しさにも目を見張ったわ。ふたりとも、前菜が来る前にほぼ食べきってしまって、前菜の一皿目の途中でおかわりをしたほど…。

 ここからしばらく、また通院や治療で、野放図な食欲に身を任せるわけにはいかない日々が続きそう。本当に素敵な「区切り」をつけることができました。こういうものを「美味しい」と思えているうち、そして、そんな美味しいものを人並み以上にしっかりいただけているうちは、あたくしはまったく大丈夫。そう確信もできましたしね。

 ちなみにイデミ・スギノのそら豆のバニラパウンドは、日を改めていただきました。丈夫なときには「食後のデザートのデザート」として美味しくいただいたものですが、さすがにね。うふふ。

マイナビウーマンの期間限定連載「マコトねえさんの恋愛相談バー」、今回が最終回です。本当に楽しく、実りあるお仕事でした。

http://woman.mynavi.jp/article/160630-6/

●毎月28日に発売されるファッション誌『Oggi』での連載『マナー美人の心意気』、今回はお仕事にまつわるご相談に、あたくしなりにお答えしています。よかったらご一読ください。

サイゾープレミアムで連載している『オトコとオンナとアイドルと』。今回は、以前ラブピースクラブの連載でも取り上げた「ノンケの姫」問題をもうちょっと突っ込んで書いてみました。確か7月1日にアップされるはず。

http://www.premiumcyzo.com/

●ラブピースクラブでの連載は、非常に感銘を受けたエッセイコミックというか、ドキュメントコミック『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』についてのエッセイです。

http://www.lovepiececlub.com/

「面白い」「刺さった」などのポジティブなご感想をお持ちくださったら、SNSなどでご紹介、拡散などしていただけると、本当に幸せです。