広島平和宣言'05/8/6
 被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻(とき)を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。
 その主旋律は、「こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。
 しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。
 これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘(わがまま)を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。
 この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。
 まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。
 さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。
 同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。
 日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
 被爆60周年の今日、「過ちは繰(くり)返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
2005年(平成17年)8月6日
広島市長  秋葉 忠利

 広島原爆忌:こども代表 平和への誓い(全文)
 戦争は人間のしわざです。
 戦争は人間の生命を奪います。
 戦争は死そのものです。
 過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。
 広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
 広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。
 これは今年亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に、ここ平和記念公園原爆死没者慰霊碑の前で世界へ発信したメッセージの一部です。
 わたしたちは、これまでずっと世界平和の実現を訴えてきました。
 しかし、世界では今なお核兵器は存在し、戦争やテロなどが絶えません。そして、わたしたちと同じ子どもたちが銃弾や地雷に倒れ命を失っています。身のまわりではどうでしょうか。子どもたちが命を奪われたり、傷つけられたりする事件が起きています。暴力事件やいじめもなくなりません。
 本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。
 戦争、争い、いじめ、暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。まずは相手のことを知り、違いを理解すること。そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。
 ある被爆者の方の話を聞きました。
 今まで被爆した時のことを人に話したことがなかったそうです。
 たとえ、話をしても「あの時のことは誰にもわかってもらえない」と思っていたからです。
 しかし、70歳を過ぎて、地元の中学生にあの日のことを話しました。
 8月6日に起こったことを、原爆はいけないということを、戦争はいけないということを、どうしても知らせたかったのです。
 被爆60周年を迎え、決意を新たにし、わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。
 わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。
 わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。
 平和な世界を築くまで。
 平成17年(2005年)8月6日
 こども代表
 広島市本川小学校 岩田雅之
 広島市立口田小学校 黒谷栞

 社説比較。

 ■【主張】原爆投下60年 占領史観から脱却しよう(8月7日)
 戦後六十年目の広島原爆の日を迎えた。小泉純一郎首相は平和記念式典で「原子爆弾の犠牲者の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます」とあいさつし、「国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶に全力で取り組んでいく」と誓った。
 広島の原爆による犠牲者は今年、二十四万人を超えた。長崎の原爆による死者を合わせると三十万人を超す。二度とこうした残虐な兵器を使わせてはならないとの思いを新たにしたい。
 式典で秋葉忠利広島市長は、平和宣言の最後を「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の碑文の言葉で締めくくった。河野洋平衆院議長もあいさつで、この言葉に言及した。
 しかし、東京裁判で判事を務めたインドのパール博士は生前、この碑文を見て、「原爆を落としたのは日本人ではない。落とした者の手はまだ清められていない」と批判した。原爆投下で謝るべき国は日本ではないという意味だ。秋葉氏や河野氏がいまなお、謝罪の呪縛(じゅばく)にとらわれているとすれば、残念である。
 原爆は通常の戦争犯罪と異なり、一瞬にして多くの非戦闘員の命を奪った非人道的な行為である。だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は原爆投下に対する日本国民の批判を極力封じ込めようとした。
 昭和二十年十二月八日から、GHQが新聞各紙に連載させた「太平洋戦争史」では、広島の原爆投下について、こう書かせた。「TNT二万トン破壊力を有するこの一弾は、広島の兵器廠都市の六十パーセントを一掃してしまった」。NHK番組「真相はか(こ)うだ」でも、長崎の原爆について「長崎軍港の軍事施設と三菱ドックに投下されました」と言わせ、原爆投下の目標が一般市民ではなく、軍事施設であったかのように印象づけた。
 このような原爆に対する屈折した見方は、日本が主権を回復した後も根強く残り、前長崎市長の「原爆容認」発言や、原爆投下をやむなしとする教科書記述となって現れている。
 九日には、長崎でも戦後六十年目の原爆の日を迎える。原爆投下についての歴史認識も含め、「すべて日本が悪かった」式の占領史観から脱却すべきである。

「記憶」共有し核廃絶へ(中国新聞社説'05/8/6)
 広島がヒロシマであり続けている―。人類は核兵器をなくせないままだ。三たび使われる懸念さえある。一方で、原爆の惨状を知る被爆者は老いた。強い憤りと深い焦燥の中で、被爆六十年の節目を迎えた。
 だが、失望はすまい。核の時代に、原点から楔(くさび)を打ち続ける責務が被爆地にはある。鎮魂と哀悼の中で惨禍の記憶を共有し、核の脅威がない明日をつくる新たな「出発の日」にしよう。
 今こそ継承の時
 ヒロシマは、原爆がもたらす「人間の悲惨」を問い続けてきた。原爆は無差別に市民を殺傷し、人間の尊厳をも奪った。被爆者は今も放射能の後遺症におびえる。その非人道性と残虐さゆえに、核兵器の廃絶を訴えてきた。
 生き証人として、被爆者は病苦や差別を振り切って、「あの日」を語ってきた。逆に、過酷な人生や生き残った負い目を語り切れず、黙する被爆者もなお多い。しかし、被爆者の平均年齢は七三・〇九歳。直接、証言を聞けなくなる日が切実感をもって迫る。
 体験は原点であり続ける。時の経過とともに、重みは増す。ぜひ語ってほしい。まず子や孫に。人間の強さや弱さも含め、命の大切さを言葉に残してほしい。今をおいてない。その証言が人類の共通体験になるのだから。
 若い世代も、被爆者と向き合ってほしい。地獄絵を受け止め切れない戸惑いもあろう。だが、自ら「聞き」「問う」ことで、生きる意味や自分たちの行動を考えていく。そうした場をもっと増やしたい。世代を超えて、記憶を継承する真(しん)摯(し)な対話こそ大事だ。
 人類は、米ソ冷戦の終結を核軍縮の潮流に結びつけることができなかった。三万発残る核弾頭は、国際社会に脅威をもたらし続ける。そのうえ、この十年間で核保有国は増え、テロリストに核兵器が渡る危険も強まった。
 東西陣営の枠内で一定に核管理できた時代と違い、いつ、どこで核が使われるかもしれない「歯止めなき時代」の不気味さが募る。世界が無関心であるほど核拡散が進むことに気付こう。
 大国独走が障壁
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議は成果なく決裂した。痛恨の極みだ。とりわけ核超大国の米国は核軍縮に背を向けて、他国には不拡散を迫る。非保有国が反発する理由だ。米中枢同時テロを境に、使える小型核開発に傾く米国の独走を止めたい。核使用の垣根を低くしないためにも、唯一の被爆国日本の役割は重大だ。
 NPT体制の両輪は軍縮と不拡散である。まずは核保有国が軍縮の道筋をはっきり示すことが前提だろう。疑惑国やテロリストの核武装を防ぐ核物質の国際管理も強めたい。核実験や物質製造の禁止を含む軍縮の枠組み進展に、各国が今以上の英知を集めよう。
 今、ヒロシマは悩む。米国の「核の傘」の下で核廃絶を訴えるジレンマである。廃絶の主張が説得力を持ちにくい。核に頼らない安全保障の方向を探ろう。北東アジアを含めた非核地帯をどう広げるか。近隣諸国とどう信頼関係を重ねるか。その努力を政府に迫ることも、被爆地に求められている。
 核兵器は存在する限り、使われる可能性が残る。しかし、使われた時の悲惨はヒロシマナガサキが体験した。核戦争に勝者はない。核に依存するのはやめよう。人類は今こそ、地域や国家対立の枠を超えることに全力を傾けたい。被爆地は非政府組織や非核を求める都市との連携を重ね、保有国などに核廃棄を迫る大波をつくろう。
 日米軍事同盟が強まる中で、海外からは日本の軍事大国化が懸念されている。さらに、核燃料再処理の仕組みが進めば、核物質を使って日本が核武装するのでは、との厳しい見方さえある。国是である「非核三原則」に揺らぎがあってはならない。政府は原則の堅持をあらためて明確にし、非核の道に外れないことを世界に示す必要がある。被爆国の必須の責任だ。
 憲法の理念大切
 われわれは、先の大戦を無謀にも始め、原爆という未曾有の犠牲の上に平和憲法を持った。今、改憲論が声高だ。でも、被爆体験が人類の「不戦の誓い」につながるためにも、ヒロシマ戦争放棄武力行使を否定した平和憲法の理念を大切にしたい。
 ヒロシマは時に、被爆体験だけを歴史から抜き出した、と指摘されることがある。過酷な惨状から、被害を中心に訴えざるを得なかった面がある。ただ、日本の戦争責任やアジア諸国への加害の視点が十分にとらえ切れなかった点も否めない。あらためて原爆の惨禍を歴史の流れに戻し、世界の戦争被害者や被(ひ)曝(ばく)者とも連帯しなければ、反戦反核の運動は広がりを持たない。
 広島は国内外の支援で壊滅から立ち直った。世界の紛争地にとって、復興への勇気をくれる「希望の都市」であり続けたい。被爆地の医療、復興支援事業を軌道に乗せるとともに、紛争や貧困の現状にも目を向けよう。貧富の格差が紛争を誘い、兵器や核保有に結びつく下地をなくさねばならない。
 「記憶は過去と未来の接点」―。これは被爆五十年の平和宣言の一節だ。ヒロシマは単なる過去の歴史ではない。世界が直面する今の危機なのだ。あの惨禍を未来に訴えることこそ、被爆ヒロシマの使命である。六十年のこの日、その思いを新たにする。

 被爆60年】反核世論のうねりを(高知新聞社説2005年8月6日)
 広島はきょう原爆投下から60年を迎えた。3日後には長崎が続く。あの「忘れ得ぬ」の原点に戻り、核兵器廃絶に向けた歩みを確かなものにする節目としたい。
 秋葉広島市長は平和記念式典の「平和宣言」で、国連総会の第一委員会(軍縮)に対して、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会の設置を求める。
 核廃絶は、被爆者のみならず人類の悲願のはずだ。だが、その訴えとは裏腹に、核をめぐる昨今の世界情勢は、極めて厳しい局面に立たされている。
 ことし5月に米国で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、何ら合意を得られぬまま閉幕した。ただ決裂したばかりではない。2000年の前回会議で採択した「核廃絶への明確な約束」も、事実上ほごにされた形となったのだ。
 非核保有国の核不拡散を強調する一方、対テロ戦争を名目に核軍縮はかたくなに拒んだ米政権の強硬姿勢が、会議決裂の大きな要因だ。日本の説得も不調に終わった。
 危機感を強めた日本政府は秋の国連総会に、NPT体制の信頼回復が急務などとする核軍縮決議案を提出する。例年よりメッセージ色を濃くし、「一部の国との対立を恐れず、唯一の被爆国として正当な主張をする」姿勢を鮮明にしたものだ。
 一方で米国の「核の傘」の下にあるという現実には批判もつきまとう。決議案の理念を軍縮外交を通じてどう実現していくか。具体的な主張と行動で成果を積み上げ、核廃絶の先頭に立つことが求められる。
 市民レベルでの運動も重要だ。日米の通信社による世論調査では、米国で「原爆投下が戦争の早期終結のためにやむを得なかった」が68%に上ったものの、「投下への支持」は賛否が拮抗(きっこう)した。「原爆神話」が根強い米国社会でも、広島・長崎の惨状に対する認識自体は深まりつつある結果とも見える。
 そこには、悪夢に遭遇し、今も後遺症に苦しめられながら、反核を訴え続けてきた「ヒバクシャ」の存在が大きい。だからこそ長崎以降、「三度目の悲劇」を食い止めてきたともいえる。
 風化との戦い
 生き残った「負い目」や、差別への懸念などから、あの日の記憶を胸の奥深くにしまい込んできた被爆者の中にも、60年の沈黙を破って体験を語り始めた人がいるという。こうした動きに駆り立てられるのは、核廃絶に暗雲が漂っていることと無縁ではあるまい。
 生き証人である被爆者の平均年齢は73歳に達し、被爆体験はますます風化の危機にさらされる。決して忘れてはならない教訓を、しっかり受け止めるのは私たちの責務だ。反核世論にさらなるうねりを起こすよう努めていかねばならない。
 原爆資料館の展示や語り部の話に「思わず目をつぶりました」「耳をふさいでしまいました」―修学旅行で広島を訪れた本県の小学生が書いた平和作文の一節だ。「でも、核兵器をなくすためには知らなければならないと思いました」と後に続く。こうした気持ちを全国民、全人類で共有したい。
 広島の平和宣言は、ことしの8月6日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」と位置付けた。原爆使用という過ちを二度と繰り返させてはならない。被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、行動に移すという、世界に対する決意表明だ。
 この決意を一人一人がわがこととして、実践を誓う60年目の夏としたい。

 被爆から60年/非核・非戦の決意忘れまい(東奥日報社説2005年8月6日)
 人の命を奪ってはならないが戦時は逆。敵を多く殺すほど評価される。一度に数万人、数十万人を一瞬で殺傷できる兵器を持っていれば戦争を有利に戦える。他国は報復を恐れて攻撃してこないだろうし自国を守ることになる。核武装は必要だ−。
 世界の国々はそんな論理で核兵器の増産競争をした時代に後戻りしないよう申し合わせたはずなのに、一層の核軍縮、核不拡散などを目指して五月に国連で開かれた核拡散防止条約の再検討会議は決裂した。
 北朝鮮は二月、核兵器保有を宣言した。米国は新型核兵器の研究を進めている。核兵器闇市場を通してテロリストに渡る危険性も高くなっている。
 核廃絶への道が険しくなっている今こそ、ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモア核兵器の決意をあらためて固めたい。
 太平洋戦争末期の一九四五年八月、米軍は六日に広島、九日に長崎に原爆を落とす。この年末までに広島で約十四万人、長崎では約七万人が亡くなった。多くは非戦闘員だった。
 放射線による後障害に苦しんだり、障害が発症する不安と闘っている人が少なくない。被爆した母のおなかにいて今は五十九歳。知能が幼児のままで生活している人もいる。被爆後に日本を離れた在外被爆者の救済も求められている。
 被爆から六十年たつが決して過去の話ではない。人類が史上初めて手にした最も非人道的な大量殺りく兵器による被害の深さや広がりが、核保有国が核兵器を実験以外に使えないでいる主因の一つともされている。
 そうだとすれば、政府は唯一の被爆国として惨禍を後世に、世界に伝え、核兵器のない平和な国際社会の実現のために力をもっと尽くすべきだ。
 衆議院が二日採択した戦後六十年決議は、わが国の過去の行為がアジアの国々などに多大な苦難を与えたと深い反省を表明した。その上で、核兵器の廃絶や戦争の回避に最大限の努力をするよう政府に求めている。
 十年前の戦後五十年決議が踏み込んだ植民地支配への言及を避けたという批判がある。日本は、米国の「核の傘」の中に入っていながら核廃絶を訴えるという矛盾も抱えている。だが、政府は被爆国が果たすべき責任や役割を忘れてはならない。
 被爆者は今、全国で約二十六万七千人いる。二十五年前に比べて十万人以上減っている。かつて百人を超えていた本県の被爆者も八十九人になった。
 被爆者の平均年齢は七十三歳と高齢化している。体験を語ることができる人が少なくなってきた。生々しかった惨禍の記憶も、国民の間では薄れつつあるようだ。
 だが、忘れ去るわけにはいかない。私たち一人一人が意識して、戦争や原爆の資料展を見に行ったり、図書館に足を運んで本を読んだりする。そうした追体験を繰り返し、非核・非戦の思いを何度も胸に刻みつけることが大切ではないか。
 「災害は忘れたころにやってくると言われるが、戦争は忘れるから起こる」。東京大空襲を体験している作家・早乙女勝元氏の指摘もかみしめながら、被爆六十年の夏に向き合いたい。

 原爆投下60年・第二の核時代憂う 国のエゴ捨て廃絶実現を(琉球新報社説2005-8-6)
 60年前のきょう、広島は一瞬のうちに焼き尽くされた。そして3日後には長崎。原爆の投下である。爆発と放射線の影響により、1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万4千人が命を奪われた。人類が決して使用してはならない兵器であった。戦後も米国と旧ソ連が核軍拡を競い合った。両国の冷戦は終わったものの、核の脅威は小さくなるどころか、「第二の核時代」と呼ばれるほどの憂慮すべき事態を招いている。米国は、「使える核」開発の道を突き進みつつある。核は決して平和をもたらすものではないことは明らかである。それどころか世界平和を脅かすものでしかない。
空洞化するNPT
 今年5月、核兵器削減へ大きな転機となりうる国際会議があった。ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議だ。しかし何ら成果を挙げることなく閉幕した。
 同会議では2000年の前回会議で採択された「核兵器廃絶への明確な約束」を再確認することへの期待があったが、「使える核」開発を模索する米国の思惑通り、「約束」はほごにされた。成果ある文書を採択できなかったのは90年の再検討会議以来で、最終日の本会議では各国代表から失望の声が噴出した。
 米国務省当局者は「包括的核実験禁止条約(CTBT)は死文。合意書はなくてもいい」と言い切り、同政府高官は「『核兵器廃絶への明確な約束』は受け入れられない」と述べたという。結局は大国のエゴが際立つ結果となった。
 しかし「約束」が完全に闇に葬られたわけではない。有効性を再度確認するために、国連をはじめ各国政府、非政府組織(NGO)などは粘り強い行動を続けてほしい。さらにNPT体制が崩壊せぬよう、核保有国、非核国が歩み寄る努力を続けるべきである。
一人一人が行動を
 広島市秋葉忠利市長は、原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)で読み上げる「平和宣言」を発表した。それによると、今年10月に開かれる国連総会で、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会を設置するよう求める。
 宣言では、原爆の投下されたこの日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」とした。被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、そして行動に移す決意を世界に表明する。
 地獄のような地上戦があった沖縄に住むわたしたちは、そのことがよく理解できる。広島・長崎の方々の声を聞き、核廃絶のための運動を広げる使命がわたしたちにもある。
 世界には現在、1万5千発を超える核弾頭が備蓄、配備されている。インド、パキスタンは既に核実験を強行し、北朝鮮、イランも核開発疑惑をもたれている。さらに「闇の核市場」の存在が、テロリストへの核拡散の恐れを生み出している。世界は、破滅への道を歩もうとしているのか。そう懸念されるほど、核をめぐる動きは危うい。
 今、わたしたちに課せられているのは「ノーモア・ヒロシマナガサキ」の実現である。これは世界中の一人一人に当てはまると言っていい。広島・長崎の恐ろしい体験をよく知っているわたしたち日本人は、さらにイニシアチブを求められている。先のNPT再検討会議で、日本政府は唯一の被爆国としての発言・指導力が期待されたが、結局、発揮することはできなかった。広島の平和宣言を真摯(しんし)に受け止めたい。時が遅くならないうちに行動を。とりわけ、日本政府には米国をはじめとする核保有大国に、しっかりと発言できる毅然(きぜん)さを持ってほしい。
 一方で、核保有国も、自ら兵器削減を進めつつ「核廃絶の明確な約束」をあらためて確認し、NPT体制を立て直すべきである。
 日本原水爆被害者団体協議会が今年7月にまとめた被爆者対象のアンケートで、回答者の約7割が被爆から60年間、健康に不安を感じ続けていることが分かった。自分だけでなく2世や3世への影響まで心配する声が目立った。そして切実な訴えがあった。「二度と被爆者をつくってほしくない」。重い言葉である。すべての人が心に刻み込むべきだろう。

[広島・原爆の日核廃絶への決意示そう(沖縄タイムス社説2005年8月6日朝刊)
被爆者の志を受け継いで
 小型核兵器の開発や核テロリズムの脅威が高まる中、広島はきょう六十回目の「原爆の日」を迎える。
 日本は戦後「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則を国是として、核の悲惨さや戦争のむなしさ、核兵器の廃絶を訴えてきた。
 だが世界は、米国が「使える核」という新たな兵器の開発計画を打ち出し、北朝鮮核兵器保有を宣言して“瀬戸際外交”を展開。イランも核開発に言及するなど、「核抑止論」を増幅させる不穏な空気に包まれている。
 「おれたちの子どもや孫を被爆者にしない。そのために闘う」。長野県松本市信州大学西門前で「ピカドン」という名の食堂を営む前座良明さんの言葉(本紙五日付シニア面)には、私たちの願いが込められている。
 一瞬にして廃虚と化した広島の街、そして長崎。二度と同じ惨禍を経験しないためにも唯一の被爆国として「ノーモア ヒロシマ」「ノーモア ナガサキ」を叫び続けることは私たちの責務といえよう。
 秋葉忠利広島市長は平和宣言で、この日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」とし、核兵器廃絶を願う被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、行動する決意を表明するという。
 国連にも、第一委員会(軍縮)に、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会の設置を求める。
 今年五月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択することができなかった。
 五年前の再検討会議で、核保有国が核兵器廃絶に向けて「明確な約束」をし、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を含む核軍縮などを明記した最終文書を採択したことからすれば、後退したと言わざるを得ない。
 核拡散防止など主要テーマについて十分協議できなかったのは、米国と非核保有国が核軍縮と不拡散、原子力の平和利用などで対立したからだ。
 だが、NPTの有効性が失われたわけではない。「約束」を死文化させないためにも各国政府、国連、非政府組織(NGO)は協力して、核兵器禁止条約の締結など、新たな取り組みに着手しなければならない。
放射能被害に苦しむ住民
 CTBTに反対するブッシュ政権は、臨界前核実験を継続する一方で新たな兵器の開発を進めている。
 米国の動きは、核保有国の「占有権」を一層強めるだけでなく、「核の不平等」を広げる危険性もはらむ。
 「戦争の世紀」といわれた二十世紀を乗り越えたにもかかわらず、世界は広島・長崎という「核時代」の負の遺産を引きずっているといえよう。
 米国とロシアなどが保有している核兵器は約三万発だ。広島型原爆の百四十七万発分に相当し、約二千億人の死者をもたらす量といわれる。
 一方で、一九九一年の湾岸戦争で用いられた劣化ウラン弾に見られるように、「放射能兵器」は日常的に使われている。県内でも射爆訓練場で米軍戦闘機が使用したことが判明している。原爆による被爆者が県内にも三百人余もいることを考えれば、被爆の可能性がある弾の使用を許してはなるまい。
 太平洋のマーシャル諸島カザフスタンセミパラチンスクなど核実験による汚染地域ではまた、今なお放射線被害が放置され、被爆者を生み続けていることを忘れてはならない。
先制攻撃論は世界に逆行
 七月に、十年ぶりに広島で開かれた第五十五回パグウォッシュ会議年次総会は、核兵器が国際社会にもたらす脅威を直視するよう指摘し、「あらゆる国が包括的核実験禁止条約を批准し、兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約を締結するよう」訴えた。
 「広島と長崎で起きたことは、断じて繰り返されてはならない」のは当然である。そのためにも各国には核廃絶に向けて努力するよう求めたい。
 米国の先制攻撃論は「抑止力」を超え、通常戦闘に核兵器利用の道を開くものだ。核廃絶を求める世界の潮流に逆行しており、単独行動主義は到底容認できるものではない。
 広島平和宣言は二〇二〇年までに核廃絶を実現するための具体的な行動を求めている。世界の人々が手を携え、平和を築いていくためにも、政府には核廃絶と不拡散に向けた積極的な外交的取り組みを求めたい。

 原爆の日を前に 『還暦』の誓い新たに(東京新聞05.08.05)
 原爆投下から六十年です。還暦を迎え、日本社会を「戦後の見直し」という波が洗ういまだからこそ、“非核の願い”の意味を問い返さなければなりません。
 広島と長崎で、原爆死没者名簿に今年もまた新たな名前が加えられます。原子爆弾は投下から半世紀を超えても、なお人々の命を脅かし侵し続けているのです。犠牲者は四十万人に近づいています。
 原爆は一瞬にして万という単位の人命を奪いましたが、史上に類のない悲劇は一人ひとりの悲劇の積み重なりであることを、まず銘記しなければなりません。「個」を切り捨てた抽象化、統計化は、記憶を、そして歴史を風化させます。
 ■歴史に埋没する悲劇
 ヒロシマナガサキが風化と戦いながら発信し続けてきた「核廃絶」の訴えは世界に届いているのでしょうか。国際社会はむしろ逆の道を歩んでいるように見えます。
 広島市が一九六八年に始めた核実験に対する抗議は、既に五百八十八回を数え、昨年まで途絶えた年はありません。「核の闇市場」など核拡散の懸念がNPT(核拡散防止条約)体制を揺るがし、北朝鮮が核保有を宣言するなど状況は厳しさを増しています。
 東西冷戦構造が崩壊し、「新しい戦争」が語られるなかで広島、長崎の悲惨な経験は歴史に埋没し、忘れられつつあるように思われます。
 「日本政府は核保有国にもっと核兵器廃絶を迫るべきだ」−被爆者たちが悲痛な声をあげています。
 日本原水爆被害者団体協議会が実施したアンケート「わたしの訴え」で、政府に対する被爆者の要望で最も多かったのは、世界非核化への積極的な取り組み(68%)でした。
 小泉純一郎首相は、慰霊と平和祈念の式典で今年も挨拶(あいさつ)しますが、核兵器のない世界を実現するため、日本政府が被爆国として先頭に立ってきたとはいえません。
 被爆地にはいらだち
 昨年、広島が平和憲法擁護を、長崎が憲法の平和理念堅持を、それぞれの平和宣言で日本政府に求めたのは、被爆地の人々のいらだちを示すものであり、政治への異議申し立てだったといえるでしょう。
 唯一の超大国としてともすれば恣意(しい)的な世界戦略を展開する米国に寄り添う小泉流政治、アジア諸国民衆の神経を逆なでする靖国問題自衛隊の戦力強化、戦争放棄を定めた憲法の改定…大戦の惨禍に学び、日本人が大切にしてきた価値観を否定する動きが目立ちます。
 この国のカジをかつてのような軍事優先の方向に切ることが、「ふつうの国」になることであるとする考えも強まっています。核兵器保有や使用を法的に容認する極端な意見さえ聞かれます。
 初めて核攻撃を受けた日本人が戦争放棄の第九条を含む平和憲法を持ったのは象徴的でした。
 核兵器を廃絶すべきなのは、大量殺戮(さつりく)兵器だからという理由だけではありません。科学技術が発達した現代では、核兵器に劣らない大型の通常兵器が開発されています。
 核兵器は、人間の尊厳を無視し、人類の存続さえ脅かす究極の兵器だからこそ、非戦のシンボルとして世界中から真っ先になくさなければならないのです。
 その意味で、非核の思想は非戦の思想にまで高められ、深められなければなりません。戦争の加害者でもあり、核の被害者でもあり、かつ平和憲法を持つ日本には、国際社会を引っ張る資格も責任もあります。
 貧困、飢餓、富の分配の不均衡などさまざまな矛盾を抱えた国際社会では戦争や紛争が絶えません。米国の唯我独尊的な姿勢が憎悪と報復の連鎖を招き、混乱に拍車をかけている地域もあります。
 こうしたなか、口先で唱えるだけの核廃絶はしらじらしく響きます。
 しかし、日本は戦後、武力で外国人を殺したこともなければ、外国の軍隊に自国民が殺されたこともありません。それを可能にした憲法は誇るべき財産です。
 そうした日本が、言葉だけの非核化ではなくて、非戦を展望する非核化に本気で取り組めば、必ずや世界の人々の共感を得られるに違いありません。
 核の強大な破壊力に打ちのめされた日本が「戦後」を歩み出して六十年、人間なら還暦です。廃虚で誓った「不戦」の実現へ向けて、成熟した行動ができるだけの年輪を重ねたはずでした。
 それなのに昨今の日本社会では、太平洋戦争に至る道のりを思い起こさせるような過度なナショナリズムの高まりが気がかりです。
 ■いまなお新鮮な原点
 アジアの国々をめぐり、加害の歴史を棚上げした、無神経で感情的な言動が、責任ある政治家の間でさえ少なくありません。
 還暦とは単なる仕切り直しではありません。刻んできた足跡を振り返り、生まれた時の原点を再確認することに意味があるのです。六十年前のあの誓いはいまなお新鮮です。