枕 森人 の日記

2005/08/07 (日)

広島平和宣言'05/8/6

 被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻(とき)を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。

 その主旋律は、「こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。

 しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカロシアイギリスフランス中国インドパキスタン北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

 これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘(わがまま)を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。

 この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。

 まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。

 さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップ2010年までに策定するよう、期待します。

 同時に私たちは、今日から来年8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。

 日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

 被爆60周年の今日、「過ちは繰(くり)返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

2005年平成17年)8月6日

広島市長  秋葉 忠利

 広島原爆忌:こども代表 平和への誓い(全文)

 戦争は人間のしわざです。

 戦争は人間の生命を奪います。

 戦争は死そのものです。

 過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。

 広島を考えることは、核戦争を拒否することです。

 広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。

 これは今年亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に、ここ平和記念公園原爆死没者慰霊碑の前で世界へ発信したメッセージの一部です。

 わたしたちは、これまでずっと世界平和の実現を訴えてきました。

 しかし、世界では今なお核兵器存在し、戦争テロなどが絶えません。そして、わたしたちと同じ子どもたちが銃弾や地雷に倒れ命を失っています。身のまわりではどうでしょうか。子どもたちが命を奪われたり、傷つけられたりする事件が起きています。暴力事件やいじめもなくなりません。

 本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。

 戦争、争い、いじめ暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。まずは相手のことを知り、違いを理解すること。そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。

 ある被爆者の方の話を聞きました。

 今まで被爆した時のことを人に話したことがなかったそうです。

 たとえ、話をしても「あの時のことは誰にもわかってもらえない」と思っていたからです。

 しかし、70歳を過ぎて、地元の中学生にあの日のことを話しました。

 8月6日に起こったことを、原爆はいけないということを、戦争はいけないということを、どうしても知らせたかったのです。

 被爆60周年を迎え、決意を新たにし、わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。

 わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。

 わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。

 平和な世界を築くまで。

 平成17年(2005年)8月6日

 こども代表

 広島市立本川小学校 岩田雅之

 広島市立口田小学校 黒谷栞

 社説比較。

 ■【主張】原爆投下60年 占領史観から脱却しよう(8月7日)

 戦後六十年目の広島原爆の日を迎えた。小泉純一郎首相平和記念式典で「原子爆弾犠牲者の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます」とあいさつし、「国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶に全力で取り組んでいく」と誓った。

 広島原爆による犠牲者は今年、二十四万人を超えた。長崎原爆による死者を合わせると三十万人を超す。二度とこうした残虐な兵器を使わせてはならないとの思いを新たにしたい。

 式典で秋葉忠利・広島市長は、平和宣言の最後を「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の碑文の言葉で締めくくった。河野洋平衆院議長もあいさつで、この言葉に言及した。

 しかし、東京裁判判事を務めたインドのパール博士は生前、この碑文を見て、「原爆を落としたのは日本人ではない。落とした者の手はまだ清められていない」と批判した。原爆投下で謝るべき国は日本ではないという意味だ。秋葉氏や河野氏がいまなお、謝罪の呪縛(じゅばく)にとらわれているとすれば、残念である。

 原爆は通常の戦争犯罪と異なり、一瞬にして多くの非戦闘員の命を奪った非人道的な行為である。だが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は原爆投下に対する日本国民の批判を極力封じ込めようとした。

 昭和二十年十二月八日から、GHQが新聞各紙に連載させた「太平洋戦争史」では、広島原爆投下について、こう書かせた。「TNT二万トン破壊力を有するこの一弾は、広島の兵器廠都市の六十パーセントを一掃してしまった」。NHK番組「真相はか(こ)うだ」でも、長崎原爆について「長崎軍港の軍事施設と三菱ドックに投下されました」と言わせ、原爆投下の目標が一般市民ではなく、軍事施設であったかのように印象づけた。

 このような原爆に対する屈折した見方は、日本が主権を回復した後も根強く残り、前長崎市長の「原爆容認」発言や、原爆投下をやむなしとする教科書記述となって現れている。

 九日には、長崎でも戦後六十年目の原爆の日を迎える。原爆投下についての歴史認識も含め、「すべて日本が悪かった」式の占領史観から脱却すべきである。

記憶」共有し核廃絶へ(中国新聞社説'05/8/6)

 広島ヒロシマであり続けている―。人類核兵器をなくせないままだ。三たび使われる懸念さえある。一方で、原爆の惨状を知る被爆者は老いた。強い憤りと深い焦燥の中で、被爆六十年の節目を迎えた。

 だが、失望はすまい。核の時代に、原点から楔(くさび)を打ち続ける責務が被爆地にはある。鎮魂と哀悼の中で惨禍の記憶を共有し、核の脅威がない明日をつくる新たな「出発の日」にしよう。

 今こそ継承の時

 ヒロシマは、原爆がもたらす「人間の悲惨」を問い続けてきた。原爆無差別市民を殺傷し、人間の尊厳をも奪った。被爆者は今も放射能の後遺症におびえる。その非人道性と残虐さゆえに、核兵器の廃絶を訴えてきた。

 生き証人として、被爆者は病苦や差別を振り切って、「あの日」を語ってきた。逆に、過酷な人生や生き残った負い目を語り切れず、黙する被爆者もなお多い。しかし、被爆者の平均年齢は七三・〇九歳。直接、証言を聞けなくなる日が切実感をもって迫る。

 体験は原点であり続ける。時の経過とともに、重みは増す。ぜひ語ってほしい。まず子や孫に。人間の強さや弱さも含め、命の大切さを言葉に残してほしい。今をおいてない。その証言が人類の共通体験になるのだから。

 若い世代も、被爆者と向き合ってほしい。地獄絵を受け止め切れない戸惑いもあろう。だが、自ら「聞き」「問う」ことで、生きる意味や自分たちの行動を考えていく。そうした場をもっと増やしたい。世代を超えて、記憶継承する真(しん)摯(し)な対話こそ大事だ。

 人類は、米ソ冷戦の終結を核軍縮の潮流に結びつけることができなかった。三万発残る核弾頭は、国際社会に脅威をもたらし続ける。そのうえ、この十年間で核保有国は増え、テロリスト核兵器が渡る危険も強まった。

 東西陣営の枠内で一定に核管理できた時代と違い、いつ、どこで核が使われるかもしれない「歯止めなき時代」の不気味さが募る。世界が無関心であるほど核拡散が進むことに気付こう。

 大国独走が障壁

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議は成果なく決裂した。痛恨の極みだ。とりわけ核超大国の米国は核軍縮に背を向けて、他国には不拡散を迫る。非保有国が反発する理由だ。米中枢同時テロを境に、使える小型核開発に傾く米国の独走を止めたい。核使用の垣根を低くしないためにも、唯一の被爆日本の役割は重大だ。

 NPT体制の両輪は軍縮と不拡散である。まずは核保有国が軍縮の道筋をはっきり示すことが前提だろう。疑惑国やテロリストの核武装を防ぐ核物質の国際管理も強めたい。核実験や物質製造の禁止を含む軍縮の枠組み進展に、各国が今以上の英知を集めよう。

 今、ヒロシマは悩む。米国の「核の傘」の下で核廃絶を訴えるジレンマである。廃絶の主張が説得力を持ちにくい。核に頼らない安全保障の方向を探ろう。北東アジアを含めた非核地帯をどう広げるか。近隣諸国とどう信頼関係を重ねるか。その努力政府に迫ることも、被爆地に求められている。

 核兵器存在する限り、使われる可能性が残る。しかし、使われた時の悲惨はヒロシマナガサキが体験した。核戦争に勝者はない。核に依存するのはやめよう。人類は今こそ、地域や国家対立の枠を超えることに全力を傾けたい。被爆地は非政府組織や非核を求める都市との連携を重ね、保有国などに核廃棄を迫る大波をつくろう。

 日米軍事同盟が強まる中で、海外からは日本の軍事大国化が懸念されている。さらに、核燃料再処理の仕組みが進めば、核物質を使って日本が核武装するのでは、との厳しい見方さえある。国是である「非核三原則」に揺らぎがあってはならない。政府は原則の堅持をあらためて明確にし、非核の道に外れないことを世界に示す必要がある。被爆国の必須の責任だ。

 憲法の理念大切

 われわれは、先の大戦を無謀にも始め、原爆という未曾有の犠牲の上に平和憲法を持った。今、改憲論が声高だ。でも、被爆体験が人類の「不戦の誓い」につながるためにも、ヒロシマ戦争放棄武力行使を否定した平和憲法の理念を大切にしたい。

 ヒロシマは時に、被爆体験だけを歴史から抜き出した、と指摘されることがある。過酷な惨状から、被害を中心に訴えざるを得なかった面がある。ただ、日本戦争責任アジア諸国への加害の視点が十分にとらえ切れなかった点も否めない。あらためて原爆の惨禍を歴史の流れに戻し、世界の戦争被害者や被(ひ)曝(ばく)者とも連帯しなければ、反戦反核の運動は広がりを持たない。

 広島は国内外の支援で壊滅から立ち直った。世界の紛争地にとって、復興への勇気をくれる「希望都市」であり続けたい。被爆地の医療復興支援事業を軌道に乗せるとともに、紛争や貧困の現状にも目を向けよう。貧富の格差が紛争を誘い、兵器や核保有に結びつく下地をなくさねばならない。

 「記憶過去未来の接点」―。これは被爆五十年の平和宣言の一節だ。ヒロシマは単なる過去歴史ではない。世界が直面する今の危機なのだ。あの惨禍を未来に訴えることこそ、被爆ヒロシマの使命である。六十年のこの日、その思いを新たにする。

 被爆60年】反核世論のうねりを(高知新聞社2005年8月6日

 広島はきょう原爆投下から60年を迎えた。3日後には長崎が続く。あの「忘れ得ぬ」の原点に戻り、核兵器廃絶に向けた歩みを確かなものにする節目としたい。

 秋葉広島市長は平和記念式典の「平和宣言」で、国連総会の第一委員会(軍縮)に対して、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会の設置を求める。

 核廃絶は、被爆者のみならず人類の悲願のはずだ。だが、その訴えとは裏腹に、核をめぐる昨今の世界情勢は、極めて厳しい局面に立たされている。

 ことし5月に米国で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、何ら合意を得られぬまま閉幕した。ただ決裂したばかりではない。2000年の前回会議で採択した「核廃絶への明確な約束」も、事実上ほごにされた形となったのだ。

 非核保有国の核不拡散を強調する一方、対テロ戦争を名目に核軍縮はかたくなに拒んだ米政権の強硬姿勢が、会議決裂の大きな要因だ。日本の説得も不調に終わった。

 危機感を強めた日本政府は秋の国連総会に、NPT体制の信頼回復が急務などとする核軍縮決議案を提出する。例年よりメッセージ色を濃くし、「一部の国との対立を恐れず、唯一の被爆国として正当な主張をする」姿勢を鮮明にしたものだ。

 一方で米国の「核の傘」の下にあるという現実には批判もつきまとう。決議案の理念を軍縮外交を通じてどう実現していくか。具体的な主張と行動で成果を積み上げ、核廃絶の先頭に立つことが求められる。

 市民レベルでの運動も重要だ。日米の通信社による世論調査では、米国で「原爆投下が戦争の早期終結のためにやむを得なかった」が68%に上ったものの、「投下への支持」は賛否が拮抗(きっこう)した。「原爆神話」が根強い米国社会でも、広島長崎の惨状に対する認識自体は深まりつつある結果とも見える。

 そこには、悪夢に遭遇し、今も後遺症に苦しめられながら、反核を訴え続けてきた「ヒバクシャ」の存在が大きい。だからこそ長崎以降、「三度目の悲劇」を食い止めてきたともいえる。

 風化との戦い

 生き残った「負い目」や、差別への懸念などから、あの日の記憶を胸の奥深くにしまい込んできた被爆者の中にも、60年の沈黙を破って体験を語り始めた人がいるという。こうした動きに駆り立てられるのは、核廃絶に暗雲が漂っていることと無縁ではあるまい。

 生き証人である被爆者の平均年齢は73歳に達し、被爆体験はますます風化の危機にさらされる。決して忘れてはならない教訓を、しっかり受け止めるのは私たちの責務だ。反核世論にさらなるうねりを起こすよう努めていかねばならない。

 原爆資料館の展示や語り部の話に「思わず目をつぶりました」「耳をふさいでしまいました」―修学旅行広島を訪れた本県の小学生が書いた平和作文の一節だ。「でも、核兵器をなくすためには知らなければならないと思いました」と後に続く。こうした気持ちを全国民、全人類で共有したい。

 広島平和宣言は、ことしの8月6日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」と位置付けた。原爆使用という過ちを二度と繰り返させてはならない。被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、行動に移すという、世界に対する決意表明だ。

 この決意を一人一人がわがこととして、実践を誓う60年目の夏としたい。

 被爆から60年/非核・非戦の決意忘れまい(東奥日報社説2005年8月6日

 人の命を奪ってはならないが戦時は逆。敵を多く殺すほど評価される。一度に数万人、数十万人を一瞬で殺傷できる兵器を持っていれば戦争を有利に戦える。他国は報復を恐れて攻撃してこないだろうし自国を守ることになる。核武装は必要だ−。

 世界の国々はそんな論理核兵器の増産競争をした時代に後戻りしないよう申し合わせたはずなのに、一層の核軍縮、核不拡散などを目指して五月に国連で開かれた核拡散防止条約の再検討会議は決裂した。

 北朝鮮は二月、核兵器保有を宣言した。米国は新型核兵器研究を進めている。核兵器闇市場を通してテロリストに渡る危険性も高くなっている。

 核廃絶への道が険しくなっている今こそ、ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモア核兵器の決意をあらためて固めたい。

 太平洋戦争末期の一九四五年八月、米軍は六日に広島、九日に長崎原爆を落とす。この年末までに広島で約十四万人、長崎では約七万人が亡くなった。多くは非戦闘員だった。

 放射線による後障害に苦しんだり、障害が発症する不安と闘っている人が少なくない。被爆した母のおなかにいて今は五十九歳。知能が幼児のままで生活している人もいる。被爆後に日本を離れた在外被爆者の救済も求められている。

 被爆から六十年たつが決して過去の話ではない。人類が史上初めて手にした最も非人道的な大量殺りく兵器による被害の深さや広がりが、核保有国が核兵器実験以外に使えないでいる主因の一つともされている。

 そうだとすれば、政府は唯一の被爆国として惨禍を後世に、世界に伝え、核兵器のない平和国際社会の実現のために力をもっと尽くすべきだ。

 衆議院が二日採択した戦後六十年決議は、わが国の過去の行為がアジアの国々などに多大な苦難を与えたと深い反省を表明した。その上で、核兵器の廃絶や戦争の回避に最大限の努力をするよう政府に求めている。

 十年前の戦後五十年決議が踏み込んだ植民地支配への言及を避けたという批判がある。日本は、米国の「核の傘」の中に入っていながら核廃絶を訴えるという矛盾も抱えている。だが、政府被爆国が果たすべき責任や役割を忘れてはならない。

 被爆者は今、全国で約二十六万七千人いる。二十五年前に比べて十万人以上減っている。かつて百人を超えていた本県の被爆者も八十九人になった。

 被爆者の平均年齢は七十三歳と高齢化している。体験を語ることができる人が少なくなってきた。生々しかった惨禍の記憶も、国民の間では薄れつつあるようだ。

 だが、忘れ去るわけにはいかない。私たち一人一人が意識して、戦争原爆の資料展を見に行ったり、図書館に足を運んで本を読んだりする。そうした追体験を繰り返し、非核・非戦の思いを何度も胸に刻みつけることが大切ではないか。

 「災害は忘れたころにやってくると言われるが、戦争は忘れるから起こる」。東京大空襲を体験している作家早乙女勝元氏の指摘もかみしめながら、被爆六十年の夏に向き合いたい。

 原爆投下60年・第二の核時代憂う 国のエゴ捨て廃絶実現を(琉球新報社説2005-8-6)

 60年前のきょう、広島は一瞬のうちに焼き尽くされた。そして3日後には長崎原爆の投下である。爆発と放射線の影響により、1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万4千人が命を奪われた。人類が決して使用してはならない兵器であった。戦後米国旧ソ連が核軍拡を競い合った。両国冷戦は終わったものの、核の脅威は小さくなるどころか、「第二の核時代」と呼ばれるほどの憂慮すべき事態を招いている。米国は、「使える核」開発の道を突き進みつつある。核は決して平和をもたらすものではないことは明らかである。それどころか世界平和を脅かすものでしかない。

空洞化するNPT

 今年5月、核兵器削減へ大きな転機となりうる国際会議があった。ニューヨーク国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議だ。しかし何ら成果を挙げることなく閉幕した。

 同会議では2000年の前回会議で採択された「核兵器廃絶への明確な約束」を再確認することへの期待があったが、「使える核」開発を模索する米国の思惑通り、「約束」はほごにされた。成果ある文書を採択できなかったのは90年の再検討会議以来で、最終日の本会議では各国代表から失望の声が噴出した。

 米国務省当局者は「包括的核実験禁止条約CTBT)は死文。合意書はなくてもいい」と言い切り、同政府高官は「『核兵器廃絶への明確な約束』は受け入れられない」と述べたという。結局は大国のエゴが際立つ結果となった。

 しかし「約束」が完全に闇に葬られたわけではない。有効性を再度確認するために、国連をはじめ各国政府、非政府組織NGO)などは粘り強い行動を続けてほしい。さらにNPT体制が崩壊せぬよう、核保有国、非核国が歩み寄る努力を続けるべきである。

一人一人が行動を

 広島市秋葉忠利市長は、原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)で読み上げる「平和宣言」を発表した。それによると、今年10月に開かれる国連総会で、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会を設置するよう求める。

 宣言では、原爆の投下されたこの日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」とした。被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、そして行動に移す決意を世界に表明する。

 地獄のような地上戦があった沖縄に住むわたしたちは、そのことがよく理解できる。広島長崎の方々の声を聞き、核廃絶のための運動を広げる使命がわたしたちにもある。

 世界には現在、1万5千発を超える核弾頭が備蓄、配備されている。インドパキスタンは既に核実験を強行し、北朝鮮イランも核開発疑惑をもたれている。さらに「闇の核市場」の存在が、テロリストへの核拡散の恐れを生み出している。世界は、破滅への道を歩もうとしているのか。そう懸念されるほど、核をめぐる動きは危うい。

 今、わたしたちに課せられているのは「ノーモア・ヒロシマナガサキ」の実現である。これは世界中の一人一人に当てはまると言っていい。広島長崎の恐ろしい体験をよく知っているわたしたち日本人は、さらにイニシアチブを求められている。先のNPT再検討会議で、日本政府は唯一の被爆国としての発言・指導力が期待されたが、結局、発揮することはできなかった。広島平和宣言を真摯(しんし)に受け止めたい。時が遅くならないうちに行動を。とりわけ、日本政府には米国をはじめとする核保有大国に、しっかりと発言できる毅然(きぜん)さを持ってほしい。

 一方で、核保有国も、自ら兵器削減を進めつつ「核廃絶の明確な約束」をあらためて確認し、NPT体制を立て直すべきである。

 日本原水爆被害者団体協議会が今年7月にまとめた被爆者対象のアンケートで、回答者の約7割が被爆から60年間、健康に不安を感じ続けていることが分かった。自分だけでなく2世や3世への影響まで心配する声が目立った。そして切実な訴えがあった。「二度と被爆者をつくってほしくない」。重い言葉である。すべての人が心に刻み込むべきだろう。

広島原爆の日]核廃絶への決意示そう(沖縄タイムス社説2005年8月6日朝刊)

被爆者の志を受け継いで

 小型核兵器の開発や核テロリズムの脅威が高まる中、広島はきょう六十回目の「原爆の日」を迎える。

 日本戦後「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則を国是として、核の悲惨さや戦争のむなしさ、核兵器の廃絶を訴えてきた。

 だが世界は、米国が「使える核」という新たな兵器の開発計画を打ち出し、北朝鮮核兵器保有を宣言して“瀬戸際外交”を展開。イランも核開発に言及するなど、「核抑止論」を増幅させる不穏な空気に包まれている。

 「おれたちの子どもや孫を被爆者にしない。そのために闘う」。長野県松本市信州大学西門前で「ピカドン」という名の食堂を営む前座良明さんの言葉(本紙五日付シニア面)には、私たちの願いが込められている。

 一瞬にして廃虚と化した広島の街、そして長崎。二度と同じ惨禍を経験しないためにも唯一の被爆国として「ノーモア ヒロシマ」「ノーモア ナガサキ」を叫び続けることは私たちの責務といえよう。

 秋葉忠利広島市長は平和宣言で、この日を「継承と目覚め、決意の刻(とき)」とし、核兵器廃絶を願う被爆者の志を受け継ぎ、責任に目覚め、行動する決意を表明するという。

 国連にも、第一委員会(軍縮)に、核兵器のない世界の実現と維持を検討する特別委員会の設置を求める。

 今年五月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択することができなかった。

 五年前の再検討会議で、核保有国が核兵器廃絶に向けて「明確な約束」をし、包括的核実験禁止条約CTBT)の早期発効を含む核軍縮などを明記した最終文書を採択したことからすれば、後退したと言わざるを得ない。

 核拡散防止など主要テーマについて十分協議できなかったのは、米国と非核保有国が核軍縮と不拡散、原子力平和利用などで対立したからだ。

 だが、NPTの有効性が失われたわけではない。「約束」を死文化させないためにも各国政府国連、非政府組織NGO)は協力して、核兵器禁止条約の締結など、新たな取り組みに着手しなければならない。

放射能被害に苦しむ住民

 CTBTに反対するブッシュ政権は、臨界前核実験を継続する一方で新たな兵器の開発を進めている。

 米国の動きは、核保有国の「占有権」を一層強めるだけでなく、「核の不平等」を広げる危険性もはらむ。

 「戦争の世紀」といわれた二十世紀を乗り越えたにもかかわらず、世界は広島長崎という「核時代」の負の遺産を引きずっているといえよう。

 米国ロシアなどが保有している核兵器は約三万発だ。広島原爆の百四十七万発分に相当し、約二千億人の死者をもたらす量といわれる。

 一方で、一九九一年湾岸戦争で用いられた劣化ウラン弾に見られるように、「放射能兵器」は日常的に使われている。県内でも射爆訓練場で米軍戦闘機が使用したことが判明している。原爆による被爆者が県内にも三百人余もいることを考えれば、被爆の可能性がある弾の使用を許してはなるまい。

 太平洋のマーシャル諸島やカザフスタン、セミパラチンスクなど核実験による汚染地域ではまた、今なお放射線被害が放置され、被爆者を生み続けていることを忘れてはならない。

先制攻撃論は世界に逆行

 七月に、十年ぶりに広島で開かれた第五十五回パグウォッシュ会議年次総会は、核兵器国際社会にもたらす脅威を直視するよう指摘し、「あらゆる国が包括的核実験禁止条約を批准し、兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ条約を締結するよう」訴えた。

 「広島長崎で起きたことは、断じて繰り返されてはならない」のは当然である。そのためにも各国には核廃絶に向けて努力するよう求めたい。

 米国先制攻撃論は「抑止力」を超え、通常戦闘に核兵器利用の道を開くものだ。核廃絶を求める世界の潮流に逆行しており、単独行動主義は到底容認できるものではない。

 広島平和宣言は二〇二〇年までに核廃絶を実現するための具体的な行動を求めている。世界の人々が手を携え、平和を築いていくためにも、政府には核廃絶と不拡散に向けた積極的な外交的取り組みを求めたい。

 原爆の日を前に 『還暦』の誓い新たに(東京新聞05.08.05)

 原爆投下から六十年です。還暦を迎え、日本社会を「戦後の見直し」という波が洗ういまだからこそ、“非核の願い”の意味を問い返さなければなりません。

 広島長崎で、原爆死没者名簿に今年もまた新たな名前が加えられます。原子爆弾は投下から半世紀を超えても、なお人々の命を脅かし侵し続けているのです。犠牲者は四十万人に近づいています。

 原爆は一瞬にして万という単位の人命を奪いましたが、史上に類のない悲劇は一人ひとりの悲劇の積み重なりであることを、まず銘記しなければなりません。「個」を切り捨てた抽象化、統計化は、記憶を、そして歴史を風化させます。

 歴史に埋没する悲劇

 ヒロシマナガサキが風化と戦いながら発信し続けてきた「核廃絶」の訴えは世界に届いているのでしょうか。国際社会はむしろ逆の道を歩んでいるように見えます。

 広島市が一九六八年に始めた核実験に対する抗議は、既に五百八十八回を数え、昨年まで途絶えた年はありません。「核の闇市場」など核拡散の懸念がNPT(核拡散防止条約)体制を揺るがし、北朝鮮が核保有を宣言するなど状況は厳しさを増しています。

 東西冷戦構造が崩壊し、「新しい戦争」が語られるなかで広島長崎の悲惨な経験は歴史に埋没し、忘れられつつあるように思われます。

 「日本政府は核保有国にもっと核兵器廃絶を迫るべきだ」−被爆者たちが悲痛な声をあげています。

 日本原水爆被害者団体協議会が実施したアンケート「わたしの訴え」で、政府に対する被爆者の要望で最も多かったのは、世界非核化への積極的な取り組み(68%)でした。

 小泉純一郎首相は、慰霊と平和祈念の式典で今年も挨拶(あいさつ)しますが、核兵器のない世界を実現するため、日本政府被爆国として先頭に立ってきたとはいえません。

 被爆地にはいらだち

 昨年、広島平和憲法擁護を、長崎憲法平和理念堅持を、それぞれの平和宣言で日本政府に求めたのは、被爆地の人々のいらだちを示すものであり、政治への異議申し立てだったといえるでしょう。

 唯一の超大国としてともすれば恣意(しい)的な世界戦略を展開する米国に寄り添う小泉政治アジア国民衆の神経を逆なでする靖国問題自衛隊の戦力強化、戦争放棄を定めた憲法の改定…大戦の惨禍に学び、日本人が大切にしてきた価値観を否定する動きが目立ちます。

 この国のカジをかつてのような軍事優先の方向に切ることが、「ふつうの国」になることであるとする考えも強まっています。核兵器の保有や使用を法的に容認する極端な意見さえ聞かれます。

 初めて核攻撃を受けた日本人戦争放棄第九条を含む平和憲法を持ったのは象徴的でした。

 核兵器を廃絶すべきなのは、大量殺戮(さつりく)兵器だからという理由だけではありません。科学技術が発達した現代では、核兵器に劣らない大型の通常兵器が開発されています。

 核兵器は、人間の尊厳を無視し、人類の存続さえ脅かす究極の兵器だからこそ、非戦のシンボルとして世界中から真っ先になくさなければならないのです。

 その意味で、非核の思想は非戦の思想にまで高められ、深められなければなりません。戦争加害者でもあり、核の被害者でもあり、かつ平和憲法を持つ日本には、国際社会を引っ張る資格責任もあります。

 貧困、飢餓、富の分配の不均衡などさまざまな矛盾を抱えた国際社会では戦争や紛争が絶えません。米国唯我独尊的な姿勢が憎悪と報復の連鎖を招き、混乱に拍車をかけている地域もあります。

 こうしたなか、口先で唱えるだけの核廃絶はしらじらしく響きます。

 しかし、日本戦後、武力で外国人を殺したこともなければ、外国軍隊に自国民が殺されたこともありません。それを可能にした憲法は誇るべき財産です。

 そうした日本が、言葉だけの非核化ではなくて、非戦を展望する非核化に本気で取り組めば、必ずや世界の人々の共感を得られるに違いありません。

 核の強大な破壊力に打ちのめされた日本が「戦後」を歩み出して六十年、人間なら還暦です。廃虚で誓った「不戦」の実現へ向けて、成熟した行動ができるだけの年輪を重ねたはずでした。

 それなのに昨今の日本社会では、太平洋戦争に至る道のりを思い起こさせるような過度なナショナリズムの高まりが気がかりです。

 ■いまなお新鮮な原点

 アジアの国々をめぐり、加害の歴史を棚上げした、無神経で感情的な言動が、責任ある政治家の間でさえ少なくありません。

 還暦とは単なる仕切り直しではありません。刻んできた足跡を振り返り、生まれた時の原点を再確認することに意味があるのです。六十年前のあの誓いはいまなお新鮮です。

2005/08/03 (水)

 社説比較。

 社説】60年決議 言葉を超えた和解を(朝日新聞2005年08月03日)

 この10年間で何かが変わったのだろうか。きのう衆院で採択された「戦後60年」の国会決議を読んで、そんな思いにとらわれる。

 決議は河野洋平衆院議長の指示で実現した。国連創設や日本の被爆から60周年にあたることも踏まえ、「更なる国際平和の構築への貢献」を約束した。政府に「唯一の被爆国として」「核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦の実現」などへの努力を促した。

 10年前、同じように戦後50年の節目に国会決議が採択された。今回の決議とは違って、その時は激しい論争が巻き起こった。自民党社会党、さきがけの3党連立のもとで、社会党村山富市氏が首相だった。

 過去植民地支配や侵略への反省と謝罪を盛り込むよう主張した社会党に対し、自民党が反発した。「日本だけが植民地支配や侵略をしたわけではない」「前科者として頭を下げるような決議はだめだ」といった批判が飛び交った。

 結局、植民地支配などの表現は入ったものの、与党である自民党から本会議への欠席者が続出。野党新進党も欠席し、決議への賛成者は衆院の議席の過半数にも達しない異常事態だった。

 われわれは社説で「恥ずかしい。悲しい。やりきれない」と書いた。

 あれから10年。今回の決議では「わが国の過去の一時期の行為」がアジアや他国の人々に多大な苦難を与えたとし、反省を表明している。だが、「侵略的行為」「植民地支配」の表現は消えた。

 では、戦後50年決議やその後の「村山談話」にはっきりとうたわれたこうした過去に触れる必要がないほど、われわれの反省はアジアに広く受け入れられたのか。残念ながら、そうではない。

 この10年の間にも、自民党政治家創氏改名韓国併合を正当化するかのような発言を繰り返した。そのたびに、決議の「反省」は色あせた。

 そしていま、日本アジア外交は八方ふさがりに陥っている。中国での激しい反日デモなどをめぐって、小泉首相は4月のアジアアフリカ首脳会議村山談話の表現をなぞり、理解を求めなければならなかった。

 和解は進んでいない。むしろ事態は深刻化しているように見える。

 国会決議に「侵略」などの表現が入らなかったからといって、反省の気持ちが後退したとは思いたくない。野党の要求で「10年前の決議を想起し」という一文が挿入され、戦後50年決議を踏襲する形にはなっている。

 自民党民主党に退席、欠席した議員がいたとはいえ、賛同した議員は前回とは比べものにならないほど増えた。

 近隣諸国との付き合いがうまくいっていないこんな時期だからこそ、国会の意思として改めて反省を表明したことは意味がある。この趣旨が少しでも生かされ、和解が進むよう国会自身が努力する責任がある。

 ■【主張】戦後60年決議 10年の劇的な変化を無視(産経新聞

 戦後六十年の決議が衆院本会議で採択された。抽象的な文言に終始し、重要な節目を迎えた国の立法府としての決意が伝わってこない。

 決議は歴史認識について「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげる」としている。

 十年前の平成七年六月、自社さ政権下の衆院で、新進党欠席のまま、議員数の半数にも満たない賛成で可決された戦後五十年の「謝罪・不戦決議」には、「植民地支配」や「侵略的行為」との表現があった。今回の決議には、そのような一方的な歴史認識の表現はなく、この点は評価されてよい。

 しかし、その代わりに、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」という文言が加えられた。「植民地支配」や「侵略」の言葉を入れるべきだとする野党と、これに反対する自民党との妥協の産物である。依然として、社会党出身の村山富市首相時代の歴史認識から脱却できていないといえる。

 この十年で、日本を取り巻く国際環境は大きく変わった。

 平成十年、北朝鮮がテポドンを発射し、十一年には、北の工作船の領海侵犯による自衛隊初の海上警備行動が発令された。二〇〇一(平成十三)年の米中枢同時テロ以降は、日本自衛隊も国際テロ撲滅の一翼を担うようになった。さらに、平成十四年九月、金正日総書記が拉致事件を認め、北の国家犯罪が白日の下にさらされた。

 国家意識が希薄になりがちだった戦後日本人も、「国家」や「主権」を意識せざるを得ない状況が生まれた。だが、今回の戦後六十年決議は、こうした十年間の変化を、ほとんど考慮に入れていない。

 相変わらず、「世界連邦実現」「人類共生の未来」といった地球市民的な理念が書き連ねられている。これでは主権国家としての意志がはっきりとせず、何も言っていないのに等しい。この戦後六十年決議に、自民党安倍晋三幹事長代理や拉致議連会長平沼赳夫氏らは途中退席したが、その行動にはうなずけるものがある。

 国権の最高機関として、あまりにも空虚で現実味に乏しい決議である。

 ■【主張】靖国神社 静かな追悼の場としたい 赦免決議の原点を大切に(産経新聞2005年8月1日

 戦後六十年目の終戦記念日が近づき、靖国神社を取り巻く環境が騒がしい。首相の参拝は是か非か−。いわゆる「A級戦犯」を分祀(ぶんし)すべきか否か−。だが、いま大事なことは、そのような議論より前に、そもそも靖国神社とは日本人にとっていかなる場所なのかに思いを致すことである。

 靖国神社には、戊辰戦争以来、国のために亡くなった二百四十六万余柱の霊がまつられている。このうち、二百十三万余が第二次大戦の死者の霊だ。沖縄戦で倒れた高等女学校の「ひめゆり部隊」や、旧日本領の樺太で任務を果たした後に自決した真岡郵便局電話交換手らも含まれている。心ならずも戦死した人もいれば、信念をもって国に殉じた人もいる。

≪参拝乱す者の排除を≫

 毎年、五百万人の参拝者が訪れる。以前は、戦死者の妻や子にあたる遺族が多かったが、最近は、若い人が目立つ。それぞれの思いや追悼の仕方はさまざまである。どんな形でもよい。国民がいつも心静かに戦没者を慰霊することのできる場、それこそが靖国神社であろう。

 小泉純一郎氏が首相として初めて参拝した四年前の夏、靖国神社は異様な騒音に包まれた。参拝に賛成するグループの一部は街頭宣伝車を繰り出し、または境内で「万歳」を叫び、反対グループは「参拝反対」のシュプレヒコールを繰り返した。

 しかし、右であれ左であれ、靖国神社の静寂を乱し、冒涜(ぼうとく)する行為は放置されてはならない。神社側には警察当局の協力を得て厳しく対処する責任がある。靖国神社イデオロギー闘争の場ではない。中国韓国からの干渉も、静かな追悼の場を乱すものである。参拝したくない人は行かなくてよいのである。

 靖国神社には、東京裁判死刑を含む有罪判決を受けた東条英機首相ら「A級戦犯」や、外地などで処刑された「BC級戦犯」の霊がまつられている。国民が「戦犯」を国内法では犯罪者とみなさず、許したからだ。

 昭和二十八年八月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。共産党は武装闘争路線により議席数を大幅に減らした時期である。当時の左派社会党もこの赦免決議に賛成した。

 これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れた「A級戦犯」を昭和三十一年三月末、「BC級戦犯」を同三十三年五月末までに、それぞれ釈放した。また、刑死獄死した「戦犯」の遺族に年金が支給されるようになった。旧厚生省から靖国神社に送られる祭神名票にも「戦犯」が加えられ、これに基づき合祀された。

 同じ敗戦国のドイツはいまも、ナチス指導者を許していない。ナチスが行ったユダヤ人虐殺は通常の戦争犯罪とは異なり、人類史上、未曾有の計画的な国家犯罪だったからである。

 だが、日本国民は自国の戦争指導者ナチス指導者と同等には扱わなかった。この原点をあらためて思い起こしたい。

 もちろん、東条元首相らの戦争指導責任が免れたわけではない。靖国神社にまつられていない東京大空襲広島長崎原爆による非戦闘員の死者を含めると、先の大戦で三百万人を超える日本人が犠牲になった。先の戦争を賛美するようなことはあってはならない。悲惨な結果をもたらした敗戦責任は当然、問われるべきである。しかし、それは、東条元首相らを慰霊することとは別の問題である。

≪待たれる天皇ご親拝≫

 天皇陛下靖国神社ご親拝が途絶えて久しい。首相の参拝の次には、天皇陛下のご親拝を、多くの遺族は願っているのではないか。昭和天皇の最後の靖国参拝は「A級戦犯」合祀の三年前の昭和五十年十一月である。その年、当時の三木武夫首相は初めて「私人」と公言して靖国神社に参拝した。国会でも、「天皇靖国参拝は公的か私的か」と問題にされた。天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう。

 その後も、靖国神社の春秋の例大祭には、勅使が派遣され、各皇族が参拝されている。天皇陛下のご親拝を仰ぐためにも、靖国神社を元の静かな追悼の場にしなければならない。

 社説:『憲法』一次案 身が入らぬ自民の論議(東京新聞

 「自主憲法制定」を掲げる自民党。その考える新憲法の条文案がこれなのか。郵政騒ぎのただ中という事情はさておき、身が入った議論の末の出来栄えとはとても思えない。「前文」をまず示せ。

 党の新憲法起草委員会事務局によれば、改憲論議を促すたたき台であるという。初めて条文ごとの改定案を提起した。広く意見を求め、十一月の結党五十周年党大会までの改憲案完成を目指す。

 一見して分かるのは、自主憲法とは名ばかりの「現行条文準拠」だ。旧仮名遣いや表現を改め、条項の整理に力点が置かれた。その中で異色さでひときわ目を引くのが「戦争放棄」を「安全保障」と言い換えた現行憲法九条の大幅書き換え、そして改正発議の条件の緩和である。

 改憲の照準は主としてここに向けられている、といっていい。他のほとんどの条文が今の憲法をなぞっているのは、改憲に必要な多数派形成へ、民主党公明党が近寄りやすくするための思惑からだろう。

 焦点の九条には「自衛軍」の保持がうたわれた。現行九条に準じて、国際紛争を解決する手段としての戦争武力行使、武力による威嚇はしないと定める一方、自衛軍は「国際的に協調して行われる活動」、つまり海外での軍事行動を「行うことができる」と明記している。

 軍の暴走を抑える意味で、国際法規や慣例の順守、事前または事後の国会承認、首相の指揮監督権など、くどいほどの文言を並べながら、武力行使の範囲にかかわる具体的歯止めには触れていない。集団的自衛権行使の是非の言及も避けている。

 海外での武力行使には自民党内も賛否で割れる。海外活動そのものにも、今の憲法下で自衛隊イラク派遣がなされたことで改憲の緊急性を疑う声がある。逆に、解釈改憲が許容の限度を超えるとして歯止めをかけるための改憲を唱える立場の人の懸念にも、一次案は応えていない。

 疑問や懸念が募るのは各条項を貫く理念、それを明示する前文案が提起されていないからだ。前文がどう起草されるかで九条案の変更もあり得ると起草委幹部は言う。それでは議論に身が入らないのも当然だ。

 今さら皇国史観や復古調の前文など国民には受け入れられまい。議論に値するたたき台を出すことだ。

 一次案は地方自治条項を手厚くした。が、地方の常識になっているのを追認するだけでは意味が乏しい。

 国の宗教的活動に除外規定を設けた宗教条項も、首相靖国参拝にお墨付きを与えるのが狙いならば、憲法論議は一気にしぼんでしまう。

 靖国参拝小泉首相に「8月15日」求める声明 5団体

 日本会議国会議員懇談会(会長平沼赳夫経済産業相)など国会議員学者らでつくる5団体は2日、国会内で記者会見し、小泉純一郎首相に対し終戦記念日の8月15日に靖国神社参拝を求める声明を発表した。声明は首相靖国参拝に反発している中国韓国に「内政干渉に抗議する」とした上で、新たな国立戦没者追悼施設の調査費を予算案に計上することにも反対している。(毎日新聞 2005年8月3日

2005/07/30 (土)

 学歴教科書 岡山総社市教委 扶桑社採択を断念 抗議相次ぎ一転

 岡山県総社市教委は29日、臨時教育委員会を開き、来春から使用する中学歴教科書として大阪書籍教科書を採択した。同市は当初、新しい歴史教科書をつくる会メンバーらが執筆した扶桑社歴史教科書の採択を目指して共同採択地区の離脱を文部科学省に要望していたが、一転して断念した。

 これに先立つ同日午前、中山成彬文科相は閣議後記者会見で、岡山県教委から事情を聴く意向を明らかにした上で、採択期間中の採択地区変更は可能との見解を示していた。

 総社市が扶桑社採択を求めていることが報道されたこの日、市役所には抗議の電話電子メールが相次いだ。

 竹内洋二市長は「いったん決めたことは貫いてほしかったが、教育委員会には介入できない。私としては扶桑社の教科書が最もふさわしいという見解に変わりはない。大臣にまで見解を出していただいて申し訳ない」と話している。【2005/07/30産経新聞

 教科書問題:「戦争美化」に反論−−愛媛1000人委が声明 /愛媛

 今年8月の中学校歴史教科書の採択に絡み「教科書を改める愛媛1000人委員会」(宮川康会長)のメンバーが29日、県内の全教委にあてた「採択の際に外部の不当な介入に屈しない」ことを求める声明を発表した。今後、各教育委に提出するという。

 声名は、扶桑社の教科書が「戦争を美化している」と言われていることについて、根拠を示していない中傷と批判し「学習指導要領目標が大切な基準」と主張。その上で「韓国人中国人まで動員して行われる採択妨害を毅然(きぜん)として排除し、子供達と我が国の将来にとって、最も優れている教科書を採択することに全力を挙げていただくことを要望します」と訴えている。

 宮川会長は「子どもたちが、自国への愛情を深められるような教科書が採択されてほしい」と話した。【伊藤伸之輔】(7月30日毎日新聞

 教科書採択 こんなやり方でいいのか(朝日社説

 東京都教育委員会は、来春から東京都立の中高一貫校などで使う歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版を採択した。

 「つくる会」の教科書は4年前の検定で合格し、採択の対象となった。今回は2度目である。

 私たちは4年前の検定時も今回も、この教科書について、教室で使うにはふさわしくないと主張した。光と影のある近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観が強すぎると考えるからだ。

 そのことは別にしても、都教委の採択のやり方は、きわめて問題が多いと言わざるを得ない。

 まず、歴史教科書の選定にあたって、とくに着目する点として(1)北朝鮮による拉致問題の扱い(2)日本神話や伝承(3)竹島尖閣諸島の扱い、を挙げて一覧表をつくったことだ。

 いずれも「つくる会」が力を入れている項目であり、8社の教科書の中では神話などの記述が最も多かった。

 歴史教科書は、日本の長い歴史というものを教科として学ぶための教材である。この3点が大事でないというつもりはない。しかし、何よりも重要な項目だろうか。

 都教委は、中高一貫の各校ごとに、歴史上の人物文化遺産などの観点を加えた資料を作成し、点数化している。

 検定を重ねるようで点数化には賛成できないが、合計点が最も高いのは4校とも扶桑社以外の教科書だった。

 着目する3点の結果と調査資料の合計点が食い違えば、教育委員会は慎重に検討するのが当然だろう。だが、何の議論もないまま「つくる会」の扶桑社版が採択された。

 これでは、都教委は初めから扶桑社版の採択を決めていたのではないかと言われても仕方あるまい。

 なかでも見過ごせないのは、都教委が学校意見を排除していることだ。

 教科書を使うのは教師と生徒である。教育学校全体の取り組みであり、各校とも子どもたちに何を、どのように学習させるかを真剣に考えている。どんな教科書を使うかは保護者にとっても大きな関心事だ。

 教育委員会が一方的に教科書を選び、現場に押しつけるようなやり方では、学校や教師の意欲が低下しかねない。

 東京都教委は卒業式でも教員の処分を振りかざして日の丸君が代を強制してきた。教科書採択でも同じような押しつけを繰り返すつもりだろうか。

 法律の上では教科書は各地の教育委員会が決めることになっている。それでも多くの教育委員会が学校や教師の声も参考にして決めてきた。それが子どもたちにとって有益だと判断したからだろう。

 教科書採択は、8月末の期限を控えてこれからというところが多い。教育現場の声にも耳を傾け、選んだ経緯は公表して丁寧に説明する。そうした採択であってほしいものだ。

2005/07/29 (金)

 中学歴史教科書 岡山総社も「扶桑社」選ぶ 地区協否決、文科省に単独採択要望

 岡山県総社市教委が、来春から使用する中学歴史教科書として、新しい歴史教科書をつくる会メンバーらが執筆した扶桑社の教科書を選んでいたことが28日分かった。同市などで構成する共同採択地区は別の教科書を決めたため、総社市は文部科学省に対し、採択地区から離脱して単独で扶桑社を採択したいと要望した。教委の意向と共同採択地区の結論が食い違うケースは茨城県大洗町でもあったが、市は単独で採択地区になることができるため、文科省の見解が注目される。

 関係者によると、総社市教委は26日の教育委員会で扶桑社を採択すべきだとの意思を確認した。総社市は倉敷市など2市7町で同じ教科書を選ぶ「倉敷採択地区」を構成しており、同日開かれた地区協議会扶桑社採択を主張したが紛糾。翌日再び協議会が開かれ、多数決で大阪書籍教科書が選ばれた。

 同様のケースは茨城県大洗町でもあったが、採択権が教育委員会にあると定められている一方、採択地区の最小単位は「市もしくは郡」とされており、同町は正式採択を断念し副教材として扶桑社教科書を使用する。

 しかし総社市は採択地区になることができるため、文科省は採択協議会後も採択地区の変更ができるかどうか検討している。総社市立中は4校で、来年度の1年生は約520人の見込み。

 教育委員の任命権者である竹内洋総社市長は「日本に誇りを持つことで自分に自信を持つ子供たちを育てることができる。そのために扶桑社の教科書が最もふさわしいという認識で私も5人の教育委員も一致している」と話している。【2005/07/29産経新聞


 扶桑社教科書 総社市の単独採択可能 文科相、地区離脱認める見解

 岡山県総社市教委が、教科書共同採択地区を離脱して新しい歴史教科書をつくる会メンバーらが執筆した扶桑社歴史教科書を採択したいと求めている問題で、中山成彬文科相は二十九日の閣議後記者会見で、採択期間中の採択地区変更は可能との見解を示した。総社市が単独で扶桑社を採択できる可能性が出てきた。

 中山文科相は、採択地区の変更が法解釈上可能かとの質問に対し「そうだ。市と郡が採択地区だ」と述べた上で、「地元で協議を重ねて結論を得ることが重要岡山県教委に事情を聴いていきたい」と、文科省として調査する意向を示した。

 総社市は倉敷市など二市七町で同じ教科書を選ぶ「倉敷採択地区」を構成。二十六、二十七の両日開かれた地区協議会扶桑社を採択すべきだと主張したが、多数決で大阪書籍教科書が選ばれていた。

 同様のケースは茨城県大洗町でもあったが、採択権が教育委員会にあると定められている一方、採択地区の最小単位は「市もしくは郡」とされており、同町は正式採択を断念し、副教材として扶桑社教科書を使用する方針を固めている。

 しかし、総社市は法解釈上、今からでも採択地区になれる可能性があるため、倉敷採択地区を離脱して単独の地区になり扶桑社を採択したいと文科省に要望している。(7月29日産経新聞

 人物・文化財で教科書“点数化”

 来春から中学校で使う教科書を選ぶために都道府県教育委員会が作成する「選定資料」で、特定の項目の記述個所数などを「数値化」する動きが出ている。二十八日に中高一貫校用などに「新しい歴史教科書をつくる会」が主導する扶桑社版の歴史と公民の教科書を採択した東京都教委も同様だ。「教科書を客観的に比較・検討するため」というが、教育関係者からは「項目の設定に政治的な意図が働く恐れがある」と批判的な意見も出ている。 (社会部・高橋治子、片山夏子)

 教科書の採択権限は、公立高校都道府県教委に、公立小中学校は市区町村教委にある。今年は四年に一度の中学校教科書の採択時期に当たり、市区町村教委を指導、助言する立場の都道府県教委が「選定資料」を作成し、参考に示している。

 数値化が現行のような形で導入されたのは、首都圏では都が二〇〇〇年、神奈川が〇一年埼玉が今年から。千葉は導入しておらず、群馬栃木茨城は数値化の有無を含めて内容を公表していない。

 歴史教科書に関する選定資料の場合、都は人物、文化遺産、他民族の文化・生活等、東京に関する歴史的事象、人権に関する課題、国際関係・文化交流の六項目の記述個所数を一覧表で比較し、三項目で扶桑社版が一位だった。また、拉致問題神話・伝承などに関する記述内容を一覧表にして比較できるようにした。

 神奈川も人物の数や同県に関連する記述個所を数値化。さらに、北方領土竹島尖閣諸島慰安婦、強制連行、拉致の各項目について、記述個所と記載内容を比較する資料を作成した。

 項目の選び方について、同県教委子ども教育支援課は「前回の採択以降、話題になった今日的な問題を取り上げた。問題の切り取り方はさまざまなので、記述の仕方が参考になれば」と話す。

 埼玉も同県に関連する歴史的事象を一覧表にしたほか、索引に出てくる人物、文化遺産、国際関係・文化交流の数を比較。同県教委義務教育指導課は「記述による比較は主観が入りやすい。客観性を高めようと、数値化を導入した」と話す。

 東京十三区では長年、「学校票」といわれる教員からの希望が最も多い教科書を採択してきた。

 だが、一九九七年に「つくる会」や、自民党安倍晋三氏や中川昭一氏らをメンバーとする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(現・議員の会)」が発足。「教職員組合の影響で自虐教科書が採択されている」として、学校票の廃止や、教育委員会の採択権限の明確化を求める運動を展開してきた。

 こうした運動が数値化の導入に影響したと指摘する声もある。

 ある教科書会社の編集担当者は「例えば何を『文化遺産』とし、何を『国際問題』とするのかで、数字が全く変わってくる」と、数値化による客観性に疑問を呈する。さらに「数を多くすれば、生徒が消化不良を起こす。学びやすさや特色など、数値化によって、重要なところが見落とされてしまうのではないか」と、弊害を危ぶむ。

 佐藤学・東京大教授学校教育学)は「検定合格した教科書を、都道府県教委が二重検定することになり、問題だ。教育委員は知事が任命するため、政治色の強い項目が設定される恐れもある。本来は教員が教科書選びの中心になるべきで、学校ごとに教科書を採択するのが望ましいあり方だ」と話している。(東京新聞

 教科書問題:都教委「つくる会教科書採択、市民団体の抗議相次ぐ /東京

 ◇「いきなり採決、審議といえぬ」

 「十分、審議は尽くしたのか」。都教育委員会が28日、都立の中高一貫校の中学4校と養護、ろう学校21校で、採択を決めた「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社歴史教科書教育委員6人が、無記名で各教科の教科書を選び、多数決で決めたが、「つくる会教科書については全員一致で、意見交換は行われなかった。教職員や保護者らさまざまな団体から抗議が相次いだ。

 中高一貫校の第1号として、今年4月開校した都立白鴎高校付属中学が昨年、歴史教科書扶桑社を採択したのに続くもの。同校と来春開校する両国高校付属中、小石川中等教育学校小石川高校の改編)、桜修館中等教育学校都立付属高校の改編)の4校で、歴史教科書を採択。養護、ろう学校21校は中学社会歴史と公民で、扶桑社を採択した。

 委員会終了後、会見した「『つくる会教科書採択を阻止する東京ネットワーク」の三浦久美子事務局長は「いきなり投票が行われ、あれで審議といえるのか。採択の期限まで1カ月残っている。十分に議論すべきで、採択の撤回と手続きのやり直しを求める」と抗議した。

 障害者団体や元養護学校校長らも「障害者への人権侵害が平然と行われていた大日本帝国憲法教育勅語を礼賛する教科書の採択は許されない」と緊急アピールを出して反対の声を上げた。4校の高校OBの有志や労組なども相次いで抗議声明を出した。【猪飼順】(7月29日毎日新聞

2005/07/28 (木)

 全中高一貫校で採択 都教委、つくる会教科書

 東京都教育委員会(委員長木村孟・中教審副会長)は28日、来春開校の都立中高一貫3校で使う中学歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書扶桑社発行)を採択した。

 今春開校した中高一貫1校用にも扶桑社版をあらためて採択した。4校とも教育委員6人全員が扶桑社版に投票した。都立中高一貫校すべてで来年度から4年間、使われることになった。一部のろう・養護学校用の中学歴史、公民教科書扶桑社版を採択した。

 栃木県大田原市教委は13日に扶桑社版の歴史、公民教科書を採択、市区町村立中学として全国初の使用が決まった。

 扶桑社版について韓国中国は「歴史を歪曲(わいきょく)している」と反発し、国内でも「アジアへの侵略の歴史正当化している」などと批判の声がある。

 都教委によると、都立中高一貫校は、今春開校した白鷗高校付属中学校台東区)と、来春開校する小石川中等教育学校文京区)、桜修館中等教育学校目黒区)、両国高校付属中学校墨田区)。

 3校の母体となる高校卒業生市民団体が、扶桑社版を採択しないよう都教委に要請していた。

 扶桑社版について都教委は2001年8月、一部の養護学校用に歴史、公民教科書を採択。昨年8月には、白鷗高付属中学用に歴史教科書を採択していた。

 都教育委員6人は木村委員長と元丸紅会長の鳥海巌氏、将棋棋士米長邦雄氏、脚本家内館牧子氏、経済同友会憲法問題懇談会委員の高坂節3氏、中村正教育長。(東京新聞

 「過ちは…」の原爆慰霊碑削られる 広島、男が出頭

 26日午後11時ごろ、広島市中区平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑が傷つけられていると、警備員から110番通報があった。ほぼ同じころ、男が「慰霊碑を傷つけた」と広島中央署に出頭した。同署によると、同市内の27歳の右翼団体構成員とみられ、器物損壊の疑いで逮捕する方針。男はハンマーのようなものを袋に入れて持っていたという。

 同署などによると、慰霊碑の碑文にある「過ちは繰返しませぬから」の「過ち」の周辺数カ所が傷ついているという。男は「『過ち』の文字が気に入らない。日本人がつくったのになぜこんな文字があるのか」などと話しているという。

 原爆慰霊碑は1952年、丹下健三氏の設計で建立された。正面に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と碑文が刻まれ、御影石製のはにわ形の屋根が覆っている。碑の内部には、石室があり、原爆犠牲者23万7062人(05年5月現在)の名前が書かれた83冊の原爆死没者名簿が収められている。

 02年3月には、慰霊碑にペンキがかけられる事件があった。(2005年07月27日朝日新聞

特報 『男女共同参画』 法改廃狙い

 女性男性も性別にとらわれず、個性と能力を発揮できる社会を実現するための道筋を示した「男女共同参画基本計画」。その本年度の見直しで、自民党の関連プロジェクトチーム(PT)が計画の柱であるジェンダー社会、文化的な性別)という考え方の否定に乗り出した。狙いは計画の根幹にある「男女共同参画社会基本法」の改廃だ。こうした保守派は、否定の根拠として、米国のある医療事件を挙げるが…。 (田原拓治)

 ことし四月の自民党「過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査PT」(安倍晋三座長)の発足については、今月二日付「こちら特報部」で紹介した。

 その後、PTは「過激な性教育」批判から「男女共同参画社会ベースジェンダー論があると、家族破壊、国家破壊になる」(五月のPT集会で、事務局長・山谷えり子参院議員)とし、ジェンダーという概念自体の否定に乗り出した。

 山谷氏は今月十四日の党内閣部会などとの合同会合でも「誤解を招くジェンダーという言葉を(本年度見直しの)改定基本計画で直してほしい」と訴えた。

 ジェンダーという言葉はなじみが薄いが、生物学的な性別を表す「セックス」に対し、人為的につくられた「社会、文化的な性別」を指す。例えば、「女性は補助職向き」「男性仕事女性は家庭」といった考えは、既成のジェンダーに根ざすとされてきた。

 人為的な産物なら改革は可能だ。実際、一九九九年施行の男女共同参画社会基本法ではこうしたジェンダーに基づく差別偏見の排除を法の柱にすえてきた。

 一方、保守派ジェンダーは虚構だとし、性別にはセックスしかなく、「男は外で働き、女性は家事・育児」といった役割分担はセックスの差異に基づき歴史的につくられた伝統、文化で不変だと強調してきた。

女性学も批判 教員ら反発

 山谷氏は「女性学やジェンダー学を大学で充実させるとの文言が(男女共同参画基本計画に)あるが、これも問題だ」とも述べ、ジェンダー学に携わる教員らの反発を招いている。

 では、ジェンダー論否定の根拠とは何か。

 同氏は「『ブレンダと呼ばれた少年』にあるようにジェンダー論は米国では間違っているとされている」と、同国で実際にあった事件を題材にしたノンフィクション作品を指摘した=メモ参照。

 翻訳本は五月、「新しい歴史教科書をつくる会会長八木秀次高崎経済大学助教授の解説付きで、扶桑社から復刊された。

 八木氏は解説で、少年の悲劇を生んだ米国の性科学者ジョン・マネー氏が説く「性別の自己認識(性自認)は与えられた環境により決まる」との学説こそ、男女共同参画を推進した日本ジェンダー学者らが依拠したものと決めつけた。

 そのうえで「男らしさや女らしさは脳科学が証明するように生得的なもの(セックス)が基礎」で、環境が「らしさ」を左右するというジェンダー論は、マネー氏の「生体実験」の失敗で破たんしたと宣告。「マネーの学説に依拠している我が国の男女共同参画政策は大きな批判を受けることになるだろう」と山谷氏の発言を“解説”している。

 では、日本ジェンダー論者は、マネー理論を支持しているのだろうか。

 明治学院大の加藤秀一教授ジェンダー学)は「日本ジェンダー論では、性自認は生得、環境的な要素の複合体とみなすのが一般的認識。また、筋肉量一つとっても、生得的な性差を否定するのではなく、それが女(男)らしさの押しつけにつなげられることを批判してきた。生まれたときは中性というマネー理論との混同は曲解だ」と憤る。

 男女共同参画基本法の策定に携わった東京大学大沢真理教授社会政策)も「ジェンダーに着目することで、生得的な性差にも敏感になる」と反論する。

 ちなみに、翻訳本の解説で大沢氏らを名指しで批判した八木氏に対して、勤務先の高崎経済大と「つくる会」を通じ、取材を要望したが返答はなかった。

 一方、「ブレンダと呼ばれた少年」で「マネーの嘘(うそ)を暴いた」(八木氏)と保守派に評価されているのがハワイ大医学校解剖学生殖教授ミルトンダイアモンド氏だ。だが、同氏は自著の「人間の性とは何か」では、性別が生物学的因子(脳)だけに由来するという説、「生まれたときは中性」というマネー理論の双方を否定している。

 本紙の取材に対し、同氏は「人間の性別は生物学的な資質と社会、文化的な力が働きあった混合体。個人において、その混合がどう現れてくるかは、だれも予想できない」と話した。

 保守派は、ジェンダー論が「性的秩序、性規範の否定」(PHP刊『新・国民の油断』で八木氏)を引き起こすと断ずるが、ダイアモンド氏は「(ジェンダー論が登場する)ずっと以前から、日本では“将軍”の時代に女性になりたかった男性やその逆のケース、同性愛者もいたではないか」とそんな懸念を一蹴(いっしゅう)した。

 さらに、同氏は「私は倫理的に個々人が他人を傷つけない限り、性的関係やジェンダーの表現について、各自の性向に委ねることが許されるべきだと考える。他者に男らしさや女らしさを背負わせてはならないし、特定の道を強いてはならない」と強調。生き方を選ぶ権利を無視して、判断ができない乳児期に「特定の道」を強いた点こそがマネー氏の誤りと指摘した。

 事件を告発した同氏は、男女共同参画の理念と同様に「男(女)らしさ」よりも「個」の優先を主張しており、保守派とは逆の「事件の教訓」を導いている。

 「ブレンダの悲劇」によってマネー理論は否定された。だが、山谷氏の解釈とは裏腹に、日本ジェンダー論、個人を尊重するという参画理念の正当性は逆に強まったとも映る。

 ただ、保守派ジェンダー論否定のもう一つの証左として、男性(あるいは女性)として育ちつつも、性別違和感を訴える「性同一性障害」を挙げる。胎児の脳への母体のホルモン分泌異常が「障害」の原因という推論があるからだ。

■生得か環境か二者択一誤り

 だが、数多くの当事者と接してきた精神科医、針間克己氏は「有力な推論だが、現実は複雑で、生得か、環境かという二者択一で原因は割りきれない」と語る。結局、保守派の矛先はどこに向いているのか。性の領域だけなのだろうか。

 「新・国民の油断」で八木氏との共著者である「つくる会」名誉会長西尾幹二氏はこう記している。

 「集団就職が盛んだった時代、(就職先の社長らの勧めで、青年たちは)何も文句を言わないでどんどん家庭をつくって、うんと子供を産んで(略)日本は生命力にあふれていました。個を無視しているからいけないとか、自己決定がどうとか、そういうくだらないことは誰も言わなかった」

 対照的に、ダイアモンド氏は「個」や「自己決定」を尊重する立場から、こう結論付けている。

 「ジェンダーや性的関係について、個人の選択や意見に介入する権利など、だれ一人持ってはならない」

メモ

 「ブレンダと呼ばれた少年」 米国ジャーナリスト、ジョン・コラピント氏のノンフィクション。包皮切除手術に失敗し、男性器を損傷した乳児(デイヴィッド)が1967年、米国の性科学者ジョン・マネー氏の勧めで、女性ホルモンの投与を受けつつ、女児(ブレンダ)として育てられた。だが、「ブレンダ」は男性としての自己を訴え続け、14歳で男性として性別再判定を受け、後に結婚する。この問題を追った性科学者ミルトンダイアモンド氏はマネー氏の「性別の自己認識は完全に環境により決まる」という説を批判し、新生児に性転換手術を施す危険性を警告した。

 政府の「ジェンダー概念の扱い 内閣府男女共同参画局は、ジェンダーを「社会的、文化的に形成された性別」と規定、国際文書で正式に利用され、政府も支援している概念としている。具体例として、男性から女性への家庭内暴力(DV)などは「女性男性に従い、我慢すべき」というジェンダーによる思いこみが背景にあると指摘し、そうした押しつけは見直されるべきとしている。(東京新聞

2005/07/14 (木)

 つくる会」の教科書、選定へ…栃木・大田原市

 栃木県大田原市の市立中学全7校(生徒計約1660人)で来春から使う歴史教科書について、大田原市教科書採択協議会の調査員会は、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社発行の教科書が望ましいとする報告をまとめた。

 中学歴史市町村で初

 同採択協議会は12日開かれ、この報告を基に同社の教科書が選定される公算が大きい。市教委は13日に正式に採択を決める方針。つくる会によると、同社の歴史教科書都立養護学校と中高一貫校、愛媛県立の養護・ろう学校と中高一貫校、私立8校の計19校で使われているが、市区町村の全域にわたって使われるのは初めてとなる。同市教委は公民についても扶桑社の教科書を選びたい考えだ。

 今年は全国の公立中学校で来春から4年間使われる教科書の採択年。各都道府県では、3〜54に分けた地区ごとに採択協議会を設けて教科書を選定し、地区内の各教委は8月末までに正式決定する。採択協議会は、地区内の教育長や教育委員長、PTA代表らで構成しており、現場の教師らで作る調査員会が教科書の特徴を研究した報告を基に教科書を選ぶ。

 大田原市は、1市単独で採択協議会を作っており、調査員会は、8社ある中学歴史教科書のうち2社のものを推薦し、そのうち扶桑社の方が望ましいとしている。同社の教科書については、同市教委内や学校で「日本文化に対する誇りと愛情をはぐくむよう配慮されている」などの声が多いという。

 新しい歴史教科書をつくる会

 1996年、西尾幹二電気通信大名誉教授らの呼びかけで発足。当時の歴史教科書を「自虐史観に基づく」と批判し、「日本人としての自信と責任」が持てる教科書を目指した。メンバーが執筆した歴史教科書は2001年4月、137か所の修正を経て教科書検定に合格。今年4月には、改訂版が124か所修正され、合格した。第2次世界大戦での日本軍の行動が、アジア植民地解放を促した側面や、東京裁判の正当性に懐疑的な見方があることなどを記している。(2005年7月12日 読売新聞)

 県内 扶桑社教科書に批判的な組織弱い

 教職員組合事情

 扶桑社の教科書が、大田原市で採択された背景には、同社の教科書に批判的な日本教職員組合日教組)や全日本教職員組合(全教)の基盤が、県内では弱いことが挙げられそうだ。

 県教委によると、県内の公立小中学校教職員が組織する団体は、県教職員協議会(栃教協)、県教職員組合(栃教組)、全栃木教職員組合(全教栃木)の三つ。このうち、日教組傘下の栃教組と、全教傘下の全教栃木は、扶桑社の教科書に反対の立場だ。しかし、各団体によると、栃教組の組織率は1%余りで日教組全体の30%と比べて大幅に低く、全教栃木組織率も1%弱と、全国の8%を下回っている。

 これに対し、「特定思想に偏らない教育の正常化」を掲げて1963年に結成された栃教協は98%の教職員が加入。教科書選定については、「調査員の報告書を反映した、採択協議会市町村教委の決定を尊重する」としている。

 教育委員会非公開で開催

 午前9時から始まった教育委員会には、海外出張中の1人を除く4人の委員が出席した。会議の冒頭、小沼教育長が「非公開でお願いしたい」との提案し、他の委員も同意。

 すでに入室していた傍聴人10人と報道陣は退室を求められ、傍聴人が「なぜ非公開なのか」「こんなふざけた教育委員会はない」などと声を荒らげる場面もあった。

 非公開としたことについて、小沼教育長は委員会終了後の会見で、「静ひつな環境のもとで審議をして欲しいという県教委からの指導もあり、よそでも非公開が普通なので、それに準じた」と説明。会議の具体的な内容については、「約2週間後に議事録を公開する」とした。

 ■黒羽、湯津上も合併で使用へ

 大田原市は10月に黒羽町と湯津上村を編入合併するため、扶桑社の教科書は、両町村でも使われる。同市立中学校は7校で、生徒数は約1660人だが、両町村の5校を加えると、12校、計約2270人となる。

 黒羽、湯津上両町村の教育長は今回、大田原市の教科書採択協議会オブザーバーとして参加。また、社会科以外だったが、8人の教諭が調査員を務めた。

 黒羽町の新江侃(つよし)教育長は「調査員の意見を尊重し、指導要領に沿った適切な教科書を採択した。調査員を出させてもらい、配慮してもらった」と評価したが、中学校1年の二男を持つ同町の主婦(43)は「内容が偏ってないか心配。もう少し黒羽町の意見も聞いてくれたら良かった」と話した。

 ■賛否のメール市教委に殺到

 大田原市役所や市教委には、13日も賛否双方の電話ファクス電子メールが相次ぎ、教委学務課では同日正午ごろから午後5時ごろまで、同課にある15台のパソコンすべてでインターネットの閲覧や電子メールの受信ができなくなった。同課あてに大量の電子メールが送られ、システム障害が起きたらしいという。

 また、12日以降、同市役所や市教委に寄せられた電話電子メールなどは約1500件に上ったが、システム障害中の受信数は把握できていないという。(2005年7月14日 読売新聞

 大田原市が扶桑社歴史教科書を採択(栃木

 「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社発行の歴史と公民の中学校教科書が13日、大田原市で採択された。各地から、反対や激励のメール電話が殺到する中で、全国市町村に先駆けての採択。市教委は「あくまでも教育的観点で(選んだ)」と強調したが、委員会の会場は、採択に反対する市民が詰めかけ、一時は騒然とした雰囲気に包まれた。

 記者会見

 小沼隆教育長と、小高一紘・教育委員長は、委員会終了後、同じ市勤労者総合福祉センター会議室記者会見に臨んだ。

 小沼教育長は、顔を紅潮させながら、「全国津々浦々からたくさんの激励をいただいております。心より感謝とお礼を申し上げます」と話し始め、「この教科書に採択により、自国の伝統を正しく学習し、日本という国に誇りと愛情を持った子供が育つものと確信しています」と力を込めた。

 報道陣から、中国韓国の反発が予想されることなどについて質問があったが、小沼教育長は「(現場の)社会科教師が念入りに調査研究をしたうえで得た結論」「正しい国際関係の理解にも適切」などと説明。「読めば、偏向教科書でないことが分かってもらえると思う」と胸を張った。

 ◆反対派

 教育委員会の会場には、「県北部歴史教科書教育を考える会」(槐六男代表)や県教職員組合(栃教組)、全栃木教職員組合(全教栃木)のメンバーら約40人が集まった。

 午前10時ごろ、委員会が終わって記者会見が始まると、「市民に直接説明しろ」と会見場に入ろうとする市民もいて、市教委職員と押し問答に。約20分後、会見を終えた小沼教育長が公用車に乗り込むと、今度は「反対です」などと書かれた紙を手にした市民が車を取り囲み、20分以上にわたって「車から降りて説明しろ」などと要求した。

 反対グループはその後、同センターで集会を開催。槐代表は、ほかの団体と連携して採択を白紙に戻すよう求める署名活動やデモ行進などを続けると訴えた。

 ◆賛成派

 「教科書を良くする栃木県民の会」(藤井清代表)は13日午後3時から、市内の結婚式場で集会を開き、会員ら約30人が集まった。

 竹内節理事は「全国に先駆けての採択は非常に喜ばしい」とあいさつ。「前回はとても苦い経験をした。この4年間、多くの会員らが県民への普及、説明に努めてきただけに、採択は大変意義深い」と述べた。(2005年7月14日 読売新聞)

 扶桑社教科書 大田原市で選定

 大田原市内の中学校来年度から、扶桑社歴史と公民の教科書が使用されることが十二日、全国で初めて決まった。本県では四年前に下都賀採択地区で扶桑社の教科書採択が撤回されたいわゆる「下都賀事件」があったが、今回は大田原市単独での採択のため、十三日の市教育委員会で覆る可能性はない。「教科書を良くする栃木県民の会」の関係者らは、「今後、この流れが県内に広がってくれれば」とその“波及効果”に期待を寄せた。

 「これ以上うれしいことはない」。新しい歴史教科書をつくる会メンバーが執筆した教科書の採択を求め、県議会市町村議会などへ請願や要望を続けてきた「県民の会」の松本公男事務局長(八五)は喜びもひとしおの様子。採択は「あくまで教育委員会の専権事項」とした上で、「この流れが県全体に広がることを期待したい」と話した。つくる会竹内節県支部長(六八)は「微妙な時期にあり、あまり話せない」としながらも、「喜ばしいこと。これから選定を行う他の採択地区への波及効果が見込める」。また、扶桑社の教科書について、関係者の一人は「日本人としての誇りを持たせる教育をするのにふさわしい教科書」と評価した。

 一方、福田富一知事は「教科書(採択)はあくまで協議会の中で議論して決めること」と述べるにとどまった。

 ■大田原市役所 相次ぐ激励、嫌がらせ

 大田原市役所にはこの日朝から、激励や嫌がらせ電話電子メールが相次いだ。中には脅迫するような悪質なものもあったが、市関係者は「量的には激励の方がはるかに多く、安心した」と話している。

 市関係者によると、電話メールは全国から寄せられた。「確固たる信念に基づいて採択してほしい」「日本の将来のために圧力に屈しないでほしい」「教育正常化の先駆けとなることを強く祈る」など順調な決定を求める声も多かった。

 一方、男の声で、「(扶桑社の教科書採択を)やめないと、市内の子供を次々に殺す」との脅迫電話もあった。このほか、「採択したら市内には引っ越さない」などのメールや、インターネット上で同市への抗議を呼びかける動きもあるという。(産経新聞2005.07.13)

 扶桑社歴史・公民教科書 数都県で採択の動き 現在使用の私立8校も継続方針

 新しい歴史教科書をつくる会メンバーらが執筆した扶桑社中学歴史・公民教科書が十二日、市区町村立中としては初めて栃木県大田原市で採択されたことで、関係者は「全国各地に有望な地区があり、第一号が出て教育委員らは勇気付けられるのではないか」と波及に期待している。また、現在同社の歴史教科書を使用している私立中八校すべてが継続して採択する方針であることも同日分かった。(教科書問題取材班)

                  ◆◇◆

 扶桑社教科書が参入して初の採択となった平成十三年は、妨害活動などによって私立九校(歴史・公民六校、歴史のみ一校、公民のみ二校)や東京都立と愛媛県立の養護学校などが採択したにとどまっていた。

 しかし、その後の新設校のうち、私立中一校に加え、東京都教委と愛媛県教委が重点校と位置付ける中高一貫校計四校が採択し、公立一般中での使用に道を開いていた。

 市区町村立中での初めての採択について、つくる会は、「市教委が発表するまでコメントできない」としているが、関係者は「抗議を恐れている採択関係者の背中を押すことになり、全国での採択に流れができる」とみている。

 関係者によると、数都県で採択が有望な地区があるという。東京都が来春開校する中高一貫三校も可能性が高いとされる。私立では、歴史教科書を現在使用している国学院栃木中(栃木県)▽常総学院中(茨城県)▽麗澤中(千葉県)▽麗澤瑞浪中(岐阜県)▽津田学園中(三重県)▽皇学館中(同)▽甲子園学院中(兵庫県)▽岡山理科大付属中(岡山県)−のすべてが今回も採択する意向をつくる会側に伝えている。

 各校は「これまでの教育実践で学習指導要領に最も忠実な教科書だと裏付けられた。改訂版は現行版より読みやすく教材として洗練されている」と評価しているという。(産経新聞7月13日

 栃木:市民撤回求め騒然 大田原市教委の扶桑社教科書採択

 「子どもを戦場に送るんですか」「説明責任を果たしてください」−。大田原市教育委員会が扶桑社発行の歴史と公民の教科書を採択した十三日、会場に詰めかけた五十人以上の市民らが猛抗議し、騒然となった。地元の市民団体をはじめ県教職員組合民団など各団体が採択の撤回を求めた声明を次々と発表。記者会見した小沼隆教育長は採択理由を「あくまで教育的観点」と説明した。 (大杉 はるか)

 ■採 択

 教育委員会はこの日午前九時から市勤労者福祉センターであった。小高一紘教育委員長が開会を告げたのに続き、教育長が「教科書採択の案件なので非公開でお願いします」と発言、傍聴者に退席を求めた。

 委員会は一時間足らずで終了、教育長が報道陣を集め、歴史と公民の教科書について扶桑社発行の教科書を採択したことを公表。「この教科書の採択によって自国の伝統歴史を正しく学習し、日本という国に誇りと愛情をもった子どもが育つことを確信している。読めば騒がれているような偏向教科書でないことがお分かりいただける」と述べた。委員会を非公開とした理由は「県教委から採択は静かな環境で十分に審議してほしいとの指導もあり、非公開が普通だと思った」と説明。抗議の声が出ている点については「いろいろな考え方の人がいるので、それはそれとして受け止めたいと考えている」と話した。会見は二十分で打ち切られた。

 ■猛 抗 議

 教育長は裏口から車で会場を出ようとしたが、市民らが取り囲み「なぜ間接的に(採択結果を)聞かなければいけないのか。説明責任を果たしてほしい」などと押し問答になった。

 同市の市民団体「県北部歴史教科書教育を考える会」の代表で、元社会科教師の槐(さいかち)六男さん(65)は「信じられない結果になった。これを市民に知らせていく必要がある」と述べ、反対署名を集めることを決めた。障害児学級の教師経験がある女性(61)は「歴史学に値しない教科書に私たちの税金が使われるのは許せない」と声を震わせた。中学社会科教師(43)は「科学的、歴史的なものの見方を子どもたちに教えなくてはならない。教員の力が問われることになる」と話した。千葉から会場にかけつけた「子ども教科書全国ネット21」常任委員の渡辺起造さんは「“つくる会”が勝手日本歴史を変えてしまっている。この採択が全国に別の意味で励ましを与えてしまう」と述べた。

 ■採択協議会

 この日の採択は、前日に行われた教科書を選ぶ教科書採択協議会の選定答申を受けたもの。協議会は四年前の前回まで、那須郡や現・那須塩原市と合同だったが、今年四月に離脱し、市単独で組織している。委員は、小高一紘教育委員長教育長のほか自治会長、校長会長、PTA関係者ら七人で構成され、五月上旬に市教委が委嘱。協議会は同十八日、各教科につき数人の教師を調査員に任命。調査員は市内の中学校から希望を聞き、十種類近くある教科書の特徴と推薦意見を盛りこんだ調査研究資料を作成。七月十二日の第二回採択協議会で、歴史と公民については調査対象とした七種類の教科書から扶桑社を含む二種類を推薦した。協議会委員はこれを受け、全会一致で扶桑社に絞り込んだ。

 大田原市は十月、黒羽町と湯津上村を編入合併する。両町村は那須採択協議会に入っており、すでに別の教科書を採択しているが、実際に使用するのは同市が採択した教科書になる。(東京新聞7月14日

 大田原市が扶桑社教科書採択決定 市教委も「全員賛成」

 「この採択で自国の伝統歴史を正しく学習し、日本という国に誇りと愛情を持つ子供が育つと確信する」−。十三日、全国の市区町村立中学校で初めて扶桑社歴史、公民教科書を採択した大田原市教育委員会の小沼隆教育長は、記者会見でこう言って胸を張った。会見要旨は次の通り。

 −−採択した理由は。

 「扶桑社の教科書バランスがよく、日本歴史全体の流れと各時代の特色が理解しやすい。日本文化に対する誇りと愛情をはぐくむほか、先人の努力の様子が記述され、正しい国際関係の理解にも適切だ」

 −−反対を唱えた委員はいたか。

 「全員賛成だ。昨日(十二日)の協議会も全会一致だった」

 −−抗議行動があるが。

 「色々な考え方の人がいる。それはそれとして受け止めたい」

 −−(扶桑社の)特にどの点を評価したのか。

 「時代を特徴づける写真・資料が大きく掲載され、年表や人物のコラムなどからも時代の流れ、特色が理解しやすい。随所に地図・資料が入り、文化史も丁寧に記述しており、他教科との関連も図られている」

 −−全国初だが、心配は。

 「まったくない。高校入試にも学習指導要領にのっとった出題がされる以上、影響はない」

 −−現場の教師の反発は。

 「調査員の先生たちも反対があることはよく認識していた。特に念入りに研究した上で、扶桑社の教科書を選定したことを重く受け止めるべきだ」

 −−中国韓国の反発については。

 「あることは重々承知しているが、あくまで教育的配慮から選定した」

               ◇

 ■県民の会「大変意義深い日だ」

 大田原市教委の扶桑社教科書選定を受け、「教科書を良くする栃木県民の会」(藤井会長)はこの日、同市内で緊急集会を開き、「市教委が十分な調査研究の上、採択されたことに敬意を表する」との声明を読み上げた。また、反対派からの圧力が予想される市教委を励まし支えていくことで合意した。

 会合には関係者約三十人が出席。「ごく普通の市民が納得できる教科書として、扶桑社教科書導入を訴えてきた。きょうは大変意義深い日だ」(竹内節理事)などの声が挙がった。終了後、小沼隆教育長と千保一夫市長あてに声明文を提出。十四日以降は両氏へ激励のメールを送るという。

 一方、決定に反対する「県北部歴史教科書教育を考える会」などは今後、署名活動やデモ行進を行い、市教委に対し、説明と採択のやり直しを求める方針。(産経新聞2005.07.14)

 つくる会」と反対派が相次いで会見

 栃木県大田原市の教育委員会が、扶桑社が発行する教科書来年度から市内の公立中学校で使用する事を採択したことを受け、教科書の執筆に関わった「新しい歴史教科書をつくる会」と、反対する市民グループが13日午後、相次いで会見を開きました。

 会見で、「つくる会」の八木秀次会長は声明を読み上げ、市町村区レベルの公立校で採択された意義を強調しました。また、こうした動きが全国に広まっているとして、「今回は採択率10%以上を目指す」と話しました。

 一方、今回の採択に反対する日教組日本教職員組合は、「侵略・植民地政策を肯定し、戦争責任を否定した記述には各方面から批判の声があがっている」「教育委員会の採択が、非公開という不透明な状況下で行われたのは極めて問題」などとする書記長名の談話を発表しました。

 また、市民グループ「子ども教科書全国ネット21」は、「教科書政治の道具に利用している」と今回の採択を批判。「ただちに採択を撤回し、やり直しを強く要求する」との声明を出しました。(TBS13日20:57)

 つくる会教科書栃木県大田原市が採択 市町村で初

 栃木県大田原市の教育委員会は13日、来年度から市立中学校で使われる歴史、公民教科書について、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆し、扶桑社が発行する教科書を全会一致で採択した。

 つくる会によると、同社の教科書は現在、私立校や都立の中高一貫校、愛媛県養護学校などで使われているが、市町村レベルで同社の教科書が採択されるのは全国で初めて。

 市内の7校と、今年10月に大田原市に編入合併される黒羽町(4校)、湯津上村(1校)で来年4月から同社の教科書が使われることになる。

 委員会終了後、市教委の小沼隆教育長は記者会見を開き、採択の理由について「自国の伝統歴史を正しく学習して日本という国に愛着をもった子どもが育つと思う」と説明した。

 教育委員会が開かれた会場の前では、採択に反対する住民ら約30人が抗議集会を開いた。会見後に会場を出ようとした教育長の公用車を取り囲み、「考え直してください」と訴えた。

 同県内では、01年の前回採択の際、小山市など2市8町でつくる採択地区で、扶桑社教科書の選定を決めたが、各市町教委がこれを不採択とし、決定が覆された。(朝日新聞2005年07月13日10時50分)

 教科書問題:「つくる会教科書不採択求め、杉並区保護者ら提訴/東京

 杉並区中学校歴史・公民の教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を採択しないよう求めて、保護者ら10人が1日、区を相手に東京地裁へ提訴した。

 訴えによると、杉並区山田宏区長は「つくる会教科書の採択に強い意向を持ち、8月上旬に教科書採択の区教委が開かれる見込みという。保護者らは「戦争を肯定したり改憲を示唆する内容の教科書は、憲法平和理念や公平な教育を定めた教育基本法に反しており、生徒の思想形成に回復困難な損害をもたらす」と主張している。【井崎憲】

 ◇山田区長の話

 訴状を見ていないのでコメントできない。7月2日朝刊(毎日新聞) - 7月2日16時31分更新

 教科書問題:中学採択の配布資料「『つくる会』に有利」−−市民団体が抗議文/広島

 ◇「調査項目『つくる会』に有利」

 今夏の中学校教科書採択で、市民保護者らでつくる「教育基本法改悪反対!ヒロシマ実行委員会」は11日、県教委が各採択地区に配布した選定資料について、「『新しい歴史教科書をつくる会メンバーが執筆した歴史・公民教科書が有利になるように調査項目を設定している」などとする抗議文を県教委に提出した。

 選定資料は県教委の諮問機関である「県教科用図書選定審議会」の答申を受け、県教委が策定。6月下旬、採択権のある各市町教委に参考資料として配布した。

 抗議文は、選定資料の歴史的分野で、「つくる会教科書で記述の多い歴史的人物の索引人名数を数値化して示す一方、同教科書で記述の少ない「原爆投下」に関しては詳細に比較していない、と批判。公民的分野でも「国旗国家」や「主権、領土等」など同教科書に記述の多いものを調査項目にしているとして問題視し、同資料の撤回を求めた。【牧野宏美】

7月12日朝刊(毎日新聞) - 7月12日17時20分更新

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2005/07/13 (水)

 参拝“慎重派”も靖国議連を設立 自民

 小泉純一郎首相靖国神社参拝をめぐり、自民党の議連「靖国問題勉強会」(代表世話人・野田毅元自治相)が十二日、党本部で初会合を開いた。「参拝の是非を論ずるのでなく白紙から勉強する」と説明するが、発起人には野田氏や加藤紘一幹事長首相靖国参拝に慎重姿勢を示す議員が多く名を連ねている。党内では最近、参拝支持派の議連も発足、対中国韓国外交をめぐる党内の路線対立が表面化してきた。

 初会合には、衆参議員二十七人、代理十五人が出席した。中曽根内閣官房長官を務めた後藤田正晴氏が、中曽根康弘首相公式参拝を取りやめた経緯などを説明。「サンフランシスコ講和条約を順守し、国際的な信頼を勝ち取ることが大切だ」と強調し、「A級戦犯」についても「戦争指導者には結果責任がある」と合祀(ごうし)に疑問を呈し、首相は参拝を自粛すべきだとの考えを示した。今後は週一回ペースで勉強会を開き、学者靖国神社関係者らを招いて議論を続ける方針。野田氏は記者団に中立的な立場を強調しつつも、「自粛を求めると親中派だと、レッテルを張るやり方は危険だ。ナショナリズムをあおることは避けるべきだ」と、参拝支持派を暗に批判した。

 一方、参拝支持派の「平和を願い、真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」(平和靖国議連、松下忠洋会長)は十三日にジャーナリスト櫻井よしこ氏を招き、三回目の会合を開く予定だ。

 相次ぎ発足した両議連の動きに、「ただでさえ郵政民営化で党内が混乱しているのに、党内の亀裂がさらに拡大するのでは」(党中堅)と危惧(きぐ)する声も出ている。

     ◇

 ■「靖国問題勉強会」発起人(敬称略)

 野田毅加藤紘一▽中馬弘毅▽高村正彦▽衛藤征士郎▽大島理森▽園田博之▽小坂憲次▽萩野浩基▽渡辺喜美▽北川知克▽後藤田正純竹下亘▽真鍋賢二▽林芳正▽舛添要一産経新聞7月13日


 靖国遊就館ツアー町田市教委が後援

 靖国神社博物館遊就館」に小中学生を連れて行く歴史探索ツアー東京都町田市町田青年会議所JC)が企画し、同市教育委員会が後援していることがわかった。同館は明治以降の戦争を「自存自衛のため避け得なかった戦争」と位置づけ、「殉国の英霊を慰霊顕彰する」ために兵器や兵士の遺品を展示している。都教職員組合町田支部は「特定の歴史観にお墨付きを与えることになる」として12日、市教委に後援の撤回を申し入れた。

 ツアー町田JCの「三世代教育委員会」が8月3日に催すもので、小学5、6年生と中学生計80人の参加を募る。JC会員やその親、祖父母らを案内役として、東京両国江戸東京博物館靖国神社遊就館見学する計画だ。

 遊就館を選んだ理由について、同JCは「戦争資料を展示しており、年長の世代と交流しながら日本歴史が感じられる」と説明。神社参拝はしないという。

 同JCは6月29日、見学先を「江戸東京博物館遊就館」とする簡単な文書を添え同市教委に後援を依頼。同市教委は同30日に承認した。

 市教委の後援基準を定めた要綱には、「宗教活動、政治活動またはこれに類する活動ではないこと」「委員会の教育行政の運営に関する方針に反しないものであること」といった項目がある。

 同市教委教育総務課は今回の後援について「ツアーが基準に反しているとは言い切れない。JCの事業は何度も後援しているので、すんなり承認された。遊就館靖国神社の施設とは知らなかった」と説明している。

 これに対して、都教組町田支部の渡辺真理書記長は「中立性に欠ける。後援は撤回すべきだ」と話している。(朝日新聞2005年07月13日06時23分)

 靖国神社顕彰碑 パール判決の意義を刻む

 小泉純一郎首相靖国神社参拝をめぐり、いわゆる「A級戦犯」の位置付けが問題になる

中、極東国際軍事裁判(東京裁判)で全被告無罪を主張したインド代表判事、ラダビノード・パール博士(1886−1967年)の業績をたたえる顕彰碑が東京九段靖国神社境内に建立され、25日、インド大使館関係者らを招き除幕式が行われた。同神社は「日本無罪論を展開したアジア学者がいたことを思いだしてほしい」としている。

 顕彰碑は高さ2.1メートル、幅1.8メートルで、京都市東山区の霊山(りょうぜん)護国神社境内に設置されている碑と同じ形状。パール博士の上半身を写した陶板が埋め込まれ、全員無罪とした東京裁判の個別意見書(パール判決)の意義などが刻まれている。

 パール博士東京裁判の11人の判事中、唯一の国際法学者で、同裁判の実態を「戦勝

国が復讐(ふくしゅう)の欲望を満たすために、法的手続きを踏んでいるようなふりをしている」と看破。米軍による原爆投下などにも触れた上、東条英機首相判決が「A級戦犯」とした被告を含む全員の無罪を主張した。「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には…過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と予言したパール判決はその後、世界中の多くの政治家学者に認められている。

 除幕式にはインド大使館のビー・エム・バリ駐日武官を含む関係者約40人が参加。神式の祭典の後、建立に協力したNPO法人「理想を考える会」の羽山昇理事長が、「顕彰碑が靖国神社に設置された意義は大きい。歴史に対する自虐的風潮などの根源は東京裁判にあり、その問題性を見直すきっかけになれば」とあいさつした。(産経新聞2005年6月26日

2005/07/09 (土)

 靖国参拝:慎重派が12日に初会合 自民親中派」ら有志

 自民党の衆参両院議員有志が12日、小泉純一郎首相靖国神社参拝自粛を求める立場で「靖国問題勉強会」を発足する。先月末、首相参拝支持派の安倍晋三幹事長代理らを発起人とした勉強会が発足しており、これに対抗する狙いもあるようだ。

 勉強会の呼びかけ人には野田毅元自治相や加藤紘一幹事長高村正彦外相日中関係を重視する「親中派」をはじめ、党内各派閥から中堅、ベテラン議員を中心に16人が参加する。

 初会合では、首相として初めて靖国神社公式参拝した中曽根康弘首相時代の官房長官後藤田正晴氏が講演。「最終的には首相の参拝自粛などのメッセージを打ち出したい」(呼びかけ人の一人)という。【田所柳子】(毎日新聞2005年7月9日

 靖国参拝支持の議連発足 自民若手116人が参加

 小泉純一郎首相靖国神社参拝を支持する自民党の若手議員が28日、党本部で「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」の設立総会を開いた。

 安倍晋三幹事長代理らが衆院当選1−5回生参院同1、2回生に呼び掛け、対中強硬派を中心に計116人が参加表明。靖国問題をめぐる勉強会を重ね、秋をめどに提言をまとめる予定だ。自民党内ではベテラン議員から首相靖国参拝の自粛を求める動きも出ており、今回のグループはそれに対抗する形となった。

 設立総会には安倍氏を含め約60人の議員が出席、会長松下忠洋氏、幹事長山谷えり子氏を選任した。(共同2005年6月28日

 靖国参拝問題:自民若手が勉強会 首相参拝支持の安倍晋三氏も参加−−28日発足

 自民党の若手議員有志が28日、小泉純一郎首相靖国神社参拝を支持する勉強会「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」(仮称)を発足する。約50人が参加予定だ。党内でベテラン議員を中心に、首相参拝の自粛や、靖国神社と別の新たな追悼施設の建設を求める声が高まっていることに対抗する狙いがある。

 発起人代表は松下忠洋衆院議員(旧橋本派)。設立総会では松下氏が会長に、山谷えり子参院議員幹事長に就任する予定で、安倍晋三幹事長代理も参加する見通し。案内文書は党内の当選1〜5回の衆院議員当選1〜2回の参院議員で、閣僚を経験していない議員に送っているという。

 勉強会では、首相参拝の経緯や東京裁判研究などを進め、靖国参拝に近隣諸国や日本国民の理解をどう得るかなどを議論する。【西田進一郎】(毎日新聞2005年6月25日

 自民若手50人、靖国参拝支持の勉強会 顧問に安倍氏も

 自民党若手議員小泉純一郎首相靖国神社参拝を支持する勉強会を発足させることが二十二日、明らかになった。二十八日に設立総会を開く。ベテラン親中議員を中心に首相の参拝自粛を求める声が強まっていることを牽制(けんせい)するねらいもありそうだ。

 勉強会の名称は「平和を願い真の国益を考え、靖国参拝を支持する若手議員の会」とし、会長松下忠洋衆院議員幹事長山谷えり子参院議員が就任する予定。参加議員は五十人を超えるとみられ、安倍晋三幹事長代理らの顧問就任も検討されている。

 設立総会では岡崎久彦・元駐タイ大使首相靖国神社参拝の歴史的経緯や外交的な意義について講演する。

 その後も月一、二回のペースで勉強会を開いて、靖国神社参拝に関する提言などを行いたい考えだ。

 自民公明両党のベテラン議員などからの参拝自粛論や、いわゆる「A級戦犯」分祀(ぶんし)論などが相次いでいることに危機感を募らせたことが背景にある。

 これに関連、日本会議国会議員懇談会は二十二日の総会で、小泉首相靖国参拝継続を支持する決議をまとめた。また、安倍氏も会見で、「国のために殉じた人の冥福を祈るのは当然のことだ」と重ねて支持する考えを示した。(産経新聞2005年6月23日

2005/07/07 (木)

 自民憲法起草委が草案要綱案

7日示された要綱案によりますと、新憲法の前文には、「日本国民は、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた」として、新たに天皇制についての記述を設けるほか、「自由、民主主義、人権、平和を基本理念とする国を愛し、その独立を堅持する」と盛り込み、愛国的な精神を反映させるべきだという意見に配慮しています。焦点となっている安全保障では、「わが国の平和主義の原則は不変であり、さらに積極的に国際社会平和に向けて努力する」としたうえで、自衛のために「自衛軍」を保持する、「自衛軍」は、国際の平和と安定に寄与することができると明記しています。また、天皇制については、天皇を元首と位置づけることは見送り、「現行の象徴天皇とする」としています。また、憲法改正の要件を緩和するため、衆・参両院でそれぞれ全議員の3分の2以上の賛成が必要としている憲法改正の発議を、「過半数」でできるようにするとしています。7日の会議の中で、与謝野政務調査会長は、「意見が分かれているところは、条文でも複数案を作るので、まずはこの案をもとに条文化の作業に入りたい」と述べ、了承されました。(NHK07/07)

 愛国心」は両論併記…教育基本法改正案の要綱案骨子

 政府が提出を目指している教育基本法改正案の要綱案骨子が6日、明らかになった。教育目標に「公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度の涵養(かんよう)」と明記したことなどが柱だ。焦点の「愛国心」については、自民公明両党の調整がつかず、「国を愛する」と「国を大切にする」の両論併記となった。

 骨子は前文や教育目標など18項目からなる。「与党教育基本法改正に関する検討会」(座長=保利耕輔・元文相)の議論を受けて、文部科学省が作成した。

 社会形成への参画は、職業教育充実などを想定している。自民党内に「現行の教育基本法は個人の尊重を強調する余り、社会参加に触れていない」との批判があることを踏まえたものだ。

 「教育の機会均等」では、「障害のある者が十分な教育を受けられるよう、支援すること」と障害者教育への配慮を明記した。また、「教育行政」に関しては、「国・地方公共団体は、必要な財政上の措置を講じなければならない」とした。

 国と地方の税財政を見直す三位一体改革で、義務教育費国庫負担制度の存廃が議論になっているためだ。(読売新聞2005年7月7日)

2005/07/04 (月)

 中国政治経済の分離を」・自民党安倍

 自民党安倍晋三幹事長代理は3日、大阪市で講演し、小泉純一郎首相靖国神社参拝による日中関係悪化を懸念するとの見方が経済界などにあることについて「中国政治問題を経済に波及させ、目的達成を図るべきではない。政治経済をしっかり分離しなければ、安定した関係は築けない」と強調した。「首相靖国の社で戦死者の冥福を祈った。これは国際的な常識だ」と述べ、首相の参拝継続を求めた。 (日経新聞)

 遺族会長の苦悩 「赤紙遺児」とA級戦犯

 日本遺族会古賀誠会長自民党幹事長)は、やりきれぬ気分だろう。遺族会への配慮で始まった小泉首相靖国神社参拝が、ここまで中国韓国との関係をこじらせようとは――。

 思い余って今月11日、「英霊が静かに休まることも大事だ」と語って首相に参拝見送りへの誘いをかけた。しかし、当の遺族会がおさまらない。全国の支部長会議が開かれて、古賀発言は封じ込められてしまった。

 それにしても、古賀氏はなぜ火中の栗を拾おうとしたのか。親中派の立場もさることながら、遺族としての自分の境遇にも根ざしているに違いない。古賀氏の父親は太平洋戦争に召集され、フィリピンのレイテ島で壮絶な死を遂げた一兵士。当時2歳だった古賀氏に父の記憶はない。

 一昨年、レイテ島を訪ねた古賀氏は日本兵の立てこもった壕(ごう)で霊を弔いながら、父が生死の境で何を思ったかに想像をめぐらせた。月刊『諸君!』(今年2月号)でこう語っている。

 「赤紙一枚の召集が来ることによって、南方の、祖国日本からはとてつもなく遠く離れた(略)こういう場所に、いま自分はなぜ来ているのか、と。食べ物もない。戦うための銃は旧式のがあるけれど、弾も届かない。なぜ自分はいまここにいるのか、そしてなぜ死んでいかなきゃいけないのか。戦争というものの残酷さ、それから愚かさをまのあたりにして、父としては非常に無念だったんじゃないか」

 「突き詰めていくとやっぱり政治の貧困なんです。政治の貧困こそ、やはり国を誤らせてしまう。罪のない多くの国民を巻き添えにしてしまう」

 ここに浮き上がるのは「アジア解放のための自衛戦争だった」という靖国神社などとは違う戦争観であり、当時の国家指導者への深い憤りだろう。古賀氏は内心、A級戦犯の合祀(ごうし)に納得がいかないのではなかろうか。

    ◇

 「戦争で失った父や夫や息子が、好んで戦争に行ったのではない。命令で止(や)むを得ず戦場に赴き、戦没したのである」。戦後間もない1947年にできた遺族会の前身組織では、事務局長が機関紙にこんな文章を書いた。

 同じ気持ちの遺族はいまも多かろうに、遺族会が「合祀反対」とはならないところに会の複雑さがある。

 それを象徴する存在は、遺族会の事務局長を経て自民党参院議員を3期18年務めた板垣正氏だろう。A級戦犯として処刑された板垣征四郎陸相陸軍大将)の次男である。

 中曽根内閣の意を受けて、一度はA級戦犯の「分祀」に動いたこともあるが、もともと「東京裁判は認められない」のが強い信念である。95年、村山首相戦後50年の談話で過去日本の「侵略」を謝罪したときなど、自民党内で激しくこれにかみついた。

 「アジア解放の自衛戦争」論は、夫や父の死を汚したくないと願う遺族の心をとらえもした。遺族会の複雑さとはそのことだ。

 そういえば、かなり前になるが、A級戦犯のひとりが遺族会のトップだった時代がある。62年から15年間も会長の職にあった賀屋興宣(かや・おきのり)氏だ。日米開戦時に東条内閣の蔵相だったことからA級戦犯として終身刑を受けたが、10年間の服役後に仮釈放されて政界に復帰。その後は自民党政調会長法相を務めた大物政治家だ。

 そうか、さては遺族会を「正義戦争」論に導いたのは、賀屋氏だったのか。そう思って氏の回顧録や新聞記事などを調べてみると、大きな見当違いだった。日中戦争を「意味の分からぬ戦争」といい、米国との戦争に至っては、何と無謀なことをと、しきりに断罪しているではないか。

 大蔵省の出身の賀屋蔵相は、日米の開戦に抵抗した。結局、東条英機首相らの軍部に押し切られたのだが、しかし「いくら反対したからといっても、戦争責任者として切腹ものだ」などと自分を繰り返し責めている。

    ◇

 東京裁判はやはり問題だらけだとしているが、違うのはその先だ。外国による裁きでなく「日本人は自主的に戦争責任を判断する必要がある。あれだけの日本歴史に対する汚辱と、国民の惨害に対して、重大な責任者がないはずがない。私はその一人である」。日本人の手で戦争責任者を問えなかったことは「日本国民として遺憾千万」とも書いているのだ。

 遺族会会長を引き受けたのは償いだったといい、遺族年金の増額などに腕を振るった。靖国神社国家護持運動を進めるような時代錯誤の面もあったが、叙勲を辞退し続けるなど自責の念を持ち続け、77年に亡くなった。東条氏らが靖国に祀(まつ)られたのは、その翌年だ。賀屋氏がこれを知ったら、果たして何と言っただろう。

 「赤紙」の遺児と戦争責任者。立場を超えて古賀氏と賀屋氏の気持ちには通じるものがうかがえる。あれは自衛の戦争だったとおっしゃる方には、賀屋氏の『戦前戦後八十年』(経済往来社=絶版)をお勧めしたい。『語りつぐ昭和史2』(朝日文庫)でも賀屋氏の戦争観はよく分かる。(朝日新聞2005年06月27日)