海外

朝ご飯を食べていると、夫が「でも、日本がもっとひどくなったら海外に移住するのもいいと思う」と言った。それが、夫が怖いからなのか、子供のことを思ってなのかはわからない。どちらもなのかもしれない。
仕事はどうするの、行きたい国はあるの、と聞いたら、特にビジョンはないみたいだった。
私は、日本の教育より海外の教育に興味があるので、震災とは関係なく海外で子育てをするのは賛成だと思うけど、どこの国にも原発はあるし、逆にここから新しい日本を作っていく一員になれるのならそれはそれで楽しみなのだけどな、と言った。
もっとも、仕事のあてがあって、行きたいと思える国があって、日本という国がもう嫌だと思ったら、別だけれど。
最後に、じゃあ、英語の勉強もっと頑張らなきゃね、と言った。何しろ我々の英語レベルは小学生並なのだから。


今日から4月で、晴れやかな空を見ながら、甥が今日から学童開始で、妹はお弁当作りに奮闘する日々が始まるんだなぁと思った。


TVでは、必要なのは知性と理性、変に情緒的にならず、どうするかだけを考えればいい、私はそれをホームレスやっている時に思った、と美輪明宏が言った。
私は、私自身がひとつのコンテンツとして輸出してもらえるようがんばろうと思った。

地震から3週間

あれから3週間のうち、原発の事態は、たぶん、悪くなる一方、ということなのだろう。
毎日少しずつ少しずつ悪くなっていて、そのたびに「安全です」と言われているので、何かが麻痺してしまったかんじだ。
福島の避難は30km圏内に広がり、Nのご両親は東京に来た。
福島第一原子力発電所1〜4号機は廃炉が決まった。
放射能性物質も出て来ている。
葉ものに出荷制限がかかったり、水道水から出たり、建屋地下の汚水に出たり。
敷地内からは、プルトニウムが検出された。
そしてさっきも、福島第1原発の南放水口から南330メートル地点で30日午後に採取した海水から、法令限度の4385倍の濃度の放射性ヨウ素131が検出。北放水口(5〜6号機用)の北約30メートル付近の海水からも、30日午前、1425倍の濃度の放射性ヨウ素が検出。数値はどんどん上がっている。


避難勧告の出ている以外の地域の人が、放射能物質避けをする必要はない、とうたわれる。
そして、イソジンはやはりデマで、しかし義母と義妹は、2回ずつ飲んでしまっていた。


都内では、水道水から乳児の基準値を超える放射能性物質の値が出て、水の買い占めが問題になった。水の買い占めは都内だけではなく、全国に広がっているみたいだった。
雨が降るたびに数値は上がるらしく、梅雨には子供も産まれているので、前から欲しかった、らでぃっしゅのウォーターサーバーを頼むことにした。


都内のスーパーは、一時からっぽで、今は、納豆・水・ヨーグルト・トイレットペーパー・ティッシュ・紙おむつなどが買えない。


計画停電が始まり、東京の夜は暗くなった。
計画停電は、来年の夏まで続く予測。
東京から出て行く人も多く、外国人はぜんぜんいなくなった。
Googleの本社も大阪に移動した。
東京全体が節電しているので、駅まわりのエスカレーターやエレベーターが止まっていて、
バリアフリーじゃ全くなくなってしまった。
東京は坂や階段が多いので、妊婦にはなかなか辛いものがある。


人出も少なく、母親は店の経営の心配をしているあまり、私を育休切りしようとしている。
今、この日本の状況で、この何も動けない9ヶ月で、そのようなことを匂わせてくるのだから、ストレスが半端ない。母の気持ちも店の状況もわかるが、とりあえず産むまで勘づいていないふりを続ける。


放射能のことは、悲しいし怖いけど、私が一番怖いのは、経済のことだ。
裕福だったところから、大借金に見舞われて、ほんとうにいろんな悲しいことが起きて、人間てお金なくなると、いろいろダメなんだなと思うことも多くて、人間性とかそういうところにも及ぶ。だから私はお金がなくなることがとても怖いのだけど、日本全体がそうなるのかと思うとほんとうに怖い。
だからとても稼ぎたいのだけど、今全く動けないので、とてももやもやしてイライラする。


その間、2回検診があった。
胎児は相変わらず全く問題がなかったが、私の方に、尿糖が2度続いて出て、今日は採血となってしまった。
甘いものは15時までにするように、果物やジュースに気をつけるように、体重管理に気をつけるように、と助産師に言われる。
先生は、「一時的に出ているだけだから心配いらないでしょう」とのんびり言ってくれた。


2人目の時に体重が20kg増えた妹に話すと、「私はずっと糖もタンパクも出てたけど、大丈夫だったから心配しなくていいよ」と言われる。妹は強者だ。
そして最近までうまくいっていたのに、また母のことでイライラが止まらないと言うと、妹は「妊娠中ってイライラするよね〜。私も妊娠中、お母さんが全くいたわりがなかったのが悲しくてイライラしたよ。でももう諦めた。たまに他のお母さんがうらやましいけど」と返事がきて、私はずっと、唯一のストレスが肉親だなんて悲しいと思っていたけど、母とうまくやっている妹でさえそうなのだから、一緒に仕事をしている私は仕方がないのだなと思った。「とりあえず今はなんにも考えないで、編み物でもして、赤ちゃんのために楽しいことばっかり考えて!」と励まされる。そういうことを母親から言われたい、と思うが、そういうことを言ってくれる妹がいてくれただけで良かったと思った。母に一番感謝するのは、妹を産んでくれたことだ。母は男の子が産めなかった事で祖母に土下座をしたらしいが、一族斜陽の今となっては、姉妹で本当に良かった。


2週間を過ぎたあたりから、友人、主に子供を持つ数少ない私のママ友らから一同にメールがくるようになった。
妊娠中の私を気遣ってくれ、お水はどうだ、とか、地方の友人は、「いつでも赤子を抱いて避難しておいだ」と言ってくれたりだとか。
今日は三重のBから、遅い懐妊祝いとして、物資が届いた。どれも私の行けるスーパーにないものばかりで、有り難かった。
私はほんとうに友人(と妹と従姉妹)に支えられているんだな、と感じ入る。
なぜ、友人らは私の友人でいてくれるのだろう、ということまで考える。


9ヶ月に入り、途端に息が苦しい。すぐに息があがってしまってフーフーいう。
上腕に小さな静脈瘤が出来、流れの悪さからだろう、寝起き、両手がこわばって握れなくなった。
おなかも大きく、どこから見ても妊婦だ。
余震が怖くて、暗い部屋の中でみんなでじっとしていても、
夫と二人で大きな腹を撫でていると落ち着いた。
胎動は激しく、強い。骨が太くなったみたいだ。
激しく動く腹に、夫が、「フィーバーフィーバー!」と言うので笑った。
幸せとか、希望とか、未来とか、そういうピカっと光るものが入った袋なのだと思えた。
希望の希の字がつく名前をつける気持ちがわかった。

地震3日目

マクニチュードは9.0に訂正された。


あれから、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋が爆発した。爆発は建屋の壁が崩壊したもので、原子炉が入っている格納容器が爆発したものではないとの説明。1号機を冷やすため、海水注入作業が行われた。
避難は、福島第一原発を基点に半径10キロから20キロ圏内にまで拡大。
この点について、枝野長官は「具体的な危険が生じるものではないが、万全を期すため」と述べた。
けれど住民22人の被曝を確認。1号機からの放射性物質の飛散で、避難中の近隣住民のうち最大で190人程度が被曝した可能性が出て来た。


「こうなることはわかっていました」という恐ろしい書き出しで始まる義母のメールで、「放射能は風に乗ってやってくるから、風向きが変わったらむやみに外に出ないこと」とあり、ヨウ素を取るよう指示があった。夫は薬屋に買いに行ったがなくて、それを含んだイソジンを買ってきた。これを20ml飲むのだという。そんなことをして大丈夫なのか、私は私でネットを見て、消毒液だから妊婦は飲まない方が良いという、夫は一人でイソジンを飲んだ。
TVで、マスクは有用だと言っていたのを見て以降、夫は家の中でマスクをしている。
放射能って、だって光線じゃないの?と聞いたら、放射能を含んだ塵やほこりが体内に入ってそこから被爆してしまうのだという。
今、風は南から北に吹いている。風向きが変わったら、換気口を閉じて換気扇を止める。
ネットを見てわかる範囲の都内の知人や友人らは、どうやら外に出ていたり、働いていたりするらしい。冷静で、うらやましい。先程また余震があって、恐がりの夫とパリは神経をすり減らしすぎて、とうとう寝込んでしまった。パリの耳は地震があるたびに真っ赤になって可哀想。夫は、目の前でパニくることは全くないけれど、たぶんすごく怖いのだろう、頭痛がひどそうだ。


私と夫は、高層階同士で身動きが取れなかったし、会えるまでに長い時間がかかって「このまま会えないかもしれない」という恐怖が強かったから、全く出掛ける気になれないでいる。
しかも、エレベーターがすぐに止まるので、妊娠8ヶ月(ああもうすぐ9ヶ月!)の身重には、高層階の階段の上り下りは厳しいし、まして閉所恐怖症のパニック持ちがエレベーターに閉じ込められたらと思うと出たくない。更にその時のショックで切迫になってしまったら…。ぜんぜんない話じゃない。


我々が恐がりで、大げさなんだろうか。


昨夜は節電にいそしんだ。夜は台所で作業する際、そこの電気だけつけて、リビングは豆球(3つ)だけ。TVは必要な時にだけつけて、ノートPCも極力閉じていた。


私の精神状態の方は昨夜、まとめ料理をしていたら落ち着き始めた。私って、主婦なんだなと思った。
夕飯に、さて何を作ろうか、迷ったけど、もしもこれが最後のごはんになったらと思って、シャブシャブみたいなものを作った(つまり、いろいろ茹であげて、レモン醤油で食べた)。それから、レタスと卵のスープとブロッコリーのサラダ。スーパーで買ったお米は宮城産で、さっぱりとしておいしいね、と大事に食べた。いつものごはんがおいしくて、おいしいねといい合いながらたべられたのはすごく良かった。


ジャガイモとブロッコリーごぼうを全て蒸して、ごぼうはだし汁に漬けた。
災害に備えてというより、いつもの週末の作業だ。
それから豚肉の賞味期限だったので、ひとつは冷凍をし、ひとつは冷凍うどんで焼うどんにした。
うちは圧力鍋でごはんを炊いているので、電力とは関係ないけれど、それでも暗闇で米を炊くよりはというので夫が炊いた4合のごはんを塩むすびにしながら、管総理の演説を聞いた。
ごはんは痛まないよう、手水を梅酢にしてにぎり、乾燥している家なので、オイルペーパーにくるんでおいた。
翌朝、そのおにぎりに鮭フレークをつけながら食べたら、もちもちしてすごく美味しかった。
夫がなめこの味噌汁を作って、食べている間にまた揺れがきて、デザートにグレープフルーツを食べた。
それから二人で家の掃除と洗濯をし、洗濯物を畳んだ。
窓の外は花粉で霞んでいる。
ヘリは飛ぶが、救急車は減ったように思える。


地震がくるたびに猫が怖がるのを、大丈夫だよー、と笑いかけるたびに、大丈夫な気持ちになる。
原発のニュースがどんどんひどくなっているのを見るたびに、腹が痛んだり、大きく蹴られたりするが、大丈夫大丈夫と撫でると、気持ちが落ち着く。
誰かに、大丈夫、と言われるよりも、大丈夫だよ、と笑いかける方が、自分の精神状態は安定するらしい。


被災地では停電の中や余震の中で子供を産んでいる人たちがいる。そのニュースを見て、涙が出た。すごいよ。ほんとすごい。どんなに怖かったろう。
遠方に住む友人らから、不安やショックや地震被害で早産や切迫になっていないか心配だった、というメールやメッセージをもらう。ありがとう。私、不安で当たり前だよね?神経質になっても仕方ないよね?と許された気がした。
でも、備蓄もできたし、夫もいるから、家の中にいる限りは、もう怖くない。万が一陣痛がきてしまったり出血してしまったりしても、病院は目の前だし、階段降りていくだけなら、大丈夫。夫がいるし、猫もいるから。

地震2日目

夜中、何度か揺れて、何度か携帯電話の緊急地震警報で起きて、変な夢ばかりを見て、夫に向けてしゃべりながら起きた。
TVやらネットやらでいろいろ調べていた夫は、起き抜けの私に、福島の避難勧告が10kmになり、放射能漏れが始まったとのこと、冷却するために関東は停電になるかもしれないこと、わが家は免震設計だから昨日くらいの地震なら大丈夫だけれどどうやら震源地が近くなったらマンションを出た方がいいこと、新潟に地震が起きて、ネットの噂によれば太平洋側と日本海側で地震が起きると東海大震災が起こると言われている、と、恐ろしいことばかりしか言わないので、一気にパニック寸前までいって、動悸がやばいことになり、以前Mにもらったエマージェンシーというアロマスプレー(枕もとにいつも置いている)を、噴射しまくって落ち着かせた。
夫は、「洗い物したから大丈夫だよ」と言った。「洗い物するといいことがある」というのは夫が信じているオリジナルのジンクスだ。
とりあえず親兄弟従姉妹にメールを打ち、もしもの時我々が取ろうと思っている行動を伝え、何かあったらGメールかtwitterにお願いします、と伝えた。
風呂の水を張り直して、あらゆる水筒・瓶に水を詰め、玄関の自動点灯とトイレの便座、ウォシュレットの温水機能をOFFにし、wiiのリモコンからエネループの電池を抜き取って全て充電した。
それから朝ご飯ににゅうめんといちごを食べ、終えたくらいで、クロネコヤマトが猫達のごはんを運んできた。こんな状況で、時間指定を守るなんてすごすぎる。しかしこれで猫のごはんは安心になったので、スーパーに、我々の物資を調達しにいった。何しろし日曜に毎週買い出しているので家には野菜が山盛りと少しの肉くらいしかない。あと大量の梅干しと味噌がある。
外に出ると、自衛隊のヘリが飛んでいくのが見えた。スーパーは自転車が沢山止まっていたが、中は、そこまでひどい混雑ではなく、ピーク時くらいだった。やはり水がなくなりそうだった。
米・水・油・醤油・めんつゆ(普段は買わない)・マヨネーズ(普段は買わない)・パン・麺・ベーコン・鮭缶・ツナ缶・飴・コーンフレーク(なにしろ家に豆乳はいっぱいある)・あっためるだけですむパスタソース(なにしろパスタがいっぱいある)・サランラップ・アルミホイル・レンジで温めるだけのお米・野菜ジュース・ろうそく・チャッカマン・小さなコーラ・チョコレート・カステラ・ガム・キャンプ用のボール(皿)・・・


一度荷物を置くために家に帰ると、地震があったらしく、エレベーター3機のうち、1機しか動いていなかった。閉所恐怖症なので、止まったら怖いから階段で行くと言ったのだが、夫に大丈夫すぐつくよと促され、なんとか乗った。
荷物を置いて、今行った方がいいのか、エレベーターの復旧待ちをした方がいいのか、悩んで、悩んでいる間にも、TVからどんどん被災地の情報が流れて、何度かマンションは揺れ、おなかが痛くなってしまって、夫とともに腹を撫でた。
窓の外では、相変わらず、スカイツリーがそびえたっている。びくともしないそれを見て、すごいねって二人で言って、少し落ち着いて、やっぱり行ける時に、と出て、コンビニに現金をおろしにいき、それからヨドバシに、エネループの、単三が単一にできるアダプターを買いに行った。


ヨドバシの中に足を踏み入れると、そこは、おどろくほど、いつものヨドバシだった。回線の契約をしている人までいる。なぜ。こんな時に?
あまりの、いつものヨドバシの光景に、タイムスリップしたかのようだった。いろんなものがビカビカと光っており、大声で呼び込みをしている若い子のハツラツとしたこと。
節電、したらいいのに、と思ったが、なんだかもうよくわからなくなって、併設されているサンマルクカフェで、やみつきドックとカレーパンとチョコクロを買って、食べながら帰った。
うららかな春の陽気で、鳥が鳴いている。気持ちが落ち着いた。
近所のお稲荷さんに、お参りをした。二人が、「ここのマンション買えますように」と頼んだお稲荷さんだ。念入りに、家族の無事を願った。本当は、被災地の人々のことも願わなくてはいけないのだけど、その時は、とにかく家族の無事しか願えなかった。


家について、最悪の場合は、リュックを私がしょって、パリのキャリーと薬箱を私が持つ、夫はバックを持ってスイミンのキャリーと水を持つ、という指差し確認をし、終えると、夫は、ベッドに倒れて眠ってしまった。
やることをやって、落ち着いて、疲れたのだろう。おなかの調子が悪いといってビオフェルミンを飲んでいたから、彼もストレスがものすごくかかっていたのだろう。そのくせに、情報を得たい質だから、神経がすり減ってしまったのだろう。節電もかねて、TVも消した。


私はこれから焼きそばを作っておき(昼ご飯)、炊けるうちに米をたいておにぎりに、トマト缶をパスタソースに加工して、塩豚を作って。水筒のお湯もぬるまってきたので、入れ替えようと思う。
自衛隊のヘリがどんどん飛んで行く。
定期的に、救急車が走る音も聞こえる。
スカイツリーがそびえたっている。
時々腹が痛むけど、胎動は強くあるから大丈夫。母親から、「赤ちゃんに心配かけないようにしっかりネ!」とメールが入り、泣きそうになる。私がしっかり生きなければ。私、今、二人なんだから!
福島の原発は、セシウムが検出された。炉心が溶け始めている。

みんな小さくなる

夫が会社で子持ちの男性陣に聞いてみたら、みんな、おなかが小さくなるのを見たことがあり、かつ、骨盤に頭が入るから、という理由も知っていたという。あれはびっくりするよねーと話し合ったらしい。


やっぱりみんなビビって調べるんだね。男の人たちかわいいね。
しかし、このことも、子供を持っていない人には全く知られない事実のひとつ。
ドラマや映画でも、「おなかが小さくなった!」ってシーンは見たことないもんなぁ。


それにしても、夜中に猫たちが私の上で喧嘩をし、そのことで胎動が激しくなり(多分喧嘩に参加している)、長く眠れないので朝起きられなく、花粉もあって一日中眠い。何もできなくて困る。

小さくなる

今日は元に戻ったけれど、昨日、一昨日、と、なぜかおなかが小さくなった。
最初に気づいたのは夫で、バカな〜と笑っていたんだけど、鏡見たら確かに小さくなっていた。
調べてみると、胎児が下がって骨盤の中に頭が入ると小さくなるらしい。
今日は普通に出ていた。
いろいろと不思議だ。こんなにいちいち不思議なのに、「そういうこともある」でみんなすませられるなんて、すごい。
インターネットがなかった時代の妊婦たちはどんなにか不安だったろう。
かつ、自分とは体質の違う姑などに、あれこれと自分の時の経験を押し付けられたりしたりして、反論する材料もなく、可哀想だったのだなぁ。


今日仕事で母親と会っていて、自分はずっと虎ノ門病院で生まれたと思っていたのだけど(作文にそう書いたから覚えている)、お茶の水の順天堂で生まれたのが正しいらしい。
子供を産む段になって、生まれた土地に戻ってくるなんて、鮭みたいでこれまた不思議。
生んだ後もきっと産卵後の鮭のようにボロボロになっているんだろうな…。

吃音

お互い六本木にいたので、仕事帰りに待ち合わせて、ヒルズで「英国王のスピーチ」を見た。


この映画は、スピーチを苦手とする吃音のジョージ6世が、吃音と向かい合って克服していく中、第二次世界大戦を迎え、国王として、全国民が聴く大事なスピーチを行う話。


吃音のある夫は、エンドロール中も泣いていて、それが見えて私は少し泣いてしまった。


吃音、というと、一般的にイメージするのは、言葉がスクラッチする部分だと思うのだけど、
実際は、というか、そもそも、言葉がうまく口から出ない事なのだ。(人によるのかもしれないが、王様と夫はそうだ)
まず語頭が出てこなくて、語頭が出てきても次の言葉が出てこないと、そこで同じ音をスクラッチしてしまう。
夫は、「王様は、出そう出そうとして、頭の言葉を何度も言っちゃうけど、僕は頭の言葉が出て来なかったら、もう言う事自体をやめる」と言っていた。それで、夫が吃音だという事を、多くの人は気づいていないのだと思う。実際、私の友人らは、その事を言うと、全く気づかなかったと驚く事がほとんどだ。


それから二人でいろんなシーンを思い返し、夫は、確かに自分も独り言だとどもらないし、歌でもどもらない、ヘッドホンをして喋るとどもらない、と不思議そうに言った。
小倉智昭がTVでどもっているのを見た事もないし、圓歌も落語ではどもらない。不思議だね、と。


王様が子供の頃左利きを右利きに強制させられた、というエピソードを見た時、あ、夫と一緒だと思ったのだが、案の定夫は、そこがすごく衝撃的で、そこからほぼずっと泣きながら観ていた、と言っていた。
左利きを強制したことで吃音が出た人は多いらしい。水森亜土もそうだ。
王様は緊張をすると吃音がひどくなるけれど、夫はリラックスできる相手の方が吃音が出る(だから家の中が一番どもる)。これは、小倉さんと同じだそう。
でも、激しく強く何かを言い返したい時なんかは、やっぱり吃音が出ている気がする。
一度か二度、機関銃のように同じ音しか出なかったのを見たのは、夫が激昂していた時だ。同じ音しか出ない、というより、速すぎて止められない、というような感じで。そしてその事が悔しくて夫は更に泣いていた。私が夫の吃音をちゃんと意識したのは、その一度か二度で、あとは、「ちょっとつっかかりやすい人」とか「ちょっとどもりがちな人」とか、意識して言葉にしてみるとすればその程度の感覚でいる。


映画の中で、「生まれつき吃音のある子供はいない」と言っていたのが驚きだったよ、と夫に言うと、夫は義母から聞いた事があったらしく知っていた。
私は、知らなかったので、子供を持とうとした時に、夫の吃音は、子供に遺伝したりするのかしら、とこっそり考えたことがあった。遺伝しなくても、環境として、聞いた音で喋るのなら、何か影響はあるのかしら、とか。それは悩みとか、不安ではなく、そういうこともあるのかな、と思っただけのことなのだけど。


私は夫の吃音に関して、出会ってから今まで、とくに何も感じた事がない。多分彼の多くの友人らと同じように。
勿論、一緒に暮らしていて、私に余裕がない時などにあまりにスクラッチされると、こちらの脳が自動的に混乱してイラっとくることはある。でもべつにそれは単なる脳の反応で、感情ではない。
でも、子供はどうだろう。
成長過程で、気にするような事があるかもしれない。子供というのはそういうものだから。
その時私はこの映画を見せて、この王様の努力を見せることができる。そしてジョージ6世の娘はあのエリザベス女王よ、と言うことができる。お前はこの気品高いお姫様と同じね、と言うことができる。