意識研究に関してASSC17でNCCとIITについて気になる話題が有った。

ASSC17のustreamをやっている方がいて、興味深く拝見させていただいた。もう見れなくなっているが、かなり貴重な内容が有ったように思います。2つ気になる話題が有って、ひとつ目は、「NCCの時代は終わった」という意見が有ったこと。もう一つは、IITとPhiの今後について、あらためて肯定的な意見が有ったこと。

①まずNCCについて、実はボクが感じていたのは、方法論としては非常に合理的な手段で、この方法により、脳内の機能解明に直接繋がっていくのだろうというものでした。一方、各論として、実際にはNCCとしてかなり広範囲に分布して観測されることが予測され(実際には次々と連想される情報群との線引きは困難で、また、一つの要素を表す「もの」もその情報群と相似形で存在し、一つの「ナニカ(NCC?)」ではその「モノ」は表現できないと予測。)、NCCそのものの観測のその後にそれをどう解釈するかという視点(連想からの予測などのキーワードで)が大事になってくるだろうと考えていました。

  • 今回、「NCCの時代は終わった」のコメントが飛び出した深い背景は不明ですが、思ったのは、後に書くIITのインパクトが大きかったのかなということと、方法論としてのNCC観測は今後も活用されるだろうということ。

②IITとPhiについて、前に(2012.4頃)twitterでこの話題が有って、当時はIIT:情報統合化ってそりゃあたりまえでしょうって感じで、統合化されたら連想(ここはボクの仮説の鍵)もするでしょうと考えていました。

  • 今回、IITとPhiについて、英語版のWikipedia(数式はちょっと理解が難しいけど)や、scientificamerican(ちょっと古い)の記事や、以前にtwitterで拾った文章などを見直してみた。
  • 結論として、情報統合化のためには、それぞれの情報は関連付けられていて、つまりIIT:統合化の程度と、連想可能であることの程度とは同意ではないか?ということを考えました。
    • つまり、トノーニの考え(IIT:情報の繋がりをもとにした統合化)と、ホーキンスの考え(連想からの予測)には、それほど大きな差異は無いように思えます。(さあ、どうでしょう?…トノーニにはおそらく理解できないでしょうけど。)
  • ホーキンスにこのPhiをどう考えているか聞いてみたいですね。ボクの曲解では、ホーキンスの考えの鍵は「連想」なので大きな視点で見れば、理解できないことは無いように思います。
  • トノーニの考えの深いところは理解できませんが、統合化が連想に繋がるのであれば、ボクの意識仮説(ホーキンスの考えをヒントにしている):記憶からの連想、メタ認知、自由意志、シームレスに記憶と繋がる欲求…などは、これにより説明できるのかもしれません。
    • ボクの仮説を数式で表すことは一旦保留(というかボクにはできない)していますが、トノーニの手法はそのヒントになるのかもしれません。
  • 各論で、「Phiが高くて無意識ということも有るか?」というのが有りましたが、それは、ある閾値を超えるかどうかの問題で、おそらく、閾値はサプライズそのものと思われ、それはメタ認知の何らかの関数になっているように想像しています。
    • メタ認知:「本人の○○という思い」を含むエピソード記憶を「私」の意識として思い出すことで、あたかも「私が」そこにいるように意識(メタ認知)するという考え…サプライズするには記憶に対しさまざまなgap(「私」の認識との差異)が必要でその差異がある閾値を超えるとき無意識から意識の世界に飛び込むのではと考えています。)
  • 他にもうちょっと気になる話題が有りましたが、いつか再upされたら見てみます。
  • 「PhiはPコンシャスネスと同一であるかどうか?」というのが有りましたが、どうでしょう?うーん。ボクはここには踏み込みません。正直、物理現象からクオリアが生まれることを認めれさえすれば、逆のこと(クオリアが脳の何かに作用するかしないか等)を考えなくても支障は感じないので。
  • ここへ来て、ボクが以前ツイートした、「1年以内に意識のアウトラインは解明されたことになるかもしれない」は本当に実現するかもしれません。

Phiはおそらく、情報の連想を表すものと理解し直すことができると思います。個々の情報要素の互いの連想から自動的に意識が立ち上がるということが現実のものとなるかもしれません。

※以上、7/20のtwitterへのpostをもとに加筆・修正。

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