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2011-07-29

ソーシャルメディアは人間の感情を劣化させるのか?

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 先日の記事 の補足として、ジャロン・ラニアー著『人間ガジェットではない』から引用して、「残念なユーザーは残念なシステムが生み出す」という話をブログ記事にしようと思っているのですが、例の如く筆が進みません。

 そんな時に見た"増田"記事。これがなかなかの読み物。

翌朝、エヌ氏の日記にエヌ氏の急死を伝える記事が家族によって投稿された。たちまちネットから「いいね!」が送信された。家族から恋人から、友人から、同僚から、見知らぬ人から

↑このブックマークコメントは、軽い冗談で書いたのですが、件のラニアー本の主張とちょっとカブるような気が。インターネット上の記事を読んだ時に心に浮かんだ様々な感情を「いいね!」ボタンを押すか否かというデジタルビット情報に圧縮、簡略化していく…は大げさにしても、インターネット上に何らかのアウトプットをする時、私たちは、自分の思いを非可逆圧縮していないでしょうか?例えば140文字に収まるように切り詰めたりとか…

人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice)

人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice)

インターネット上に劣化コピーされる人間

 ジャロン・ラニアー氏は(まだ斜め読みでしか通読できてないけど…)、コンピューターソフトウェアでは人間を十分に表現することは出来ないと指摘します。

本書で私は、人間MIDI音符のようになりつつあるのではないか──あまりに狭く定義されているのではないか、また、コンピューター表現できるものに制限されているのではないかと思う点を考えてみたい。こうすることには大きな意義がある。音符なら捨て去ることも可能だが、我々自身を捨て去ることはできないからだ。

ジャロン・ラニアー『人間ガジェットではない──IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』p27

 そして、現在コンピュータ技術では人間を十分に表現しきれない事を、技術者ユーザーも無自覚のまま、ソフトウェアを開発しそれをインターネットを介して日々使いコミュニケーションを行っていることに対して警鐘を鳴らしています。

 ソフトウェア工学は0か1かというバイナリな特性を中心としており、その特性は高次元にも顔をだすことが多い。あるプログラムについて、それが走るか走らないかを判断するのは、それなりに走るかどうかを判断するよりも簡単だ。デジタルネットワークで人と人の関係を表すときも融通の利かない形にしたほうが簡単だ。たとえばソーシャルネットワーキングサイトでは、人はカップルか独り者かに分類され(別の分類もあるが、いずれにせよあらかじめ設定されたごく少数から選ばざるをえない)、そのように簡略化された人生が友人の間に広まってゆく。そして、やりとりしているうちに、それこそが真実だとされてゆく。人と人の関係にソフトウェア工学の問題が混入するわけだ。

ジャロン・ラニアー『人間ガジェットではない──IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』p134

 確かに、例えば人と人との関係は、友達か否かという1bitデータでは表現しきれないはずです。

う〜ん。むしろ"友情"などプラス感情のつながりを強要する機能命名の主潮が大嫌い。「お気に入り」とか「フレンド」とか。しっくり来る用語は「ヲチ」なんだけどなぁ。
mame-tanuki
2011/04/07

 もちろん、インターネット上で読んだ記事への感想も、Facebookの「いいね!」ボタンを押すか否かとか、はてなスターを押すか否かとかいう1bitデータで収まるわけがありません。

Google先生に伝わらない思いがあってもイイじゃないか

 このようにインターネット上では、技術的な限界技術者の怠慢により、人格人間関係、思考が劣化されて日々送信されています。

 これに加え、ソーシャルネットワークにより加速化されたインターネットの流れの速さが、さらに出力物の品質劣化に拍車をかけているように思います。つまり、リアルタイムストリーム上で遭遇した記事に対して、即座に何か反応を返さなきゃいけない、ツイートしなきゃいけない、というプレッシャーです。まるでバラエティー番組に出演した若手お笑い芸人が、何か面白いコメントを言わなきゃと焦るように。

 例えば訃報記事を目にした時。故人に対する様々な思いが入り混じり言葉として整理がつかない時、ついつい「ご冥福をお祈りします」などの紋切り型コメントで"とりあえず"ツイートしたり、ブックマークしたりしがちです。

 しかし、しっくりとする文章で表現できない思いは、無理やりアウトプットする必要は無いのではないでしょうか。むしろ、非可逆圧縮された言葉で思いを固定化することで、その時抱いたオリジナル感情までも上書きされてしまうような気さえします。

 当たり前の話ですが、ある出来事に対してネット上で反応しないということは、イコールその出来事を知らないという事でも、その出来事に無関心であるという事でもありません。投稿するか否かというデジタルな話ではないのです。言葉に出来ない思いは、時に飲み込んでしまう方が良いのです。




 ……とまぁ、半分以上は当ブログ更新がすっかり滞っている事への言い訳自己欺瞞の話ですw


【関連リンク】安易なアウトプットの弊害について

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