夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

夢中。

再び車中。土日を名古屋で過ごす。

東京では新聞は日経を取っているので、名古屋に帰ると読売を纏めて読んだ。思ったのだがいろいろと子供のころから文学等の情報は結構新聞から得ていたようだ。ニュースを本分とする媒体であるが、やはり文芸欄や読書欄からさまざまな作家や文学に関係する知識に出会っていた。

いわば本屋で自分の守備範囲ではない本に出合うような間合いだろうか。そのことを感じたのは以下3種類の記事である。

本日の日曜版から。俳人、福田甲子男に関する記事、”名言巡礼”。
取り上げられた名言は、一句、”田を植ゑて眠り田植に覚めてゆく”。

”田植えという労働は現実だが、現実を繰り返すうちに、夢を見ているような気持ちになってくる。夢と現が相半ばする。つまり、「夢中」になる。
 働くとは、そういうことなのだ。”(文:高畑基弘)

働くこと、の桃源郷的幸せの本質をみた気がする。そういう”労働”は大変だが、幸せだ。そんな”働き”の場に入りたい。甲子男の句はそのような憧憬を読むものに与えるものだ。

そんな気がした。句をつくること、がそんな場にアクセスする装置を作ることだったのではないか。

そう感じた。俳句、いつかやってみたい、と思わされた。

次は、6月13日(土)の「五郎ワールド」。橋本さんは、池田晶子さんを読売での対談にかつぎ出していただいた恩人であるので、その文章は敬して読むようにしている。

”イケダアキコサんヲスキナヒトハスベテワガドウシ”

すみません、ちょっと車中で酔っておりますので・・・。




さて、橋本さん、池田さんも言及されたカントを引用されている。

「繰り返し、じっと反省すればするほど、常にそして高まり来る感嘆と崇拝の念を持って心を満たすものが二つある。わが上なる星の輝く空と、わが内なる道徳律である」

カントのこのことばを、こうして孫引きだが引用させて頂くことが、まずありがたい。カントの真情に、この翻訳文を通してアクセスできる。このすばらしさ。

当該稿では橋本さんは、97歳の元首相、中曽根康弘さんに言及している。また、84歳の八千草薫さんの映画についても述べられる。

”ゆずり葉はね、新芽が育つと古い葉が青いままで散るの。そこで緑の葉が茶色になり自然に土に帰る、私、ゆずり葉のように生きてゆきたい”

映画の中で八千草さん演じる母が一人息子に言う言葉である。

今日は、”父の日”。子供2人にプレゼントを貰った。プレゼントも嬉しいが、プレゼントをくれる気持ちがまた嬉しい。

僕が子供にあげられるのは、たぶんもうこうした八千草さんが演じた母親のような気持ちだけ、なのだろう。


さて、3番目、御年65歳になられる坂東玉三郎さんの記事。”戦後70年 想う”と題した記事であ6る。

文に合わせ掲載された近影がまた度肝を抜く。軽やかで瀟洒な姿。女形とはいえとても65歳の男性の写真とは思えない。時が通り過ぎている。そんな月並みな言葉が出てくる。

いきなり話が飛ぶのだが、僕は浅丘ルリ子が好きである。まあ、とにかくあの雰囲気と眼が好きだ。あの系統で思い浮かぶのはジュディ・オング

浅丘は、オーディション出場時、中原淳一の強烈な推薦でデビューしたと聞く。中原の描く女性像が好きな僕は、そこになんともいえない親近感と感謝の念を覚える。

玉三郎も同じく、69年に三島由紀夫の「椿説弓張月」で白縫姫に抜擢され、急に大役が来るようになったという。

その後世界のアーティストと共演する機会を得て、分かる。

”「どんな世界で生きていても、世界を知らなきゃダメ」ということですね。絵描きだって物書きだって、世界を、過去を勉強して、「自分」が分かる。”

そしてその表現者としての素直な直観を述べる文章には迫力がある。実感、があるからこそであろう。

”ここ10年ばかり、みんなインターネットにあふれる情報に振り回されていたでしょう。でもあまりにもいろいろな情報が蔓延した結果、世の中が、それを本当に信じていいのか、と疑い始めている気がする。”

この、坂東さんの実感には共感する。昔は、”場”としての”漫画”に、世間は懐疑的だった。それが今は”クールジャパンの先兵”。ネットも同じだろう。あたらしく始まった”場”を、人はうまく理解できない。所詮は”場”。そこに”誰が”、”どのように”あるのかが本質問題。

場がいくら素晴らしくとも、登場人物がしょぼければ始まらない。逆に場がいくらしょぼくても、本物は本物の輝きを放つ。

そういうことではないのか。

新しい場の新しさにだけ、熱くなっているようではまだ未成熟。

ネットはおきらいだった池田さんだが、たぶんもしかしてネットを使って発信されるような場があったのであれば、間違いなく強烈な磁場を形成されたであろう。ある意味思想の極、となるような場を作られたかもしれない。


まあ、結局いろいろ考えてはみても、結局は池田晶子さんに戻ってきましたね。


名古屋から起草して、さきほど新横浜に到着致しました。

あと10分で降車となります。ぼちぼち降りる準備を致します。


ではでは。