ブラック・ダリア

 仕事が終わって、わずかな小休止を味わうため、ずっと前に買っていた文庫本に手をつけたらやめられなくなってしまい、昨夜の深夜12時から読み始め、読み続けること9時間。今ようやく犯人と、事件の全貌がわかり、本を置いたところです。ブラック・ダリア事件の。ひと月ほど前にたまたま本屋で見かけて買っていたのですが、映画化されて、それがもうじき公開(10月ごろ)なのですね。

 ずっとずっと昔に、一度だけ日系のアメリカ人の優しい男の人とデートをしたことがあって、その時に観た映画が「L.A.コンフィデンシャル」でした。彼は日本語が話せなくて、私も英語はほとんど話せないけど、当時はまだ確か大学に通っていてグラマーの記憶が残っていたのでなんとか意志の疎通をとっていて、私は字幕を見、彼はそのまま英語を聞いて観ていました。その原作の小説と、今日読んだ「ブラック・ダリア」がロス四部作と呼ばれるもので、同じ作者によるものだというのも、ごく最近になって知りました。無知蒙昧でほんとうに良かった。もっと若いときにこの小説を読まずに、今までとっておけて。眠気はすっかり覚めてしまい、眠る気も起こらないので、これから出かけようと思います。四部作の続きを手に入れるために。おかげで今日は世界が違って見えます。今はじめて夏が来たようです。眠る前にと思ってベッドのわきに置いておいた紅茶がまだ残っている。

 作者のプロフィールを。「ジェイムズ・エルロイ 1948年、ロサンジェルス生れ。10歳のとき、母ジーンが何者かに惨殺される。女性殺人に深くとらわれ、母の亡霊から逃れようとして作家になる」

 私は何から逃れようとしてこんな仕事をしているのだろう? もしくは、何の亡霊にとりつかれて? 何にもとりつかれていず、逃れようもなく、あさはかな欲望に身をまかせているだけかもしれない。というようなことを、戯れのように考えて、しぶとく仕事に戻りたいと思います。

 参拝が是か否か、創造性を目指すか商品を目指すか、薄めてメジャーを目指すか濃いままマイナーを目指すか、というような、政治の世界からアダルトビデオの世界まで、世界のどこででもまんべんなく語られる二者択一の無意味さを、ジェイムズ・エルロイは視線ひとつ動かさずに示してしまう。どちらかを選ぼうとすると全体が見えなくなるし、「二者択一」という方法そのものが間違っていることに気づきそこねることがあります。

 今月は気力・体力ともにバテ気味ですが、充電の予定があるのでしばしお待ちください。