★「オトナアニメ」の「さらたね対談」の、更科修一郎さんの発言がすごすぎる。一部引用します。

更科 (前略)評論家としては、同世代や年上の人間のノスタルジーを肯定してやるような原稿は書きたくないんですよ。いや、20代の年下の連中ですら肯定したくない。それは彼らが早くもノスタルジーに囚われているからです。
(中略)
ガンダム』のように過去のコンテンツが延々と生き続けているアニメや、高橋留美子がいまだに少年誌の第一線にいる漫画は、ジャンルとしてやっぱり不健全だと思うのです。過去を切り捨て、隔絶しなければ若い人は入ってきませんよ。
 もちろん、ノスタルジーはありますよ。でも、消費のマニュアルを作っている以上、現在進行形の作品の正否を評価しなければ意味がないのです。そのためには昔、好きだったものは切り捨てていくしかない。批評眼が曇るからです。


 はい、続きが気になる人は「オトナアニメ」、買いに行ってください!

 更科さんのすごいところは、この発言がアニメだけでなく、他の多くのジャンルにあてはまる発言になっているというところだと思う。AVも然りなのですが。知性っていうのは、たくさんのジャンルの真ん中をスーッと串刺しにするようにしてものごとを語りおおせてしまう才能のことを言うのだな〜と、批評家サミットのときにも思ったことを、また思いました。

 更科さんと、吉田アミさんと、私はほぼ同年代で、私はふたりに「がんばれ〜」と思っているのですが、こういうのを読むと、「つーかお前ががんばれよ」と思いますな。というわけで、今私の心の中では長渕剛の「キャプテン・オブ・ザ・シップ」が流れています。行け! お前が行け! よ〜そろ〜よ〜そろ〜……。


★ついでに、と言っては何ですが、『ユリイカ』2005年10月号 攻殻機動隊特集より神山健治の発言を。


神山健治 たまに2ちゃんの書き込みとかを見てたんですけど、面白いことを思いつく人っていますよね。ただ、そういう人間がプロになってこない。現場を見ていても、いまクリエイト行為よりは、消費行為のほうがエレガントになってしまっているのかもしれないと思っちゃうんですよ。極端な言い方をすると、いまほど消費者に対してプロのほうが頭悪く見えていることはないんじゃないかと。数人で創ったものを数万人が見るわけだから、数人がどんなに強度を高めても相対的には負けてしまう。

東浩紀 特に設定面は大きいですよね。

神山健治 こっちが見落としているようなことも、万の単位の人が見ていたら必ず誰かは気づく奴が出てくる。それとの戦いの厳しさをここ数年感じてます。


 「エレガント」という言葉の正しい使い方を、久しぶりに見たような気がしました。汗水垂らして作った挙げ句ボロクソに言われるようなクリエイト行為よりは、そりゃあ買って観てどこからどう読んでも正しいクールな意見をブログとかに書いている消費者の方がエレガントなわけで。


 神山健治はこの発言を、六本木ヒルズで行われたイベントの時もしていて、その時は確かプロ野球の例えを出していたように思います。プロ野球見て、「こんなんだったら俺の方が打てる」とは誰も思わないけど、アニメは「こんなんだったら俺の方が面白い話作れるよ」と思われてしまうし、実際その可能性(視聴者の方が面白いアイデアを持っている可能性)もある、というような例え話だったと思うんですが。


★あと、最近このサイトを見てるとセックスしたくなって困ります(※お子さんは見ないでください)。
http://rapeme.org/mt/archives/48/index.html

 すでに有名なサイトですが、諸事情あっていろいろ、ハツカネズミ程度の大きさの自制心(そこらじゅうをうろうろしたり、丸い遊具の中をグルグルと走り回ったりします)で性欲をガマンしているというのにこんなもの見せられちゃかなわんですよ。