後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、江夏豊

入団1年目、高卒ルーキーは順調に白星を重ねていたが、
当時の阪神は打線が弱く、江夏豊は好投しながらも味方の援護に恵まれないことが、特に後半多く、結局12勝13敗と負け越してしまう。


前半の活躍から新人王の最右翼と目されながら、それも武上四郎に逆転されてしまった。


しかし、球界を背負う投手になることは誰の目にも明らかで、その通り球史に残る大投手へと歩み出すのだが、それは早くも2年目不倒の記録を打ち立てることになって表れた。


『誰にも破られない記録を』
江夏自身の思いも強くあり、シーズン401奪三振という驚異的数字を残すことになる。



ところで、過去の大投手の記録した途方もない数字は今後、破られることがあるだろうか?


金田正一400勝。
ヴィクトル・スタルヒン
稲尾和久のシーズン42勝。
そしてこの
江夏豊のシーズン401奪三振

などなど…。


現在と時代が違うとは言え、恐るべき記録の数々である。



昭和43年にシーズン401奪三振を記録した江夏豊は、昭和46年のオールスターゲームで、また世間を沸かす快挙を達成することはなる。


オールスター戦9者連続奪三振


これも凄いことをやってのけた。


阪神時代は先発完投型の投手で、数々の記録を打ち立てた江夏豊だが、やがて転機が訪れる。


次第に長いイニングを投げられなくなってきた江夏は、南海ホークスへトレードされることとなったが、そこで野球理論に長けた、野村克也監督(選手兼任)と出逢うことにより、新境地を開拓することになるのである。