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武蔵野日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-04-08

博士論文を書くのは想像を絶するほど苦労する

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新入生に対して研究内容を紹介してください、ということでパネル展示。松本先生から「機械翻訳をやりたいと言っている新入生が何人かいる」と聞いていたが、それらの人々にお会いできたかも? なぜか知らないが疲れた……。オープンキャンパスまでに一度ポスターを作り直したほうがいいような気がした。

博士に進学するつもりという人たちともお話したのだが、博士に進学するのをお勧めするかお勧めしないか悩ましいところである。自分としては、どうすべきかというところにコミットする気はなく、自分はどうであったかという事例を話すだけしかないが。自分にはまだ博士課程を総括できるほど整理できていないが、@hillbig くんが博士生活振り返りというエントリーでまとめてくれているのを、「そうそう」と読んでみたり。

一番難しかったのがモチベーションの維持でした。もし、3年間やる気を全開にし続けられたら、10倍ぐらいの成果がでていたでしょう。実際はやる気が全くでない時期、パソコンを開いても全く論文が書けず、実験ができない時期というのがよくありました。

また、欝とまではいかないですが、言い知れぬプレッシャーと戦ってました。自分がやらなくても誰も何も言わないし、何をいつまでどのようにやるか全部自分で決められる、というのは最初はいいなぁと思ってましたが、途中からこれは何と厳しいことかと思いました。人の心は弱いので、こうした状況では何もしない楽な方向にまずいきます。そして研究が進まないことに不安になります。

これとはちょっと違う不安もありました。

以前、研究者の人達との飲み会で、突然アイディアがぱたっと出なくなるのではないかという不安が常にあるというという話がありました。研究者は、与えられたルーチンワークを日々やるわけではなく、どちらかというとクリエーターに似ているのだと思います。毎週締め切りがあり、何もないところからイメージを膨らませて作品を作っていく漫画家とかは本当に偉いと思います。頑張ってもどうにもならないかもしれないというのがありました。

(中略)

一番厳しい時期は博士論文書きでした。特に11, 12, 1月は論文と結婚と仕事で肉体的、精神的にいっぱいで、「これはもうだめだろう」とか、「今年の冬はこえられそうにない」とか毎日いってました。「これ終わったら結婚するんだ」というフラグが立っているという冗談をtwitterに書いて、本当になったらどうしようと思うほど追い詰められてました。(引用者註: 「これ終わったら○○するんだ」というのは漫画やアニメやゲームでこれからストーリー上死ぬキャラクターが発言する台詞として有名で、「フラグが立った」というのは「これが終わったら死ぬことになっている」という意味)

修士論文を書き終えた瞬間に、博士論文を書くのは苦労するんだろうなぁと思ってましたが、その想像を遥かに超えてました。夜に何度も締め切りに間に合わない、論文が受理されないという夢を見て起きました。

あれだけポジティブに研究している彼をしてこう言わせるだけ大変なものがあると自分も思うのだが、自分も1年のうち3ヶ月だけ研究してあとはやる気が出ずぼーっとしていた。人間楽しいときはなにやっても楽しいのだが、問題はつらいときどうなるかであって、つらい時期がやたら長い(モチベーションを維持し続けられない)博士後期課程は自分との戦いだなと思うのである。

とはいえ自分も含め、博士進学は大変ということばかり言っていると、進学する人がいなくなってしまわないかと自分は心配である。「来たら苦しいよ」というメッセージを見て、確かに考え直したほうがいい人たちだけでなく、進学しても十分やっていけるような人たちまで進学を取りやめるのはもったいない。進路は本人の意思を尊重する以外にないので、就職します、と言われたら従うほかないのだが……。

自分が思うのは、博士後期課程はインプットの勉強のためには向いていない。たとえば「自然言語処理の勉強がしたい」と思って「先生が前に立って教えてくれる」とか「テキストを読んで知識をつける」とか思って来るのはまず止めたほうがいい。本が書かれている時点でそのテーマは最先端のトピックではない(=研究にならない)し、教員-学生という一方的な関係で教えられるのはすでに体系化された知識であって、これまた研究とは言いがたい。

逆に、博士後期課程に期待していいのはアウトプットの勉強である。博士後期課程ともなると、論文を書いたりスライドを作ったり、今日の研究説明会のようにポスターを作ったり、もしくはプログラムを書いて公開したりと、とにかく自分の仕事を外に出す機会がたくさんあり、時にはそれは必須だったりして、とにかくアウトプットの練習をせざるをえないのである。もっとも、なにかをアウトプットするためには、背景となる知識をそれなりにインプットしておかなければならないので、全くインプットの意味がないわけではないが、学生としての活動の全体のうちたとえば1/3くらいしかインプットの重要性はない(学部生までは、これが9割以上であるのとは対照的である)。

ひとつトリッキーな点としては、ほとんどの人はアウトプットの経験自体乏しいため、やってみないとそれが向いているか・好きかどうか分からないので、1回は経験してみるしかない、ということ。そして、博士後期課程から(しかも他分野から)入学してしまうと、必ずしもそういう経験を経ないで来てしまう、という問題があり、できる人はいいのだが、これまで見た数少ないサンプルから強引に推論してみると、入ってから3年で出るのはかなり苦しいのでは、と思う。

自分的なお勧めは、他分野(たとえば自分のように哲学)から NAIST に来る場合、他の分野で修士号を持っていても、M1 から入り直したほうがいいのではないかと思う。これは簡単すぎると思えば修士を1年(1.5年)で短期終了し、博士を2年(1.5年)で短期終了すれば合計3年で終わるし、できる友人の数を考えたりすると、博士から来てしまうと研究室内に交友関係が閉じてしまうので、気分転換しようにも首が回らなかったりする(友だち付き合いとか完全に無用、という人は別にいいのだろうけど)。博士で入って研究をしつつ修士の人に交じって授業を取るのより、修士として入学して修士の授業を取りつつ研究するほうが、精神的に楽だろう。なんとなれば短期終了しなければいいのだし、博士に行く気がなくなれば修士だけ取って就職すればいい。工学の分野で修士論文を書いてアウトプットのサイクルを一度回してみるのが大事である。それでも行きたいと思ったら、たぶんつらくてもがんばれる。

松本先生と雑談していて「最近の学生さんは睡眠剤とか安定剤飲んで研究している人もけっこういる」と言うと「えー、学生やのになんで」と驚かれたのだが、やっぱり大学院生はかなりストレスフルだと思う……。

aprikipaprikip 2010/04/10 00:18 そうですか、松本先生の認識は今でもそうなのですね。なかなか暗然となります。私も含め、既に2期生の時代からそういう人たちは各学年複数人いたのですが、心に重大な負荷がかかって動きがとれなくなっている学生に対する無理解は今なお健在なのですね。せめて、そういう人たちがいるという事実を受け入れてくださって、その上でご自身理解できないのなら、無闇に関わろう、典型的には元気づけよう、等という行為を謹んでいただけるように、お願いしたいものです。

mamorukmamoruk 2010/04/10 14:28 id:aprikip さん
昔からそうなんですね……。最近は、事実として薬を使っている人は昔と比べて増えているということは受け止めていらして、恐らくお忙しいせいもあるのでしょうが、元気づけようという行為はなさっていないように思います。

自分も実家は滅多に薬を飲まない家で育ったので、自分自身大学院に入るまで風邪薬を入れても5回くらいしか薬を飲んだことありませんでしたし、薬飲まなければ飲まないで済む方がいいと思っていたのですが、大学に入ってからあまりに多くの人が精神的ストレスなどから薬を飲んでなんとか過ごしているのを見て、これは飲まない方がいいと言って平気で済ませることではないのだなと考えを改めました。飲んでいる人も、できるなら飲みたくないのに飲まざるを得なくて飲んでいるのに、「薬に頼ってしまうから飲まない方がいい」と分かり切ったことを繰り返し言われても「この人は分かってくれないのだな」と思うだけですね。

自分で自分自身をコントロールしなければならない(上司が面倒を見てくれたり同僚が心配してくれたりするわけではない)大学・大学院のほうが、そういう状態になるリスクは高いと思いますし、周囲の適切なケアも必要なのではないかな、と感じています。