人間、このか弱きもの

My Life in MIT Sloan の自分を変えたいときに、まずやるべきこととして、大前研一の言葉

人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。

が紹介されていて、なるほどなぁ、と納得。自分も周囲にとても影響されやすい性格をしているという自覚があるので、できるだけ自分を伸ばしてくれるような環境に飛び込むことにしている。

東京から離れて奈良に来ると、(研究室の外の)バイトもなければ(研究室の外の)勉強会もないし、自動的に研究の比率が上がる。住む場所も当然変わるし、研究室に行けば研究熱心で真面目な学生ばかり(スタッフも雑用が少ないので精神的に余裕がある)なので、(人のせいにしてはいけないが)東京の生活に不満があった自分としては、奈良に来て強制的に東京であったしがらみを断ち切ることができたので、よかったと思う。それまでの環境をほとんど捨てるのは怖かったが、ゼロから始めても5年間集中すればなんとかなるという自信もついた(最初の1-2年が精神的にも肉体的にも大変だけど)。

Google Analytics によると、いまこの日記も1日800人くらいの人が見てくれているようだが、ようやく最近大学時代の日記のアクセス数を追い越した。大学時代は Gentoo Linux の開発者をやっていたので、ちょうどそれくらいの人数の人が見てくれていたようなのだが、NAIST に入って Gentoo の活動をする時間もなくなり(上記3ポイントに関係するが、東京にいたときは暇があったら Gentoo の仕事をしていた)、じりじりとアクセス数が減っていたのであった。昔から読んでいてくださる方々には申し訳ないと思いつつ、それでも変わらぬ付き合いを続けてくださっている方々には本当に感謝している。

自分としては Gentoo のスポークスマンは卒業して NAIST および自然言語処理のスポークスマンになったつもりなので、昔から変わらず読んでくださっている人はありがたいなと思うのと同時に、新しく読んでくれる人にもいろいろと NAIST自然言語処理の魅力を宣伝したい。NAIST に関する不満は驚くほどないのだが、ここ数年は、自分が NAIST のことをよく書きすぎているために、来てから「こんなはずじゃなかった」と思う人がいないかとちょっと心配である。

たとえば、NAIST では毎年引きこもる人がいるのだが、とにかくお勧めは研究室外にも友人を作ること(数日前書いたように、博士と修士とどちらで入学するか選択できるなら、修士から来た方がいい)、あと元々の出身のプライドをできるだけ早く捨てること。「自分は○○大学出身で」というの、聞いたほうは「ふーん」と思うくらいなのだが、NAIST に入った時点で全員同じ立場だし、そこからなにができるかを考えたほうが遥かに生産的である(逆も真で、自分の出身大学が見劣りする、とか思う人は、全然そんなことで劣等感を持つ必要もない)。前やっていたことの威光(もしくはコンプレックス)を早く捨てられれば捨てられるほど、NAIST で成功できると思う。

引きこもる人の典型的特徴を書いておくと、真面目で努力家だが、なんでも「やります」「できます」と答えてしまってできなくなってミーティングを一度すっぽかし、一度すっぽかすと次のミーティングでは2回分の成果を話さないといけないと思って達成できず無理で、というようにどんどん負のスパイラルに入ってしまう。具体的には、研究室に来るとスタッフに「最近どう?」と聞かれるのが嫌で来なくなったり、夜行性になったりするのが最初の兆候で、研究室ではなく図書館に行って勉強するようになる、というのが次の兆候で、そのうち就職活動中でもないのに研究室で全く見かけなくなってしまう。

ポイントは、なんでも安請け合いしないということと、進捗が少なくてもすっぽかさずに正直に言うことかな(自分に向けた言葉でもあるが……)。進捗がないならないという情報があればまだ対策も立てられるし、リカバリーもできるのだが、全く情報がないほうが困るのであって、どうしても研究内容や上司が合わずに研究のやる気がおきない、ということは誰だってあるので、そういうときはテーマを変えたり上司を変えたりすることもできるので、とにかく研究室に顔は出し続けるほうがお互いハッピーだと思う。

というわけで、変わりたいと思う人は NAIST を選択肢の一つとして検討してみては、というお話。