びーの独り言

どこいくの?どっか。

2014/08/24(日)「旅行2」

 起きたのは6時半だった。個室は快適すぎて驚いた。
 着替えを持って浴場に向かうと、外はもう明るくて水平線が見えた。浴場は意外に広く、船の上を意識しなければ、いたって普通の浴場のようだった。ただここには大きなガラス窓が何枚もついていて、外の景色を展望することができた。素っ裸で水平線を見ている自分がなんだかおかしかった。
 ロビーでは焼きたてのパンが売られていて行列ができていた。そんなサービスまであるのか?さすが阪九フェリー。昨日のレストランで朝食を食べた。トースト、ベーコンエッグ、クラムチャウダーを選択。クラムチャウダーが激うまだった。
 8時半新門司に到着した。無料送迎バスで小倉駅へ行こうとしたら便意をもよおした。速攻対応して事なきを得た。
 新門司フェリーターミナル→小倉―博多―鳥栖―佐賀→佐賀城跡・・・テレビ局前→佐賀駅バスセンター。
 電車の中ではずっと旅程を組んでいた。どこまで行くか迷ったが、なんとか決めた。そこが決まれば鳥栖で駅弁を食べなければいけなくなった。中央軒「焼麦弁當」。鳥栖は「かしわめし」が有名だが、「焼麦弁當」はかしわめしとシュウマイがセットになっていた。酢醤油が食欲をそそってとてもうまかった。これは定番になりそうだ。
 目的地は佐賀だった。佐賀は芸人のはなわがネタにすることで目立たないことが有名になったが、私にとっては父親の実家があるので気になる場所であった。最近明治維新で最強だったのは肥前藩鍋島家であるという説を聞いた。また西南戦争の前に佐賀の乱があったり。なんだかいろいろありそうだぞ?
 バスに乗って佐賀城本丸歴史館に行った。佐賀城の本丸を復元し、佐賀城の歴史を説明していた。入館料が無料で驚いた。なかなか説明は充実していた。
 鍋島家は10代目直正のときに藩政を立て直し軍備を増強した。薩長土肥というくらい肥前は重要な地位を占めていたが、戊辰戦争では旧幕府か新政府につくか様子見したためにあまり語られることはなかった。しかし、あまり目立たないのことは逆に最強なのではないだろうか?
 佐賀の乱については西南戦争の陰に隠れてしまっているが、これも新政府の処遇に不満を持った士族たちの反乱である。西南戦争よりもこちらの方が早く、大臣経験者の江藤新平が処刑された。先に戦いを起こしたという意味ですごい出来事なのだが、ネガティブな話だからかあまり説明されていなかった。
 隣の佐賀県立博物館も入館無料だった。文化や風俗は飛ばして、古墳時代以降をチェックした。歴史館と似たような内容だった。当たり前か?特別展として森永太一郎展をやっていた。お菓子で有名な森永の創始者であり、佐賀出身らしかった。今まで知らなかったが、日本で最初に洋菓子を広めた人らしい。そのフロンティアスピリットに感動した。こういう話は大好きだ。
 佐賀駅前の「東横イン」にチェックインした。有明海の魚を食べるために「かっぱ亭」に行った。こんなに興味は湧かないのかというくらい気乗りしなかったが、話のネタになると自分を奮い立たせた。おやじさんと奥さんはとてもフレンドリーだった。メニューにある有明海の料理は予想以上にうまそうに見えなかった。やっとこさムツゴロウの蒲焼きを注文した。しばらくするともはや原型を止めていない真っ黒焦げの2匹が出てきた。頭からかぶりつくと予想外にうまかった。ムツゴロウの味というよりはタレの味しかしなかった。奥さんとはいろんな話をした。トークがあると楽しい。B級グルメであるシシリアンライスを食べた。なんちゅうネーミングや。スパイシーなご飯の上に唐揚げ、レタス、トマト、半熟玉子が乗っており、マヨネーズがかかっていた。これは予想外にうまかった。すっかり腹がいっぱいになってしまった。