びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/22(月)「再開」

 起床は545。もっと眠りたかったけど、ほとんど眠れなかった。体重は65.5kgまで増えていた。またイチからやり直しか。639発の車内を見ると、一つも席は空いておらず無理だと諦めたら、奇跡的に1つ空いていて座ることができた。
 19時、新習志野のプール。プールは中6日。前半素晴らしかったが、あまり距離は伸びなかった。後半はだらけてしまった。クロール14.5往復。休憩。クロール9.5往復。2400m。

2024/04/21(日)「京都」

 東横イン奈良王寺駅南口。610、起床。6時半に朝食。3日連続一番乗り!身支度をしてから、午前中に行く場所を調べた。昨日テレビのニュースで舞洲ネモフィラがきれいと紹介していた。720、チェックアウト。今にも雨が降りそうな天気だった。
 731発大和路快速。大阪の降水確率は90%だった。西九条で桜島線に乗り換え、807発桜島行き。まさか乗り潰し以外で桜島に行くとは(驚)。しかも、立つ人がいるくらい混んでいた。これらの人たちの3/4はユニバーサルシティで降りていった。まるで舞浜かと思った。終点桜島には大阪万博のポスターが貼られていた。大阪万博はさらに沖の夢島で行われる。島の名前の付け方が東京と同じなんだよなあ。桜島で降りた人たちの大半はゾロゾロとそのまま西に歩いて行った。どこに行くんだろうか?通勤だろうか?
 ついに小雨が降り始めてきた。桜島駅前にはそれっぽいバスが一台ハザードを点けて停まっていた。桜島駅前バス停。乗ったのは私を含めて3人だけ。開園時間には早すぎるし、天気も悪いからだろう。でも、バスの席はほぼ席は埋まっていた。北港観光バス。210円。大阪のバスでICカード使えないなんて。820出発。とてつもなく巨大な橋を渡って舞洲へ上陸した。ここから先は初めての区域だった。地図上では巨大な埋め立て地にしか見えないが、サッカー場や野球場があり、意外と栄えている印象だった。ただバスしかアクセスがなく、土地の使い方を持て余してるというか。
 735、ホテル・ロッジ舞洲前バス停下車。先程よりも雨の勢いは増して、傘が必要だった。ネモフィラ祭りは大阪まいしまシーサイドパークというところで開催されていた。チケット売り場には傘をさした30人くらいが並んでいた。開園ダッシュかますには人が多すぎた。ブログを打ちながら待った。
 9時前に列が動き始めた。当日券は1500円。昔の私なら決して払わなかっただろう。今の大阪の人は舞洲くんだりまで花を見るためだけに1500円も払うのだろうか?
 目に飛び込んできたネモフィラ畑は、まるで水色の絨毯のようだった。しかし、思ってたより規模は小さいように思えた。さすがにテレビの切り取りかと思ったが、園内をよく見るととても横に長くて、見ようによっては地平線までネモフィラ畑が続いていた。ここには100万株のネモフィラがあるようだった。あいにくの天気だったが、どんより曇った空もまたネモフィラの水色にはマッチしているように思えた。
 ネモフィラは直径3cmくらいの小さな花で、真ん中が白く外側が水色だった。青いバラがないように、水色の花というのは珍しいかもしれない。一株からは茎がニ十本くらい出てて、いくつもの花を咲かせていた。高さはくるぶしのちょい上くらいで、テレビによれば雑草が生えると花が見えなくなるので除草が大切だとか。ネモフィラの中には時折花全体が白かったり、同じ種類かわからないけど、鮮やかなオレンジ色の花があった。
 940、撤収。955発のバスでJRユニバーサルシティ駅前まで。思いがけずユニバーサルシティ駅に行くことになった。皆が高級リゾートホテルの中に入っていくので後についていったが、エレベーター待ちしてるとさすがに違う感じがしてきた。一旦入り口に戻り、入り口のところにいた格好いいホテルの制服をきたきれいなお姉さんに駅の場所を聞いた。お姉さんは満面の笑顔で「ホテルのエレベーターで3階に行っていただいて、右に曲がるとメインフロントがありますので、そこを真っ直ぐ行けば駅です。雨で足下が濡れているのでお気をつけて進んで下さいね」、ここも夢の国と同じようだと思った。
 こんなところを通っていいのだろうかと思うようなきれいなホテルの中を歩くと、外国みたいな町並みの場所に出た。まるでイクスピアリではないか!舞浜のようでいて大阪には不釣り合いな施設ではないかとも思ったが、たくさんのお客さんで賑わっていたので、最近はそういうのが支持されるんだろうなあと思ったり。
 1035、大阪下車。1045、スナックパークのいか焼き。隙あらばいか焼き。いや、これが一番の目的かもしれない?30人くらい並んでいた。朝からご苦労さんやな。いか焼き、デラバン、和風デラ、ネギいか焼き。これぞ大阪グルメや!
 1140、阪急大阪梅田発京都河原町行き特急。1225、京都河原町到着。1240、上島珈琲店河原町店。ミルクココア大は800円。インバウンド価格かと思ったら、めっさデカイココアが出できて大満足だった。
 13時、ミープル。いつものイナさん、ウメさん、Mさん。アグリコラ。家庭教師とホラ吹き。両方満点。盤面はボロボロ。序盤でかまどとレン窯両方行ったのが敗因かと。楽しかったからいいか。
 donpaが来て、ゼロ。ゲシェンクたほいやウミガメのスープ。ハーベスト。スカルキング。
 19時半、撤収。今日の駅弁は「黒毛和牛100%お疲れ様です!牛めし京都ロケ弁です!」(京都太秦穂久彩)、前回初めて買ったけど、ダントツにおいしくて、しかも値段も控え目。失くならないで欲しいなあ。20時半ののぞみで東京まで。「新幹線0号」を思い出してしまったw。帰宅は24時。
 今回の遠征は楽しかった。先週のつくばから完全に潮目が変わったみたいだった。たった一日あれば、状況は逆転できると思えたのが大きかった。我慢して仕事して泳いでてよかった。結局、一時期の感情に流されるよりもやることをやった方が大きいのだ。まだまだ綱渡りな状況は続くけど、明日からも頑張ろう。あと一週間頑張れば次はGWだ!

2024/04/20(土)「葛城」

 東横イン奈良王寺駅南口。起床は5時半。6時半から朝食。今日は葛城古道に行くことにした。葛城古道は、明日香に泊まった際に若葉のおかみさんが「お客さんで何回も葛城古道に行ってる人がいるのよ」と言うのを聞いた時からずっと気になっていた。
 和歌山線7時発高田行きは6両編成。なんでこんなに長いのか?当然ガラガラ。高田で721発和歌山行きは向かいのホーム。4両編成で真新しい電車。車内にはスイカのタッチ。初めて見たかも?放送は自動放送。そしたらハングルが!そういや前に御坊でもこんなんあったような?ハングル話者が乗ってるかわからないのに、こんな田舎で流す必要あるんか?風情も何もなかった。
 728、御所到着。駅前は寂しかった。トイレに籠ってから、近鉄御所駅へ。途中寂れまくった商店街のアーケードが出てきた。近鉄御所駅にはバス停はあったが、目的のバスはわからなかった。仕方ないので帰りにバスに乗ることにした。
 755、ようやく出発。コースは風の森バス停までの14kmだった。葛城古道までのアプローチまでは2km。早くも苦戦が予想された。天気がよかったのが救いだった。山に向かって歩いた。道はずっと軽い上り坂だった。
 810、崇道神社。早良親王のたたりを鎮めるために建てられた。京都とかあちこちにあるらしい。
 825、鴨山口神社。延喜式記載の山口社14社の中の本社とされる。鴨の名前ははこの辺りを本拠地とした鴨氏に因んでいる。
 835、六地蔵石仏。道路の歩道に大きな石があり、注連縄が掛けられていた。裏に回ると六地蔵が彫られていた。土石流で運ばれてきた石に室町時代に彫ったらしい。
 ここから葛城古道に入った。今までの街道よりもずっと細かった。くねくねして直角に曲がったり、まるで田んぼの畦道のような箇所もあり、継ぎ接ぎの道だった。これが本当に古道なのかは疑わしかった。ただ少し高台を通っていたので見張らしよく周りは長閑で、天気のよさも相まって楽しいハイキングとなった。
 9時、駒形大重神社。駒形神社と大重神社を明治時代に合祀したそうだった。大重神社は昔に地域に貢献した人を祀っていて、なかなか珍しかった。高台にある明るい緑に囲まれた静かで雰囲気のよい神社だった。
 915、九品寺。ここも静かできれいなお寺だった。裏に千体仏があったようだが、見逃した。
 925、楢原休憩所を越えたところで道は柵でとおせんぼされた。よく見ると自分で開けて閉めるスタイル。害獣よけみたい。
 9時半、綏靖天皇葛城高丘宮趾。石碑だけ。綏靖天皇は第二代天皇であり、神武天皇の三男に当たる。欠史八代の一人で実在が危ぶまれている。なぜここが葛城高丘宮なのかというような山の中にあった。
 945、葛城一言主神社。道中で唯一ずっと気になっていた場所だった。一言の願いなら叶えてくれる神社とされている。伝説によれば、雄略天皇が狩りをしてる時に同じ格好をした人に出会い「何者」かと尋ねたら神様だったということである。
 1025、長柄神社。延喜式神名帳記載の神社。最近、延喜式記載の神社はとても多いのではないかと思い始めていたり。
 10時半、郵便名柄館。旧名柄郵便局舎。ここは堺屋太一の親族が寄贈した。喫茶店になっていて開くのは11時からだった。残念。裏には郵便庭園があった。さまざまな切手の図案が飾られていて、面白かった。
 1040、中村家住宅。入れるわけでもなく、どのへんが重要文化財なのかわからなかった。
 1055、春日神社。11時、高木神社。地元の神社。
 1110、南郷遺跡群の案内板。南郷遺跡は飛鳥時代以前に活躍した葛城氏の建物跡だとされていた。ここの遺跡のことを知って葛城氏に興味を持ち、2022/4/9に葛城市歴史博物館に訪れたことがあった。実際の場所はどこが遺跡かまったくわからないくらい、田んぼや緑に覆われていた。埋め戻されたのかな?
 この辺りからにわか雲が増えてきて、少し暗くなってきた。1115、住吉神社。地元の神社。1135、極楽寺。地元の寺。
 ここからとんでもない山道となった。薄暗い森の中にひたすら木組みの上り階段が続いていた。これのどこが古道なのか?息も絶え絶えに登った。止まると虫がめちゃくちゃ凄いし、かと言って進むのもしんどいし。やらかしたなあ。森から脱出して目の前が開けると、満開の桜の木があった。極楽かと思った。
 1205、橋本院。頑張って登って来た先には知らないお寺があった。
 12時半、高天彦神社(たかまひこ)。この辺りは高天原と呼ばれていた。本家の高千穂も日本書紀に日向という記載があるから高千穂と言われてるだけで、本当は福岡説もあったりするから、まんざらこの辺りが高天原と言われてもおかしくないかもしれない。なんせ日本書紀が書かれる前から力を持っていた葛城氏の拠点だし。ここは金剛山登山の入り口でもあり、車がたくさん停まっていた。
 ここからは再び獣道のようになり強烈な下りとなった。絶対にこんなん古道じゃなくて、後付けのハイキングコースだろ?
 1320、葛城の道歴史文化館。お腹が減って併設のそば屋に期待したが、無慈悲にも売り切れorz。中に入って展示物だけ見た。残念な気持ちのせいか、あまり大したことはないように見えた。
 1345、高鴨神社。鴨神社の総本社。上賀茂神社下鴨神社も元をたどればここに至る。大きな神社だった。
 1410、風の森バス停。お腹は減り疲れていた。もう歩きたくはなかった。バスがあるか心配だったが、1時間に1本あった。ここは日本一長いローカルバスの一部だった。
 1431発高田市行きはバスにしては珍しく定刻通りやってきた。中には1人しか乗客はいなかった。途中で何人か乗り込んできた。
 1447、近鉄御所駅バス停で下車。1455、商店街のアーケードから外れたとこにあった「入船」へ。カレーうどん定食。店のおばちゃんが元気だった。
 15時半、出発。少しだけ御所の町を歩くことにした。御所の町は重要伝統的建造物群保存地区ではないが、昔ながらの町並みが残されているようだった。片鱗は感じられたが、あんまりかなと思った。JR御所駅に戻ると、回ったところはほんの端っこを掠めていただけということがわかった。でも、疲れ果ててたからもう一回行く気は起こらなかった。
 1557発の王寺行き。完全に眠っていた。
 東横イン奈良王寺駅南口にチェックイン。ベッドに寝転んでかろうじてブログを打った。
 葛城古道は最初よかったのだが、後半はgdgdだった。何度もこの道を歩こうとは思わなかった。それだったら竹内街道や山野辺の道などを歩くかな?そもそも道というのはどこからどこまで行くのか明確な目的が必要であるが、この道にはそれが感じられなかった。だからこの道は後付けでこじつけたのではないかと思われた。それにしても奈良は見るべきものが多い。寺社仏閣の数は圧倒的である。名も知らぬ神社でも歴史があるから面白い。ハイキングにはもってこいである。

2024/04/19(金)年休「太子」

 東横イン奈良王寺駅南口。結局、6時まで寝た。6時半からの朝食には一番乗りだった。今日は太子町を狙った。前回の古市で味をしめたのだった。
 706発、大和路線JRなんば行きで柏原まで。柏原駅からは近鉄道明寺線に乗り換え。道明寺線は2011/5/5の乗り潰し以来の乗車。まさか用事があって乗るとは思わなかった。JRのホームの端に切り欠きのホームがあり、これが道明寺線だった。ホームには改札機があり、近鉄に乗り換えるにはタッチしなければいけなかった。道明寺線は柏原から道明寺のわずか2.2kmを結んでいた。地図上で見るとなぜ存在するのかわからないような盲腸線だったが、元々は近鉄で一番古い区間だった。乗ろうとしたら学生で満員だった。wikipediaによれば、大和川を渡り藤井寺に行けるのはこのルートしかないとのこと。確かに前に乗った時も大和川の印象しかなかった。726発は、記憶通り大和川を越えた。大和川を見ると、ナイトスクープ大和川を使って通勤した人を思い出す。道明寺まではあっという間だった。
 道明寺では向かいのホームに730発河内長野行きが待っていた。隣の古市で下車。これまた向かいのホームに、739発橿原神宮前行き。電光石火の乗り換えだった。
 744、上ノ太子下車。周りに何にもない淋しい駅だった。近鉄らしい構内踏切を渡ると改札機。駅前のロータリーには智辯学園奈良のスクールバスが停まっていた。智辯学園奈良?智辯学園は五條だから別の学校か?
 目的の叡福寺までは2km先であることがわかっていた。朝も早いし歩こうかと思ったら、マイクロバスが停まっていた。バスの側面には「たいしのってこバス」と書かれていた。中には子供とお父さんが乗っていた。運転手のおじさんに「叡福寺に行きますか」と聞くと「行く行く」と言った。200円。そっからおじさんは観光マップをくれたり、見所を教えてくれた。「敏達さん」「用明さん」とか古墳のことを親しみをこめて呼ぶのが興味深かった。「太子町は宣伝が下手なんですよ」、古市でも藤井寺の宣伝が下手って言ってたなあ。でも、古市は世界遺産だから、太子町は古市よりも下手なんだと思う。だって聖徳太子の墓があるなんてつい最近まで知らなかったから。801出発。バスは下り坂をどんどん下っていった。そのうち右側にそれっぽい寺が見えた。
 809、聖徳太子御廟前下車。叡福寺は聖徳太子御廟を守るために作られた寺だった。聖徳太子の墓があるなんて最近まで知らなかった。なんで誰でも知ってるような歴史的人物なのにお墓は有名ではないんだろうか?幸運なことに8時から開門してた。外観からして威厳があった。聖徳太子御廟は天皇陵みたいな雰囲気だった。ここも宮内庁が管理してるのかもしれない。なんかわからないけど、これまでに感じたことのないとても神聖な空気を感じた。御廟の前に立つと、心の中で「手を合わせるように」という声が聞こえるようだった。その場を離れようとすると「もう少しちゃんとお参りしろ」。辺りはシーンとしていて、遠くでホトトギスの鳴き声が聞こえていた。何かこの先生まれ変わった気分で過ごせそうな、そんな気がした。パワースポットというのはこういうのを言うのだろう。
 850、西方院。蘇我馬子小野妹子物部守屋の三人の娘が聖徳太子の乳母になり、聖徳太子が亡くなった後に出家して尼となったとのこと。3人も乳母がついてたことが驚きだった。しかも、歴史上の大物の娘ばかり。乳母も家柄が重要だったのだろうか?庭の緑が美しい寺だった。
 920、用明天皇陵。聖徳太子のお父さんのお墓。太子町にここまで聖徳太子関連のスポットが多いとは思わなかった。
 935、太子町役場から竹内街道に入った。竹内街道とは、堺と飛鳥を結んでいる日本最古の官道だった。山野辺の道のような小道でところどころに凄く雰囲気があった。生駒を越える上り坂は思ったより急だった。
 950、大道旧山本家住宅。平日は休みだった。
 955、孝徳天皇陵。参道は少し山登りになった。孝徳天皇中大兄皇子に振り回された天皇で、難波宮で寂しく亡くなった。
 1005、竹内街道交流館。山本家の横にあった。近くに歴史資料館があるのになぜこれを作ったのかわからなかった。
 1015、太子町立竹内街道歴史資料館。2022/2/26、近つ飛鳥博物館に行った時に見つけていた。竹内街道のことを知ったのもその時だった。この資料館は太子町の郷土資料館のような感じだった。内容が細かすぎて、文もあまりうまくなくて、頭に入りにくかった。竹内街道、正直あまり有名じゃないよな。
 11時半、出発。小野妹子の墓を目指した。よく晴れていて気持ちよかった。この辺りは近つ飛鳥と呼ばれていたが、なんか雰囲気が奈良の遠つ飛鳥に似ているような気がした。突如、前から歩いて来た厳しそうな顔をした背の低い少し腰の曲がったおばさんに話しかけられた。「こんな天気ええ日、歩いてたら気持ちええやろ」。大阪は親しみやすいなあ。
 1155、科長神社(しなが)。太子町は東西を山に囲まれていて磯長(しなが)と呼ばれていた。神社の横に長い石段があった。上ると小野妹子墓があった。遣隋使で有名な小野妹子だが、まさか墓があるとは思わなかった。古墳のような感じだろうか?
 1220、二子塚古墳。双方墳は珍しかった。でも、全体がブルーシートに覆われていた。何事?一説には推古天皇と竹田皇子が葬られているとも?
 12時半、推古天皇陵。最古の女帝。聖徳太子を摂政にした人。わかりやすい円墳だった。
 1250、仏陀寺。有名ではない地元のお寺。閉まっていた。1255、仏陀寺古墳。古墳はどこかわからなくて仏陀寺の前に石碑があった。まさか蘇我倉石川麻呂の墓だとは。山田寺で自害したのになんでここに?
 1320、葉室公園。葉室塚古墳があるはずだったが、草ぼうぼう。管理が放棄されてるなあと思ったら、奥で何かやってる人が?職員さん?入り口で引き返した。
 1340、敏達天皇陵。欽明天皇の息子で推古天皇の旦那。参道から遥拝所まで少し距離があった。
 14時、泥掛地蔵。蓮池のお地蔵様。泥を塗ると願いが叶うと言われている。
 1425、源頼信墓。14時半、源義家墓。1435、通法寺跡。源頼義墓。河内源氏三代の墓。太子町は墓ばっかりだな。1450、壷井八幡宮。源氏の氏神
 1525、上ノ太子駅。待合室でスマホをいじってたら寝過ごした。1554発古市行き。1601発大阪阿部野橋行き。道明寺下車。1615発柏原行き。柏原でJRに乗り換えて1631発王寺行き。
 1655、王寺ラーメン。2022/7/22以来。接客は最悪だし、味もつーんとするけど、なぜか寄ってしまうんだよなあ。チャーシュー麺大盛。無愛想なじいさんがお盆からラーメンを置こうとした時に盛大にこぼした。それをそのまま出すなよ!やっぱここはダメだわ。
 125、東横イン奈良王寺駅南口。ベッドに横になってブログを打った。
 太子町はとても楽しかった。聖徳太子の墓なんてものすごいスポットのはずなのに、全然有名じゃないのが不思議だった。また有名な天皇の墓も集まってるのに。近くにはまだまだこういうフロンティアが残ってるかもしれんね。

2024/04/18(木)年休「外来」

 起床は3時過ぎ。仕事の腹立たしかったことが頭に浮かんで眠れなくなった。体重計に乗ると63.6kg。前回より2kg減であり、近年稀に見る仕上がりとなった。これでダメだったら仕方ない。
 昨晩、朝食のパンを買い忘れたので、近くのセブンイレブンまで買いに行った。前回、あまーいのを食べたのが、中性脂肪が高くなった一因ではないかと思い、甘くなさそうなのを探したら、どういうわけか甘そうなものしかなかった。一つだけハムマヨネーズを挟んだ小さいのがあったのでそれにした。朝食を食べると眠くなったので二度寝した。
 640、起床。いつも乗ってた時間帯の726発は座れるわけもなく、久しぶりに東京学館浦安のJKが寝てる前に陣取った。東京学館浦安のJKは大体寝ている。いつも品がいいようには見えない。舞浜駅で予定通りJKを見送り席に座った。
 東京駅ではしうまい弁当を買った。今日、中性脂肪がヤバかったら終わりなのにそれでも止められない。一食だけで変わりはしないと自分ルール発動。839ののぞみは、3列シートの通路側に座った。窓側には誰も座っていなかった。窓側だと充電できるのになあ。テーブルを出して、しうまい弁当を食べた。そういえば、いつも幕張PAでしうまい弁当買ってるのだから、他のを買ってもよかったかもしれない。品川駅で窓側の人は来たらテーブルを上げなきゃいけないなと思ってたら、別に誰も乗ってこなかった。そのまま無事にしうまい弁当を食べ終えた。新横浜で人がやって来た。上品そうな眼鏡をかけた細身のおばさんだった。「そこの席・・・」。えっ?実は私の席は窓側だった。いつも廊下側なので今回もそうだと思い込んでいた。晴れて充電できるようになった。
 京都から新快速。窓際に座ると、窓枠の白い塗装が剥がれまくってボロボロだったので驚いた。新快速ってきれいなイメージしかなかったのに。JR西日本こんなとこまでケチってるのだろうか?高槻で普通に乗り換えて茨木で降りた。近鉄バスは発車したばかりだった。走り去るバスの背中を見送った。ここんとここのパターンが多いような気がする。もう少しなんとかならないものか?
 病院に着いたのは12時だった。採血では血液の噴き出す勢いがあまりないような気がした。ドロドロだとこうなる。ヤな感じだった。
 1340に診察。「横ばいですね」と言われた。懸案の中性脂肪が横ばいだと困るのだが、特に中性脂肪に対して何の言及もなかった。診察後に中性脂肪を確認すると860だった。うーん、頑張ってもこれか?前にも頑張ったのにあんまりだったことがあったんだよな。なんなんだろうな?こうなったら基礎代謝とかじゃなくて単純に食い過ぎだと認めざる得ないのかも。
 今日は病院も薬局も空いていた。薬局が終わったのは14時半だった。バスでいつもの茨木市役所前。旧茨木川に架かる高橋の欄干には、石造りのかわいらしい茨木童子の像があった。いつも気になっていたので、今日は写真を撮ってみた。またいつも通り抜ける茨木神社でも写真を撮った。白い大きな立看板には「茨木神社」「天石門別神社」の2つの名前が書かれていた。なぜ2つ?
 15時、たこ焼き屋。今日は開いていた。たまに臨時休業しているが、Facebookでしか予告してないので、私は見ることができない。Twitterのアカウントもあったのだが、ずいぶん前に廃れていた。今日もまたたこ焼き20個マヨネーズありにした。
 たこ焼きを食べながら茨木童子と茨木神社を調べた。茨木童子は2022年のゆるキャラグランプリに参加していて「いばらき童子」として222位のようだった。私は結構ゆるキャラの中では好きな方だが?また茨木神社はwikipediaによると、元々は延喜式に記載された天石門別神社からスタートした。しかし、戦国時代にキリシタン大名であった高山右近の焼き討ちから逃れるために、牛頭天王社と号し天石門別神社は奥社となった。その後、明治になって茨木神社として郷社となったが、氏子の運動により天石門別神社も郷社となり一つの境内に2つの郷社が鎮座することになった。神社の感覚っていまいちわからんのよなあ。
 阪急で梅田。JRの大和路快速で王寺まで。17時、王寺駅。2022/7/21にも来ていた。構内はかなり広くて何本ものレールがあった。いかにも交通の町といった風情だった。ホームの上屋はしっかりした木組みで昭和の匂いのする古めかしいものだった。改札を出たところにゆるキャラ雪丸の大きな像があった。そういえばこんなんあったなあ。妙に懐かしかった。雪丸とは聖徳太子の愛犬らしかった。文献に犬なんて記載されてたのかよくわからないが、近くの達磨寺にそう伝わっているらしかった。末木文美士の「日本仏教思想史」の中では、聖徳太子は飢人を救ったのだが、その飢人は達磨大師だったという話が紹介されていた。その出所はどうやらこの達磨寺のようだった。達磨寺には2022/2/27に行こうとして、中には入らなかったんだよなあ。
 駅前にはセブンイレブンがあった。これまた懐かしかった。何度も泊まった東横インから一番近いコンビニだった。関西限定のカールのうすあじを見つけたので買った。
 1725、東横イン奈良王寺駅南口。今日から三連泊。今回は太子町を探索したかったのだが、新幹線の中で王寺からは1時間くらいかかることがわかり、どうやら失敗ぽかった。東横インにこだわり過ぎかもなあ。
 今回の遠征までは、とても仕事が忙しくて、それなのに中性脂肪も下げなければいけなくて、ひたすらたいへんな日々だった。しばらくここらでゆっくり休みたかった。ベッドに寝転がってカールを食べたら、知らない間に眠っていた。起きたのは21時半くらいだった。今晩は眠れないかもなあ。

2024/04/17(水)「早出」

 疲れてたので二度寝して、起床は510。納得の寝覚めだった。608発は余裕で座れた。545がギリなのがわからん。
 明日が病院だから今日は泳ぐと決めていたが、残業orz。朝が遅いと残業になってしまう。ダメな傾向だ。せめて晩はおにぎり1個で。

2024/04/16(火)「早出」

 4時半に起きた。531発はガラガラだった。なぜ545はいつも座れるかどうかなのにこんなに差が出るのだろう?調べてみると、どうやら545発は外房線茂原方面からの始発と接続してるようだった。
 夕方眠くてパソコンの前で意識がなくなっていてビックリした。早起きし過ぎか?それとも一昨日の自転車の影響か昨日張り切って泳いだからか?病院のためにここでラストスパートと行きたいところだったが、普段よりも減量できてるのでサボることにした。新浦安のサイゼリヤ。注文が用紙記入からQRコード読み取りに変わっていた。これはちょっとなあ。正直、めんどくさかった。スマホない人どうするのさ?

2024/04/15(月)「都庁」

 起床は440。545発ってなんかイヤな予感が?私のデータベースだと、座れないやつやん!いつも空いてる先頭車両を狙ったらめっさ人が待ってる!仕方ないから、車両の端の優先座席を狙った。ワンチャン真ん中が空いてるんだよね。すると、優先座席じゃないとこが空いたので滑り込んだ。なんでこの時間帯だけ混んでるんだ?
 今日は都庁に行った。都庁は2回目。情報量が少なくてあまり収穫はなかった。展望台に行くつもりだったが、あまりに早く終わったので帰社した。
 19時、今日は新習志野のプールが休みだったので、舞浜のプール。プールは中1日。水の中で息を吐きながらを試した。クロール59往復。2950m。25mだと距離が延びるんだよなあ。

2024/04/14(日)「筑波」

 筑波山口。久しぶりの車中泊。GWの前に試しておきたかった。ダウンを来て、ふかふかの敷パッドと毛布で寝心地は充分だった。こんなに過ごしやすいならもっと早く動き始めるべきだったか?5時くらいに起きたけど、ここで起き上がってもやることもないし、まだ寒かった。頭から毛布を被り、うつらうつらした。
 完全に起きたのは、710だった。外はすっかり明るくなっていた。まさしく春といった雰囲気で、雲一つない青空に満開の桜がよく映えていた。もはやこの段階で今日の成功を疑わなかった。いつの間にか駐車場は満杯になっていた。ホーム跡にはちらほらと自転車乗りが集まっていた。こういう人たちは車に積んで来るんだろうか?ハスラーに積むのもありなのかもしれない?やはり外出するものだ。いろんな刺激が得られる。
 レンタサイクルの時間まで持っていく荷物を用意したり、髭を剃ったりした。それでも時間が余ったので付近を散策した。廃線跡は緑色に舗装されていて、どこまでも延びてるようだった。廃線跡の両脇には桜があり、桜のトンネルとなっていた。筑波山の方に目をやると、山の方へ道が延びていて先には石造りの鳥居があった。その向こう山の中腹あたりはピンク色に染まっていた。
 8時半、レンタサイクルの受付。私の後ろには1家族とおじいさん。こんなに素晴らしいのに案外人気ないんだな?自転車は昨年と同じ紫色のにした。座ってみるとサドルが高くて足が爪先しかつかなかった。昨年はこれでコケたんだよな。そして、ケツが痛かった。
 840、出発。今年は昨年の土浦とは反対方向のJR水戸線岩瀬駅を目指した。距離は片道20kmで土浦と対して変わらなかった。岩瀬駅まではずっと上り傾向だった。昨年の土浦までは強風に苦しめられた。今年は帰りが逆風になりそう。今年は泳いでる分だけ、どこまでアドバンテージとなるだろうか?
 さっそく桜並木だった。両側に桜が咲いていてトンネルになっていた。とてもきれいだった。春の陽気と鳥の鳴き声、そして桜吹雪、最高だった。来てよかったと思った。
 850、突然自転車道は車道に斜めに突っ込んで道が途絶えた。そこで道を見失った。信頼しきってただけにちょっと驚いた。すぐに正規ルートに復帰した。ちょうどそこに桜川市の白看が出てきた。イヤな予感がした。この先、急に道は排気ガス臭い道路に沿ってるだけで桜がなくなった。行政による温度差か?廃線跡の整備でもよくあるんだよな。ある意味つくば市が気合い入りすぎとも言えるが、桜川という名前なのに桜で負けてるのはいかんでしょ?
 道路は小さな山を削って越えていき、自転車道は田んぼの中を進んだ。昨年、道路を車で走った時、こんなんだったことを思い出した。道路の用地がなかったんだろうな?
 920、対向式のホームが出てきた。何の駅かわからなかった。ホーム上には桜が咲いていたが、雑草が生い茂っていた。かなりお年をめしたおばあちゃんが一人歩いてきて、話しかけられた。「どこから来たの?」「千葉です」「筑波?」「千葉です」「筑波?」、確かに「ば」で終わるけど。サプライズにほっこりした。
 桜は土浦方面よりは少な目だった。左側にきれいな桜並木が出てきた。その向こうに大きな学校が出てきた。学校には桜が植えられてるもんだ。そこに1面1線のホームが現れた。何の駅かわからなかったが、学校のための駅だと思われた。
 940、真壁休憩所。9.9kmで片道の半分だった。ここは昨年、車で訪れていた。ホームの上には大きな桜が咲いていた。とても美しかった。真壁は沿線では主要な町のはずだが、駅付近には店もなくて閑散としていた。10分休憩。
 真壁駅すぐのとこに定食を宣伝する看板が立っていた。自転車道の裏にあるみたいだった。もう少し先には自転車道に面しておしゃれな喫茶店があった。
 10時、対向式ホームが現れた。何の駅かわからなかった。ホームには桜が咲いていた。
 1010、1面1線のホームが現れた。ホームには桜が咲いていた。
 1020、雨引休憩所。対向式ホームの両方には桜が咲いていた。ここの桜はとても大きくて素晴らしかった。15.2km。片道の3/4。岩瀬駅までは4.6km。10分休憩。
 1055、JR水戸線岩瀬駅。2時間15分で到着した。昨年の土浦よりはだいぶ早い印象だった。駅の横は草原になっていて、大きな桜が咲いていた。かつてここにホームがあったのだろう。現役の岩瀬駅には古めかしい跨線橋があり、歴史を感じさせた。ここで昼食にしたかったが、駅近くにはまったくお店なんかはなさそうだった。道中はひたすら長閑な田んぼの中で、どこにも店なんかなかった。結局、真壁まで戻るしかないのか?
 懸念していた帰りは予想通り向かい風となった。下りではあるが、風はきつかった。でも、昨年ほどではなかった。昨年は春の嵐かと思うくらいだったもんな。
 1125、雨引休憩所。1135、1面1線ホームを通過。1145、対向式ホーム。
 12時、真壁駅手前の定食の看板の店「わがや」。なんか普通の家みたいだった。たまたま出てきたおじさんが今日は定休日と言った。
 12時、おしゃれな喫茶店「つづき」。焼きそば屋さんみたいだった。特盛目玉焼き豚肉トッピング850円。かなり量が多くてまいった。ダイエット中なのに苦しくなるくらい食べてしまった。
 1235、出発。すぐに真壁休憩所。1305、庚申供養塔。祠と桜の組み合わせに風情があった。
 1350、筑波山口到着。結局のところ昨年よりだいぶ早く着いた。コースがラクだったか、風が弱かったか、体力があったか?とりあえずバスの待合室のベンチに座りペプシを飲んだ。まだ返却時間の17時までは時間があったが、太ももが痛かったのでここまでにした。1415、返却。
 1425、出発。近くの観光をすることにした。平沢官衙遺跡を目指した。平沢官衙遺跡に停めようとしたら、満車だった。その隣の場所にやたらと人が集まっていた。大きな池があり池の周りには桜が咲いていた。路駐してる車があったので、一緒に路駐した。
 1445、大池公園。池の名前は北条大池であり、人工の溜め池のようだった。ここの桜もまたとても美しかった。私の好きな五稜郭の桜を思い出した。バックには筑波山。筑波の春はひたすらに素晴らしいと思った。
 15時、平沢官衙遺跡。別名筑波の正倉院。ここには高床式倉庫がたくさん立っていたらしい。原っぱに3棟が復元されていた。説明はかなり少な目だった。あまりやる気がないのかな。
 1525、出発。昨年も行った小田城を目指した。最弱の戦国武将がインパクトあるんだよな。
 1535、小田城跡歴史ひろばの駐車場。すぐそばに自転車道が通っていて、自転車道の両側には桜があった。ここの桜は密度が濃くて物凄いきれいだった。昨年も見たはずだけど、初めて見るみたいにきれいだった。
 小田城跡を見た後、1550、小田城跡歴史ひろばの建物に入った。昨年も寄ってるのであまり真剣に見るつもりはなかったが、案内のとてもお年をめされたおじいさんに捕まった。「この障子堀だけ覚えておけば、やるなと思われるから」と言われた。ここでも「どこから来た?」「千葉です」「筑波か?」というやり取りがあった。「ば」しか聴こえてないんだろうなあ。
 1625、出発。近くの桜の名所を目指した。1645、反町の森公園。書き込み通り駐車場が狭くて満車。外からはとてもいい感じに見えただけに残念だった。
 1650、帰宅の途についた。圏央道のつくば牛久ICから東関東道。19時頃帰宅。
 とても楽しい一日だった。筑波の春はひたすらに素晴らしかった。すべての春のイメージを集めたような場所だった。なんで筑波にはこんなに桜が埋まってるんだろう?筑波に住みたいと思ったくらいだった。筑波にはいろいろやり残しがあることを思い出した。筑波山に上ったり、筑波の学研都市の博物館を回ったり。まだまだ見るものがたくさんあるなあ。今回は、世の中にはまだまだ楽しいことがたくさんあるって思えたことが一番の収穫だった。