おまけの人生か?

 
日本中が、フィギュアで盛り上がりをみせる中。2月26日、ちんちんの付いた私の分身がこの世の光を浴びました。果たして、父親と言う、私は身分なんでしょうか?(笑)ま〜、良いです。ぼちぼちやろうと、自分に言い聞かせる日々です。(笑)

 国境の無い世界と、よく故ジョンレノンは言ったが、経済も、国境の無い時代、新しいネットワークの時代だと言う、とても参考になる本です。(少し皮肉)よく、TVに出てる人なので、その解説は易しく、しゃべりも巧みなので、買って読んでみるかと思って(要は、御産の暇つぶしに)手に取ったが、、、

世界を知る力 (PHP新書)

世界を知る力 (PHP新書)

まだ、読んでいてくれる人の為に。

 
このブログも暫く書いてないので、流石に何かをと思ってみたが。何もない。唯一書けることと言えば、私の周辺も変化の年になりそうだと言う事。色々、守りに入らなければならないといけないかもしれない。(個人的には、自由が一番楽なのだが、その自由を、仮に手を入れても、後で、何か代償にしなければならないだろう。人生とはそーいった物だ)

 五輪を観てるが、どうも、幼い頃に感じた純粋な感動は薄れて来てる。どれだけ、投資できるか?が、メダル獲得に大きく影響すると少し気付いた時、それは、アイススケートリンクを自前で造った某大学の話や、休部寸前で、オーナーのポケットマネーで助けられた話や、、、一時期流行った、地域自治体が、スポーツを発展、運営していくと言った話は、どうなったんだろうか?Jリーグの理念で、欧州をモデルにしたスポーツへの関与の仕方。地域密着型。結局は、企業スポーツに逆戻り。それが、日本なのかもしれない。そんな、思いが、、、

 そんな、感じで、温暖化と叫ばれ、エコビジネスに熱心な世界ですが、、、今年の冬は、何処も、大雪だったのでは?と、思いながら。果たして、エコなしで、世界経済は、どうやって、金儲けの方法を見つけるのでしょうか?先の、日本のスポーツ界の原点回帰の話ではないが、もっとも反エコ、イラン辺りに、"戦争”と言う経済対策でもするのであろうか、、、

曇り時々雨のケルン大聖堂。

生憎の雨模様だった。しかし、ICEの眺めは良くない、其れもその筈、私の乗ったラインは、高速化を実現する為に新しくできた物で、辺りは何も無く、時折、トンネルに入ると言う始末。フランクフルトーケルン間を,怒濤の勢いで走る。客層は、殆ど、机にノートパソコンを置いて、優雅に動画を楽しむ、ビジネスマン。ケルン中央駅を出ると、直ぐに大聖堂が見えてくる。しかし、こんなに宗教宗教してない、大聖堂も珍しい。気楽に御観覧をって感じ。遊覧船に乗って、ライン川から聖堂を見たが、設定ミスで全体が霞んでしまった。ケルンはあくまでもビジネスもその一部なので、他の観光だけの街とはちと違う。

ヨーロッパのある保養地、バーデンバーデン

もうすぐ行くと、そこはもうフランス。小さな町なのに、高級ブランドのショップが軒を並べる、如何にも豪華な、ヨーロッパのある保養地である。ドイツWCで、イングランド代表がこの地をキャンプ地に選んだのもある意味、理解ができる。所謂、WAGSの皆さんは、甚くこの地を気に入ったに違いない。古くからロシアとの関係が深いこの地、昨今の資源バブルで金が余った富豪達の為に、町の不動産屋は、ロシア語できるスタッフがお待ちしてますの文字をデカデカと書き込む事に余念がない。植林されたモミの木群からなる、所謂、黒い森の中にある、この町は、自然と優雅さを備えた、なんともヨーロッパ有数のリゾートに違いない。新宮殿を探すな、もう、この建築物は人の手に渡り、入る事が出来ない。そして、高級ホテルとして、生まれる変わる運命だ。(それも、資源バブルを謳歌している(いた?)仲間、アラブ人の手によって。(笑))

ゆるいフランクフルト


 

改まって、観光するのは、何年振りだろうか?しかし、フランクフルトは、大人しくなった物だ。シラー像の落書きが奇麗に消され、公園には、注射器の面影が感じられない。大きな木を飛び越える様に、高層ビルが立ち並ぶ、流石に世界の金融都市。ミュンへナー通りのトルコ人らしき陽気な人々。土曜の夜は、夜な夜な80’sのヒットソングを爆音で流す物だから、非常にノスタルジーを感じた。しかし、カンフーファイティングが鳴り響いた時は、妙な嘲りが私から生まれた。しかしまったくもって、平和だ。ゲーテハウスに行ってみた。素晴らしく、立派になっていた。この施設の一部は、日本人の惜しみなく払った入場料の賜物だろう。しかし、最近の欧州の夏は、死にそうに暑い。ホテルにも、クーラーが常備しだした。いつの間にか、ツアーでは、必ず詰め込まれる、フランクフルト三越の面影がない。日本のバブルの象徴だったお土産店。時代を感じます。

マッドチェスターの思い出。

サム・フレンドリー

サム・フレンドリー


中古CDを買いに行き、ココラ辺を購入。良い意味で、青春の一ページ。それが、200円程度で売られている昨今。まー、もう、10数年前の話になると、それも、納得できる話なのか?(笑)

昔話フランクフルト

遠い昔の話。ミュンヘンから、友人がこれからの欧州を引っ張って行く、ユーロの総本山、欧州銀行を見たいと言うなんとも野心的な、または、マニアック的な要望から、僕たちは、フランクフルトへ向かった。しかし、今考えて見ると、フランクフルトは、何も見るべき物が揃って居ないと言うが、其の通りであり。ゲーテの生家しかない。しかし、それでも、私達は、2〜3回はこの都市に訪れている。そう、ここには、大きな国際空港があるからだ。中央駅を降立つと、大都市独特の危険な臭いがした。暫くして、路地裏を歩いていると、至る所に使い古され注射器や、薬のボトルが散乱していた。当時、ベルリンの壁が崩壊して大量に流れ込んだ、東側からの労働力。それにより、ドイツの大都市の治安の悪化が問題視され始めていた時代。私達は、どう考えても、使い終わっているテレホンカードを、原価で売りに来る無謀な族に遭遇しながら、駅前の2重ロックで雁字搦めにされた、薄暗いホテルへと、紹介されるがままに向かい、部屋に入り落ち着こうと、TVをつけると、今の明るさが全く嘘のような、薄暗いブンデスリーガの放送が流れていた。僕たちは思った、何でフランクフルトに来たのか?其の前は、ミュンヘンで、酒を交わし、其の前は、インターラーケンYHの玩具みたいなダンスフロアーで、夜な夜な、ニューオーダーブルーマンデーに、酔いしれたではないか?そう思いながら、次の朝、ICEに乗り込んで、一路、パリに向かったのであった。