そりゃ無理だよ(2013217・7度9:15) 

 散歩のたびについ読んでしまう看板。『東京物語』のセリフ、語調はこの看板のある深川のものだと思うが、そんなに厳密だったかどうかはわからない。
 ただ山田洋二の新作で、橋爪功が『昌次ぃ、母さん死んだぞ』と言う調子は何だか変だと京橋築地小学校、銀座中学を出た愚息は予告編をみてつぶやいたのである。
 小津の『東京物語』での東山千栄子(母親)がかもし出している、とても地方人と思えない東京の雰囲気・風格は、下町のそれでもなく山の手のだ、という東京人の説も聞いた。たしかにそういう東京の地域性を東山には強く感じるのだが、吉行はそれが弱い。

 『東京物語』は「東京」を描いているので、満州育ちの山田にはどだい無理ではなかったか。彼には風来坊が合っている。山田のテーマがそこにないとするなら、それで良いのだろうが、僕はあの映画にはそれしかテーマがないくらいに「東京」を感じてきたから、大きな問題なのである。人情の機微は人のいるところなら何処ででも通じて、よく描けていると共感は広がる。だが「東京」そのものがテーマなら、それを表現する場合の地域差については厳密であるから排他的になる。小津の『東京物語』にはそういう部分があって、そこが味わいどころなのだ。また東京文化の微妙さを表すのに断固してこだわったからこそ国際的になったという説もあるのである。
 
 インド映画の巨匠サタジット・ライの『大都会』では、共働きの若夫婦が同じ日に異なる職場で失職するのだが「大丈夫だよ。だって、ここは大都会だもの」というセリフで終わる。それで決して不幸せな後味はないのだ。不幸せにしない大都会が描けているからだろう。『東京物語』にもそういう面があるのではないか。「不人情で冷たいからこそいい」都会が描けている。

 小津の『東京物語』で原節子に頑なに再婚を拒絶させるのは、小津が親友だった『人情紙風船』を遺した山中貞雄の戦地での死に、原を捧げたからだと僕は珍説を唱えている。あの原の演じてみせた純粋性は、山田のにはないだろうなあ。あいまいに笑ってるだけでは演じたことにならないのだ。笑顔の裏に号泣がなくてはならない。