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2018-11-18

[]今の自分の礎になっているもの(お墓参りオペレーション その4)

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先日、これまでお世話になった伯父が亡くなった。一見元気そうだけど治療中の病もあったため、ついにという感じはしたが、さすがに色んなことを考えてしまう。

奈良の伯父

自分が忘れないように、改めて書いておくんですけど。「奈良のおっちゃん」としてうちの兄弟に親しまれたこの伯父は父の兄で、早くして亡くした父の代わり、というわけではないが昔から色々と良くしてくれていた。映画とカメラと競馬と、あと昔は麻雀やゲームがとても好きで。この人の家に行くとゲーム機がいっぱい置いてあって、小・中学生の頃、何度も遠くまでわざわざ遊びに行ったのを覚えている。セガサターンをこの家でやって、その時に見た真・女神転生が本当に面白いなと思い、その年のクリスマスは我が家はプレイステーションではなくセガサターンクリスマスナイツ付きの限定版)を買ってもらったのであった。そして戦前生まれなのに新しいもの好きで、PC-98の頃から家にPCを持っていてMSXとかのゲームが山ほどあった。おっちゃんが横で寝ている中、片っ端からゲームを試し。そして買い替えのタイミングでもらった当時Windows 3.1のPCを我が家にもらってきて(確かHDDが640MBとかだった気が…)、それが縁で自分はPCを触ることになったのであった。一緒にもらった大航海時代の英語版(Uncharted Waters : New Horizons)を、当時中学1年生だった自分はひたすら英語の辞書を片手に読み解き、そして何とかクリアしたのである。今考えるとそれが自分とPCの原点だし「ゲームって楽しい」と思えた原体験でもあったのだと思います。

変わる関係性

上のが小中学校期とすると、中高生の頃。年に1回か2回、お盆や正月に親戚で集まっては麻雀大会をやるのが恒例だった。高校1年で父が亡くなったことをいま考えてみると、この伯父と、あと従兄弟はある意味一緒に集まるための理由を作ってくれていたのかもしれない。麻雀は誰が強いというわけでもなく、ただただ何時間も伯父と、従兄弟と、そして三兄弟が入れ替わりで打つわけなんだけども。いつも丁寧にメモ用紙に成績表を作っては書き留めて、というのを数年分積み重ね。大学生になってからはあまり集まらなくなってしまったけど、きっと従兄弟の家の麻雀セットにはまだ過去のメモ用紙が残っているはずだ。それは当時の記憶を紐解く数少ないきっかけ。その後自分も大人になり、結婚し、些細なすれ違いから数年間疎遠になった。今思えば自分がもっと早く謝ればよかったのに、とは思うものの。2年ほど前に改めて会って謝って、その際は自分にも子供がいて伯父にも孫がいて、伯父も立派なおじいちゃんになっていて孫の写真ばかりを撮っているのを自慢してくれたことを覚えている。

自分の礎になるもの

今年35歳になったんですけどね。自分の仕事はどう見たって「IT関係」でPCは手放せないし、自分の数少ない趣味はほぼゲーム専用のPCを買ってゲームすることだし、これって20年前にPCをもらったからこうなったことは間違いない。そして先日大航海時代4のパワーアップキット買ったし(面白いです。Windows10でも動いた)。スマホで今度出る大航海時代4も楽しみにしてるし…まさに。

子どもの成長を見ていると思う。環境で人はどう育つかが、間違いなく変わる。親の教育水準と子どもの将来年収は明らかな相関が、とか今日のTVでもやってたけど、それもそう。周りにPCがあればPC触るし、マンガがあればマンガ読むし、ボールとグローブがあればキャッチボールするんでしょう。自分の場合はこの伯父がいたから今の仕事をしてるんだと思うし、自分は幸せに生きられていると思う。父と同じように、この父の兄にも感謝してこれから生きていくのだろう。お墓参りのたびに父の墓の横に伯父を、これまで以上に思い出すことになるだろう。自分を今の自分にしてくれて、本当にありがとう。R.I.P.

2018-08-14

[][]2018年8月14日の日記

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どうでもいいですが、このMacbook現役です。(2011年モデルって書いてたから、8年目?) お盆中ですがいま30分時間が空いたので一人で、オフィスでこれを書いている次第。

こんにちは

気付けば前のブログ記事から2年。もはやはてなダイアリーの書法すら忘れてます。はた目には生きてるのか死んでるのか分かりませんが、もちろん生きてます。起きたことをざっと書いておくと、

  • 次女が生まれた
  • 引っ越した(家買った!)
  • 本業の事業が順調に成長している(売上も大台に乗った)
  • 自分の会社も順調に続いている
  • 英会話で上級クラスに突入した
  • LoLが楽しい(リーグ・オブ・レジェンド

あたりでしょうか。

家庭の変化

子ども三人だと大変でしょーー、とよく言われるんですが、奥さんがとてもうまくやってくれていることもあり、あと夫婦ともに精神的に割と余裕があるからかおかげさまで楽しく生きております。上のお姉ちゃんも大きくて下の子の面倒をよく見てくれる、というのも大きいです。子どもの成長を見るのはやはりとても楽しい。昨日出来なかったことが今日出来るようになる、というのを目の当たりにすると本当にすごいなーと思うし、自分もそうあらねばと思います。家は、自分の部屋が出来たのがとても嬉しい。狭いけど城が出来た感じ。あとは念願の庭と縁側が出来てそれがお気に入りです。

仕事の変化

同じ事業を続けて、まる8年。海外行きまくってひたすら研究していた時代から考えると今はとても現実味のある仕事に落ち着いて、価値も認められ始めて次のフェーズに入ってきたなと実感してます。仕事として世の中に受け入れられると共に自分たちも前向きな空気になれているのが、我ながらとても良いと思っています。みんなそう思ってくれているといいんだけどなー。先週は久しぶりの合宿もやりましたがみんな会社や事業について考えてくれるのを見るととても感慨深く、当事者なのになぜか子どもを見る父親のような気持ちになってしまったのでした。

未来は

10年ひと昔、ですが。先週たまたま同期(山ちゃん)と二人で飲む機会があったんですが、10年前からか変わってないこと、変わったことどっちも気付けてそれがよかった。良くも悪くもパーソナリティ的なところはあんまり変わらなくて、仕事はどちらも偉くなって悩みの質も変わり、生活はどちらも家族が出来て10年分悩みも進んでいて。過去と比較することができる、というのは旧い友人だからこそ出来ることかなと思うのでした。


この10年、とても楽しかったし今も楽しいんだけど、命の燃える瞬間が減って来ている実感があります。色んなものに対して「わかった」気になっているのが自分でも怖いし、ある種の「見えてしまってる感」というか。もちろんね、今だからこそ見えることも言えることもたくさんある。でもそれって自分の積み重ねてきたものがあるから、では確かにあるんだけど、自分じゃ無いと出来ないのかでいうとそうでもないのでは、とも思う。仕事でも自分は役に立つ人間だと思っているけど、もはや老害化していないか?そうではないと、自分でも言い切れない気がする。

自分が本当に好きなものは、たぶん問題を解決することそれ自体だと思う。仕事でも趣味でも、好きなことはたぶんそれに集約されていて。自分が解きたい問題を最大限の力を使って解き続けたい。そういう在り方が自分の望んでいる生きている姿なんだろうなと今は思ってます。

なんか日記っぽい!日記だから、いいのか…

2016-11-05

[][]社会人の自由時間を守るための隙間時間マネジメント

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気付けば半年ぶりの更新です。おかげさまで下の子も大きくなって来ましてもうすぐ1歳になります。いま奥さんがその子を連れて帰省しているので上のお姉ちゃんとつかの間のシングルファーザー生活を送っております。

子どもがいる社会人にとっての自由時間

小さい子どもというのはどうしても手が掛かるので、家にいればそれだけで大人1人日分はほぼ丸ごと使わないといけません。もちろんかわいいはかわいいわけですが「子育てしている主婦は絶対暇じゃない」というのはたまに休みに子どもの面倒を終日みてみればわかることです。家事をやりながら小さい子の面倒を見るのは本当に大変です。

で、父の立場としてもこの1年「自由時間」と呼べるものはやはりあまりなく。子どもがかわいいので家に帰るとそれが最優先で他のことはわりとどうでもよくなるので、少なくとも独身の頃に家でゴロゴロしながらゲームしたり漫画読んだりという時間は全て子どもとその他の家事に使っている、ただそれだけのことなのですが。

そしていまは、久しぶりにここしばらく下の子がいないので「自由時間」(しかも結構長い)と呼べる時間が出来て、このブログを書いているわけです。ちなみに昨日は朝の4時までキングダム読んでました。まとめて読みたかった。これは面白い。

でも、隙間時間はある

「自由時間」というのは、「自分が選択して大体やりたいことが出来る時間」ということにここではしておきます。社会人にとっての自由時間、確かに数時間まとまって取るのはなかなか難しいわけですが、例えば通勤時間とか仕事の休憩時間とか5分か10分の時間というのは細切れで1日に何度もあるわけですね。それはまさに短いけど自由な時間。

みんなその時間には何をするんでしょうか。多分、多くの人がいまはスマホをいじってるのかもしれません。ちょっとLINEしたりニュース見たり、ゲームしたり。ちなみに僕は最近スマホシムシティをDLしてしまって街を育てております。人口30万になりました。あとはファイナルファンタジーの英雄たちを育ててます(FFRK)。なんという無駄な時間…

結局短いから、どうせ大したこと出来ないから、という理由でおそらくお手軽な何かに手をつけることがほとんどなのだとすると、せっかくの「自由時間」なのにもったいな過ぎるな…とこの歳でようやく気付きました。だって10分の自由時間が6回あったら、1日で1時間、20日で20時間、200日で200時間ありますからね。ドラクエ5回くらいクリア出来ますわ。

隙間時間マネジメントをする

とりあえず、やらなくてもいいことを全部出来ないようにするところから始めてみるのがよいのではないか、と思います。なんか同じようなこと昔も書いてますね。関連する記事を貼っておきます。

その時間でやりたいこと、隙間時間で最優先にそれをやる、ということを習慣化するしか多分無限ループからは抜けられない気がします。トイレに入った時も、信号待ちしてる時も、電車やバスに乗っている時も、一人でランチしてる時も、です。英語の勉強するならそのアプリしか開けないようにすればいいし、本を読みたいならKindleしか開けないようにすればよい。

結局、どれだけ意識して自分自身を御せるか、それに尽きますね。子どもは親が何もしなくても大きくなるし出来ることもどんどん増えていきます。生まれたてで泣いて寝てミルク飲むことしか出来なかった子が、いまは高速でハイハイして歩き始めて一人で階段登ったりしてますから。きっと彼にとっては目の前のもの全てが新しく、昨日出来なかったことが出来るのがただ楽しくて、目の前に新しいものがあればとりあえず触ってみて食べてみたくて、そして叱られて学ぶのです。まぁ、叱られても翌日同じことやるんですけどね。それに比べるとこの成長しない父のなんと不甲斐ないことか。

なんか反省文みたいになってしまいましたが、とりあえずまたブログを定期的に書くところから始めようと思います。それにしてもキングダムおもしろかった。スマホでゲームやるくらいなら漫画の名作を読んだ方が絶対いいな…と思ったのでした。まる。

キングダム 43 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 43 (ヤングジャンプコミックス)

2016-04-03

[][]あと2年の仕事、いかに幸せに仕事を出来るか考えたい

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独身生活

4ヶ月前、我が家に長男が誕生しました。かわいくてしょうがないです。そして半年ぶりくらいにブログをこうやって書いてるんですが、あまりに久しぶりすぎて自分の文章がすごく読みづらい。。でも書きます。

今週は上の子の春休みで奥さんが子供二人とも連れて帰ってるので、家に一人と一匹でした。結婚して子供出来てからこういう時間は初めてだったかも。

平日は仕事が普通にあるんだけど、誰もいない時間というのがすごく貴重な時間に感じてしまいます。久しぶりにアキバで1日過ごしたりゲーム好きなだけやったり本読んだりふらっとお城見に出かけたりしたんですが、後半になってくるとさすがに一人も飽きてきて、家に自分と愛犬しかいない状態というのはそんなに楽しいわけでもないなぁと思ったのでありました。

ちなみに最初5日間、毎晩奥さんが作ってくれたカレーをあっためて食べる生活でした。最終日はカレーうどんにしたらヤバウマだった。。一人でカレー食べてると早くみんな帰ってきてほしいなぁ、、と思うのでありました。

いかに幸せに仕事を出来るか

前に書いたこの記事の続きみたいなのです。社会人8年が終わったので、2.5年ずつ区切った仕事人生で考えると第4ターム残り2年になりました。

これまで5年間ずっと同じ新規事業を担当して来て(もう新規でもないな)いつの間にか肩書きも「プロデューサー」という偉いのか偉くないのかわからないものになってしまいました。ようやく人のことを考えられる余裕が出てきた気がします。これは先日の期初キックオフで関わるメンバー50人くらいに向けて、前で話した話。

「皆さんは仕事、楽しいですか?人間は最終的には好きなことしか出来ません。好きじゃないものに身は入らないし、結果的に成果が出ないことが多いはずです。だから必ず少しは楽しいもの、好きなことを仕事にしてください。別に会社のこともプロダクトのことも好きじゃなくてもいいですから、自分の好きなことを見つけてください。会社のためにも、皆さんがその好きなことを仕事として出来るように僕も努力します。」

これまで32年生きて来て得た、一つの真理だと思っています。みんな好きなことだけやって生きていける世界というのが、本当は幸せな世界だろうなと。


自分が(みんなが)好きなものを見つけるための、システム・環境作りがこれからの自分の中の大きなテーマです。なんかこう、自動的に周りのものが好きになっていくようなそういう仕組みを作りたい。せっかく長い時間を職場で過ごすのに、それが楽しくないなんて苦痛でしかないし何のために仕事してるのかわからなくなってくるじゃないですか。どうやったら好きなものに囲まれて生きていくことが出来るのかというのは仕事に限った話ではなく、どうやったら幸せに生きられるかという問いかけそのものです。

例えば気持ちの持ちようだけで、何でもかんでも「好き」と思えば好きになれるでしょうか?「嫌い」なものを遠ざけていけば自然に好きなものだけが周りに残るのでしょうか?そんなに簡単でも無いし、出来ないことも多いですよね。仕事でやなことがあるからって仕事を辞めたら明日からお金ないし、友達がやなこと言うからってそいつが嫌いなのかっていうと好きなところもいっぱいあるし、まぁ、往々にして複合していて切り離せないから困るわけです。

ただ自分について考えてみると、やっぱり自分は幸せ者だなぁ、と思うのですよね。幸せを感じる瞬間が多いというか。

客観的に見たら僕にも不幸なこと、残念に見えることもたくさんあるはずです。でも大好きな家族もいるし、住む家もあるし、友達もいるし、困ってることってそれほど無いんですよね。それは環境や状況が恵まれていたのだろうし、少しの自分の努力もあったと思います。「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」と言ったのは相田みつをさんですが、自分自身の気持ちはまさにそれなんですよね。どんなことでも捉え方である程度はなんとかなる。悲しいことも辛いことも仕事ではあるし、お客さんに怒られることもたまにあるんですが、それでもまぁ、生きてますから。生きてればなんとかなるだろうと。「足ることを知る」(吾唯足知)というか。これは一つの方法に過ぎませんが、少なくとも自分の周りの人はつらく無いようになんとかしたいと思います。

好きなものに囲まれていたい、とか考えてみるとそれ自体が欲望じみてる気はします。でもその欲望と折り合いを付けるのが人生ですし、心穏やかに好きなものを集めて生きていければそれはやはり幸せだろうし、その方向は間違ってないと思うのですよね。家族も、職場のみんなも、友達も、そして自分も幸せに生きていくための方法論探し、仕事を通してそれを見つけられれば一区切りだなぁと思ってます。そうなるようにがんばります。


ちなみに自分にとっての好きなことと。やっぱりお金を稼ぐのは好きだし、今までに無い新しいものを作りたいという気持ちがすごくあります。これから2年、やりたいのは自分一人ではない「組織」を作っていくことと、会社のビジネスを成功させること、そしてこれから30年自分が食べていける力(技術、自信、人間関係、etc.)を身に付ける事。こういうことを考えられる余裕がある、いい会社だなぁと思います。

しあわせはいつも

しあわせはいつも

2015-10-11

[][]サラリーマン人生の師匠達から学んだこと

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別に何かの節目ではないのですが、眠れないので久しぶりにブログを書いています。サラリーマンとしての自分の人生、気付けば7年と半年が経っていた。その中でも今の部署というかプロジェクトというか、ここにはかれこれ5年間ずっといることになる。ただ目の前のことに取り組み続けてここまで来たけど振り返ってみると自分は、自分の学んだ人のように結局はなっていくのかも知れないなと今は思うのであります。

二人の師匠

仕事上、師であると思えるような人が二人います。一人目は配属になった部署の先輩で、二人目は今の所属の最初のボスです。関係者は数万人に及ぶ今の会社ですが、どちらも全社的にとても有名人というか認められていて、当時テクノロジーが中心ではなかったこの会社において、技術に強みがある人間としての一つの生き方の指針のようなものをそこには感じていました。偶然、一人目の先輩の元に付いて仕事をすることになり、自分が求めるような仕事の仕方が出来る場所を求めて二つ目のフィールドに移り、そしてその後は自分自身が仕事をコントロールしてその先輩方のようになろうとしている。自分の中で2.5年ずつ区切るとちょうど3つに分かれていたのかもしれません。

人にどう認めさせるか

二人に共通してすごいなと思っていたのは、一つのものを信じて、そしてそれをちゃんと人に認めさせられる力です。その、人に認めさせる力というのはサラリーマンとしてとても大事だと思うのですよね。認めさせるというのは例えばその案件に予算を取ってこれたり、あるいは社外にちゃんと売れてお金になったり、あるいは全社の賞を取ってそれは会社としてとても意義のあることだと周知することだったり、、分かりやすい結果になっているということ。他人を含めた客観的な良い結果(成果)になっているからこそ評価もされる、そして仕事がしやすくなる、また結果を出せる、という好循環が回っているのが見えるところがとてもカッコイイなと思っていたのでした。会社からお金をもらって仕事をしている以上、ちゃんと会社が評価するというのは唯一ではないにせよ当然大切な指標であると、一人のビジネスマンとしては思います。

最初の2.5年は、自分の信じるものの見つけ方を

僕自身、高専にいた時代から数えて大学院まで約10年近く情報工学(IT)ばかり勉強して入社したわけですが、最初から、いやこれを書いている今ですらも思っているのは「別にIT自体が好きなわけではない」ということです。もちろん嫌いではないし、少なくともお勉強としての情報工学は得意だったこともあって、少なくとも「自分の武器にはなる」という自覚があるからこそそれを今も昔も使っているだけだと思っています。

その武器をどうすればこの会社で使うことが出来るのだろうか、というのが自分のサラリーマンとしての最初の苦悩だったんですよね。少なくともIT、ネットにちょっと詳しい程度の能力では仕事には何も役に立たなかった。知らなければ知らないなりにうまくやれる仕事を目にしていると、自分の存在意義すらよくわからなくなることもありました。

そんな中で一人目の師匠は技術に徹底的に特化していて、圧倒的でした。何がすごいかというと自分で見つけた、作り出した仕組み、製品をちゃんと人に認めさせるということをやっているところがすごいと。自分の仕事はその師匠が作り出したプロダクトを全社に展開することだったわけですが、それがちゃんと進んでいったのは疑いようもなくその人の権威と信頼だったのだと今は思います。技術者が技術を作り出すだけでなく、それを人に伝える力も持つことが出来るのなら、こういう世界においてすごい力になるのだとその時思ったのでした。

次の2.5年は、ものの信じ方を

色んな偶然もあって、二人目の師匠に誘われる形で今の部署にやって来ました。ただ最初は己の意思の弱さと、信じられるものが無かったせいで何もうまくいかず辛くてしょうがなかったのですよね。それが変わったのは自分が新しいプロダクト、この後5年間関わることになるもののプロトタイプを自分が主導して完成させたことでした。ちゃんと完成すると思っていなかったものが出来て、それが動いて、そしてサラリーマンとしても評価を受け、というところでようやくビジネスマンとしての「自信」を持てた気がします。

この時学んだのは、自分がやっていることに対してどう自信を持つべきかということ。この二人目の師が本当にすごいと思うのは、何があっても信じるものがブレないところです。傍目に見ると「ちょっとそれは過剰に言い過ぎじゃね?」と思うことでも、臆面もなく言い切れること。多分それが出来るのは本当に信じているからか、あるいは信じることからしか説得力が生まれないと知っていたからか、どちらかではないかと今は思います。いずれにせよそうやって信じることが大きな力になっていることは間違いが無いので。

その次の2.5年は、自分も同じように

少し前、色んな偶然やはからいがあって、図らずも全社的な賞をもらうことが出来て自分の中の一つの目標は達成されました。そしてこの半年、様々な部署や社外に営業を掛けまくったらいつにないスピードで仕事がうまく成立する、ということを体験しました。気付けば自分がつくったプロダクトについてプレゼンする時、絶対的な自信を持って誰かに話している自分もいました。それと並行する形で結婚もし、子ども出来て、自分の会社も設立して軌道に乗って…と、人生も大きく進んで来たのでした。

ああ、これだなと。師匠達から学んで来たことは。

人に認めさせること、自分と自分の持つものに自信を持つこと。どちらも気付けば結構出来るようになって来たなと自分では思います。学んだことを、ちゃんと形にして、自分のものにすることが出来た。では、ここから先は。

これからの2.5年は、誰かと自分の未来のために

この2.5年もまた一つの節目になることだけは、今から予想が付いています。今の自分にまだ欠けていて必要なもの、いや欲しいものは、誰かを巻き込んで組織化していく力と新しい場所で0から1を作り出す力です。これが出来れば、どこでも自分が生きたいように生きられる気がする。

多分それが、20年来言葉にならず自分が見えていない「本当にやりたいこと」になるんじゃないかなと思っています。まる。

2015-08-22

[]供養する人される人(お墓参りオペレーション その3)

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お盆前、奥さんが身重だったり父の十七回忌があったりで一人で奈良に帰りました。結婚すると一人の時間が意外とないので新鮮です(新鮮だけど別に一人だから嬉しいということもあまりない)。代わりに今日は奥さんがうちの実家に帰っていたり。

実家に帰るとたまに書いているこのシリーズですが、今日はは世代の移り変わりについての話です。

お墓の有効期限

親戚のお墓を処分するしないの話を聞いて思ったこと。お墓ってなんだかんだ言ってもずっとそこにあるものというイメージってありませんか?僕はそうでした。確かに守り続ける人がいる限りお墓はそこにあり続けるのだとは思うんです。でもその守る人がいなくなればお墓はなくなってしまう。具体的には何年くらいなんでしょうか。

家にもよるとは思いますが、例えば両親のお墓は恐らくお参りするでしょう。祖父母のお墓参りに行くときはきっと両親どちらかと一緒に行くとして、その後もしいずれか(あるいは両方)が亡くなればその祖父母のお墓参りには行くのでしょうか?全部にお参りしたい気持ちはもちろんありますが、物理的な限界もあるので自分は多分行かなくなるんじゃないかなと思います。あるいは何年かに1回行く、とか。

そう考えるとお墓の守られる期間と言うのはせいぜい「その子どもが生きている間」で、1世代か2世代が平均的なところなのかもしれません。親が亡くなってから自分が亡くなるまでの期間はどのくらいかというと、平均寿命が延びているとは言え、ざっくり自分が生まれた時の親の年齢くらいでしょう。ということは大体30年くらいで、2世代ならその2倍で60年になります。

守られなくなったお墓はどうなるのか

今日たまたま石材店の人に聞いたんですが、お坊さんに来て儀式をしてもらって(魂を抜いてもらう、という表現だった)その後石材屋さんが解体する、ということのようで。

つまり誰もお参りしなくなる可能性が高いのであれば、自分が亡くなる前か、亡くなった後にはその守ってきたお墓を解体するということをしないといけないことになります。でないとそのお墓には誰もお参りすることがなくなり、いわゆる無縁仏になってしまうことになります。

永代供養という仕組み

そういう場合に関連するものとして「永代供養」という仕組みがあります。何年、何十年と縁者に代わって供養をして頂けるような仕組み。お墓をなくしてしまう際に永代供養をしてもらうことや、またそもそもお墓を作らずに永代供養をしてもらうような場合もあるようです。その場合はお参りする時はお墓ではなくお寺になるそうですね。ただ今回話している供養はこの永代供養とは本質的に違うので、ちょっと置いておきます。

供養する人される人

合理的に考えればなのですが、お墓参りを追善供養のため、その人の冥福を祈るためなのであれば、供養する人は当然その人を知る人になります。だから縁が深い人ほど頻度も内容も多く厚くなるのでしょう。逆に言うと縁が無い人、現代の「家」の感覚が薄れた状態で言うと「会ったことがない人、お世話になってない人」については現実的にお参りもしない、出来ないことになりそうです。そんなこと言うと「ご先祖様がいるから今の自分がいるのにお世話になってないとは何事だ!」と叱られそうですが。

こう考えると、お墓参りという供養はやはり「己が中心」であり己の生きている間、己の関わった人に対して祈りを捧げるものと言えそうです。例えば父のお墓参りであれば僕は自分が死ぬまで通い続けるはずなので、例えば80歳で死ぬまであと50年、父は供養され続け僕の中で生き続けることになります。

他にも身近な人や大事な人が亡くなればきっと、自分はずっと通い続けることでしょう。そうやって自分が死ぬまで、自分が関わった人たちを生きている間中思い出しながら大切にして行くことが、お墓参りという形式の持つ意味なのだろうなぁ、と思ったのでした。世の中にあるお墓の数はつまりその生きている人たちの想いの数、生きている人の数と本来的には同じになるのかもしれないなぁ、と思ったのでした。まる。

2015-07-22

[]物と本の持つ記憶

Spirit of Wonder (KCデラックス)

Spirit of Wonder (KCデラックス)

人は何も忘れない生き物なのかもしれない

何か物を見た瞬間にふっと過去の記憶の欠片が蘇る、というのはよくある話だと思います。とりわけ本を読んだとき、それを読んでいた頃の記憶は割と鮮明に思い出せる気がします。それは自分でもびっくりするくらい何気ないことだったり大昔のことだったりするので、もしかすると人間は一度見たものや感じたことを何も失ってはいなくてただきっかけがなくて全て忘れているだけなのでは…とさえ思ってしまいます。

本の持つ記憶

本には文脈がありストーリーがあります。それはとても記憶に残りやすいものだから本についての記憶は鮮明なのかもしれません。特に人から借りた本であればなおさら。

なぜ人に本を貸したり借りたりするのかというと、それはその本の内容を共有したかったり、感想を共有したかったり、もしかすると何か伝えたいことがあったりするからかもしれない。だとするとその本にはただその本が持つ以上の意味があり、記憶があると言えるかもしれません。

今が幸せであるから、過去の全てを肯定する

自分の好きな考え方の一つに、こういうものがあります。例えばうちの父親は僕が高専1年の時に亡くなったわけですが、今思えばそれが転機になって自分の人生について圧倒的によく考えるようになったし、家族の絆も深くなったはず。もちろん悲しかったし今でももし生きていたらどういうおじいちゃんになっていたのかなとたまに思うこともありますが、それでも一番思うのは、それがあったからこそ今の幸せな自分がいると間違いなく思えると、そういうことなんですよね。だからまず今の自分に満足し、過去の全てを受け入れるのが幸せの第一歩なのだーー。なんて。

なんでこんなことを書いているかというと、この本を読みながら、当時はそういうことばっかり言ってたなーと思い出したんですよね。なんと説教くさい。

ただ、思っていることは今も変わらなくて。幸せな人生は自分にとって無限のパターンがあるはずです。人と人との巡り合わせも人と本との巡り合わせも無数にあって、ただ偶然今の状態になっている、ただそれだけで。過去は過去で、未来はこれからのもので。現在を最上のものとしてまずは捉えることさえ出来れば、過去は全て肯定され、未来もきっと幸せになると、僕はそう思っていますしそれを今も伝えたい。いつまでも幸せに、お互い生きていきましょう。それが、きっと忘れることのない本の記憶です。

Forget-me-not (1)

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