フラグ論結

本日はid:izuminoさん、みやもさん、Mさんと逆転フラグ論について話してきました。細かい内容はちょっと入り組んでいるので省くのですが、簡単に言えば、いずみのさんが個別人身把握によってフラグ論を展開したのに対し、私はストーリーの流れに基点を置いてフラグ論を考えていた。そういう違いが浮き彫りとなりました。
人間関係の変転において発生するのが「ストーリー」と考えると、いずみのさんの唱える人間一人ひとりにフラグ値(いずみのさんは別の言い方をしています)を設定して、その過多を量る方法の方が、議論がし易く、現時点のデータのみでも確実に流れを「把握」できるんですね。なにより今回の論題が「逆転」フラグなので、キャラ同士に生じる「逆転」を対比的に把握する必要があります。

一方、私のフラグ論は個々のキャラのパラメーターとしてではなく、作品の展開を俯瞰して初めて浮き彫りになるものであって、「神の視点」としてのニュアンスが強すぎるようです。自分で分析した結果。確かに図式としては分かり易いかもしれませんが、それは「全体を俯瞰」する必要がある「フラグ論」で、完結したマンガや収束した章でないと検討の対象としづらいものです。つまり、事後でないと構造化し辛い。
みやもさんに指摘されたんですが、
全話>一章>一話>一節>一コマ
という入れ子構造がマンガの基本なので、私の図式はどの区分に当てはめられているのかがイマイチ明確にし辛いという難点があります。ここに関しては逆に、区分けに個別対応できる利点になりうるとも私は考えています。
自分の方法論も少し「こなしてみる」ことで、逆転フラグ論とは違った使い方を検討していきたいと思います。
コレは今回の話で言いそびれたのですが、私たちの通常会話で使われる死亡フラグ負けフラグなどの「フラグ」は、厳密な意味では「フラグ」そのものではなく、先人によって踏み荒らされ、そのもの自体が固有の意味を持ち、読者に容易く読まれうる「パターン化した」「セオリー的な」フラグ。言い換えれば「フラグの化石」なのではないでしょうか。
マンガで読みきれない、解読が困難なフラグこそが、今現在構築されている「生(ナマ)フラグ」とでもいうべきもので、コチラは類型化されていない。ソレを見る読者に「なんか、この展開面白いよね」という漠たる感興は抱かせるのだけど、既存のフラグのように容易くは「言語化できない」。とらえどころの無い生命の有様を感じます。「古典学習」ではないナマのマンガ読みでないと、このフラグに浴し、それをリアルタイムで実感、類推、証明することは出来ない。
つまりはフラグの「最前線」に立てない!
フラグは死んでいない、ナマモノだっ!それを実感できたことが今回の最大の収穫です。なので、私はこれから「生のマンガ読み」になります。そして旬の幸を味わうことにします。




追伸:マンガにおけるフラグ、発端、結末、および起爆装置としての役割を果たす「秘匿」の概念について、もう少し話してみたかったなぁ。今思いました。