セックスは暴力的なものではないです。私にとっては。

セックスは暴力的なものを含んでいるか
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100320/1269095203

への返信エントリ。


あれこれ考えが飛びすぎて、何日か考えてもうまくまとまらなかったので、ひとりごと的に書きます。
敬語とか気を遣う余裕がなくて申し訳ないです >大野さん。



気になったところをまず最初にお返事。



「セックスとはそもそも野獣のようなものだ」とか「セックスはある程度乱暴な行為」というような言い方で、自分の振る舞いを正当化し女性を批判する男が時々いて、大変に疲れるという話


ええと、男性だけじゃなく女性もいました。




槇村さとるの言葉を引用して書いている「セックスはとろとろに溶け合うもの」という表現に近いことは、自他の境が融解するような感覚として、セックスを語る時にしばしば言われているように思う。比較的多くの人(の中でも特に女性?)に共通する感覚ということだろう。


槙村さとる氏がそういう意味で言ってるかは手元にないのでわからないけど、

(槙村さとる氏はテンションの張り詰め方が文章に出てると私は感じて、
 安定しているときとそうでないときが文面からびしばし伝わってきてきつかった。
 ので手元に本はない。 彼女には共感できるところもあればそうでないところもある。
 なので私は槙村さとる氏の熱狂的ファンというわけではない。そういう人もいるようだけど。)



私にとっては、自他の境が融解、というよりも、自分がとろとろになる、という感じです。
相手もそうなんじゃないかと思う。(相手にもよるしコンディションにもよると思う)
で、二人そろってとろとろになる、という意味で、とろとろに溶け合うという表現を選んだ。


でも、これはベストな状態で、というのもあるので、そこまでいかないというか、
とろみかげんはいつも同じではない。



あと、
「わからない」と言ったことに対して具体的に教えてくれるのならありがたく拝聴するけれど、
抽象的にSMだと、フロイトも言ってるとか言われても、脱力してしまう。
よりによってフロイトだ。
フロイトの罪は大きい。フロイトによる性被害の捏造のために、いまだにファンタジーと思っている医者も特に日本には多い。
ありとあらゆる本に、なぜ性被害は信じてもらえないのかというところに、フロイトが必ず登場するけれど、
たとえば精神科医のハーマンの「父-娘 近親姦―『家族』の闇を照らす」にも、そのあたりよく書いてある。
あと、キンゼイの動揺っぷりと隠蔽操作も書いてある。



私は、被害前からフロイトばかじゃないのと思っていて、
被害に遭ってから、フロイトにより大きな迷惑をこうむった。好き嫌いのレベルを超える。
(このことはまたいつか書く)



ペニス願望で悩む女性はいるのか?とフロイトの説を私は鼻で笑ってたので、
フロイトが発見した中に「性についての重要な知見がある」のは重々承知だけれど、
ほかにもフロイトはおかしなこと言ってるという例で出した次第。
性被害の捏造と直結しているし。
大人の女性にはないというのはフロイトも言ってるけど、
そもそもペニス願望は小さいときにも私にはなかったと自信もって言えるので、
もともと「ない」という意味で、現在「ない」という意味ではないです。


私はフロイトの話はおなかいっぱいと言ったので、さらに大野さんにフロイトの話をされるとは思ってなかった。
フロイトに関してはまた別の機会に。他の人にもちゃんと知って欲しいし。




ええと、本当に、セックスは乱暴な行為というのがわからない。
というのは、


私は、
キスしたり、ハグしたり、
相手の胸に顔をおしつけたり、首やら背中に腕を回して抱きついたりして、
心から安心する、ああずっとこのままでいたいなあと思うくらい安心する相手、
に対して、その延長でセックスという行為があるから。


よく性犯罪被害に遭った人は男性恐怖症とかセックス恐怖症というイメージがあるけど、
そういう人もいるのかもしれないけど私はそうではない。
それに恐怖や嫌悪はないけどただ単にしたくないという人もいるだろう。

(むしろ私は、そのときそのときの困ったときに、助けを求めることができるものを持っていて、
 そして実際的な面で助けてくれるのは男の人だったということもあると思う。
 でもまあこれは被害に遭った時期にもよるし環境にもよると思う。
 たとえば今だったら女友達の方が頼りになる。 )


私の場合、いざ、そのモードになってから怖くなるというのは殆どたぶんない。
なぜなら安心できる相手だから。心を許している相手だから。
これがまた微妙なところで、説明しづらいのだけれど。



たとえちょっと思い出した、
というほど明確に思い出せるほど記憶にないが(これぞ抑圧された記憶)、
イメージのようなものでなんとなく落ちつかないことはたまにある。
でもこれは相手とかセックスに原因があるんじゃなくって、たいていその前に何か動揺するようなことがあったから。
んでもってその動揺を消すために私がいちゃいちゃしたがるからおかしなことになる。


そういうときにしても、
だからといって相手を加害者と同一視して突き飛ばしたり、がたがた震えたりというような感じにはならない。
ただ、顔はちゃんと見えると安心するかな。
やたら私が相手の顔を見たがるときは、若干無意識のどこかで怖いという思いがあるんじゃないかと思う。
ぼーっとしてたり私がそういう変な行動をするときには、なんかコンディションが悪いんだなという感じで相手も理解している。
いちゃいちゃしている中で、精神的にコンディションがよくなることもあれば、なんかそのままで中途半端になることもある。
でもまあ相手もそういうことはあるし、お互い様ということであんまり気にしないようにしている。



ただもちろん男性に対する意識とか、セックスに対して、全く葛藤がないわけではない。


たとえば、日常生活で見知らぬ男性には最大限の注意を払っている。
私は、超「自衛」している。
たとえば宅急便はチェーン越しに伝票を受け取ってサインして、荷物はドアのところに置いてもらう。
ガスの点検とか、家具とか家電の運び込みとかで、男の人が家に入るのはものすごく苦痛。
全ての部屋の窓を開け放つ。都合のつく女友達がいたら家に来てもらう。
車に乗るときは周囲を確認してすばやく乗り、すぐにロック。
降りるときもものすごく神経とがらして警戒している。


困るのは日常接する人たち。
今は働いていないので本当に楽だけど、セクハラのない職場なんてあるのか?とはなはだしく疑問。
田舎のセクハラ意識は本当にひどい。かといって都会はもうこりごりなのでもういや。
セクハラ危険度はさがっても満員電車の痴漢に耐えられない。


こっちが全くその気になれない相手に性的対象として見られて、狙われてたり、狙われてるのかどうかわからないという状態はものすごくこたえる。
(ちなみに、あえて「狙う」と書いたけど、この言葉を使うのは私ではない。)

自意識過剰と思われようが、何らかの不穏なアクションがあると、非常にストレス。発狂しそうになる。
性的対象として見られるのを喜びと思っている女性には理解できないらしいけど。
「一度お願いしたい」なんて男性陣がふざけて、とはいえ、皆で言ってたと知ったとき、即仕事やめたくなったことがある。
そんな環境で、二人きりになることがあると、本当に怖い。
世間はありえないと思ってるだろうけど、職場で襲われるというのも実際にある話。
ふつうに暮らしているように見える人が、実は裏社会とつながってたりするのもよくある話。
前科もちとかも多いんだよ世間が思ってるより。


あと、例えば好きで付き合ってる相手にも、喧嘩しているときとか、険悪なとき、
つまり私が相手に対して好感情を抱いていないとき、
無理やりされたらどうしようという恐怖があった。

過剰に怖がる私に、相手がいらだつと余計に怖くなってたりもした。
力じゃかなわないのがわかってるので、この人は絶対に私が嫌がることをしない、というのを、頭ではわかってても、
もしそうなったらどうしようという不安がどこかにある。そのときこそ耐えられない、生きていられない、って思う。
でも何度も自殺に失敗してるので、自殺に失敗したらそれこそまた大変なことになるのも経験しているので、本当に八方ふさがりなので、そういうことをあれこれ考えるとウツっぽくもなる。


今のパートナーに対しては、無理やりされたら、という恐怖はなくなった、と思う。
けど、
父がDVだったのもあって、男の人が怒るとわけもなく怖い。
怒鳴られると頭が真っ白になるし、殴られるんだと思ってしまってとても怖い。
お願いだから怒鳴らないでというとき、ぼろぼろ泣いてしまうし、それが言える相手じゃないときは、別れるしかない。
実はつい最近、同居人が、出会ってから数年たつのだけど、初めて怒鳴ったのでものすごくきつかった。
本気で別れるしかないと思った。でもやっぱり私にとっては大事な人なのだ。


ここまでつらつら書いてきて、
たぶん、私がパートナーに選ぶ男性は、
私が嫌がることを絶対にしない、というのが第一条件にあるんじゃないかと思った。

(あと、父が結構最悪な人だったので、
 私にとってはその他の男の人がだいたいどの人も相対的にまともなのかもしれない。
 ちなみに加害者は人間じゃない。本当にクズだ。人間の皮をかぶった、それこそ獣だ。
 言葉が通じないのだ。異常思考回路だ。)


収入とか容姿とかはどうでもいい。
安心して一緒にいられるかが全て。
あと、私がいいと思うもの、いやだと思うもの、そういうのを否定しない相手。
邪魔したりしないで、応援してくれる人。
私がいいなと思うものを相手もいいと思うような、価値観や世界観がある程度共通している相手。


とはいえ、
これは失敗を重ねていきついた結果なので、
失敗過程の中では、DVチックだったりモラハラだったりな男の人ともお付き合いしたこともある。
お付き合いとまではいかなくても(むこうはどう思ってるかは知らない)セックスしたことはある。
これ本当に、男の人みたいな言い方なんだけど、セックスすると、性格がわかる。
本質が見える、というのかな。うまくいえないけど。


私がいいなと思い、安心してセックスできる相手は、「出す」ことを目的にしてない気がする。
もちろんそれもあるのだろうけど、それだけじゃないよ。


体だけじゃなくて心も愛されてる感じがするし、私もそう相手を思ってる。
だからいろんな話をする。


そういえば、「出す」ことを目的にしていただろう人は、セックスのときにいろんな話をするのを好まなかったなと
私の数少ない経験からすると思う。「性欲をぶつける」という言い方もしてた。
んでもって、身も蓋もない言い方をすると、下手だった。


私は、性格が合って本当に安心できる人は、今の同居人含めて二人出会った。
一人は確実にもててたけど、同居人はモテとは無縁なんじゃないかと思う。
けなしてるわけじゃなくて、モテにこだわる世間が理解できないのでついでに書いただけ。
その次レベルくらいに性格が合う人も一人いたけど、その人も優しかった。この人もモテとは無縁。無縁すぎるほど無縁。
そういえば、彼らは皆、女性に囲まれて育ってる。
なんかやたらと女性に慣れてる。もてるとは別の意味で。


私が安心できる男の人と一緒に暮らすのは、一人だと怖いからというのもある。
一人で暮らしているとお風呂に入るのも怖い。
誰かが一緒に住んでくれていて、その誰かがある程度腕力がある、というのは本当に安心する。



セックスは乱暴な行為、とか言ってる人は、
抱き合っていちゃついてるとき、「乱暴な気持ち」になって、いざ、ということになるわけ?
過去にそういうことを思っているだろう相手もいたけど、私はその人とはあんまり性格も合わなかった。
その人は「互いの了承のもとに(とはいえ私は満足してないし不満ばかり)」「相手に性欲をぶつける」と思ってた。
私にはその人くらいしかそういう経験がないのでわかんない。


というわけで、私はほんとうにわかんない。




性被害、つまり性暴力と、セックスは、全く別物。
私にとっては。全く違う。



ただこれは細かい状況とかにもよるのかもしれないと自分でも思う。
このあたりはちょっと頭痛がするのでうまく書けない。
いつか書けたらいいなと思う。





最後に。

大野さんへ。

特に大野さんに対して、このエントリに対する返信を求めているわけではありません。
たぶん、私と大野さんは価値観や性格が違う面が多いのではないかと思っています。
どちらがいいとか悪いとかそういうものでもないと思っています。




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ジュディス・L.ハーマン

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