猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

古事記とか

いま売ってるユーミンが表紙の「クロワッサンプレミアム」五月号、「ようこそ50代!」というページで取材受けてます。
写真はタマと一緒に映ってます。ほとんどタマが主役な感じ。カメラマンの人はわたし一人じゃ絵にならないと思うのか、それとも猫好きが多いのか、決まって猫を写真に入れたがりますが、写真見るとたしかにタマと一緒のほうが私の笑顔も自然なんですよね。
「肩の力抜いて」「リラックスして」とか言われても、リラックスポーズが一番苦手な私が、犬猫といる時はそれができてるみたいです。


『愛とまぐはひの古事記』が文庫化されることになって、25ページ分くらい加筆すべく、気を取り直して頑張っています。
古事記』は、12年前、原因不明の歯の不具合で焦燥感に悩まされ、果ては眠れず食べれず、日常の生活が送れなくなった時、唯一、読めた本でした。
この時は馴れ親しんだ『源氏物語』ですら、自分にはね返ってくる過剰な現実味が苦しくて、読めなかったものです。
一方の『古事記』は、天皇が百何歳と生きたり、神が兎と話をしたり、あり得ないほど感情を爆発させたり、人も木の葉のように死んだり、一見、ずいぶん自分と遠い。
だけど実は、アマテラスの引きこもりとか、トラウマのあまり鬚が生えるおっさんになっても泣くばかりで口のきけないホムチワケとか、心の病も象徴的に描かれている。
性愛の大事さも。
よく古代人の性はおおらかと言われますが、おおらかというのとは違うと私は思ってます。国作りにも天皇の説話にもバンバン性愛が描かれるんで、あけすけに見えますが、それは性愛が人間世界に占める重要性を分かっているからで、性愛への敬意があるんです。
そんな『古事記』は、小声ながらも必死で生きたいと叫んでいる私の奥底でちろちろと燃えてる力の核のようなものにズーンと響く感じがした。
さすが神話だと思いました。


当時のことは思い出すのも息苦しいものがありますが、精神科に四ヶ月通ってもよくなるどころか悪化の一途を辿り、見かねた家人に連れて行かれた医科歯科の頭頸部心療内科で、歯科心身症とも口腔神経症ともいわれる症状だと知って、適切な投薬と医師の説明で一月ほどで日常生活に戻れました。が、その後も何かあると歯に出る(噛み合わせの違和感・歯痛)し、発症から五年経って歯歯医者に行ったらまた同じ症状が出て、薬をのんだりしました。
十年ほど経った一昨年くらいからやっと歯医者に行っても大丈夫になりましたが、それも特定の歯医者に限られます。

胃の弱い人がストレスが胃に出るように、私は歯に出たわけです。
本当に辛い体験でしたが、医師によると、心でもろに受け止めるより胃や歯に出したほうがまだましなので、一種の自己防衛が働いているところもあるようです。
しかし胃は痛いと言ってもすぐ切れませんが、歯は痛い、噛み合わせがおかしいと言えばすぐ削れますから、ますます病状が悪化して、インプラントや入れ歯にしてもなお違和感が取れず、十年くらい医療機関をさまよう人もいるそうです。
私は半年以上、さまよって、当時できたばかりの医科歯科の頭頸部心療内科に辿り着けたのは不幸中の幸いでした。

今もまた、なかなか仕事に集中できませんが、こんな時こそ『古事記』と思って読み返しています。