がんばれナンマツ君!

西山上のばあちゃんの埋葬が終わって磧口に戻った22日午後、なつめの散歩に出かけると、道端に1匹の大きな犬が蹲っていました。生きているのか死んでいるのかよくわからないような状態で、恐らく何かの病気だろうと思い、私もあまり近づきませんでした。夜間には氷点下10℃くらいになるこの頃、かわいそうだけれど、2、3日中にはきっと凍りついた1片の骸と化すことでしょう。

ところが翌日行ってみると、身体が起き上がっていて、昨日よりむしろ体力を取り戻した感じで、あれっ?と思ったのですが、ちょうどリヤカーを曳いた村人が通って、この犬は一昨日、つまり21日にすぐ上の道路で車にはねられたというのです。飼い主は?と聞くと、いないという返事でしたが、この地では珍しく首輪をしていたので、少なくともある時期までは誰かに飼われていたはずです。

村人がいうには、近隣の村々からいらなくなった犬を磧口に捨てに来る人があとを絶たず、ノラ犬が増えて困っているそうです。もっともノラと飼い犬の区別はシロウトにはできませんが。確かに、もともと多かったけれど、最近はまたぐっと増えて、なつめを放してやることもできません。大型のオス犬が飢えた狼のようにドド〜ッと寄ってきて、なつめも怖がるのです。磧口は飲食店も多く、それでなくても黄河の畔は生活ゴミの最終処理場なので、ノラ生活を送るには快適な場所なのです。

でともかくその怪我をした犬を見てみると、ほとんど出血もなく、傷口も小さなもので、どうやら下半身をやられたけれど、上半身や内臓は大丈夫そうな感じでした。食べ物をあげるとよほどお腹がすいていたらしくペロリと平らげたのです。

そういうことをするとけっきょくはた迷惑な結果を生むと、冷ややかに遠くから見つめる村人のまなざしに隠れて、私は「ナンマツ君」と名づけたその犬に、やっぱり毎日食べ物を運ぶようになってしまったのです。

ナンマツ君は日に日に元気になり、25日にはすでに前足ではって少し移動できるようになりました。私が行くと嬉しそうに尻尾を振ります。

26日には、笑うこともできるようになりました。

ところが私はその後李家山に上ってしまい、28日にはまた雪が降ったのです。それで私は、カマドの焚口の前でぬくぬくと焼き芋なんか食べているなつめと引き比べて、自由に動けないナンマツ君は雪の中でどうしているだろうか?と気になっていたのです。

心配しながら29日に山を下りてみると、ナンマツ君は元気で、道路の真ん中まで居住区を移動していました。それではまた危ないなと思っていたら、今日は、ちょうど道路を渡った反対側に座っていました。その方がいくらか風もよけられて安全です。10日間で20メートルほど移動したことになります。この調子で回復してゆけば、彼は“身障犬”として、大河の畔でたくましく生きてゆけるのではないか。ばあちゃんの埋葬の日に出会ったのも神仏のお導きかもしれないし、もうしばらく様子を見ながら彼の自立を応援したいと思っています。

ノー天気な今日のなつめ。磧口で。後方は明代の建物です。

(12月1日)