訂婚(dinghun)

4日前、私が賀家湾で最初にお世話になったヤオトンの前を通ると、何やらガヤガヤしています。のぞいてみると、この家の息子の志強が明日「訂婚」(=婚約)するというのです。どうりでしばらく前から、私が以前住んでいたボロボロの部屋をすっかり改装し、離石で働いているはずの志強の姿もたびたび見かけるようになっていました。

当地の訂婚というのは、親族が集まってとても賑やかなものになり、この地ならではのしきたりもあるので、今回はその様子をお知らせします。

賀志強のお嫁さんになる人は、苗晶晶といって、元々はずっと離れた村の人だそうですが、今は招賢に住んでいます。確かに、苗という苗字は、界隈では聞いたことがありません。

志強の家は狭いので、今回は「文化広場」が使われることになりました。ここには立派な調理器具一式が揃っているので、便利でもあり、またレンタル料なども節約できます。

午前9時半頃、苗家から、晶晶と両親、おばあちゃん、おばさん、その息子の総勢6人がやってきて、文化広場の建物の2階に案内されました。例によって、爆竹と花火に点火されます。いつもなつめを預かってくれていたばあちゃんも一緒だったので、あれっ?と思ったら、その彼女の紹介でまとまった縁組なんだそうです。あと、この部屋の鍵を持っている村の幹部が加わって、全部で8人が椅子に座りました。そして1階の調理場で作られた簡単な朝ごはん(タンメン)が供されました。

これが、当地では、お客様をお迎えする際の、極標準的なセッティングです。落花生、ヒマワリの種、麻花(小麦粉で作った揚げ菓子)の上に、飴を乗せます。珍しく、葉っぱの入ったお茶が出ました。

その後は志強も出たり入ったりして、雑談です。晶晶は初めて見ましたが、お父さんは以前にも何度か見た顔でした。左端が晶晶、右端が志強です。




その間に、調理場では「拉麺」(la mian)を作ります。拉(ラー)というのは、引き伸ばすという意味と同時に、手と手を取り合って、という意味があり、縁起物として、参加者みなでひいて作ります。3枚目の写真が志強のお母さん。お父さんは4年ほど前に亡くなっています。

ラーメンを食べてからしばらくは休憩で、3時半頃から中午飯が始まりました。やはり四碗八皿で、鶏肉と鯉も出ましたが、婚礼・葬儀の時と比べればずっと簡素です。

ところで、日本的感覚と大きく違うところがあって、この婚約のお祝いの席につくのは、志強の父方の親族だけなのです。母方の親族はひとりも来ません。また、晶晶初め、彼女の親族は2階の部屋からいっさい出ることはなく、同じ料理が出ますが、テーブルは別で、顔を合わせることもないのです。

そしてしばらくしてから、晶晶が志強に伴われて2階から降りて来て、参加者にお酒を注いで廻ります。小さな徳利に入った白酒(焼酎)で、杯もごく小さなものです。志強がついで、それを晶晶が両手でささげてひとりひとりにすすめるのですが、その時に、晶晶が「お兄さん」とか「おばさん」とか、この先彼女が呼ぶことになる呼び方で呼ぶのです。このたどたどしい呼び方にみな照れたり、笑ったりしながら、その場が大いに盛り上がるのです。

そして、その酒を飲んだ人は、晶晶に「敬酒銭」というお祝い金を手渡します。これはもう相場が決まっているのでしょうね、ひとり200元でした。袋にも入れず、ポケットから出して、まるでお店で買い物でもするような感じで渡していました。ちなみにお祝い事だから必ず偶数です。
(*この間はビデオを廻しているので、写真はナシ)

ふたりはテーブルを一回りして、おそらくは3000元くらいをゲットして、2階に戻りました。この後は特に何事もない、ということなので、私も自分の部屋に戻りました。その後2時間ほどしてお開きになったのでしょう、爆竹と花火の音が響いて、訂婚の式典が無事終了したことになります。おそらくは、結納金とか指輪の交換などあると思うのですが、この日は直接目にすることはありませんでした。また機会を見つけて聞いておこうと思います。






夏休みに入っているせいでしょう、子ども達がわんさか来て賑やかでした。