国境に架かる滝


今からちょうど1ヶ月前の12月4日、私たち(ウチの学校の生徒とスタッフ総勢10名)は、広西省チワン族自治区に位置する「徳天瀑布」というところにいました。高さ50m、幅100mほどの中国とベトナムの国境を跨ぐ滝で、滝の右側(手前側)が中国領、左側はベトナム領です。

私はたしか13年前だったと思いますが、一度訪れたことがあります。というのは、当時ウチの学校で、“国境を見る旅”というのを構想していて、その下見を兼ねて、まずは南方の国境地域を見にゆき、その後すぐに北朝鮮との国境地域に足を運びました。けっきょく南方コースは遠くて経費もかかり過ぎということで、北方コースとなり、その後12年間、毎年生徒たちと一緒に東北地方を訪れていたのですが、今年から南方コースにシフトしたわけです。

13年前に行ったときは、だ〜れもいない静かな山里で、国境線の辺りには銃を持ったベトナム兵の姿も見ましたが、今や一大観光地となっていて、入場料もしっかり取られました。団体の観光客がひっきりなしにやってきて、かつての素朴な風情は失われましたが、かわりに、とても興味深い情景をあれこれ目にすることができ、生徒たちにとっては“意義深い”訪問地となりました。




発動機付きのおおきな筏が何艘も並んでいて、観光客はこれに乗って滝の下まで行くことができます。今の時期は水量が少ない方ですが、それでも下まで行くとなかなかの迫力です。その観光筏の横に小さな手こぎの筏が横付けされているのがおわかりになると思いますが、対岸のベトナム側からたばこや香水、コーヒーなどの土産物を売りに来るベトナム人です。



これは観光筏を下りたところ、つまり中国領です。水辺にやはりベトナムのおばさんたちが店を広げていますが、彼女たちは中国側に上陸することはありません。




滝から上流に15分ほど歩くと、国境碑が建っているところがあります。この新しい碑は13年前にはありませんでしたが、同じ碑の表と裏側です。3枚目の写真がもともとの国境碑で、当時はここにベトナム兵が2人座っていました。




新築の碑を背にして、左側の中国領と右側のベトナム領を撮った写真。3枚目は、対岸のベトナムの船着き場。観光客らしき人たちもちらほら見かけましたが、観光筏に乗って出てくる人の姿は見ませんでした。



国境をはさんだベトナム側には、土産物を売るテント張りの店が数十軒、びっしりと軒を並べています。お客さんは当然中国人観光客で(つまり、みなビザなしで越境してくるわけです)、店の人たちはほぼ中国語を解します。売れ筋は、私が見たところ、たばこ、香水(フランスの置土産)に加えて、サンダルのようでした。ちなみにベトナムのサンダルは、色鮮やかでしっかり作ってあり、ウチの女生徒たちもみな買っていました。ウチらの世代だと、ホーチミンサンダル、思い出してしまいますね。


彼らはどこからやって来るかといえば、この道の奥から。この道路の左端のコンクリートの部分までが中国領で、その左側の草むらはベトナム領です。それを誰から聞いたかというと、路端に停まっていた中国公安のパトカーにいたおっさん。「いつ頃来たら一番水量がありますかねぇ?」などと適当に雑談して、何ら緊張感はありませんでした。つまり、ベトナム人は毎日中国領を通って行き帰りしているわけで、それを取り締まるということもなさそうなのです。聞いてみると、みな国境などは関係なく、自由に行き来しているとか。南寧辺りまでは何度も行ったことがあるといっていました。南寧は広西省の省都で、ここからバスで4時間ほどかかります。



これは泊まった翌早朝の写真。“走私”(闇取引、密貿易)は禁じられているという看板の前で取引をするベトナム人と中国人。ここでは米が多かったです。おおらかなもので、私にも買わないかと声がかかりました。


これは滝から下流に数百メートル行った地点、向こう側はベトナムです。川にロープが張ってあり、それを伝って筏で行き来していました。ここでも私に声がかかり、ハノイまで2時間で連れて行くよといわれました。

“国境”といえば、私たち大人ですら、峻厳な山岳や深い谷、あるいは高い壁や鉄条網、厳格な管理と警備兵の姿などついついイメージしてしまうのではないでしょうか?参加した生徒たちにとって、これらの国境の姿を自分自身の目で見たことが、この先の人生、いろいろ物事を考えてゆくときの、何かの参考になればいいなと思っています。