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北烏山だより このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-08-18 テニスと翻訳は似ている

テニスと翻訳は似ている

今日は定例の早朝テニス。生徒5人にコーチひとり、運動量たっぷりで個別指導もゆきとどく、ちょうどいい人数だ。このスクールに入ってずいぶんになるけれど、最初の体験レッスンの時からずーっと、同じコーチについている。5人の生徒に対して、コーチがそれぞれにあったアドバイスをしてくれるのを聞きながら、これって翻訳学校の授業に似ているなあ、と考えていた。


テニススクールも翻訳学校も、同じ課題に複数で取り組む。週に1回とか2回とか、まずは数(量)をこなして慣れることが大事。次にお手本。そして最後に、個別のアドバイス。わたしの通っていた翻訳学校では、だいたいどのクラスでも、最終的には生徒5、6名となって(最初は15人とかいるんだけどあっという間に半分以下になる)、先生が全員の提出した課題に目を通して、授業ではそれぞれの訳文についてコメントをつけてくれた。わたしは山本光伸先生の教室に1年、宮脇孝雄先生に2年、池央耿先生に4年在籍したけれど、3人の先生に注意されたことはだいたい同じ。そして今日テニスのレッスン中に思ったのは、ここで大事だったのは、実は自分の訳文へのコメントではなく、ほかの生徒へのコメントや注意を聞いてることだったんじゃないか、ってことだ。


コーチのほかのメンバーへのコメントを聞いていると、なんと的確なことか、といつも思う。いっしょに学んでいるメンバーは、それぞれにいいところ、悪いところがあり、仲間が注意されているのを聞きながら、フンフン、それはわたしはできているぞ、とか、あー、わたしも同じだなーとか考えていて、いざ自分の番になったら、全然違う自分ならではの弱点を指摘されて、うわーっとなったりする。(わたしの弱点は、テニスも翻訳も力が入りすぎる、ということ。がんばりすぎて空回りしてしまうのだ。なんつーか、性格出てるよね。)


そこでいい感じに力の抜けているチームメートのプレーを見たり、原文に添って丁寧に訳しているクラスメートの訳文を読んだりして、ほお、となる。でもそのチームメートやクラスメートは、コーチから「もっと攻撃的に」って言われたり、先生から「訳文に面白みがない」って言われたりしていて、なるほどなるほど、となるわけだ。もちろん、テニススクールの初級クラスと、プロを目指して学んでいた翻訳学校とでは、目標が全然違うのであまり一緒くたにしてはいけないのだろうけれど、でも、テニスも翻訳も、フォームやスタイルに絶対的なモデルがあるわけではないという点では同じで、いろいろな個性のメンバーと切磋琢磨することで自分の力を伸ばしていくことができる、少人数のスクール向きの活動なんだな、と思ったのでした。どうでしょう、原田先輩?

2017-08-16 夏休み前半のこと

夏休み前半のこと

10日もある、とおもっていた夏休み、もうすでに半分が終了してしまった。忘れないように、この間にしたことをとりあえずメモ。あとで気が向いたら詳しく書くことにする。


11日休み初日、早朝テニス、午後、新宿の洋書店、夜は美容院。12日は吉祥寺で両親とランチ。夕方から神田シャーロック・カフェで「シャーロック4を語る会」に参加。13日は渋谷古本市へ。ホームズ関連本3冊と、ブラッドベリの短編集を購入。午後は新宿で「海辺の生と死」を観た。期待が大きすぎたのかもしれないが、ちょっと退屈だった。14日は午前中テニス、午後は母親とショッピング。15日は恵比寿のジムへ。この間の読了本は、宮田昇『昭和の翻訳出版事件簿』と、小林・東山シャーロック・ホームズの旅』のみ。


今日は午前中、WOWWOWでたまたまやっていた映画「ワンダーボーイズ」を観た。この休み中、読了本が少ない原因のひとつが、WOWWOWだのHuluだのAmazon Primeだので、洋画や海外ドラマがいくらでも観られるということ。先の5日間も、暇な時間はほとんど、Huluで「シャーロック」を観ていた。何回観ても新たな発見があって面白い(何回観ても英語で聞き取れている気はしないけど)。今日は父親とランチの約束をしているので、とりあえずここまで。

2017-08-10 翻訳出版のこと

翻訳出版のこと

明日から夏季休業。我が社は来週1週間、一斉休暇なので、特別に仕事がある人以外は、明日から20日まで、1年で一番長い連休となる。休みの間に新しい企画を考えたり、検討用のプルーフを読んだりしようと思って、多忙な上司に頼み込んで今後の翻訳企画の方向性について、相談にのってもらった。


版権エージェントの方や翻訳者の方と話をしていると、どの企画もおもしろそうで、あれもこれもやってみたい、と思ってしまう。ツイッターフェイスブックをながめていると、翻訳書の企画がフィクションノンフィクション問わず、次から次へと流れてきて、「いいね」や「リツイート」がいっぱいついていて、どの本もすごーく売れているように見える。


でも、「商売として成り立つかどうか」という視点で、いろいろな条件を考え合わせていくと、現実の厳しさはわたしのような能天気な人間でも容易に理解できる。当然ながら、確実に売れるジャンルとかテーマなんて、あるはずがない。日本の読者が好むような適当な長さの本、日本の読者が好むような書きぶりの本も、そう簡単には見つからない。なおかつ、日本語書き下ろしの本にはない個性や切り口がなければ、わざわざ翻訳書で出す意味がない。そしてそして、「これは!」という本に奇跡的に出会うことができて、個人的には「これはベストセラーになる!」と思ったとしても、当然ながら企画会議を通過する初版部数は、ぎょっとするくらい少ないのだ。そしてその部数と連動して、定価はこれまたぎょっとするくらいお高く設定せざるを得ない。訳者印税はなんとか従来のパーセンテージを確保するけれど、初版部数があまりに少ないために、商業翻訳家が食べていくだけの金額を約束することなんてできない。それでも翻訳家の方とともに「重版」の淡い期待を胸に、まずは企画会議突破をめざしてがんばるしかない。


上司が親身に相談にのってくれればくれるほど、我が社で翻訳出版を続けていくことの難しさが現実味を帯びて迫ってくる。たとえば、といって上司が例示する他社の本は、私にはどうにもとんちんかんで、我が社の社風とは合わないし、自分も個人的に絶対に手にとらないような本。それならこんな本はどうでしょう、と私が逆に提案をしてみても、上司はう〜んと困り顔。しまいには、「結局、新規開拓したジャンルで売れるときって、企画会議の冷静な判断に基づいて、っていうより、編集者の情熱におされて会議とおしちゃって、気付いたら売れちゃった、っていうケースなんじゃないかな」なんて言い出して、話は振り出しに戻ってしまった。


というわけで、忙しい上司を1時間以上拘束したあげくに、「こういう企画はダメ」というマイナス条件をいくつか確認したものの、「こういう企画はOK」というプラス条件、積極的に推し進めていくジャンルやテーマ、というのはまったく見えないまま、もやもやっと帰路につくことになってしまった。


このままでは夏休み中に新しい企画を考えるなんてできそうにない。「シャーロック」シーズン4のDVDを、英語の勉強がてら繰り返し鑑賞しよう、おととい買ったトマス・ウルフを読むのもいいな、休みなんだし、編集の仕事は2年先まで実は決まっているんだし、無理に企画を出さなくても、会社から叱られることはないよね、なんて思いながら、家に着いたら、この本が届いていた。

昭和の翻訳出版事件簿

昭和の翻訳出版事件簿


ううう。弱音吐いてる場合じゃないね。夏休み初日は、この本を読むことからはじめよう。厳しい状況だとしても、翻訳出版を続けていくことの意味が、きっと見えてくるだろうから。

2017-08-06 イベント続き

イベント続き

学校が夏休みに入ったからだろうか、ここのところイベント続き(いまや仕事は学校とは何の関係もないはずなのだが)。単なる飲み会から対談、講演、読書会、と、いろんな種類のイベントに顔を出している。そのうちのひとつ、近隣の翻訳者が集まる会合に出席した折、見知らぬ人から「北烏山さんですか?」と声をかけられた。名札には本名しか書いていないのに、なぜ彼女が私のことを特定できたのかはわからないけれど、とにかくその人は、「ブログ、読んでました」と言って、「楽しく読んでいたのに、更新が止まってしまって残念です」と続けた。嬉しいような、恥ずかしいような、でも嬉しい気持ちが勝って、初対面のその方と、いろいろお話をした。話しながら、あー、やっぱりブログツイッターとは違う、まとまった文章を書くのは確かにちょっと大変だけど、仕事とは関係なく個人として、読んだ本の感想や、そのときどきに思ったことを書いておくのは、後で読み返すのも楽しいし、ときにはストレス発散になる、がんばって続けよう、と考えていた。


その後、ナボコフについての講演会に行ったり、『蠅の王』の読書会に行ったりと大忙しで、ブログのネタには事欠かなかったのに、やっぱりブログを書くことができなかった。書けない理由のひとつに、自分の趣味の世界と仕事があまりに近づいてしまって、どこからどこまでがプライベート、どこから先は仕事、と分けることが難しくなっている、ということがある。ナボコフについての講演会は、千代田区の掲示板で偶然見つけたものだけれど、仕事関係の著者が講演者だった。難しい話になるのではと身構えていたのだけれど、意外にも講演の内容は平易で、ナボコフ作品をひとつも読んだことがない人でも、十分に興味を持って聞ける、ある意味では下世話なお金の話がテーマだった。とはいえ、そういう下世話な話から「文学の価値」といったことに持っていく展開は見事で、気づけば手元の資料には、アメリカの教科書に取り上げられる作家リストとかが載っていて、なるほど普通の文学好きがぼんやりと聴きにいっても十分楽しめる内容、あーおもしろかった、と会場を出ようとすると、そこに通信制大学院入学案内が積んであって、「いかがですか?」と声をかけられる、という段取りになっていた。一瞬、大学院文学を学ぶ自分の姿というものを夢想した。


昨日は「蠅の王」の読書会。最近、新訳で再読したばかりだったのと、訳者の黒原さんも出席されると聞いて、わりと軽い気持ちで申し込んだ。前日になってもう一度読み返しておこうと本を探したけれど、どうしても見つからない。当日本を持たずに参加するわけにはいかないと思い、急遽、Kindleで購入して会場へ向かった。先日の翻訳者の会合もそうだったのだけれど、予想以上の人数で、うわー、『蠅の王』について語りたい人がこんなにたくさんいるんだー、とまずびっくり。そして参加者一人一人が、とてもしっかりはっきりと、自分の意見、自分の読み方を持っていて、慣れた感じで自己紹介をしていく姿に二度びっくり。思えば20年以上前には、国語教師として生徒たちの前で話をしていたはずなのだけれど、どうも年をとるにつれ人前で話をするのが苦手になってしまい、最近は会社の企画会議のプレゼンも、話す内容をすべて紙に書いておいてそれを読み上げる、という状態。それでも仕事だと思えばなんとかがんばれるのだけれど、個人としての自分が『蠅の王』という小説をどう読んだかなんて、なんだかまったく自信がなくて、ひゃああああ、とにかく好きなキャラクターはラルフです、とそれだけ言うので精一杯だった。


でも、となりに座っていた方とお話をしたり(小学校の図書館司書さんだった)、帰り道にご一緒した方とツイッターアカウントを交換したり(大学院で通訳翻訳を学んでいる方でした)、読書会そのものはもちろん、いろいろと新しい出会いがあって、自分は何もしゃべれなくても、人の話を聞いてるだけでも楽しいので、まあそれが許されるような場ならば、時々、こういうのに参加してみるのもいいかな、と思った。何度も会を重ねていけば、もしかしたら少しは自分の意見も言えるようになるかもしれない。


今日はどうしても「ミステリマガジン」が買いたくて(ホームズ特集だったので)、自転車仙川の書原まで猛暑の中出かけて行った。ネット書店をはじめ、大手チェーン書店でさがしても見つからなかったのだけれど、さすが書原、1冊だけ置いてあった。あわててキープ。ほんとうは宮田昇さんの新刊も欲しかったんだけど、残念ながら書原には置いてなくて、かわりに講談社文芸文庫のトマス・ウルフ上下と、お料理の本を買った。帰宅して早速、「ミステリマガジン」の冒頭、日暮・北原対談を読む。すごいネタバレ。だけど、DVDNHKでシーズン4を観ているので、ネタバレはこわくない。ただし、お二人の知識のレベルが高すぎて、話の内容がはっきりと理解できるのは30%くらい。あとはぼんやり、なんとなく想像がつくのが40%、残り30%ほどは、もう、外国語みたいだ。いやあ、ホームズクラブの人たちは、ああいう話も全部するっと理解できるのかしら。そういえば先日、わたしは人生初のファンクラブ入会という経験をしたのだ(正確に言うと初ではない。ここ数年、同居人のチケット獲得のために、彼の好きなアーティストのファンクラブの会員になっている)。自分の意思で入会した初めてのファンクラブが、ホームズクラブだったということだけど、これはもしかしたら、相当無謀だったのかもしれない。ツイッターでは「ホームズクラブは怖くない」がジョークのネタにされているくらいだから、ほんとうは怖いのかも。でも先日、ホームズクラブの会合ではないが、ベネさまの誕生パーティという企画に参加してみたところ、思いの外楽しくて、こういうの、悪くないな、と思ったのだった。ここでもとなりに座っていた方とお話をして、ツイッターアカウントを交換して、と、これまでの人生ではあまりやってなかったようなことを、体験したのだった。

2017-07-17 書き方も忘れてしまった

書き方も忘れてしまった

もう長いことブログを書いていないので、書き方を忘れてしまった。新規書き込みはどこを押すんだっけ?

改行の仕方も文体も思い出せないけど、とにかく何か書いてみようと思う。というか、このままだとほんとうに長めの文章が書けなくなってしまう気がしてきたので、無理やりでも書き出してみることにする。


この連休はのんびり過ごした。4月に1冊、6月に1冊、7月に1冊、単行本を出して、ここのところ仕事は少し落ち着いている。大型本の新企画が3本通ったので、2年後くらいまで仕事が途切れることはなさそうだし、進行中の企画が4、5冊あるので、まあ、ぼんやり過ごす、というわけにはいかないけれど。


単行本の仕事をするようになって3年半ほど経ち、なんとなくサイクルというか、流れみたいなのがわかってきた。年間何冊くらいのペースが普通なのかはわからないけど、以前のように身も心もぼろぼろ、というところまで追い込まれることはなく、コンスタントに忙しく過ごしている。仕事の大半は編集の実作業だけれど、校了の間隙を縫って新企画を考えたり、販売部と協力して新刊の宣伝・営業を考えたりするのも、大変だけどとても楽しい。


そんなわけで、ちょっとひと段落の7月は、既刊本の宣伝や新企画の構想、それに個人的な趣味の会も含め、あちこちのイベントに顔を出している。土曜日は「はじめての海外文学」という書店のフェアイベントの関連企画「はじめての読書会」というのに行ってみた。課題図書は短編の名手O・ヘンリーの『賢者の贈り物」。「読書会」ではあるけれど、「発言はしなくてもいい」というのがありがたく、堂々と「聞くだけ参加」とあいなった。


全員が「聞くだけ」だったらもちろん読書会にならないので、会の前半は翻訳家書店員、編集者などによる「モデル読書会」。「賢者の贈り物」と言えば貧しく若い夫婦の美しい愛の物語、と当然のように思っていた私には、到底信じられないような深読みが次々に披露され、えええええー?となったところへ、翻訳家の相良さんが、私の思いを代弁するような意見をゆったりと柔らかにお話しされ、心の中でそうそうそう!とさけぶ私。その心の声が聞こえたのか、司会の倉本さんが、「相良さんのように甘い愛の物語として読んだ方、会場にいらっしゃいます?」と絶妙の質問をされたので、はいはいはいっと思い切り手をあげた。幸い、フロアからは3分の1くらいの方が手をあげていて、よかった、私(と相良さん)が変わってるわけじゃないのね〜と安心した次第。


会場のGlocal Cafe というのがとても素敵なお店で、コーヒーも美味しくて、そんな中での「読書会」は、だれの読みが優れてるとか、だれの読みが正しいとか、そんな雰囲気はまったくなかった。ただ本の好きな人たちが集まってそれぞれの読み方を話していると、自然にその人の人となりとか、それまでの人生とかが、なんとなくぽろっと出ちゃうみたいなところがあって、なんかそういうのがとてもいいなあ、と思ったのだった。司会の倉本さんは書評家なので、読み手としては「プロ」ではあるけれど、そのほかの登壇者はいわゆる文学研究者ではなく、さまざまな形で本にかかわる「プロ」ではあるけれど、読み手としてはあくまで、フロアの我々と同じ素人。そのスタンスも、「はじめての海外文学」「はじめての読書会」「賢者の贈り物」というイベントの趣旨と合致して、納得、満足の内容だった。


そして今日は一転、プロの「文学研究者」と「職業作家」によるシンポジウム、「吉田健一文学の未来」を聴講。このメンバーで、このテーマで、しかも会場は駒場(家から近い)、行くしかないでしょーと同居人を誘って二人で出かけた。難しすぎて眠くなっちゃうかも、と思っていたけど、全然そんなことはなくて、3人のシンポジストの役割分担みたいなのがとてもうまくいっていて、だれの話が面白かった、というんじゃなくて、3人のお話全体で、吉田健一のことがだんだんわかってくる、という感じのシンポジウムだった。吉田健一の大ファン研究者にとってはどうだったかわからないけれど、私にとってはとても刺激的で、少なくとも帰宅してから「美しき積読本」の山から池澤文学全集の「吉田健一」の巻を抜き出して、このブログを書き終えたら読もう、と決心させるくらいには、ぐっと心をひきつけられるイベントだった(…ああ、でももう眠いから今日はこのまま寝ちゃうかも…)