本棚の前をうろうろ

仕事に役立つ本をさがして、小一時間ほど自分の本棚の前をうろうろ。
もう何十回とながめた棚なので、さすがに新しい発見はなかなかない。
それでも、雑誌とか短篇集とかアンソロジーは、何か出会いがあるような気がして、
つい、繰り返し手にとってページをめくる。
しばしながめたのち、「うーん……だめだ……」とため息とともに棚に戻すのだ。


そんな感じで何度も手にとっている本は、たとえば、
多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』。

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

たとえば、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』。
見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

たとえば、ちくま日本文学全集尾崎翠」。
尾崎翠 (ちくま日本文学 4)

尾崎翠 (ちくま日本文学 4)

たとえば、高杉一郎『極光のかげに』。
極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)

極光のかげに―シベリア俘虜記 (岩波文庫)

あー、どれもほんとうに好きな本で、いい感じに短く切り取れそうなんだけど、
ううう、どうしても、だめなんだよねえ。


見慣れた自分の本棚に見切りをつけ、隣の同居人の部屋へ。
わたしの部屋よりひとまわり広くておしゃれな出窓のついた同居人の部屋は、
壁面がすべて二重、三重に本でおおわれている。
さらに、床のあちこちに、特殊な建築物のように本が積み重ねられている。
それぞれの「建築物」は、どういうグループ分けになっているのかはわからない。
多くが書店のカバーがかかったままなので、ひとつずつ手にとってみないと、何の本なのかもわからない。


床の建築物はあきらめ、壁の本棚の前面に出ている本(のうち、カバーがかかっていないもの)だけを対象としてチェックしていく。
ここはわたしの仕事にとっては、宝の山のような場所だ。
「あ、これはどうかな」「お、こっちも」という具合に、次から次へと「いけそうな気がする〜」本が見つかる。
もちろん、事はそんなに簡単ではなくて、ほんとうに「いける」本にめぐりあうことなど、めったにないのだけれど。


ともあれ、隣の部屋でさらに小一時間、本棚の前をうろついて、
とりあえず3冊を運び出した。
どうかな、どうかな〜♪とページを繰っているうちに、
仕事に役立つ本をさがしていたことを、すっかり忘れてしまう。
これも、いつものことだ。
かくして夜は更け、気づくともう、2時をまわっている。
あまり眠くないのだけれど、おなかがすいたから、もう寝よう。