怒濤の2023年〜とにかく続けることが大事

怒濤の2023年がまもなく終わる。『オリンピア』刊行が決まってからの日々があまりに濃厚だったので、なんとなく今年は『オリンピア』一色だったような気分になっているけれど、手帳を繰ってみると実際は1月は指導書一色で、2月からは河出の〈14歳の世渡り術〉シリーズ3点がゆるやかに同時進行し(うち2冊は年内に刊行済み)、さらに光文社古典新訳文庫の『ドラキュラ』には6月のイギリス旅行を含め公私混同ぎみで取り組み、5月から三省堂の教科書アンソロジーの許諾作業に着手(無事年内校了した!)。という具合に、ほかの仕事もずいぶんいっぱいやっていたみたいだ。見習い期間だったとはいえ、英文学会事務局の仕事も4月から始まって、11月12月は『オリンピア』刊行後のめまぐるしい忙しさの中、ほぼ週2回、飯田橋の事務局に通っていたというのは、我ながらよくがんばったのではないかと思う。

 

さらにボランティア仕事も多い1年だった。自宅のマンション組合の理事の順番がまわってきてしまい、その分担でコミュニティ協議会というのにも参加しなくてはいけなくなり、月2回土曜日の午前中がつぶれる。趣味のクラブの機関誌編集のお手伝いと大会準備委員を引き受けてしまったため、こちらもそこそこ時間をとられる(こっちは趣味のクラブなので喜々としてやっているけど)。この状況は来年ももうしばらく続く。

 

幸い近くに住む母がとても元気で介護等の心配はなく、子供もいなくて同居人はまったく手がかからない(というか洗濯もしてくれるしお弁当も作ってくれる)ので、仕事や自分のことに没頭できるありがたい環境であることは間違いない。忙しさのしわ寄せが何に来ているかというと、やっぱり「読書」である。とくに『オリンピア』の刊行が決まってそれにともなうもろもろの作業がはじまってから、ほとんどまとまった読書の時間がとれなくなった。唯一死守している週1回のお休みの時にも、ついスマホでいろいろな情報をチェックしてしまったり疲れて寝てしまったりして、鞄に入れている数冊の本を開くこともなく過ぎてしまったりしている(ちなみに同居人はどんなに忙しくても淡々と本を読み続けている。そしてその本が面白いとか面白くないとか、他人にとってはどうでもよい情報を延々と報告してくれる!)。

 

一方で、本をめぐる情報がこれまで以上に入ってくる環境になったこともあり、買うほうはものすごく「お盛ん」だ。じゃんじゃん買って、じゃんじゃん積む。すっきりきれいだった自室が、だんだん同居人の部屋のようになってきて、巨大な作業机の上のあいているスペースがなくなって、作業をするたびに机上の本を床におろし、部屋を出る際に通り道を作るため床の本を机上に戻すという、本に包囲されているような状況だ。来年はとにかく、本を積むだけじゃなくて読みたい。別に仕事に役に立つとか同居人のように立派な感想文を書くとかしなくてもいいのだ。以前のように興味のおもむくままに本を読み、すごい面白い!とか、うーむいまいちだったなとか思いながら、だらだら本を読む。これが来年の目標。

 

でも、この1年を総括するとしたら、やっぱり『オリンピア』なんだろう。1月の手帳のページに、・出版社化検討(〜5月)とある。この時点ではまだ、『オリンピア』自社出版の姿はまったく見えていなかった。2月に越前さんにメールを送り、奇跡のようにすべてが動き出した。2月11日の手帳には、手書きで『オリンピア』の奥付イメージが記してある。「発行所 株式会社北烏山編集室」と、誇らしげに書いてあって笑ってしまう。このときの奥付日は、2023年10月30日。横に「退職2年後!」と書いてある。そうだ、私が20年近く勤めた出版社を退職したのは、2021年10月30日だった。結局、実際の刊行はこれより2ヶ月遅くなってしまったけれど、何もかもゼロからはじめたことを思えば、まあ上出来なのではないか。(ちなみに越前さんの原稿はできあがっていたし、校正もものすごいスピードで戻してくれたので、遅れの責任は100%私にある。)

 

それからの『オリンピア』をめぐるあれこれは、11月終わり頃からのブログに書いてきた。その後、複数のイベントを終え、「どこでもMy FAXセンター」というタイトルの注文FAXや、「書店様からのご注文」というタイトルのBookCellarからのメールに一喜一憂する日々が続いている。(注文なのになぜ「一憂」するのかというと、「どこでもMy FAXセンター」からの注文FAXは、トランスビュー扱いのすべての版元さんあてのFAXが入ってくるからだ。期待に胸ふくらませてメールの添付ファイルを開いては、ああ、またよその版元さんのものだった、とがっかりする。最初のころは、ほかの版元さんのFAX-DMを見て、ああ、こんな本が出てるのか、とか、FAX-DMの作り方がうまいな、とかいろいろ思っていたのだけれど、送られてくるFAXの量が膨大なので、だんだん他社宛の注文に対しては「無」の境地でのぞむようになった。先日そのことを先輩の版元代表さんに話したら、「あ、あのFAXは全然見てません」とのことだった。たしかに、このFAXは見逃しても、ちゃんとBookCellarさんから注文のメールは来るので、別にいちいちFAXを開く必要はないのだ。ああ、それはわかっているのだけれど、やっぱりかすかな期待を抱いて、ひっきりなしに入ってくる「どこでもMy FAXセンター」の添付ファイルを、今日も休まずチェックし続ける……)

 

ひとり出版社や独立系書店の代表の方のブログなどを読んでいると、やっぱりお金まわりのことが精神的にも時間的にも大きな割合を占めていることがわかる。これは弊社の場合も同様で、会社を設立した時からずっと、経理はわたしが行っているのだけれど、『オリンピア』の刊行が決まってから、経理についての作業量も悩みも、格段に増えた。わたしはお金の計算なんて全然得意じゃないし、あまり関心もなかったのだけれど、いざはじめてみると、意外に面白いというか、新しく知ることやわかることがたくさんあって刺激的だ。新しく知ることやわかることの内容は、ざっくり言うと「なかなか厳しいね」とか「儲からないね」ってことなんだけど、じゃあこれをどうしたらいいのか、どうやって乗り切ったらいいのか、考えるのは、まあ楽しくないこともない。もちろん、「意外に儲かるじゃん」とか「右肩上がりで見通し明るい」とかだったら、そのほうがずっといいけど、それはないことを前提に仕事をしていれば、それが訪れたときの感動もまた百倍、というものだ。

 

さて、来年の自社出版については、すでに2冊の刊行が決まっている(おそらく来年5月)。未経験だった印刷〜流通の流れについても、苦手な経理作業も、とりあえず1冊やってみたから、来年はもう少しスムーズに進められるのではないかと思っている。ひとり出版社の先輩方からいただいた、「とにかく続けることが大事」という言葉を胸に、請負仕事やボランティア仕事や個人的な読書や経理を含む事務作業とバランスをとりながら、来年もがんばってみよう。

 

………さて、これから今年一番のお楽しみ。横浜イベントへ出発!

 

 

 

 

本は1冊ずつ売れていく

眠れないのでブログを書くことにした。一昨日、12月5日(月)は弊社刊行第一弾、『オリンピア』の発売日だった。会社設立から『オリンピア』刊行までのことをブログに書いてみる、という当初目標は一応終わったので、これからは従来どおりの「北烏山だより」に戻る。(といっても、この2週間ほどの書き込みも結局のところ情報量は少なくて自分の思い優先の日記になってしまったけれど)

 

サラリーマン編集者だった私たちが出版社をつくってここまで走ってきて、やっぱり一番難しいのは宣伝・営業だ。『オリンピア』について言えば、流通代行のトランスビューさんのおかげで、とりあえず発売日当日にこの本を手にしたい、と思ってくださった読者の方の手に、きちんと届けることができた。これから先も、行きつけの書店で予約してくれれば、それほどお待たせすることなくお届けできるはずだし、複数のネット書店からも、早ければ1日で購入することができる仕組みが整った。そして何よりも、予想以上にたくさんの部数をTRC(図書館流通センター)がとってくれたので、地元の図書館で簡単に入手できるはずだ。

 

翻訳者の越前さんのおかげで、イベントも複数企画されている。ひとつめの朝日カルチャーセンター新宿は、会場とオンラインあわせて50名近くの方に参加いただき、質問も多くでて、ありがたい感想もたくさん寄せていただいた。先行販売&サイン会つきだったからか本もよく売れて、お客様に直接『オリンピア』を手渡すという感動体験も味わうことができた。参加してくださった方々、朝日カルチャーセンターのご担当者さまにも、心からお礼を申し上げる。

 

このあと青山ブックセンター、京都CAVA BOOKSと、越前さん企画のイベントが続く。昨日は福島での読書会のお知らせもいただいて、版元としては感激して越前さんの後をよちよちついていくばかりだ。さらに年末には、国書刊行会の樽本さんのはからいで、海外文学の出版社の編集者がずらりと並ぶ恒例「よんとも年末スペシャル」にゲストとして呼んでいただいた。ここまでくるともう、身の丈にあっていないというか、どうしていいかわからない、というのが正直なところ。でも『オリンピア』のことを考えると、ひるんでいる場合ではない。越前さんや樽本さんからは「楽しんでやってください」と言われるから、あまり思い詰めず、自分がその時間を楽しく過ごすようにつとめたい。

 

そしてここまでは、トランスビューさんをはじめ周りの人たちのおかげで、なんとなく普通の出版社っぽく、販売のスタートを切ることができた。それだけだって奇跡だという気もするけれど、問題はこれからだ。いまはこの2週間ほどのあいだに予約発注してくれた限られた書店さんにしか在庫はない。たまたま最初に2冊注文してくれた書店さんの在庫をみたら、いまは0になっている。ということは、最初の2冊はお客様の注文で、それをお渡ししてしまったからいまは0。で、だからといって、自動的に追加発注があるわけもなく、ほとんどの書店さんがこういう状況のはずだ。このあと、どうしたらいいのか。やっぱり一件一件書店さんをまわる? 子供の頃から本やさんに行くのは大好きだし、ちょっとでも隙間時間があれば本やさんに入ってる人生だけど、でもそれとこれ(「書店営業」ってやつ)は、別物。迷惑じゃないかなーと思ったり、うまく話しかけられないですごすごと帰ってくる予想図が頭に浮かんだり、なにかと理由をつけて尻込みしている。

 

でも、発売日から3日が過ぎてあらためて実感したのは、本は1冊ずつ売れていく、ということだ。トランスビュー方式はそれがよりはっきりと目に見える形でわかる。日本のどこかの書店にお客さんが予約で訪れ、その1冊の注文が届く。トランスビューの倉庫から1冊が出荷され、書店さん経由でお客さんの手に届く。その一連の流れを思い描くことは感動的で、もうこれで胸がいっぱい、これで十分、という気持ちになりそうなんだけど、まてまて。この光景が、日本全国で、数千回繰り返されないと、『オリンピア』はトランスビューの倉庫で10冊ずつ茶色い紙にくるまったまま、じっと眠っていることになるのだ。かわいそうすぎるじゃないか、『オリンピア』が。やっぱり、日の目を見させてやりたい。ではどうやって、上記の風景×数千回を確保するんだろう。ほかの出版社さんはどうしてるんだろう。やっぱり「書店営業」ってやつか。そこへ行き着くのか。

 

SNS時代のいま、わたしたちのような極小出版社にとって、SNSは重要な宣伝ツール。だから、SNSを通じていろいろいやな思いをしたり、時間泥棒だなと思ったりしても、やっぱり手放せずにいる。サラリーマン編集者時代から、編集者が単独で、無料で宣伝活動できる媒体として、Twitterには本当にお世話になってきた。会社のアカウントについては同居人が熱心に投稿してくれているのでありがたい限り。おかげさまでフォロワーさんも増えて、この規模の出版社アカウントとしてはできすぎだと思っている。だけど一方で、いろいろな方が指摘されているように、TwitterじゃなくてXだけで情報発信しているのは危険だし、限界があるというのもわかっている。

 

で、新聞広告。たまたま今週の土曜日の毎日新聞に共同広告を出す、という話があって(これって事前に書いちゃいけない内容かな、だったらあとで消す)、はいはい、って手を挙げたのはいいものの、広告の作り方がわからない。二人とも、会社員時代は社内の宣伝担当者にお任せで、文面の校正をするくらいしかしてこなかったのだ。しばらく購入したばかりのイラストレーターをがちゃがちゃ触ってみたものの、現時点では無理、とあきらめて、急いで某サイトに登録し、超特急で仕事をしてくれるフリーランスの広告デザイナーさんにお願いすることになった。このサイトは、システムはよくできているし、お願いしたデザイナーさんはきちんと仕事をしてくれた。けど、私たちとしては、予定外の出費と時間の消費があったわけで、広告ができあがるまで、なんとなくイライラぴりぴりしてしまった。これで今週末に広告がでたからといって、いきなりすごい効果が出て注文が殺到するとはとても思えないし、広告が出た当日に一件も注文がない、ということだって十分予想できる。それでも結構なお金をかけて広告をつくり、共同広告を打つことに意味があるのか。よくわからないけど、今の気分としては、まあとにかくやってみましたーという感じ。何事も経験、というか。

 

この新聞広告が出る当日、わたしは前職のOB会に初参加する予定。営業出身の方もいらっしゃるので、できれば相談してみようと思う。本は1冊ずつ売れていく、ということを、会社員時代のわたしは頭では理解していても、実感を伴って納得してはいなかったと思う。わたしが編集者として一生懸命編集した本たちを、一人一人の読者に届けるために奮闘してくれた営業職の人たち(ただ前職は営業部員の大半が学校営業だったのでちょっと事情はことなる)。

 

ただ、営業については、「基本やらない」という小規模出版社の代表の方もいたし、「最初のころはやったけど、いまはほとんどやっていない」という一人出版社の方もいた。たしかに、『オリンピア』のことだけを考えて毎日を過ごすわけにはいかなくて、請負仕事のゲラを戻さなくちゃいけないし、次の本の入稿もしなくちゃだし、事務仕事見習いも、ボランティア仕事もある。それらとバランスをとりながら、『オリンピア』のこれからのこともちゃんと見守り、かつ、毎日を楽しく朗らかに過ごす。うーん、まあ、できないこともないかなあ。

 

深夜の書き込みは、例によってとりとめもなくなってしまった。ああ、もう朝だ。同居人が起き出す時間。ちょっとだけでも寝ることにしよう。

 

 

何事も直感で勝負? 流通を決める

まただいぶ間があいてしまった。いよいよ最大の難関、流通について書く。中規模の版元の編集者だったわたしたちは、本ができあがってから先、印刷(または製本所)から倉庫へ、そこから取次へ、書店へ、といった流れについて、多少の知識はあるものの、ほとんど素人と言っていい状態だ。そのことは会社設立当初から自覚していて、営業販売について、アドバイザー的な人がいたらいいね、とずっと話していた。

 

そんなわけで、小規模出版社の人や出版社経営の経験のある方に話を聞くときは、必ず、流通どうやって決めましたか、とうかがっていた。そもそも、取次制度とは何ぞや、というところから、結構説明が難しい。ひとことで言えば、出版社と個々の書店をつなぐ仲介人のようなもの。出版社は取次に、定価の何割か(だいたい6割から7割のあいだ)で卸して、取次は何%かのマージンをとって書店に卸す。この卸率というのが一律ではなくて、新しい出版社は低く抑えられ、老舗ほど有利、というのが出版界のおそろしいところ。ちなみにわたしたちの前職はいわゆる老舗出版社なので、68%〜72%で卸していたのではないかと思う。新しいところは、そもそも取次が扱ってくれないよ、とか、扱ったとしても50とか言われるよ、とか、いろいろなことがまことしやかにささやかれていた。(これらの噂が真実かどうかは、検証・調査したわけではないのでわからない。)

 

相談した方々のアドバイスを総合すると、

1)大手取次はやはりハードルが高い。チャレンジするなら相当な準備が必要。

2)神田村の小規模な取次は扱ってくれる可能性あり。紹介者などがいるとより話はスムーズ。

3)最近新しくできた出版社は取次ではなく「トランスビュー方式」という直販を使っているところが多い。

4)amazonなどのネット書店には、取次・トランスビュー方式どちらの場合でも扱える。ただし、多少の制約があるので、amazonを重要視するなら「e託」というamazonのシステムが効率的。ただし、卸率は一律60%。

といったところ。わたしたちは当初、「トランスビュー方式」に関心をもちながらも、なんとなくよそ者は入りにくいのではないかとか、若者が多くて浮くんじゃないかとか、あれこれ考えて決めかねていた。それで、前職で多少なじみのあった神田村の八木書店さんに、まずは相談してみよう、と思ってメールを書いたのが、7月の中旬頃だったと思う。すぐにお返事がきて、刊行計画書を出してください、とのこと。『オリンピア』のほかには正式に決まっているものはなかったけれど、いくつか「案」はあったので、それらを並べてなんとか「刊行計画書」を作り、送信した。なお、このとき八木書店さんからは、年に4冊程度、コンスタントに刊行することが望ましい、ということを言われた。なるほど。このとき、ふたりでわあわあ相談しながら、年に4冊程度の「刊行計画書」を作ったことは、自分たちがぼんやり考えていた「やりたいこと」を目に見える形にする、という点で、とても意味があったと思う。出版社をつくるということは、ある程度の覚悟が必要なんだな、ということも実感した。

 

このころ、デザイナーの宗利さんと話す機会があり、流通がまだ決まっていなくて、と言ったところ、宗利さんはぼそっと「トランスビューがいいんじゃない」とつぶやいた。このころまでには「トランスビュー方式」について、それなりに勉強は進めていた。トランスビュー方式について詳しく説明されているバイブルのような本(石橋毅史『まっ直ぐに本を売る』苦楽堂)があるのだけれど、内容が少し古いのと、絶版なので図書館で借りるしかないという側面があり、やっと入手して読了する頃には、ネットでの情報収集がだいぶ進んで、とにかく書店さんの実入りを確保したい、というその理念に心ひかれて、まずは話をききにいってみよう、という気持ちになっていた。

 

トランスビュー方式」は、これまた説明が難しい。でも簡単に言っちゃうと、自動配本をしない、書店からの注文にあわせて本の委託販売を仲介するシステム。本にもネット情報にもはっきりと書いてあるけど、経済面だけを言えば卸率は取次を利用する場合とあまり変わらない。出版社の側での「お得感」はあまりないのだ。じゃあ、どうしてトランスビュー方式は人気があるのか、そもそもトランスビューさんはどうやって利益をあげているのか、契約書店以外にも取次経由で納本できるってどういう意味なのか、amazonとの関係は、などなど、わからないことだらけ。とにかく話を聞きに行こう、とアポをとったのが、7月下旬の猛暑の午後。ふたりで人形町の事務所まで出かけていった。

 

事務所を辞して、人形町の駅へと向かう道を歩きながら、わたしたちの気持ちは決まっていた。いろいろな人が本やネットで書いているから、書いてしまって問題ないと思うのだが、システムや金額がどうこうではなく、決め手は社長の工藤さんのお人柄だった。正直なところ、システムと金額は複雑すぎて半分くらいしか理解できていなかった。今でもまだちょっと茫漠としている部分があるくらいだ。でも、とにかくわたしたちは二人ともほぼ同時に、この人といっしょにお仕事をしたい、と直感したのだ。それを信じてみよう。帰宅してすぐ、「お願いします」とメールを書いた。「トランスビュー方式」はほかの取次さんと併用もできる。けれども、わたしたちはできるだけシンプルなほうがよいと考えて、当面は、トランスビューさん扱いにしぼることにした。amazonのe託も使わない。

 

この判断が正しかったかどうかは、まあ、これからだ。ただ、校了から見本出来、倉庫搬入、書店さんへの予約注文FAX出し、受注、そして予約分の発送、まで終わった今、ふりかえると、トランスビューさんにお世話にならなかったら、とてもこなすことはできなかった、とあらためて思う。うまく言えないのだけれど、手作り感とIT化のバランスが自分にはちょうどいい。1冊1冊の注文がすべて相手先の姿が見える形で入ってくるという感興と、それらの注文に(こちらから見ると)自動的に応える形で本が出庫されていくという快適さ。(もちろん、人の手でオンライン入力したり、クリックポストの用意をしたり、といった作業をしているのだということを忘れてはいけない。)

 

そして先日は、チラシの発送作業とそのあとの飲み会にふたりで初参加した。作業も飲み会も思っていた以上に楽しくて、いろいろな話が聞ける。出版業のいいところは、同業他社が競合にならないということで(教科書とか辞書とかは別)、わからないことや困っていることがあったら、相談すればだれもが親切に応対してくれる。発送作業に行く前に抱えていた疑問や不安は、数時間の作業&飲み会ですべて解決してしまった。そこでは退職以来、ほとんど接点がなくなってしまった若い人たちとの交流もあり、この人たちといっしょにいると、出版界の未来もそう悲観したものでもないかも、と思えてくるのだった。

 

この会でわたしは、「書店営業って、こんにちはー、って入っていって、レジにいる人に話しかけていいのかしら」と言って、失笑された。「こんにちはー」はOK。「レジにいる人に話しかける」がNGだ。正解は、「目指すジャンルの棚の本を抜き差ししている人に話しかける」だった。土日や夕方の繁忙時は避けて、平日の午後2時〜3時頃、お店がすいているときに行け。とにかく相手の迷惑にならないように注意。いきなり新規開拓をねらうのではなく、まずは1冊でも注文を入れてくれたところに挨拶に行くほうがハードルが低い。等々。貴重なアドバイスをいっぱいもらった。けど、まだ実行に移せていない。

 

税理士さん、デザイナーさん、印刷会社さん、流通会社さん。いずれの場合も、結局は直感というか、「この人といっしょに仕事をしたい」と思うかどうかで、すべて決めてきた気がする。小規模の家族経営だからこその決め方と言えるのかもしれない。次にどんな本を作るのか、どんな仕事を引き受け、どんな仕事を断り、どんなふうに自分たちの生活とバランスをとっていくか。還暦間際での起業ならではの課題もあれば、有利な点もある。ともあれ、「最初の1冊」の発売日まで、あと5日。週末の朝日カルチャーのトークイベントでは、先行販売もある。トークイベントは不安でいっぱいだけれど、本をたくさんの方にお披露目するのはめちゃくちゃ楽しみだー。

 

 

信頼関係をベースに——印刷会社を決める

少し日があいてしまったけれど、印刷会社のことを書く。先日書いたように、わたしたちの前職はたまたまグループ会社の印刷会社があったので、ほかの印刷会社のことをあまり知らない。皆さんが必ずとる、と言っている「あいみつ」というやつも、ほとんどとったことがなかった。

 

前職の最後の1年は学習参考書や教材編集の部署にいて、共通テスト対策の問題集などをつくっていたのだけれど、学校の先生方のご要望にこたえて、バラ解答(問題集の解答編を、模試っぽく使えるように、問題ごと、一人ずつに配れるようにしたもの)を用意することになり、グループの印刷会社は対応に難色を示して高額の見積もりを出してきたため、急遽、外部の会社に「あいみつ」というやつをとった。結果、低い金額の見積もりを出してきた外部の会社に印刷・製本を依頼。作業じたいは大変スムーズに仕事は進み、印刷・製本の流れという意味では、ほとんどストレスはなかった。ただ、決まるまでにさまざまなケースを想定し、何時間もかけて膨大な試算をしたわりに、節約できた金額は微々たるもので、その後、「バラ解答」の注文もごく少数だったと聞いた。わたし自身はものすごく忙しい時期に、膨大な時間をとられた。しばらく頭の中が「バラ解答」でいっぱいだった、という苦い思い出がある。「あいみつ」をとることで、得るものもあれば失うものもある、というのがこのときの教訓。

 

とはいえ、新しくはじめた出版社の印刷・製本をどこにお願いすればよいのか、どうやって決めたらいいのか。こういうことは、まず口コミ。小規模・少部数の出版社の人たちに取材して、具体的な会社名をあげてもらった。すると、複数の人が名前をあげる印刷会社がいくつか出てきた。次に自分たちの本棚からランダムに本を抜き出し、奥付の印刷会社名をチェック。なるほど。小規模・少部数の出版社を得意とする印刷会社が複数あるらしい。相談にのってくれた人たちの意見は、これらの中から三社くらいを選んであいみつをとり、比較して決めたらよい、というもの。

 

問題の「あいみつ」だ。なーんとなく、気がひける。んなことを言ってる場合じゃないし、先方は慣れているから、比較して落選?したって気にしないよ、と皆、口々に言う。でも。「比較しておたくより安くて対応がよさそうなところがあったのでそっちに決めました」(大意)なんてことを言わなくちゃいけないのか。つらい。ぐずぐずしているうちに、どんどん日が経ってしまって、もうほんとうに決めなければ、という事態に至り、ようやく二社に見積もりを依頼した。相談した人たちの口コミ、奥付の調査、会社HPの内容などを総合して、この二社ならどちらに決まっても悔いはない。

 

さて、見積もりが出てきた。ここまでの対応は、どちらもスピーディで感じよく、どちらがよいとも悪いとも言えない。そしてなんと、見積もりの金額も、ほとんど差異がない。なんだよー、これじゃあ決められない。比較をしてどちらかに決めるための決め手がない。(ぱっと見て、どっちも高い、と思ったけど、それはまた、別の問題……)結局、用紙代を少しだけ安く見積もっていた会社のほうに、お願いすることにした。両方にメールを書く。断るほうのメールはやっぱり時間がかかってしまう。いや、こういうのは事務的に書けばいい、そんなことはわかっているのだけれど、わたしは苦手なのだ。(もちろん、先方からは「また機会があればよろしくねー」的な感じの簡単なお返事がきた。)

 

毎回毎回、こんなふうにあいみつをとって神経をすりへらすのはいやだ。会社の規模的にも、わたしたちの性格的にも、税理士さんやデザイナーさん、印刷会社さんなど、いっしょにはたらく人たちとは一蓮托生で、お互いにベストを尽くします、という信頼関係をベースに進めるほうが、最終的にはプラスなのではないか、という思いがある。これが正しいかどうかはわからない。でもとりあえず、いまは、この方針でいくことに決めた。

 

というわけで、これからずっとお世話になる印刷会社。正式に決定する前に、一度お会いしましょう、ということになり、ふたりで印刷会社に訪れた。社長さんが対応してくれて、社内を案内してくれた。こういう場面では同居人が力を発揮する。わたしにはよくわからない昔の印刷技術の話や、印刷職人のすご技の話などで、社長さんと盛り上がっている。ふたりとも楽しそうなので、この会社に決めてだいじょうぶなんじゃないかな、と思った。

 

その後、契約書をかわし、用紙の選定や装幀の相談、PDF入稿、校正、下版まで、社長さんが面倒をみてくれた。そこから担当の営業さんに引き継ぎとなったけれども、引き継ぎもとてもスムーズで、担当のFさんは納品までに何度も指定場所へ足を運んでくれた。何より嬉しかったのは、少しでも早く見本を見たいだろうから、と言って、三鷹のわたしたちの仕事場まで、納品日の3日前に2冊だけ、見本を届けてくれたこと。あいみつが苦手とか、直接届けてもらって感激とか、なんとまあ、昭和な仕事観、といわれるかもしれない。ただ、わたしはこれまでもこういう価値観で仕事をしてきたのだし、それで大きな失敗をしたこともない。もちろん、大成功したとか大もうけしたとかいう話とはまったく無縁な人生ではあったけれども、そういったことを求めているわけでもないので、当面、こんなふうに進めていくことになるのだと思う。

 

印刷会社が決まったのは、7月末。10月PDF入稿、12月刊行、というざっくりとした日程が決まった。残るは最大の難関、流通を決めなくてはいけない。出版社経営のバイブル、宮後優子さんの本では、いちばん最初に流通をどうするかを決めよ、と書いてあり、宮後さん自身も本の進行を進める前に、流通についてあちこちに相談に行っている。これはヤバい。わたしたちは二人とも、最も苦手というか、経験も知識もない部分。だからこそ、早めに着手しなくてはいけないのに、苦手意識からどうしても後回しになってしまったのだ。でももういよいよタイムリミット。この夏の間に、流通をどうするかを決める。

 

今日はここまで。流通の話はたぶん明日。

『オリンピア』見本出来!

次回は印刷会社の話題を、と書いたけれども、今日はとっても大事なことがあったので、予定変更してそのことを書く。大事なことというのは…………見本出来〜!!今日の午前中に仕事場に見本が届くということだったので、朝から仕事場に行き、少し片付けて見本を置くスペースを作ってそわそわ。トラックが停まるような音がするたび、窓際まで行って外をのぞきこむ。12時近くになって、ようやく見本到着。重い段ボール箱4つ。郵便局の配達人の方が階段を4往復して運んでくれた。うーん、こんなことなら仕事場を1階にすればよかったかなあ。申し訳ないと思いつつ、我々ではとても階段を運べる重さではないので、すみません、ありがとう、と何度も頭を下げた。

 

開封。宗利さんデザインの白く美しい表紙が姿をあらわす。おおー、と意味なく声をあげる。しばらくながめまわしたいところだけれど、今日中に関係者に発送しなくてはいけない。そうだ、発送をいかに手際よく、安価に抑えるか、も会社経営のうえで大事なテーマだ。『オリンピア』の場合は、サイズや重さなどから、「クリックポスト」が一番お得、ということがわかった。自宅のPCでラベルを印刷できて、追跡もできる。なのに、全国一律で185円。だいたい翌日に着く。

 

あらかじめ資材と手紙を用意し、クリックポストの住所登録→ラベル作成まで終わらせておいたので、あとは封筒にラベルを貼って、透明な袋に本と手紙を入れ、それを封筒に入れて閉じる。ふたりとも編集者歴が長いので、こういう作業はめちゃくちゃ慣れている。段ボールを開けてスリップを抜き、シールをはがすのは同居人。本と手紙を透明な袋に入れて、封筒に突っ込むところまで私。封筒を閉じて、まとまったところで郵便局まで持っていくのは同居人。すべての発送を終えて一息ついたときには、もうお昼の時間をだいぶ過ぎていた。かろうじてあいていたカレー屋さんに入り、遅いランチ。

 

わたしはわりと発送作業が好きだ。単純作業だけど、結構要領も大事だし、未処理の山がだんだん低くなって、処理済みの山がどんどん積み上がっていくのは快感だ。無駄口をたたきながら昭和のアパートで作業をしていると、なんだか10代か20代の頃に戻ったような気分になる。何よりこの本たちが、こうして読んでくださる方々(今回は全部献本)のもとへ旅だっていくんだな、と思うと、がんばっておいで! と祈るような気持ちで送り出しているのだ。

 

ランチを終えて仕事場に戻ってきて、そうだ、無事に届いたことを印刷会社の担当さんに連絡しなくては、と思い出す。指定どおりの数が、指定どおりに梱包されて、予定どおりの時間に到着する。当たり前のように享受しているけれども、実はとてもありがたいことだ。流通代行のトランスビューさんの倉庫からも、入荷のお知らせのメールが来た。これから毎日、在庫のお知らせメールが来るらしい。おお。毎日在庫を確認するのか。毎日、本が出ていったり、戻ってきたり(泣)するのを見守ることになるのか。いろいろ不安はあるけれども、こういう経験ができた(できる)というだけでも、自社出版にチャレンジした甲斐がある、というものだ。本たちー、がんばっておいでー!

 

どこへでも持ち歩きたい、本好きのための本——装幀の話

本の造本と装釘は、内容と同じくらい重要だ。実は編集の仕事をはじめる前は、本は中身がちゃんと読めれば表紙とかまあどうでもいいのでは?と思っていた。わたし美術は苦手だし、センスないし、みたいな感じ。でも実は、どうでもよくない。というか、どうでもよくなかった。造本や装釘は、わざわざ意識するかどうかと関係なく、本の内容とセットで読者に届けられているのだ。「表紙の好み」のようなわかりやすく目立つ部分だけでなく、むしろひっそりとプロの手によってしかけられている、店頭で読者の目をひきつける力とか、読んでいるときの安心感や緊張感、本の内容とのつき具合や離れ具合、などなど、わたしの貧弱な語彙ではとても説明できないんだけど、「スゴイ技」が仕込まれているということを知った。

 

前職ではたくさんの良い経験をさせてもらったが、中でもほんとうにありがたく幸運だったことに、たくさんの素晴らしいデザイナーさんとの出会いがある。検定教科書という大きなプロジェクトの末端プレーヤーだったため、入社早々、いわゆる大物デザイナーさんとのお仕事が続いた。最初は使いっ走りのような立場でデザイン事務所に通ううちに、デザイナーさんの仕事の仕方やデザイン哲学のようなものに触れる機会がだんだん増えてきて、誌面や表紙のデザインについて、多少は自分の意見らしきものも述べるようになった。編集者として年を重ねるうちに、担当する書名にあわせて自分でデザイナーさんをさがしてきて依頼をする機会もでてきて、おつきあいするデザイナーさんの人数も増えた。どのデザイナーさんも、最初にお会いするときは死ぬほど緊張した。けど、本ができあがったときには、ともに大きな仕事を成し遂げた「同志」みたいな感じがして(だいぶ図々しいけど)、「できましたー!」と喜々として見本をお届けしたものだった。

 

ああ、前置きが長くなってしまった。そういうわけで、『オリンピア』の造本・装幀をお願いするデザイナーさんを決めなくてはいけない。『オリンピア』単体で考えるのか、それとも、弊社の本は基本的にこの方にお願いすると決めて、ブランドイメージを作っていったほうがよいか。私たちはそれぞれ前職で、本ごとにぴったりのデザイナーさんを選ぶ、という形で仕事をしてきていたから、そうしたやり方に違和感はまったくない。ただ、なにしろ編集者2名だけの極小出版社だし、作ろうとしている本のジャンルもごく限られているので、特定のデザイナーさんといっしょに、一冊ずつ会社のイメージを作っていくというのも面白いんじゃないかな、と考えた。

 

さて、どなたにお願いしようか。我が社は翻訳小説や文学関係の専門書を出していく予定だから、そういったジャンルの装幀を得意としている方がいい。これまでの経験から、自分たちの好みとのつき具合・離れ具合もとても重要。もちろん好みにあっていて、「いいなあ」と感じるデザイナーさんを選ぶのだけれど、どこかひっかりというか、こちらの予想をはずしてくれるようなデザイナーさんのほうが、本に意外な輝きを与えてくれて、1+1が2以上になる可能性を秘めている。

 

最初は、私たちが中高年なので、思い切ってうんと若い方にお願いしたらどうか、とも考えた。私たちがまったく思いつきもしないような提案をしてくれる可能性もある。でも、いろいろな人の話をきいて、たくさんのHPをみて、書店の棚を(いつもとは違う目的で)うろうろした末に、やっぱりずっと以前から、わたしたちが大好きだったデザイナーさんにお願いしてみよう、という結論に達した。宗利淳一さん。わたしたちがこれから出していこうとしている、翻訳小説や文学関係の専門書にぴったりだ。

 

予想どおり、宗利さんには時々、いや、しばしばびっくりさせられる。最初のびっくりは『オリンピア』の判型だった。通常の四六判、並製か上製か、と当たり前のように考えていただけれど、宗利さんからはA5変形、という提案がきた。ペーパーバックのようにやや縦長の判型で、軽く上品な造本にする、電車の中や公園や海辺、喫茶店など、どこへでも持ち歩いて好きなところで気軽に読書を楽しむ、本好き、小説好きのための本。今でこそ自信をもって、この造本装幀の魅力を語ることができるけれど、最初に寸法を聞いたときは、あわてて自宅の本棚を捜索し、同じ判型の本を探した。本の雑誌社から出ている、クラフト・エヴィング商會の装幀の本があった!うん、いい感じ。それから何度か、びっくりさせられたり、喜んだりしながら(がっかりすることは一度もなかった)、『オリンピア』は徐々に形になっていった。

 

それにしても、そうした洒落たアイディアは、紙代や印刷費が高くつくのではないか。次に超えなければいけないハードルは、印刷会社の決定だ。偶然だけれどわたしたちの前職の出版社はいずれもグループ会社の印刷所をもっており、外部の印刷会社のことは二人とも何も知らない。印刷会社を決めるまでのいきさつは、次回。

版権交渉——じりじりと待つこと二ヶ月。

次に挑むのは、版権交渉、つまり原著の翻訳権取得である。通常の翻訳出版の場合、版権を取得してから翻訳者をさがし、翻訳を依頼して訳出がスタートするのだけれど、『オリンピア』の場合はちょっと事情が違っていた。なにしろ越前さんが原著と出会ったのは20年以上前で、この本を自分の手で翻訳し日本の読者に紹介したいという思いが高じて、なんと全文訳出してしまっていたのだ。翻訳出版できるあてもないのに。

 

というわけで、版権がとれたらすぐに入稿し、本を出すことができるという状態だった。逆に言うと、版権がとれなければ、目の前の本一冊分のプロ中のプロの手による訳文が無駄になってしまう、ということだ。これは、責任重大。版権交渉は前職である程度は経験があるものの、生まれたばかりの出版社を信用してもらえるのかどうか、予算も決して多くはない。不安材料満載での版権交渉がはじまった。

 

前職の経験から、版権交渉については著作権エージェントさんにお願いする、ということは決めていた。エージェントさんの手数料を節約するために、直接交渉するという出版社は規模の大小を問わずある。でも、やっぱり餅は餅屋。英語力の問題はさておいたとしても、素人が無謀に取り組んで失敗するリスク、ああでもないこうでもないと思い悩む精神的負担などを考え合わせると、税理士さん同様、専門家にお願いするのが吉、と考えた。

 

さて、『オリンピア』の版権は国内のどのエージェントが扱っているのだろう。翻訳が一冊でも出ている著者の場合は、まず、その本のコピーライト表示を確認する。そこにあるエージェントにまず連絡をしてみて、該当の書籍の版権交渉を扱っているかどうかをたずねる。日本には最大手のタトル・モリエイジェンシーをはじめ、日本ユニ・エージェンシー、イングリッシュ・エージェンシーなど、いくつか著作権エージェントがあり、それぞれに「扱い」が決まっている。もちろん、とくに「扱い」が決まっていない著者もいて、その場合はどこのエージェントでも扱ってくれる。『オリンピア』の著者、デニス・ボックさんは、『灰の庭』という既訳があり、扱いはイングリッシュ・エージェンシーさんだということがわかった。

 

先に書いたように、この版権は「とれたらいいな」ではなく、「なにがなんでもとらなくてはいけない」。実績も予算もない極小出版社が無事版権を獲得するにはどうしたらよいのか。このときは、『灰の庭』の刊行当時の担当編集者で、いまはフリーで活躍されているTさんに相談にのっていただいた。『灰の庭』のときのエージェントの担当者に連絡をとって、弊社を紹介してくれた。

版権交渉の手順は、概ね以下のとおり。

1)リクエスト(版権のあきの確認)

2)オファー(予定部数・定価・印税率・刊行時期・アドバンス料金・契約年数などの提示)

3)交渉→オファー了承の連絡

4)契約

まずはリクエスト。エージェントさんはすぐに動いてくれたけれども、返事はなかなかこない。25年前に出た本の版権があいてない、ということは普通は考えられないけれど、著者が何かの事情で翻訳出版はしたくないとか、たまたま国内のどこかの出版社が興味をもって版権をとってしまったとか、万一、の可能性はいくらだって考えられる。じりじりと待つこと1ヶ月、ようやく、「あいている」という返事がきた。

 

さあ、次はいよいよオファーだ。アドバンス料は、通常どおりなら、初版部数×予価の6%相当をドルに換算して丸めた金額。折り悪く、どこの出版社も「翻訳出版はちょっと時期が悪い」と二の足をふんでいるほどの円安続きだったため(それは今も続いている)、思い切ってダメ元でだいぶ切り下げた金額でオファーを出した。アドバンス料が折り合わないからといって、いきなり交渉決裂、となるわけではない。先方から、いやいや、それでは安すぎるから、もう少しあげてくださいよ、という連絡がきて、それじゃ、これでどうでしょう、と新たな金額を提示する。または、先方からいくら以下では認めませんよ、と言われて、その金額が出せるか出せないか、出せなければあきらめるしかない、というケースもある。

 

今回は「競合」はなく、一対一の交渉だったけれど、これが『競合」となると、もう少し複雑。二社が同時に同じ作品の版権の取得を希望した場合、お互いの条件(とくにアドンバンス料)を出し合って、端的に言えば好条件のオファーを出したほうが版権を取得する。「同時」といっても多少の時間差はあるので、先にオファーを出したほうが優先権があり、あとから希望を出した会社の条件が自社より上回っていた場合、もう一回だけ、条件を変更してオファーを出すことができる。あとから出した会社の条件が先の会社の条件よりも悪かった場合は、そのまま先にオファーを出した会社に交渉権が与えられる。(もちろんこれはざっくりとした説明で、実際にはアドバンス料だけでなく、各社の営業努力や会社の信用性などが加味されることも多い。いずれもケースバイケースで一筋縄ではいかない。競合の相手はどこだったのかは最後まで明かされることはなく、競合で勝っても負けても、理由をはっきり知らされることはない。かなりもやもやっとした交渉ごとなのだ)

 

オリンピア』のオファーは、Tさんのアドバイスのおかげもあって、無事、一回で通った。このときもじりじりしながら待つこと約一ヶ月。この頃は日に何回もメールをチェックして、まだかまだかとエージェントさんからの連絡を待っていた。オファー了承の報を得てすぐ、まず越前さんに連絡。越前さんからも速攻で返事があって、「今バスの中です。うれしいです」とあった。交渉をはじめてから2ヶ月。だいたい平均的な時間なのではないかと思う。Tさんにも報告のメールを送る。ようやくこれで、『オリンピア』はスタートラインに立った感じだ。次はデザイナーさんと組版会社を決めて、入稿へと進める。今日はここまでとしよう。こんな時間なのに、おなかがすいてきた。