ガールズ&パンツァーが残した物

色々思うところがあるので、少しずつ書き足してみる。

  • 現在の日本アニメへの分岐点

間違いなく言えるのは、「電卓とそろばんだけ叩いていたら、この作品はできなかった」ということだ。
「パンツがなくてもパンツァーがある!」という言葉がそのまま生きる作品になったのは、萌えとエロとハーレム偏重の昨今の日本アニメに大きな一石を投じたことになったのも間違いない。これは昨年度末の「戦姫絶唱シンフォギア」でも言えることだけど、「極端な萌えやエロ」ではなく、制作者側が作りたい作品をその熱量のままで「オリジナル作品」として真正面からぶつけた作品が比較的高い評価が出ているように思う。そしてそれが視聴者に伝われば、多少のマイナス要因は笑ってぶっ飛ばせる。それを証明した作品の一つだろうと思う。
さらに日本アニメ発足以来ずっと言われ続けていた「戦車は無理」を見事に吹き飛ばしたこと。もともと日本のアニメは兵器や戦争にはセンシティブだ。昔は軍用兵器(特に実在兵器)を描くこと自体あまり快く思われていなかった。それでも戦闘機は「空を飛ぶかっこよさ」、戦艦は「その重厚さ」で比較的絵にし易かったけど、戦車となると本当に希だった(良くて止め絵)。手書きアニメだと動かすべき線があまりにも多くて、劇場版クラスですらまともに動かすのは困難だった。それが、ついに週一アニメでこの品質を提供できたこと自体、アニメ制作手法としても一つの分岐点になったと思う。

  • アニメを使った町おこしとは

大洗町はもともと観光産業の街だ。フェリーの行き来から北海道を行き来するライダーには良く知られているし、マリンスポーツも盛んだ。ゆえに夏を過ぎるとあまり敢行ネタがなくなってしまう。だから「あんこう祭」等の冬や春にやるお祭りを企画した。しかし、それも震災と原発風評被害で大変なことになった。それを救ったのが、「ガールズ&パンツァー」だった。
アニメを使った町おこしは案外難しい。聖地巡礼やアニメキャラの経済効果がニュースになるにつれて興味を示す自治体や団体も増えたけど、成功例はまだまだ少ない。では大洗を含めて「アニメでの町おこしが成功した理由」とは何か。簡単に言えば「最初にそろばんを弾いたか、最初に作品を好きになったか」だと思う。この点、大洗は流石観光産業の街、客の視点を良く把握していた。なんせ街の若い世代が商工会を説得する際に強調したのが「とにかく作品のファンになりましょう」だったらしい。作品自体が「パンツ禁止」を言っていたのも良い方向に転がった要因だろう。街が作品を好きになり、作品ありきでおもてなしの方法を考え、ファンがそれを喜んで受け入れる。「アニメ作品の学校が優勝したら、最寄り駅に垂れ幕が下がり、商店街で優勝セール」なんてのが、アニメの町おこしで過去にあっただろうか。そして、これを見てファンも侠気を出さずにどうするのか…アニメファンは、意外に任侠や浪花節が大好きなのだ。

  • 狙わなかったからこその純粋な商品派生

「大洗女子学園PTA/後援会」と熨斗が巻かれた手ぬぐい、地元の酒蔵(地味に世界的な賞を取っている酒蔵)がコラボする各種日本酒、漁網を元に作ったお風呂のタオル、入場券に捺印されるキャラスタンプ…どれも地元の方々が考えて作った商品だ。CDも写真集もフィギュアもない。だけど、「大洗という街を舞台にしている」ことを理解しているファンにとっては、「その世界に浸れるアイテム」は即物的なフィギュアよりもずっと嬉しいことがある。それは、作品世界への「同化」だ。変な言い方をすれば、モニターの向こう側に入れるスイッチ。それをまさにその地元が提供している。それだけで想像の翼は大きく羽ばたく。そして、さらに現地が好きになるのだ。
某鴨川のロボットアニメ(まだ二期は録画したまま見れてないけど)をはじめとしたアニメ町おこしがうまくいかない場所との差はこの辺りだったのかもしれない。

ゴーストダンスダンスダンス 第7回リア到着

GDDD、獨伝把シナリオ到着。あまりに予想の斜め下過ぎて…というか想像出来すぎる結論に、もはや苦笑しか出てこない。ギャグシナリオという言葉で許容できる範囲にも限度というのがあるんだが…。ぶっちゃけ、来月以降のモチベーションは限りなく0に近い状態。全てを壊して、他のPC敵に回すくらいのことした方が楽しめるのかもしれないなあ…。