フェミニズムの本を読んでいたら…。
デボラ・ジプキンは(中略)時間に伴う変化を考慮に入れてセクシャル・アイデンティティを考えるならば、実際はほとんどの人はバイセクシャルであって、絶対的異性愛の人や、相対的同性愛の人はむしろ少数であるはず。それなのに現実には大勢が異性愛者とされているのは、性アイデンティティが政治的に決定されているからだという。
ってのにぶち当たった。これって電波男っぽくないか。
電波男は(中略)時間に伴う変化を考慮に入れてセクシャル・アイデンティティを考えるならば、実際はほとんどの人は、ちょっとは2次元に萌えたりするのであって、絶対的3次元恋愛の人や、2次元コンプレックスの人はむしろ少数であるはず。それなのに現実には大勢が3次元恋愛者とされているのは、性アイデンティティが政治的に決定されているからだという。
って感じ。電波男の主張ってのは、ひょっとしたら同性愛者の運動に近いものがあるのかもなぁと思った。
オタクが一般に嫌悪されるのは、「現実の女を相手にせず、絵やフィギュアを相手に恋愛する駄目な人」だからなわけだ。同性愛者も「(本来相手にすべき)異性を相手にせず、同性を相手に恋愛する駄目な人」とされるからこそ嫌悪されたわけで。もちろん、オタクの場合は「まっとうな恋愛が出来ないので逃げているのだ!」という要素がくっついているし、実際そうである場合が多いので、まったく同じというわけではないのだが…。
本格的にこのあたりを語っているブログを個人的に探し中…。見っけたら教えて。