坂部恵『理性の不安』

原発の議論を眺めていると、どうしても、ある「理性の限界」を超えているのではないか、という印象がぬぐいきれない。
それは、ウルリヒ・ベックのリスク社会論が検討した、問題そのものだっただろう。
自分たちがコントロールできない。そして、チェノブイリから、スリーマイルが起き、今回の副島となった。
そこで、では、それでも「動かし続ける」と決断する、世界の国々は、では、400年や1000年のレベルで、
何回の深刻な事故
を起こすことになるだろうか。もちろん、その間にも、チェノブイリ、スリーマイル、副島、それぞれの地域は少しずつ回復していくのかもしれないが、そういった期間で考えるなら、どう考えても事故がまったく起きないように思われない。
(まあ、それくらいの期間で考えれば、本当にものすごいタイムスパンで一回起きるかどうかの、さらに大きな地震津波。また、隕石による、地球の大激変、テロ、こういったことも想定できるだろう。)
ただ、私はここでは、原発をどうすべきか、を考えるというより、なぜ「理性」はこういった判断を続け、副島カタストロフィーを結果するのか、結果するだけでなく、「繰り返し続けるのか」。そういった「理性の限界」を考えたいわけである。
理性とは一般には「計算」のことである。計算の確かさ、と言うべきだろうか。しかし、哲学においては、もう少し、「社会的身体」で考える。人がさまざまな経験をしていく中で、思考・計算活動が人の中で始まり、ある結論に至る、そういった人々の思考活動全体を考えている、といえる。
文芸批評家の柄谷行人が文芸誌に連載し、書籍化されていないものに「探究3」がある。24回くらい連載されたのだが、この仕事は放棄されたというより、その後の、「トランスクリティーク」「世界史の構造」に発展的に解消された。しかし、これだけ長く連載していたわけで、そこでの議論の焦点が、結果として書籍化されていないことは、単純にバランスが悪く感じる。
ここで柄谷さんが検討した、主題は、カントであった。彼のカント読解であったわけだが、彼は、明らかに、掲題の本の影響の中で考えている。掲題の本にインスパイアされ、この延長で、柄谷さん自身の今までの仕事の再解釈を目指したのだと考えられる。
掲題の本の特徴は、カントを、その
外から眺める
と(ウィトゲンシュタインばりに)言ったらいいだろうか。一般に言われる主著、三批判書に何が書かれていたのか、をカントの可能性の中心、と考えない。むしろ、その前後の細かなさまざまな分野にわたる文筆活動にこそ、その可能性の中心を考える。
たとえば、特筆すべきことであると思うが、「自然地理学者」としての彼の最初の頃の文筆活動に、「リスボン地震」への、ジャーナリスティックな啓蒙活動がある(カント全集の1、2に入っていて、読めます)。

自然地理学の講義は、すぐ後に述べるように、多少内容の拡張はあったにせよ、おおむねは当初の草案の枠に従って、カントが老齢により教職を退くに至るまで、一貫して続けられた。また、一七五五年ポルトガルリスボンで起った有名な大地震に際して、ケーニヒスベルクの『週刊報知誌』の求めに応じて、二度にわたり解説を草したのをはじめとして、カントは、この領域に属する小論を、これまた一七六〇年代から七〇年代をへ後の批判期に至るまで、折に触れて諸々に発表してもいる。

すると、あれ? と思うわけである。カントは「なにをしていたのか」。
たとえば、日本の明治以降、大学を中心に、さかんに、三批判書(純粋理性批判実践理性批判判断力批判)が読まれた。しかし、カントは別に、これだけをやっていたわけじゃない。もっと、いろいろな発言をしている。だとすると、そもそも、カントの
動機
は三批判書を延々読めばいいってもんじゃないんじゃないのか、という印象が生まれてくる。
そこで、掲題の本が特に注目するのが、三批判書の前に書かれた、ジャーナリスティックなエッセイ「視霊者の夢」である。
このエッセイの主題は、有名な、スェーデンボルグという、当時の、科学者であり、神秘思想家で、彼が霊界を探訪したそのあらましを記述したという、膨大な日記(

スウェーデンボルグの霊界日記―死後の世界の詳細報告書

スウェーデンボルグの霊界日記―死後の世界の詳細報告書

)が出版されていた。
もちろん、今の人たちから考えれば、こういった「トンデモ」を真面目に相手するってなんなの、と思うかもしれないが、大事なことは(これは今でもそうだと思うが)、一般の人たちに注目されたし、そもそも膨大な量にわたって、出版されたわけですね。ですから、ゲーテバルザックやブレイクが愛読するわけです。
もちろん、霊界とは、今でも「臨死体験」といって、死にかけた人たちが、その間の脳の活動によって見ることになる、ある種の記憶、のことと言えるのだろうから(つまり、そういった意味ではリアリティがあるのだから)、たんに「トンデモ」とレッテルをはっても意味がないとも言える。
しかし、それにしても、カントは、もろ直球で、こういったものをどのように考えればいいのかを考察したわけだ。では、そもそも、なぜカントは、そういった「場所」に追い込まれていったのか。

カントが『視霊者の夢』を書いた一七六〇年代には、ライプニッツ形而上学には埋めようのない亀裂があいていた。ライプニッツにおいて感性と理性が連続的な進化の段階にあるとしたら、この亀裂は、感性と悟性の間にある。もしライプニッツにおいて各モナド全体を表出するものとして予定調和にあるとすれば、この亀裂は、一般的な「個」の単独的な「個」との間にある。カントが『視霊者の夢』において、ちょうどドストエフスキーの人物のように、読者の(嘲笑的)反応をたえず先取りして書いていることに注意すべきである。これはたんに私的に書かれているのではない。もはやこの「私」が一般的に妥当するものでありえないことを、カントは意識しているのだ。そして、彼が見いだす欲動は、いわばこの亀裂を埋めようとするものである。理性は、このとき、たんに「不安」ではなく、それを解消すべき欲動として存在する。
この「亀裂」を具体的に象徴したのは、一七五五年十一月十一日のリスボン地震である。ヨーロッパですべての聖人たちを祭るこの日、まさに信者が教会で礼拝していたときに起こったため、この地震は神の恩寵に対する疑いを巻き起こした。それは大衆的なレベルにとどまらず、文字どおり、全ヨーロッパの知的世界を震撼させた。たとえば、ヴォルテールは数年後に『カンディード』を書き、ライプニッツ的予定調和の観念を嘲笑し、ルソーも、地震は人間が自然を忘れたことへの裁きであると書いている。そのなかで、カントは地震に対して一切の宗教的な意味を与えることを拒絶し、その自然科学的原因と耐震対策を説いた。にもかかわらず、別の意味で彼がそれに揺すぶられたことは疑いがない。それは二つの面から言える。第一に、哲学を二度と瓦解しないような建築にしようとするカントのメタファー(建築術)はそこから来ているといってもよい。第二に、先に述べたように、この地震を予言した視霊者スウェーデンボルグの「知」に惹きつけられたことである。

柄谷行人「探究3」第十八回(「群像」1996.03.01)

たとえば、上記で示唆したカントの初期の論文に、「地震論」というのがあり、こんな記述がある。

あの不幸な一一月一日、諸聖人の祝日に多くの海岸地方で激しい海水の動揺が認められ、この地震における不思議な現象として驚嘆と好奇心の的となった。

カント「地震論」

カント全集〈1〉前批判期論集(1)

カント全集〈1〉前批判期論集(1)

この論文を読むと、ほんと「ただの物理学者」なんですね。地球のプレートが動いて地震になることを説明したり(地球の空洞、という言葉を使っていますが)、海水の水にどういった圧力が加われば、波となって襲ってくるか、とか。しかし、そういった論文においても、たまたま、
諸聖人の祝日
で人々が諸聖人に向かって、お祈りを捧げていたときに、起きた、というその「偶然」について一言しないわけにいかなかった。
つまり、この地震が、ある種の神秘主義とつなげられて人々に考えられていた。
だとするなら、です。
むしろ、地震について考えるということは、この地震を「何」と受け止める、
人間
たちの感情、思考活動がどうなっているのかを考えることなのではないか、と考えざるをえなくなった、とも言えないでしょうか。
そういったことが、その後に、カントが形而上学の批判的検討に進んでいった、道筋と考えられるわけです。
これは、今回の東日本の地震についても言えるでしょう。あれだけ、原発の危険性が人々に言われながら、ことこういった事故をもたらす。そしてなお、原発を動かし続けなければならないのではないか、という「なんだかわけのわからない」脅迫観念が人々をとらえ続けている。
だとするなら、そこには、なんらかの「理性の限界」つまり、スウェーデンボルグが延々と語り続けている霊界のような「亡霊」が人々の観念をとらえているんじゃないのか、と言いたくなるわけです。
では、そのカントの『視霊者の夢』には何が書いてあるのでしょうか。

カントがこうした理性の欲動を見いだしたのは、『形而上学の夢によって解明されたる視霊者の夢』(一七六六年)においてである。これは、スウェーデンの視霊者スウェーデンボルグを論じた論文である。彼は基本的に、視霊という現象を「夢想」あるいは「脳病」の一種と見なしている。そこでは、ある思念が感官を通して外から来たかのように受けとめられている。だが、このヴィジョンはその鮮明さにおいて、知覚にあることがあるし、実際にそれらは区別できない。形而上学も同じことではないかと、カントはいう。なぜなら、形而上学は、なんら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように扱っているからである。このエッセイは、その意味で「視霊者の夢によって解明されたる形而上学の夢」であるといってもよい。
しかし、彼はスウェーデンボルグの「知」を否定すると同時に、それを否定することができない。霊という超感性的なものを感官において受けとることは、たんに想像(妄想)でしかないが、他方、霊が直観されるということは、構想力による錯覚が混じっているにせよ、それをもたらす霊の影響を推定することができないわけではない。しかし、カントは態度を決定できない。彼は、それを精神錯乱と呼んだにもかかわらず、「視霊者の夢」を真面目に扱わずにいられない。

この『視霊者の夢』に、カントの「批判」の先駆を見いだせることはいうまでもない。すでに、ここで、彼は、主観によって構成された外部(現象)とそうでない外部(物自体)の区別について語っている。あるいは、恣意的な空想と、ヌーメナルなものを感性的に把握する構想力との区別----それはのちに、自由と自然を媒介するものとして「判断力」を措定することにつながるだろう。しかし、『視霊者の夢』を特徴づけるのは、たとえば、スウェーデンボルグを肯定すると同時に、肯定する自分を嘲笑するというような書き方である。坂部恵は、ここに、このエッセイの固有の「二義的二」な態度を見いだし、次のように述べている。

みずからのぎりぎりの信念に対しても、「心があらかじめ偏して」いる可能性を留保し、したがって、自らのどんな「正当化の根拠」をも警戒する究極の底にある態度は、けっして批判前期の過渡的なものとして割り切ってしまえるものではなく、むしろ、批判期には「実践理性の要請」とか、「実践定説的形而上学」とかいう形で直ちに普遍的なものとしてドグマ化されることによって、失われてしまった、きわめて積極的な貴重な本来の「知恵」あるいは、みずからをみずからたらめる ratio (理性 - 根拠)をもあえて疑問に付し、夢とうつつの区別すらさだかでなくなる無定形な不安のうちにたゆたうことをあえてする、もっともラディカルな思考のあらわれとみなさるべきではないか。これ以上の判断は、わたしは、カントにならって、読者にゆだねることにしたい。(『理性の不安』)

私はこの判断に同意する。というより、私は『批判』そのものをここから読もうとしてきたのである。

わかりにくい言い回しであるが。ここでカントがいいたいのは、視霊者や形而上学の「夢」に傾かざるをえない自身の欲動である。ここでは、彼はこれを私的な傾向性として語っている。それは、『純粋理性批判』において、「理性の自然的本性が理性に課した問題」として一般化される。この一般化は、カント自身、そしてこの時代に固有の「問題」を隠してしまうようにみえる。

柄谷行人「探究3」第十八回(「群像」1996.03.01)

ようするに、何が言いたいかというと、これは、カントの問題でありながら、阪神淡路大震災を自らのこととして考察してきた、柄谷さん自身の問題でもある、と言いたいわけなんですね。
たとえば、マイケル・サンデルの正義の本にも、カントはでてくるが、この本のメインは、どちらかというと、カントというより、もっとプラグマティックな功利主義的な合理論だと言えるでしょう。ただ、カントの議論は「無視できない」と言っているわけですね。だから、マイケル・サンデルを読む読者も、どこか、カントに嘲笑的になる。前段階の終わった、昔の幼稚な議論のように受けとる。
私も前に、哲学とは「言いすぎ」のこと、というような表現をどこかで使ったが、そもそも、哲学ってそうなんじゃないのか。なんらかの「危機」が考え語ることを強いてきた、なにか、でしかないんじゃないか、とも言いたくなるわけですね。
明らかに、カントや柄谷さんは、
地震
の考察の延長で考えている。
ものすごく、たくさんの人たちが死んでいるわけです。
地震がなければ、ライプニッツやそれまでの、スコラ哲学でいいわけです。
よく、哲学とは、建築や裁判の比喩にたとえられます。たとえば、建築においては、まず、足場を組み骨組を立て、外観を被っていく、しかし、その、足場は、地震によって、
ぐらぐら
揺れる。だとするなら、
足場など本当にあったのか? 最初からあったのか?
カントの姿勢がどこか、懐疑論的であることはそういったところにあるでしょう。
他方において、彼は「義務」や「普遍法則」のような、かなり大がかりなことを、提示したりもする。すると、多くの人たちは、そういったものを持ち出してくる、その「確信」はどこから来るのだろう? とトンデモのように疑いを感じる。
私は、こういった確信は、いわゆる、
災害ユートピア
的なある「体験」が強いているのではないか、と思うのだが、それについては、次で考えたい。

理性の不安―カント哲学の生成と構造

理性の不安―カント哲学の生成と構造