原発フェードアウト論

日本が原発を卒業できない理由として、多くの人が、この原発の「運営」に関わる仕事に携わっていることによる、その「投資」の膨大さによって、この事業が

  • もしも続くならば

得ることになる「利益」が膨大なため、単純に個人の意見として、止められない、という事情があるように思われる。
しかし、前の民主党政権でさえ、長期的な原発からの「卒業」を言及していたわけであり、今でも、世論調査をすれば、必ず、過半数以上は、再稼動に反対しているくらいなわけであり、なんらかの結論を出さなければならないんじゃないのか、といった地点に来ているようにも思われる。
こうした場合、よく言われるのが、「金融」のアナロジーであろう。つまり、「ハードランディング」か「ソフトランディング」か、ということである。しかし、この二者択一は一種の「罠」だと思っている。つまり、「どちらか」でないとしたら、「どちらでも」でなければならないが、それは一体なんなのか、ということである。

  • 原発は基本的には、もう動かさない(ハードランディング)。どうせ、地域住民の避難計画も、再稼動への合意も難しいのだから、こういう状況で「動かす」ことにこだわるより、別の代替の発電方法が実際に存在しうるのだから、当分はそれでいく、というのが合理的だということになるだろう。
  • しかし、それでは、これまで多くの時間と労力を原発に「投資」してきた諸機関は、まったくの時間の無駄だったということで、大きな反発が生まれる。原発は、ある意味において「国策」として進められてきた側面があるわけで、いらなくなったから、みんなで忘れよう、というわけにはいかない。そういった人たちには、なんらかの「ソフトランディング」をしてもらわなければならない。そこで、次のように考える。もしも、このまま、30年間原発を続けた場合に、各機関が受けることになったであろう、さまざまな「利益」を、国家がなんらかの「優遇措置」によって、こういった機関、こういった人たちを「保障」する、ということである。まず、原発開発を過去から積極的に投資してきた企業などには、廃炉作業や、再生可能エネルギー開発などに、大きな「税額控除」を与え、原発以外の発電所の建設の入札において、一定の「優遇」を行う。これは、今原発の現場で働いている作業員、今原発をもっている都道府県などにも、その「30年」に見当った「補助金」を与える。

私は、こういった

が必要なのではないか、と思っている。
もしも原発を「動かさない」ということが必要なら、それに見合うだけの「なにか」を、今まで、原発に情熱を注いできた人たちに与えなければならない。言うまでもなく、廃炉にするにも、これから何十年も多くの人々の努力がなければ行えないし、捨てたら捨てたで忘れることなんてできないわけで、はるか未来まで見守っていく「技術」を維持していかなければならない。
私は今の日本には、こういった産業分野というのは、たくさんあるのではないかと思っている。そして、そういったものに対しての「最初」のメルクマールとして原発がこうして、目の前において、考えられているのではないかと思っている。その「分野」は、今までの日本において「必要」だった。しかし、今。歴史の転換点に来た。そうした場合、どのように今まで、これに「情熱」を注いできた人たちに、その人の「生き様」に報いるのか。アニメ「ローリングガールズ」の言葉で言うなら、

  • 仁義を守れるのか

それが問われているわけである...。