矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

日本について考えるとき、どうしても、江戸から明治に移るときの、その日本が開国をしていくとき「から」、この国の今に至るまでの変遷において考えないと、どうしようもない、という印象をもっている。

二〇〇六年にアメリ国防省自身が認めているように、自民党は一九五五年の結党当初から、CIAによる巨額の資金援助を受けていた。その一方でCIAは、社会党内の右派に対しても資金を出して分裂させ、民社党を結党させて左派勢力の力を弱めるという工作もおこなっていました。(Foreign Eleations of the United States, 1964-1968; vol.29 Part 2: Japan, Unated States Government Printing Office.)

現代日本における「マスコミ」から、例えば、ツイッターに至るまで。私たちはこれら「すべて」のつぶやきは、それを語っている人の

  • 本心

だと思っている。しかし、「歴史上」これは正しくない。例えば、ロッキード事件をきっかけとして、田中角栄は失脚したが、あの政界をまきこんだ疑獄事件に、大きくアメリカが関与していたことを、日本で知らない人はいない。
それは、3・11以降において「御用学者」という言葉が一世を風靡したように、その語っている人の言葉を、「それそのもの」として聞く慣習は、あの日から、この日本にはなくなった。それを語っている人には、それを語るだけの、十分な「理由」がある、と考えられるようになった。
例えば、自民党はネットサポータークラブなるものがググるとヒットするが、自民党は世論誘導のために、かなりの「動員」を行っていることが考えられる。それはまさに「愛国ビジネス」であって、愛国ビジネスは愛国ではない。愛国とは、私たちの内面から勝手に湧き上がってくる、どうしようもなく抑えられないなにかであるが、愛国ビジネスは、文筆屋が愛国を書くと「儲かる」から、愛国を自称しているにすぎない「ニセモノ」である。
(そもそも、文章を売って日銭を稼いでいる連中を、昔から私たちは「軽蔑」していたのではないのか。一体、いつから、こういった連中は「偉そう」になったのだろう? 無駄に高学歴や大学教授の経験をひけらかし、大衆を「反知性主義」と罵倒する。しかし、なんでこんな「偉そう」な連中の文章を私たちは買って、ありがたがらなければならないのか。そもそも、昔の文筆屋には、そういった自らの職業のヤクザな有り様に対して、自覚があった。そして、たとえそうであっても、その中で輝くなにかを見せようといった野心があった。ところが、現代の文筆屋は、自らの語ることの「内容」で勝負をしようとせず、自分の学歴だとか、大学教授の経歴で文章をパンピーに買わせようとする。バカじゃないだろうか。だれが、そんな「ニセモノ」を買うものか。)
例えば、幕末においてなぜ、攘夷運動が起きたのかといえば、そもそも、江戸幕府の「鎖国」政策自体が、そういうものだったと考えられる。なぜ、武士がいたのか。それは、漂流した船で流れ着いた異国の人を、その場で

  • 切り捨てる

ためだった、とも考えられる。もちろん、江戸幕府も長い歴史があり、それぞれの時代で、こういった態度は過激でことをあらだてるべきでない、といった意見が主流となることもあったのであろうが、いずれにしろ、この考えが基本であった、と考えられる。もしもある日本の地域が、そういった外国から船でやってきた連中に「占拠」されれば、それは一種の「占領」である。これを、江戸幕府は嫌がった。そのために、武士は存在し、彼らには「切り捨て御免」が権利として与えられた。
例えば、吉田松陰にしても、彼は強い「世界侵略」の野望をもっていた。本気で、世界中の国々を「支配」することについて考えていたふしがある。しかし、そのことは、例えば、本気で「天皇主義」を主張する人にとっては、ある程度、考えられる「合理性」があるわけであろう。
もしも天皇がなにものに対しても「やんごとなき」ご身分であるなら、世界中の人々が天皇にひれふさなければならない、ということになる。つまりは、世界征服である。
これに対して、吉田松陰はどういった理屈で、その野望の実現への「着手」を思いとどまったか。それは、その野望を「あきらめる」といった方法によってではなかった。つまりは、

  • 今はやらない

というだけであった。つまり、まだ日本はそれを開始するには、十分な「経済力」や「軍事力」がない。つまり、

  • それらが十分に整うまでの間、お金儲けに邁進しよう

と言ったのである。つまり、今のお金儲けは「将来の世界征服のため」というふうに、彼は総括した。
これが

  • 日本の原点

だということになる。彼ら吉田松陰チルドレンは、実際にその歴史において、次々とその「侵略」を実行に移していった。朝鮮半島や台湾を始めとして、中国大陸、東南アジア。その過程で、日本は利権をアメリカと争うことになった。
この日本とアメリカの戦争は、よく考えてみると、アメリカ側がかなり本格的に日本の国家そのものの「破壊」を目指していたという意味で、特異な様相を示した、と言えるのではないか。つまり、日本側はそれまでの欧米列強と日本が

  • グル

になって、この東アジアを「分割統治」をする、基本的なフレームが変わることがない、と考えていたのではないか。つまり、日本はいつまでも「植民地」フレームの延長で考えていた。アメリカに真珠湾専制攻撃をしたのも、いずれ

  • 手打ち

が行われる、それは可能だと考えていたのではないか。日露戦争がそうであったように、どっちにしろ、日本とアメリカで、東アジアを山分けにすることは変わらない、と考えていた。
ところが、アメリカの日本に対する態度は、徹底した「無条件降伏」の要求であった。つまり、それは日本側にとっては

という意図で受けとられた。さて。この日本の指導層が解釈した「天皇制の廃止」をアメリカは戦後、実現したのだろうか? それはそうした、とも言えるし、そうしなかった、とも言える。つまり、天皇制は

の「範囲」において、存在することを許された、というわけである。
そもそも、なぜアメリカは、日本に無条件降伏を要求したのだろうか。そこには、おそらく「沖縄」があった。戦後、沖縄はアメリカの「領土」になった。このことは重要である。アメリカはすでに、幕末の頃から、日本の沖縄が、アメリカにとって、アジア地域への補給基地といった側面からも、ここに、自国の「基地」を置くことを重要視していた。つまり、アメリカにとっては、これによって長年の野望を実現した、ということになるわけである(そういう意味では、アメリカが沖縄だけで地上戦を行ったことには合理性がある。アメリカが「欲しかった」のは沖縄なのだから、この沖縄における「地上戦」によって、アメリカが沖縄を自分のものにするまで、この戦争が終わることはなかったわけである)。
戦後の日本は、アメリカによる「占領」から始まった。さて。日本はいつから、アメリカの占領国でなくなったのだろうか。というか、今に至るまで、アメリカの占領国なのではないか。というのは、具体的に、アメリカの占領軍であるGHQに支配されていた頃から、今に至る間、一体なにほどの「主権回復」が日本にあったであろうか。ほとんど、占領時代から変わっていないのではないか。
世界のWW2後の、世界秩序構想は、基本的に

  • ドイツと日本

の、この二国を、「武装解除」するところから始まった、と言える。つまり、いずれにしろ、ある程度の期間までは、この二国には武器をもたせない、ということが目指された。それが「世界秩序」において、重要なことと考えられた。
これに対して、日本国民はどう思ったであろうか? 一方の吉田松陰チルドレンたちは、いつもの「国力蓄積期間」として解釈され、当分の間は、日本が経済大国になるまでは、おとなしくしていよう、といった戦略をとった、と考えられる。
他方において、一般ピープルはどうだったか。彼らはそもそも、「自発的」に戦争を行なったのではなかった。彼らは、中国の抑圧された人たちと同じように、日本の政権によって、人権を奪われ、戦争の道具として「使われた」。つまり、日本の大衆は、戦争中、日本国の「奴隷」であった。彼らが考えたのは

  • もう戦争はこりごり

ということである。日本人はそのとき、なにを重要視したのか。それは、とにかく「命」である。生き残ることを、なによりも大切なことと考えた。まさに「生命主義」である。
例えば、60年代の全共闘運動を考えてみればいい。この後半は、連合赤軍による「総括」事件で、活動家の何人かが死んだだけで、一気に、国民の熱気は冷めてしまう。どんなに左翼の運動に大義があろうと、国民は殺し合いを極度に嫌った。左翼はこの事件で、国民的な求心力を次第になくしていった。
こういった日本の「生命主義」、つまり、人の命は地球より重い、の思想は、実際において、日本の「構造」が、アメリカの「占領国」である構造が今だに変わっていないにもかかわらず、日本人はそれを見て見ぬふりをし続けた。日本はアメリカの属国である。それは、今回の安保法制を見れば分かるであろう。アメリカとの条約が、日本の憲法より「上位」に存在する。
こうして、戦後の日本人は二種類に基本的に分類されることになる。一方が、上記で分析した「厭戦一般大衆」である。他方において、どうしてもその立場をとれない一派が日本にはくすぶり続けることになる。彼らは、いわば、

  • 戦中の「責任者」たち、または、その子孫

である。彼らは、戦後の「手打ち」において、日本の犯罪の一切の責任を押し付けられることになる。アメリカにおいても、中国においても、彼らが戦後、日本を国際社会に復帰させるにおいて、

  • 日本の戦争は、A級戦犯が犯した犯罪なのであって、日本の大衆も「被害者」なんだ

といった理屈を使った。これが、現在においても、比較的、中国人が日本に対して「寛容」で「好意的」な理由になっている。
しかし、この理屈からいくと、A級戦犯の子孫は未来永劫、犯罪者の末裔として、非難され続けなければならない、ということになる。まり、彼らは、どんなに月日が経とうとも、決して名誉回復の日を迎えることができない、と考えた。
ここから、彼らが考えた「戦略」が、歴史修正主義である。彼らの最大の目的は、「自分たち祖先は悪くなかった」ということを無理矢理でも、世界中に受け入れさせる、というところにある。どんなに無理な、歴史の解釈をしてでも、これは実現させなければならない、と彼らは考えた。彼は、ようするに、歴史を捏造したのだ。しかし、彼らは

  • そんなことはたいしたことはない

と考えた。もしも自分たちの名誉回復がかなえられるのなら、歴史なんて好きなだけ、でっちあげればいい、と考えた。彼らには、そもそも、歴史が正しくなければならない、という主張が理解できなかった。
彼らは、ある意味で「狂っている」が、彼らにとってはその狂気は、なんの説得力も感じさせなかった。彼らは、たとえ狂ったとしても、先祖の名誉回復をはかりたい、たとえ、この世界を滅ぼしたとしても、先祖の名誉回復をしたい。彼らは、それ以外を考えていないわけである。
言わば、日本はこの二つの「分裂症」を、一方において「矛盾した二つともを肯定」しながら、他方において「矛盾した二つを統合」して、前に進んでいくような、政治的な意志統一が要求されてきた。その一つの成れの果てが、今の自民党であった。
この二つの統一とは、どういうことか? それは、一方で日本会議の主張や靖国参拝に対して「妥協」をしながら、他方において、アメリカや経団連の要求にも妥協をする。この連立方程式の答えとは、つまりは、戦前の

  • 貴族政治

ということになるのかもしれない。全体として、一般庶民の「重税」傾向を強くして、他方において、言わば、戦前の貴族たちの「名誉回復」を目指す政策。もっと言えば、そういった人たち(まあ、お金持ち階級の人たち)への税の軽減。
この「意志」を最も分かりやすく表現した、今の大きな政策パッケージが、消費税増税であり、マイナンバー制度なのであろう。

外務省の藤崎一郎駐米大使が、アメリカのエネルギー省のポネマン副長官と九月五日に、国家安全保障会議のフロマン補佐官と翌六日に面会し、政府の方針を説明したところ、「強い懸念」を表明され、その結果、閣議決定を見送らざるをえなくなってしまったのです(同月一九日)。
これは鳩山内閣における辺野古への米軍基地「移設」問題とまったく同じ構造です。このとき、もし野田首相が、鳩山首相辺野古の問題でがんばったように、
「いや、政治生命をかけて二〇三〇年代の稼動ゼロを閣議決定します」
と主張したら、すぐに「アメリカの意向をバックにした日本の閣僚たち」によって、政権の座から引きずりおろされたことでしょう。
いくら日本の国民や、国民の選んだ首相が「原発を止める」という決断をしても、外務官僚とアメリカ政府高官が話をして、「無理ですという結論が出れば撤回せざるをえない。たった二日(二〇一二年九月五日、六日)の「儀式」によって、アッというまに首相の決断がくつがえされてしまう。日米原子力協定という「日本国憲法の上位法」にもとづき、日本政府の行動を許可する権限をもっているのは、アメリカ政府と外務省だからです。

日本という国は「独立国」ではない。敗戦を契機として、アメリカの占領国として始まった歴史は、その当時から、さまざまな

  • 密約

によって、がんじがらめになっており、基本的には占領期とまったく変わらない支配体制が続いている。この場合に重要なことは、日本の憲法や法律に「優先」して、外交的な密約的取り決めが、日本の政治を拘束し、決定している、ということであろう。
日本政府が原発を「止められない」といくら言ってみたとしても、これは、国民的な支持がないのだから、必然的に

になっていくしかない。つまり、明らかに問題があり、国民的支持がないが「やらなければならないからやっている」という、今回の安保法制と同じような、言わば「外部の与件」とでもいうような、比喩的に言えば、企業活動によって生みだされる、産業廃棄物の扱いのような、残余物でありノイズとして処理されていく。
しかしこの「ノイズ」は本当にそのノイズの本当の意味のように、統計的に無視できるレベルのものであり、実際に、私たちが「見て見ぬふりをする」ことが可能な範囲のものなのかは、はなはだ疑問だと言わざるをえないのではないか。
しかし、おそらく戦後の日本国民が選んだ「生命第一主義」は、こういった「見て見ぬふり」をする行動を肯定するのである。確かに、原発は今後も日本において残っていく。しかし、それは言わば「禁忌」として、穢れたものとして、「見て見ぬふり」をして、そこに存在するが、多くの人はまるでそこになにもないかのように振る舞う。まったく政治的正統性もないし、国民的支持もないにもかかわらず、まさに

  • ゾンビ

として、国家の「内部」において存在し続ける。しかし、重要なことは、どんなに日本の官僚とアメリカが、日本の「密約」文書によって、がんじがらめにしても、政治的正統性も国民的支持も存在しない「ゾンビ」を未来永劫、存続させることはできない、ということなのであろう。今後の原発再稼動も、たとえできたとしても、全盛期にはまったくおよばない、「枯れた」技術分野として、日本のエネルギー全体の、ほんの一部を占めるにすぎない、まったく、「終わった」業界として、細々とやれるかやれないかの綱渡りをし続けるに過ぎないなにかになり下がっていく。
ここでもう一度、幕末から今に至る日本をふりかえってみたい。
吉田松陰チルドレンがなぜ侵略戦争を行わないのか。それは「今はまだその時期ではない」というに過ぎない。つまり、国内の経済活動を行い、産業力を大きくする方を「優先」する時期であり、弱い軍事力しか国がまだない段階で侵略に挑むことは「無謀」だから、ということになる。しかし、このことを逆に言うなら、経済成長を果たした暁には、堂々と胸をはって、侵略をする、と言っているに等しい。事実、日本の幕末から明治にかけての歴史は、朝鮮半島や台湾を、実質的な日本植民地にしていく歴史であった。
ひるがえって、WW2以降の日本の歴史も、基本的にはこの吉田松陰ジームで進んでいると考えることもできる。つまり、日本は

  • まだ

経済増強期(富国強兵期)なのであって、まだ、侵略をしかける時期ではない、というわけである。しかし、そうだとすると、一体いつになったら、その時期になった、と考えればいいのか、という話になるであろう。
というか、吉田松陰チルドレンなら、今の日本が人口減少期に入り、まさに経済的「衰退」に向かおうとしている臭いをかぐことで、むしろ、時間が過ぎれば過ぎるほど、

  • その機会を失っている

とすら感じているのではないか、とさえ思わせる(そこには、戦前に特権的な支配階級にいた「A級戦犯」並みの子孫たちの「お家復興」の野望への危機感とが重なっていく)。
WW2以後の世界秩序は、「ドイツと日本の武装解除」をベースにして、成立した。そのことは、この吉田松陰ジームから考えるなら、世界はいかにして、日本の「再軍備化」を阻止するかが、

  • 世界平和

の理念として追求された。つまり、WW2以降の世界秩序の安定は、むしろこの吉田松陰ジームの芽を、どのようにして、国際秩序が阻止するのか、といった形で推移してきた。
そのように考えたとき、上記のアメリカによる日本の「占領」政策は、一種の「日本の武装解除」政策としても解釈されるわけであろう。
例えば、アニメ「コードギアス反逆のルルーシュ」においては、日本は「神聖ブリタニア帝国」という架空の帝国の植民地になっている、という設定になっていた。そして、そこにおける日本政府とは実質的な

を意味していた。これは一種の思考実験のようなもので、WW2以降の歴史の推移において、もしも日本が無条件降伏をのまなかったら、と考えることに比較できるであろう。もしもそうだったなら、日本政府とはそれ以降「レジスタンス」としてしか考えられない。それが唯一、日本の「主権」だということなのだから。
しかし、逆に考えるなら上記までで検討したように、日本の歴史はむしろ、このアニメのように「日本はアメリカの植民地であり続けた」と言っているのだから、むしろ今この日本に存在する政府というのは、アメリカの傀儡植民地政府ということになるわけであろう。
だとするなら、日本の主権の回復とは「レジスタンス」活動を意味している、ということになるのだろうか?
おそらく、その考察の鍵となるのは、吉田松陰ジームにおける「天皇制」の扱い、ということになるのであろう。吉田松陰にとって、なぜ天皇が重要だったのか。それは、水戸学派から継承した、朱子学的な「正統性」の論理があった。つまり、日本の正統性を

  • 積極的に前に進める

ならば、日本は世界侵略をするしかない、ということになった。つまり、日本における「神聖なもの」である天皇制は、世界にとっても「敬われる」べきものである、という理屈を敷衍するならば。つまりここにおいて、重要なポイントは、実際に世界を侵略するかどうかではない。そうではなく、そうしなければ

  • 国内の秩序の正統性を保てない

といった、国内問題に端を発しているわけである。彼の理屈を敷衍するなら、もしも日本において天皇制が「いらない」ということになるなら、そもそも「日本がいらない」ということになり、日本という国は、その存在の根拠を失う。この政治秩序の「源泉」を失うということになり、そのアナーキズムを彼は受け入れられなかった、ということになる。
ところが、ここにパラドックスがある。
というのは、WW2以降の日本において、むしろ、積極的にアメリカの「占領」政策を受け入れたのは、昭和天皇だった、というところであろう。むしろ、日本の戦後の大衆レベルの「生命第一主義」は、昭和天皇自身がそうだった、という側面があるわけである。つまり、ここには「天皇自身の意志」が関与している、と受け取られた。
つまり、この日本の政治ゲームは、WW2以降、いわば、「別のゲーム」に変わったわけである。私たち国民は、この日本の正統性の問題を

という二つの「矛盾」した源泉によって、いわば、板挟み状態に置かれるようになった、ということになる。
言わば、この連立方程式を、戦後だれも解けていないわけである。

では九条二項をどう変えるか。これにもちろん細心の注意が必要ですが、基本的には技術論だと思います。最低限の自衛権と防衛力をもつということに関しては、すでに国民的合意はあるからです。たとえば現在の二項はやめて、代わりに
「自衛のための必要最小限の防衛力はもつが、集団的自衛権は放棄する」
という、従来の政府見解を明文化するのもひとつの考えでしょう。険しい孤高の道ですが、やってやれないことはないと思います。
しかし私がおすすめしたいのは、日本と同じく戦争放棄条項をもつ、フィリピンやイタリアの憲法から学んで、二項を、
「前項の目的を達するために、日本国民は広く認められた国際法の原則を自国の法の一部として取り入れ、すべての国との平和および友好関係を堅持する」
とすること、つまり国連中心主義の立場をあきらかにすることです。フィリピンはこれとほぼ同じ条文のもとで米軍を撤退させ、しかもアメリカとの安全保障条約を継続しています。したがうべきなのは国際法の原則ですから、アメリカとの違法な戦争につきあう必要もありません。

しかし、これはむしろ、日本国憲法の前文の理念そのものなのではないか。つまり、むしろこの理念は明確に今の憲法にも書かれている(つまり、同盟的理念ではなく、集団的安全保障的理念)。つまり、そう書かれてありながら、この憲法の歴史的な経緯も関係して、その内容は実質的に、アメリカによる

の延長として受け取られてきた。ここで重要なポイントはなにか。それは、いわばアメリカの無法な戦争に日本が実質的に「加担」していくことの「リスク」が、担保されていない。つまり、この「矛盾」を解決する連立方程式が、今だに解かれていない、ところに問題がある。
同様の問題は、例えば、TPPにおいて、日本政府は完全にアメリカの「言うがまま」に受容する可能性がある。
つまり、実質的な日本の「自治」の放棄である。
私たちに問われているのはなにか? それは、私たち自身が潜在的に抱えている「暴走」の可能性を抑えつつ(国際協調主義)、他方において、「自らの意志」で政治を自己決定し、国家を運営していくという「主権」の保持である(自治)。
もしも、アメリカによる日本の「密約」が、この二つの理念を破壊するものであるなら、私たちはそれを「拒否」していかなければならない。しかし他方において、私たちは日本の歴史的な経緯を理解する必要がある。もしも、こういったアメリカの「介入主義」が、日本のWW2以降の「暴走」の抑止のために、国際社会が、ある程度

  • やむをえない

と考えているなら、その懸念に対しては、一定の配慮が必要だ、ということになる(そしてそれが、昭和天皇の「意志」でもあった、ということにもなるであろう)。
しかし、それは逆にも考えられる。なぜ「アメリカ」なのか。むしろ、その必要性があるなら、その「主体」は

  • 国連

でなければならない、ということにならないか? 戦後のアメリカの世界戦略はこの「同盟」政策にその特徴がある。徹底して、アメリカは地域的安全保障を嫌う。あらゆる軍事政策を「アメリカとの二国間同盟」にしたがる。なぜなら、その方が彼らにとって

しやすいからである。しかし、そうであるがゆえに、アメリカとの国力における非対称性から被同盟国側は必然的に

を強いられることになる。つまり、戦後の世界秩序問題が「アメリカ」問題であることには変わっていない、とは考えられるわけである...。