フロイト的問題

いわゆる、ダーウィン的問題というのが昔からあって、

  • ダーウィン的問題 ... 人間は遺伝子によって、どこまで規定されているのか?

というわけだが、まあ、私たちが産まれて、大抵、多くの人が「大人」と呼ばれるように成長して、だいたい同じような年齢で寿命を迎えて死ぬということだけを見ても、まあ、こういった問題があることは分かるわけだが、だからといって、これがどこまで「深刻」な問題なのかは、あまり真剣に受けとられていない。なぜなら、こういった「事実性」が実際にあることと、その「根拠」を問うことは、まったく違う話だから。
しかし、同じような話がもう一つあって、つまりは、

  • フロイト的問題 ... 人間は「過去の経験」によって、どこまで規定されているのか?

というわけである。こちらの場合は少し事情は複雑で、というのは、「過去の経験」というのは、本当に

  • 過去

なのだから、つまりは、「今じゃない」のだから、それって結局のところなんなのかがよく分からないからなのだ。過去というのは、間違いなく、ある時間において、存在した何かであるのだが、そのことがなぜ「今」問題になるのか、というか、なぜその過去と今が、こうやってリンクされて考察されることになっているのか、その事情がよく分からないわけである。
過去は過去のその時の「今」の因果によって、存在した何かであるに過ぎず、なぜそれが今問われているのか、なぜそのような「亡霊」が今さらのように呼び出されなければならないのか、よく分からない。
例えば、アニメ「響けユーフォニアム」の第一期の第一話で、主人公の黄前久美子は、中学の吹奏楽部のコンクールで地方大会に行けずに、悔し涙を流している麗奈を理解できない。というか、彼女はそのように「悔しさ」をもつことのできている麗奈が、「苦手」だった、という表現が正しい。つまり、そういった麗奈の反応が

  • なぜ

自分には起きなかったのか、そのことを「問う」ことを彼女はどこか自らに恐れていた、ということになる。
この作品のこの最初の場面は、そういう意味では印象的であるだけでなく「不思議」な印象を受ける。つまり、なにかが謎なのだ。それは、主人公の黄前久美子の「主人公らしくない」凡庸さに関係している。なぜ彼女は、部活動にキャピキャピしないのか。なんで、こんなオバチャンみたいな反応で、新鮮さがないのか。まったく、魅力がない。ほとんど、作者がそれを意図的にやっているとしか思えないような「キャラ的でない」設定が、人々に「つまらない」印象を与える。
なぜこうなのか?
麗奈が北宇治高に入学したのは、ここに滝先生がいることを知っていたからで、つまりは言うまでもなく、吹奏楽部に入部することが前提であったが、久美子はむしろ逆で、はじめは吹奏楽部に入るつもりがなかったのに、友達に誘われて、「行きがかり上」入らないと言えなくなったから入るみたいになっているわけで、典型的な

  • 巻き込まれ系

なわけである。結果として久美子は、小学校の頃からずっとユーフォニアムを演奏してきた「ベテラン」で、そういう意味では優秀でありながら、それを継続していることと彼女の「動機」が合っていない。つまり、なんで彼女がユーフォを演奏しているのか、なぜ

演奏しているのか、その理由がよく分からない。普通は楽器が「楽しい」からなのだろうが、だったらなぜ久美子の態度は麗奈のようにならないのか。というか、「キャラ」的にそう描かれないと論理的ではない、と思われてしまうわけである。

そこには、たくさんの楽器ケースが並んでいた。宝の山みたい、と久美子は思った。
「希望とかある?」
そう聞かれ、久美子の脳裡に姉の姿がちらついた。あのころのお姉ちゃんはかっこよかったな、と久美子はちょっと悲しくなる。中学生になって、麻美子はますます勉強ばかりになった。もう楽器は吹かないだろうと、その後ろ姿を見て久美子は察した。
「あの、お姉ちゃんがトロンボーンやってたんで、私もそれがしたいです」
そう言うと、部長は少し困ったような顔をした。
「うーん、トロンボーンはすでに人数が足りてんねんなあ」
「そうですか...」
久美子はあからさまに肩を落とす。落胆した後輩を見兼ねてか、部長がポンとその手を打ち鳴らした。
「じゃあ、ユーフォは?」
「UFO?」
聞き覚えのない単語に、久美子は首を傾げた。ちゃうちゃう、と部長が笑う。久美子のような反応に、どうやら慣れっこらしかった。
「この楽器のこと。ユーフォニアムっていうやけどさ」
そう言って彼女が楽器ケースを開けると、なかから金色の楽器が出てきた。なんだか大きいなあ、と久美子は目をぱちくりさせる。リコーダーと違って、その楽器にはボタンが三つしかなかった。どうやって吹くのだろうか。
「これやったらトロンボーンと音域も似ているし、マウスピースも同じ大きさやで。オーケストラとかにはいいひんから普通の人
にはあんまり知名度はないけど、でも、すごい綺麗な音やと思う」

この場面は久美子が風邪をひいたときに、小学校の自分がユーフォを始めたときを夢の中で回想した場面であるが、一つはっきりしていることは、久美子が「お姉ちゃん子」であることを示しているわけである(非常に、ひかえめな表現であるが)。
久美子がなぜユーフォを始めたのか。それは、姉がトロンボーンをやっていたから。その姉が「かっこよかった」から、自分も姉のようになろうとした。彼女が吹奏楽をやることは、「姉に追い付きたい」ことを意味していた。
つまり、この時点においては久美子には「動機」であり、「情熱」があった。今の「麗奈」と同型であった。
他方、上記で考察した、作品の最初の中学の大会の場面においては、すでに大きく事情は変わっている。姉は今、大学3年なわけで、その頃にはすでに、高校での吹奏楽も止めている。ということは、久美子の内的な動機も怪しくなっていた、と考えるのが自然というわけである...。