クレタ人は嘘つきなのか?

ネットで、クレタ人のパラドックスを検索すると、これは「パラドックスでない」といった主張が多く見受けられる。つまり、

H≡{X:人間}
C≡{X∈H:クレタ人}
P≡{W:命題}
∀X∈H;P(X)≡{W∈P:Xが言ったもの}
T≡{W∈P:真}
F≡{W∈P:偽}

としたとき、

クレタ人は正直者 ⇔ ∀X∈C;∀W∈P(X);W∈T

よって、

クレタ人は嘘つき ⇔ ¬(クレタ人は正直者) ⇔ ∃X∈C;∃W∈P(X);W∈F

なのだ、と。まあ、これなら「矛盾」にはならないよな、と言うわけである。
しかし、これではちょっと「おもしろくない」なあ、と思って、少し強引だが、以下で、これが「パラドックス」になるような「形式化」をやってみようかな、と考えたわけであるが、その「構成」はかなり「強引」であるので、「そういったもの」として眉に唾を付けて読んでもらいたいw

∀X∈H;PT(X)≡{W∈P(X):Xが真を言おうとして言ったもの}
∀X∈H;PF(X)≡{W∈P(X):Xが偽を言おうとして言ったもの}
∀X∈H;PP(X)≡{W∈P(X):∀Z:Wの部分論理式:Z∈PT(X)∨Z∈PF(X)}
∀X∈H;(X:性善説的)≡(P(X)=PT(X))
∀X∈H;(X:性悪説的)≡(P(X)=PF(X))
ST≡{X∈H:性善説的}
SF≡{X∈H:性悪説的}

すると、次が成り立つ。

∀X∈H;P(X)=PT(X)+PF(X)

そんなことはないんじゃないのか、と思うかもしれないが、ここは、「正直者」とか「嘘つき」という表現を、できるだけ「単純」なことを言おうとしている、と解釈して、このようにする、というわけである。しかし、次の「仮定」は、さらに過激なことを主張する:

人間本性仮説:∀X∈H;X∈ST∨X∈SF

つまり、どんな人間も産まれてから死ぬまで、ずっと嘘を言おうとして生きているか、ずっと本当のことを言おうとして生きているのかの「どちらかしかない」と言うわけであるw こんなはずはない、と思うと思うが、これが、「正直者」や「嘘つき」を、その人の「本性」として解釈する立場だと考えてもらいたい。
まあ、「正直者」の方については、まあ、分かりやすいだろう。「嘘つき」の方は、次のように考えてもらいたい。「性悪説」的な「本性」をもっている人は、だれかに向かって語った文章が、それが「正しい」文章だったために、その人の「役に立」って、感謝されては「困る」わけであるw よって、その「程度」の差はあれ、必ずなんらかの「嘘」がそこにはまぎれこまれている、と考える、というわけである。
さて。では、ここで「嘘つきのパラドックス」命題を以下のように解釈する:

UP≡(C⊆SF)
UPP(X)≡(UP∈P(X))
嘘つきのパラドックス:∃X∈C:UPP(X)

では、これから、これが「パラドックス」になることを見ていくわけだが、ここではまず、次の補題を使う:

当事者矛盾原理:
∀X∈H;∀W∈P(X);(W∈PT(X))∈PF(X)⇒⊥
∀X∈H;∀W∈P(X);(W∈PF(X))∈PT(X)⇒⊥

これは、自分が真を言おうとして言ったことが自分が偽を言おうとして言ったことにはならないこと(とその逆)が、「少なくとも自分は分かっている」ということになります。

当事者カット原理:
∀X∈H;∀W∈PP(X);W∈PT(X)⇒W
∀X∈H;∀W∈PP(X);W∈PF(X)⇒¬W

これは、「メタのメタ」を「当事者は自分のことが分かっている」から、「メタ」に落とせる、ということを主張している。
さて、証明であるが、二段階に分けて行う:

仮定:X∈ST
すると、(C⊆SF)∈PT(X)
ところが、X∈C、なのだから、(X∈SF)∈PT(X)、よって、(P(X)=PF(X))∈PT(X)
よって、∀W∈P(X);(W∈PF(X))∈PT(X)
よって、UPP(X)∈PF(X)∈PT(X)
当事者矛盾原理より、⊥。

もう一つ:

仮定:X∈SF
すると、UP∈PF(X)
よって、(C⊆SF)∈PF(X)
よって、(∀Y∈C;∀W∈P(Y);W∈PF(X))∈PF(X)
X∈Cだから、(∀W∈P(X);W∈PF(X))∈PF(X)
当事者カット原理より、
∃W∈P(X);¬W∈PF(X)
P(X)=PF(X)だから、⊥。

(今気付いたけど、この人、意味が反対のことを言えないんだなw すごいなw)
うーん。内容については、一切の責任を負いかねますw