「賊軍の日本史」についてのコメント

まあ、どうでもいい話なんだけれど、ツイッターであるツイートを見かけたので少しコメント:

バーデン=バーデンの密約ってのは誰が何を決めたんでしたかね(呆れ)。
>(4)教訓 北朝鮮は戦前日本と類似 tokyo-np.co.jp/article/nation...
@takehiroohya 2018/02/23 19:51

これもねえ、別に自分の功績でなったわけでもない侯爵・木戸幸一の「彼らは華族になりたかった」という口ぶりに漂う薄汚さに気付かないもんかねと。
><対談「薩長史観」を超えて>(1)日露戦争 正しい戦史を伝えなかった軍部 tokyo-np.co.jp/article/nation...
@takehiroohya 2018/02/23 21:33

最初のツイートは、上記の対談の個所の、最後の発言の

半藤 この年になって「世界史のなかの昭和史」という厚い本を出します。海軍中央にいたのは全部、親独派です。親米派はおん出されている。親独派はほとんどが薩長出身者です。ほんとなんですよ。陸軍も親独派はだいたい薩長です。戦争をやめさせた鈴木貫太郎終戦当時の首相)は関宿(せきやど)藩、三国同盟に反対した元首相の米内光政(よないみつまさ)は盛岡藩、元海軍大将の井上成美(しげよし)も仙台藩で、薩長に賊軍とされた地域の出身者です。日米開戦に反対した山本五十六(いそろく)も賊軍の長岡藩。賊軍の人たちは戦争の悲惨さを知っているわけですよ。だから命をかけて戦争を終わらせた。太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた。これは明治百五十年の裏側にある一つの事実なんですよ。
東京新聞:<対談「薩長史観」を超えて>(4)教訓 北朝鮮は戦前日本と類似:社会(TOKYO Web)

の個所の

  • 太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた

の所をくさしていらっしゃると思われるのだけれど、バーデン=バーデンの密約については、

で言及されていますね。

保阪 バーデン・バーデンに永田、岡村、小畑の三人が集まり、翌日に東條が加わった。このとき、永田は長州閥の三奸を槍玉に挙げて、派閥の打倒を叫んでいます。そこから、成績至上主義に走るんです。昭和六年(一九三一)の省部の要職に座っている軍人を見ると、長州閥の影は消えている。強いていえば寺内寿一くらいだが、後は重要なポストからは外されている。、このことは永田が「長閥追放、軍内派閥の解消、能力優先」を打ちだして軍の近代化に努めたのに新たな派閥が東條したという形になっていく。
------大正一〇年(一九一一)の時点で、長州閥はまだあったんですね。
保阪 影は薄くなっていますが、まだありました。山縣有朋がまだ生きていて、亡くなったのが翌年です。
半藤 山縣が生きている間は、なかなか長州閥を倒せなかった。大正一一年(一九二二)二月に彼が亡くなって、ようやく永田たちには展望が開けたと思うんですよ。

賊軍の昭和史

賊軍の昭和史

つまり、バーデン=バーデンの密約で「長閥追放」が実行されたのに、「太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた」はおかしいんじゃないのか、と言いたいのだろうが、半藤一利がなぜ「太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた」と考えるのかについては、かなり細かく、この本には書いてあると思うんですけどね。

保阪 こうして昭和の陸軍を見ると、確かに長州や薩摩の出身者がいなくなりましたね。
半藤 本当に、賊軍の昭和史ですよ。海軍は別ですけれど、昭和になると、陸軍は完全に官軍がいなくなってしまったんですね。
保阪 長州閥が解消されえて、陸軍の混乱が残った。そして、無茶で悲惨な戦争へと進んでいってしまった。
官軍優先の出身派閥という不公平を乗り越えたのは良いけれど、成績至上主義の秀才ばかりの集団はまとまりをなくして、矛盾ばかり犯すようになってしまったわけです。
いい方を変えれば、昭和陸軍が混乱したのは、長州閥という不公平の反動だったということもできます。
秀才たちが全体を考えずに身勝手をするようになってしまったのは、能力がなくとも長州出身であるというだけで陸軍を動かしれいた長州閥の逆をしていたと、そんなふうに見ることもできる。
つまり、昭和陸軍の混乱は、長州閥負の遺産っだったんじゃないか。
僕にはますますそう思えてならないんです。
半藤 そうなんですね。長州閥が、ある時代の陸軍を牛耳った。その反動として、秀才たちが群れをなせば、当然混乱しますよね。
賊軍の昭和史

半藤 陸軍の場合、昭和になると一夕会、桜会なんかが出て、長州閥の解消を進めました。それで、日中戦争の頃には官軍も賊軍もなくなってしまったところがあります。
ところが、海軍の場合、昭和になっても官軍派と賊軍派がはっきり残っていたようなんです。不思議なくらいはっきりと、官軍は主流派、賊軍は反主流派だったんですね。
賊軍の昭和史

保阪 海軍には事務屋がいなかったから、第一委員会なんかに振り回されたということですけれど、どうも不思議なんです。海軍には、本当に誰も暴走を抑える中心になる人物はいなかったんですかね。
半藤 海軍を抑える役は、軍令部総長だった伏見宮様ですよ。ただ、この人が困ったことに、賊軍を嫌いなんです。
賊軍の昭和史

ようするに。半藤「史観w」なるものは、それなりには彼の著書で開陳されているんだから、その

  • 文脈

にそって、反論があるなら反論をされればいいのであって、半藤さんのこのレトリックには無理があるとか、言いすぎだとか、そういったことが

説明してくれませんかね。なんにせよ、相手はその道の「専門家」なのだから(まあ、アカデミズムというよりは、ジャーナリスト的なんだろうけど)、それなりの「蘊蓄」は述べられているのだから、その

  • 文脈

に「対応」して言及してもらわないと、誰にも理解はできないと思うんですけどね...。