なんてつメモ

どうってことない日々のあれこれ

観てきた

東京テアトル株主優待を昨年1年も使わずに終わってしまったので、今年こそ月1回のペースを観たい。と思いながら3月になってしまった。

*[MOVIE]エゴイスト

egoist-movie.com

2023年 日本 時間:120分 配給:東京テアトル

監督: 松永大司 出演:鈴木亮平宮沢氷魚柄本明阿川佐和子ほか

 

 

観終わった後に、何とも言いようがない感情になる。すごくもやもやした感じが残った作品だった。

浩輔演じる鈴木亮平は服装からしてそうなんだけど、ちょっとした所作からゲイ風味で、下心ありがちな時の視線がもう生々しいったらない。そして、龍太演じる宮沢氷魚の小鹿ちゃんぷりが凄い。朝ドラのたどたどしさが、ここでは初々しさに昇華した感じがした。

あと、絡みのシーンが前半続くのだが、映像がすごく揺れるので、気持ちが悪くなる。あと、何をやってんのかわからなくなるときがある(笑)これって、どんなポーズで撮影しているんだろうとすら思った。

ネタばれしてしまう感想を書きます。

 

龍太が「売り専」をやっていると告白して、姿を消す。恋に落ちた浩輔が龍太に毎月10万円で買うから、売り専を辞めるように説得する。って、この時点でも恋愛は成立するのだろうか。男女だったら、水揚げするようなもの?かなり違うなぁ。なんていうのか、言ってはいけないけど、札束で頬を叩いているような印象を受けた。なんだか一方的すぎる言動が多くて浩輔に共感できるものがない。龍太と逢うたびごとに浩輔が龍太の母親に渡す手土産もそう。かなり高級品な感じ。普通の友達付き合いで高級品を持たせないのでは。龍太は服装で自分の鎧にして生きているけれど、対人関係もそうやって自分がアドバンテージの高いところにいたいのかなぁ、すごく享楽的に生きてるように見せたいのかなぁ。

浩輔は、そんな龍太のことをどう思っていたのだろう。純粋に喜んでいただけなんだろうか。本当はパーソナルトレーナーで身を立てたかったはずだと思っていたのに、昼は解体?廃品回収業について、夜はレストランで皿洗いまでしていた真意はどこにあったのだろうか。龍太に買われた金を返すためでもなかったのかなぁと勝手に想像してしまい、不憫すぎて泣きそう。

龍太の母親は離婚後病気がちで、龍太は高校中退して母親を養っているのだけど、金銭援助もひとつの方法だけど、もっと公的福祉制度を利用すればいいのになぁとか思ってしまった。そうすれば、龍太の重荷は少しでも軽減するのに。社会的セーフティネットから漏れてしまったのかなぁ。

結果として、浩輔の思いやりは龍太に心理的な重荷になったんじゃないかなぁ。龍太は突然命を落としてしまうので、真相は永遠にわかりませんが。

浩輔は14歳の多感な時期に母親を亡くしているので、龍太に先立たれた母親にも過剰なまでに面倒を見ていくのも、自分が失った人に重ねていくように思えた。龍太に渡していた10万円は母親に渡すようになる。受け取る母親も、きっと口にはせずとも失った息子の替わりに心理的なところでも頼っていたのかもしれません。私からみれば高い梨を買うよりも、部屋の電球を替わりにひとっ走りして買ってきて、取り付けてくれるほうがよほど喜ばれるかも。

つまり、浩輔の行為は自己満足としか思えなかったのです。龍太が必死に守ろうとしていたことに対して浩輔のしてきたことは壊してしまったことにならないのか。そんな気さえした。

浩輔が自分の預金通帳を眺める場面があった。その後、龍太の母親に同居を提案したのだけど、それするなら、まず龍太と同居すればよかったのに… もし、龍太に10万円を渡すのに、預金が底をついたとき、浩輔は一体どうする気だったのだろう。

父親が母の闘病について話すシーンがありました。あれが愛なのかなぁと沁みましたが、浩輔にはそこまでの覚悟があったのか。

ラストの号泣場面は、そんな自分に対しての涙だったのか。「愛ってよくわからない」ってセリフが劇中にあったなぁ。本当わからない。なんだか、だれに対しても共感というか、感情移入できなくて、結局のところ、この作品に乗れなかったんだなぁって感じです。このもやもや感は、「風と木の詩」の最終回を読んだときに似ているかもしれない。

歳のせいか、難しいことを考えずに 素直に感動して泣きたいんですよね(笑)

 

読んだ

去年は、あまり読書が進まなかったのに、記録も残せていなくて反省。年末にかけて読んだ本は、どれも熱量がすごくて、引き込まれるものが多かった。今年は、感想を忘れないうちに記録していきたい。ささやかな年初の計画。

 

*【BOOK】逢坂 冬馬 同志少女よ、敵を撃て 早川書房

ラノベぽい表紙に騙されるところだった…

ウクライナの戦時下もこんな感じで日々過ごしているのかと想像するだけで絶望的な気持ちにさせられる。戦争が終わったところで、平穏な日常が訪れるのか。幼馴染の変節を目の当たりにしたり。なんていうのか、それを責められるのか、罰することができるのか、正義はどこにあるのか。この問いかけに正解を出すことができるのか。頭で考えたところで、戦場に立った時に、何もかも放り出してしまうかもしれない。色々なことを考えさせられた。

 

*【BOOK】寺地はるな カレーの時間 実業之日本社

カレーといっても、レトルトカレーだった。成人した孫に甘口のレトルトカレーを用意するお祖父さん。孫の幼かった時の思い出の味を今も変わらないと信じ込んでいる不器用さが可愛い。レトルトカレーの黎明期に営業を掛けていたお祖父さんの半生は、結構辛口。離婚の原因も子供に話さず、胸の内におさめてきたところも昭和な感じだと思う。何というのか、多様性ってこういうことだよなぁと思いながら、読んだ。カレーが食べたくなるのは確か。複雑だけど、すっきりした味わい。

 

*【BOOK】湯本 香樹実 橋の上で 河出書房新社

 

*【BOOK】村山 由佳 風よあらしよ 集英社

遠い昔の記憶では、大杉栄伊藤野枝に関する教科書の記述は2,3行程度に過ぎなかったと思う。井戸に打ち捨てられた男女と子供の遺体。特高って何でもありだなぁという恐怖。この時代背景の描写と現在がそう変わらないことに気づいてくる。

伊藤野枝が生きた時代は、女性が声をあげることが今よりも難しいというか、耳も傾けてもらえなかった時代である。そこに圧倒的な熱量で駆け抜けていった人だと思った。やっていることは無茶だと思うが、思想もありつつ、感情にも素直というのか直情的というのか。信じた人に対する尽くし方が凄すぎる。大杉栄が信じるに足る人であるかどうかは判断が難しいというか、「自由恋愛」という言葉で女性を丸め込むような人は駄目だよねって思うが、どうも天性の人たらしであったが故に、お上に目をつけられたことになるのだろう。カリスマ性といったほうがいいのかな。でも、経済力がなさすぎである。と、傍目からは思うが、野枝は大杉の思想に共鳴し、支え続けるのは、彼が彼女の思いに初めて耳を傾けて、認めたからなのだと思う。それぐらい、窮屈な時代に生きていたのだと思う。気が付けば友達と思っていた人から距離を置かれる。それでも、自分の信条を信じて突き進む圧倒的な情熱の塊の人の半生を、すごい熱量で書き上げた大作。これ、NHKBSプレミアムで全3回のドラマで制作されたけど、収まりつかないやろ、って思った。見ていないから、知らんけど。

もし、大河ドラマで取り上げてくれたら、すごいよね。

 

読んだ

去年は、あまり読書が進まなかったのに、記録も残せていなくて反省。年末にかけて読んだ本は、どれも熱量がすごくて、引き込まれるものが多かった。今年は、感想を忘れないうちに記録していきたい。ささやかな年初の計画。

 

*【BOOK】逢坂 冬馬 同志少女よ、敵を撃て 早川書房

ラノベぽい表紙に騙されるところだった…

ウクライナの戦時下もこんな感じで日々過ごしているのかと想像するだけで絶望的な気持ちにさせられる。戦争が終わったところで、平穏な日常が訪れるのか。幼馴染の変節を目の当たりにしたり。なんていうのか、それを責められるのか、罰することができるのか、正義はどこにあるのか。この問いかけに正解を出すことができるのか。頭で考えたところで、戦場に立った時に、何もかも放り出してしまうかもしれない。色々なことを考えさせられた。

 

*【BOOK】寺地はるな カレーの時間 実業之日本社

カレーといっても、レトルトカレーだった。成人した孫に甘口のレトルトカレーを用意するお祖父さん。孫の幼かった時の思い出の味を今も変わらないと信じ込んでいる不器用さが可愛い。レトルトカレーの黎明期に営業を掛けていたお祖父さんの半生は、結構辛口。離婚の原因も子供に話さず、胸の内におさめてきたところも昭和な感じだと思う。何というのか、多様性ってこういうことだよなぁと思いながら、読んだ。カレーが食べたくなるのは確か。複雑だけど、すっきりした味わい。

 

*【BOOK】湯本 香樹実 橋の上で 河出書房新社

 

*【BOOK】村山 由佳 風よあらしよ 集英社

遠い昔の記憶では、大杉栄伊藤野枝に関する教科書の記述は2,3行程度に過ぎなかったと思う。井戸に打ち捨てられた男女と子供の遺体。特高って何でもありだなぁという恐怖。この時代背景の描写と現在がそう変わらないことに気づいてくる。

伊藤野枝が生きた時代は、女性が声をあげることが今よりも難しいというか、耳も傾けてもらえなかった時代である。そこに圧倒的な熱量で駆け抜けていった人だと思った。やっていることは無茶だと思うが、思想もありつつ、感情にも素直というのか直情的というのか。信じた人に対する尽くし方が凄すぎる。大杉栄が信じるに足る人であるかどうかは判断が難しいというか、「自由恋愛」という言葉で女性を丸め込むような人は駄目だよねって思うが、どうも天性の人たらしであったが故に、お上に目をつけられたことになるのだろう。カリスマ性といったほうがいいのかな。でも、経済力がなさすぎである。と、傍目からは思うが、野枝は大杉の思想に共鳴し、支え続けるのは、彼が彼女の思いに初めて耳を傾けて、認めたからなのだと思う。それぐらい、窮屈な時代に生きていたのだと思う。気が付けば友達と思っていた人から距離を置かれる。それでも、自分の信条を信じて突き進む圧倒的な情熱の塊の人の半生を、すごい熱量で書き上げた大作。これ、NHKBSプレミアムで全3回のドラマで制作されたけど、収まりつかないやろ、って思った。見ていないから、知らんけど。

もし、大河ドラマで取り上げてくれたら、すごいよね。

 

観てきた

*【PLAY】ツダマンの世界

作・演出 松尾スズキ

 

出演:阿部サダヲ間宮祥太朗江口のりこ村杉蝉之介笠松はる・三上愛・皆川猿時・吉田羊他

ロームシアター京都メインホール 

12月25日 13時開演



松尾スズキの作品に、江口のりこと吉田羊が出るなんて、観るしかないよ!って勢いでチケットを取ったものの、冬の京都は格別寒いかった。

フライヤーを見ると、「狂気のメロドラマ」と銘打っているんだが、出てくる人たちみんな、規格外だし、メロドラマ以前に狂気しか感じない。阿部サダヲ演じる津田万治も壊れちゃっているんだけど、なんだかとても空っぽにみえる。それが怖い。吉田羊演じる妻に対して、過去の経験を執拗に気にする反面愛情があるように思えない。何なんだろう。そして、それを陰からじっと見つめる家政婦演じる江口のりこ。得体のしれない世界がひたすら続く。そして、恵まれた境遇に悩んでいる弟子の間宮祥太朗等々。もう皆川猿時はお約束、これはもう伝統芸と言っていいかもしれない。

最後の最後に、ツダマンに対する周囲の執着の顛末、そして最後にかっさらった家政婦の一言。そうだよね、何の感情もなく陰から見つめるわけがない。いやぁ、思い返せば、思い当たる節は多々あった。あの妙な関西弁のセリフ回しも印象に残った。

間宮祥太朗が意外と松尾スズキの世界にぴったりあっていた。イケメンは不要だと思っていたのに。それにしても、演者は何役もこなして、全員ほぼ出ずっぱり。膨大なセリフ量と動きが多いのに。村杉蝉之介が1日だけ休演ってこともあったけど、あれだけの動きいや芝居を見せられたら、よく1日で復帰できたなぁと逆に感心してしまう。

諸々てんこもりの芝居で、1日観ただけでは、頭の整理が追い付かない。やっぱり、パンフレットを買うべきだった…。

ツダマン、松尾スズキで観たかったかも。

 

歌ってきた

一万人の第九」に参加してきた。まさか、当たるとは思わなかったのだ。今年は、会場コーラスは二千人だったのだから。一万人参加できても、なかなか当たらないのに…軽い気持ちで申し込んだのがよかったのか…

www.mbs.jp

 正直、ここまでコロナ感染対策をしなければ、大阪城ホールで歌うことが出来ないのか、と驚くことばかりだった。

 ワクチン接種三回以上が参加条件であることが当然として、レッスンの時も、マスク着用かつネックファンで自分の飛沫を上に飛ばして、感染リスクを下げるとか。正直、ネックファンが結構重いのよ。そういえば、ネックファンも結構条件を付けられていて、何度も諸注意のメールが届いていた。

 それから、レッスンが5回しかないのも、きつかった。私は、合唱経験者(合唱部出身でも合唱団出身でもない)ではないので、4回目でようやくこうやったら発声がスムーズなんだと薄っすらわかりかけたところで、終了。本番まで1か月近く間が空くので、今わかったことを忘れるだろうという確信しかなかった…

 恒例の「佐渡錬」は会場開催ではなく、オンライン。寂しい~。

 本番前日に、コロナ検査キット(参加者が四千円で購入!)をしたうえで検体提出して、大阪城ホールでのリハーサル。検査の結果は、本番までに参加者のマイページに出てくる。9時にはわかるって説明があったけど、それって、本番の集合時間じゃないの?ここまで来て、アウトだったら悲しすぎる。いつもは、一万人でぎっしりしたホールの客席も、今回は間隔をあけての二千人が座っているので、勝手が違う感じ。それでも、二千人の合唱も大概なことである。ちなみに、リハーサル集合時間が8時30分って!日の出前に家を出たよ。なんか早く着きすぎたなーと思ったけど、ホール前の階段にはすでに長蛇の列。みなさん、楽しみなんだよね、わかりますとも。

そして、当日。9時15分集合である。そして、8時30分に大阪城公園に降り立った私。早すぎたな…どうしようかなと思ってホールに向かっていくと、既に長蛇の列。デジャヴ。そうそう、検査の結果は、5時過ぎにスマホで確認したら、「参加できます」との表示が出ていた。これ、徹夜で入力されたのだろうか…すごい…

リハーサルの前に事前に決まっていた席から移動することになった。佐渡さんの背中を見て歌うの悲しいと思っていたので、よかった。移動するときに、係の人に名前を聞かれた。今までに参加したときは、こんなことはなかったのだが、きっと、これもコロナ対策の一環なのだろう。上の写真はゲネプロ前に撮影したもの。

布袋寅泰、でかい、かっこいい!近くで見たい!と思いつつ、ゲネプロ終了。

本番。なんか、あっという間だった。第一部のかてぃんのラプソディ・イン・ブルーが新鮮というか斬新というかでも心地よすぎて微睡んでしまった。そして、布袋、かっこいい。私は、「POISON」が聴きたかったなぁー。第二部は、通常第九なんだけど(当たり前だ)、今回は布袋さんとのコラボで第一楽章から第三楽章をアレンジしての演奏だった。なんだかノアール系の映画のサントラみたいでクールだった。かっこよかった。また、どこかで演奏してほしい!

でも、あの追い込まれる感じで始まる第一楽章から天上の音楽のような、安眠の世界に誘う第三楽章までを、じっくり聴きたくもあった。そして、第四楽章、えーもう終わっちゃうよって思いながら歌った。楽しい時間は過ぎるのが早すぎる。今まで参加したなかで、一番まとまりのある合唱だったような気がした。ただ、一万人が集まって、なんだかいろんな思いが混ざり合って、熱量が溢れすぎて、わけわかんない混とんとした歌声が「一万人の第九」の醍醐味だとも思う。来年は、通常バージョンに戻って、マスクもネックファンも付けずに歌えるといいなあ。合唱楽しいなぁとしみじみ思った。

 マエストロはやっぱり凄かった。佐渡さん、ブラボー!

参加者に配布された天然水(笑)裏にはマエストロからのメッセージが印刷されていたよ。

 

読んだ