まるぶろぐ

備忘録として日々の出来事をこまごまと綴っております

maru992016-03-06

モーニングコールで6時半に起床。昨日は快晴だったのに、空は灰色。すぐに出かけられる状態にしてから、ホテルのビュッフェで朝食。

7時55分にロビーに集合し、バスでもうひとつのホテルに泊まっていたリスナーとも合流。仙台から東松島石巻気仙沼陸前高田を経由。奇跡の一本松のモニュメントも車窓から見えた。あちこちで嵩上げ工事が進んでいて、土砂を運びこむ大型トラックで渋滞することも多いそうだけれど、今日は日曜日で工事がお休みなので、道路は空いていて順調に走行。一部では工事が進む一方、人口が減ってしまっているため、町の復興には程遠い状況だというのが現実。復興住宅の建設も遅れていて、5年も経ってもまだ多くの人が仮設住宅での生活を強いられている。

三陸鉄道南リアス線をなんと貸し切りで、盛(さかり)駅から釜石まで、ちょうど1時間。クェートからの4億円相当の支援で車両を復旧することができ、感謝の意を表すために車両にクェートの国旗をプリントしようとしたところ、そんなつもりで支援したわけではないからと辞退され、かろうじて紋章をプリントすることになったとのこと。いい話だぁ。

私たちが三陸鉄道で移動する間に、陸路で先回りしていたバスに乗り、釜石市内の陸中海岸グランドホテルで昼食。このホテルの社長さんもご家族を震災で亡くされているときいた。再びバスに乗り、語り部さんが同乗して、鵜住居地区や避難道路などを回る。釜石では、これまでにも地震津波が来たことがあってもたいしたことなかったから大丈夫、と避難に消極的な大人が多かったところ、「津波てんでんこ」を標語にした防災教育の成果で子どもたちが先導して高台に避難し、そのおかげで助かった人が多かったという。今回、その高台への階段を上がる機会があり、自分の足で上がってみて、雪がちらつく寒い日に、津波が来るかどうか分からないのに、あの階段を上がって避難するかどうかと迷う状況になったら、誰かが促してくれない限り、おそらくは家にとどまっていただろうなぁ、と思った。

ひとりで東北を訪れたとしても、こういう場所を訪ねることは難しい。毎年、わずかな時間とはいえ、こんなふうに被災地を回る機会を与えてもらえること、それも復興コンサートツアーの大きな意義。

途中で立ち寄った道の駅でも、昼食をとったホテルでも、三陸鉄道盛駅でも釜石駅でも、そして語り部さんも、バスが出るとき、見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。あったかいなぁ。

車内でたくさん話をしてくれたバスガイドさんとは水沢江刺の駅でお別れ。17時37分発のはやぶさ104号に乗り、19時52分に東京駅着。21時ちょっと前に自宅に着いた。

朝早かったのに、やっぱりデビスカップを見てしまう。昨日のダブルスに敗れ、今日は圭くんとマレーのエース対決。マレーが2セット先取したあと圭くんが2セット取り返し、ものすごくハイレベルな白熱戦。ただ、圭くんのファーストサーブが入らないとマレーがセカンドで攻めてきて、マレーの優勢になる。そこが勝敗を分けた…かなぁ。あと一歩のところで及ばず、イギリスがベスト8進出を決めた。惜しかったー!