「インターネット的」の2

糸井重里著「インターネット的」について昨日書きました。この本を今頃になって読んだ幸運を自分で喜んでいます。「チョッと待て!日本語として表現が変だぞ!『この本を今頃になって読んだ不運をなげく。』なら判るけど。」

「イエ、これでいいのです。」(笑)

私が「mF247」の構想を発表したのが昨年の8月で、このブログもそれにあわせてスタートしました。「mF247」の発表会以降、取材やブログで沢山語り、しゃべりました。(笑)

もしも「インターネット的」を当時からこの一年の間に読んでしまっていたら、あんな無邪気に語ったり、しゃべったりできなかったでしょう。2004年の夏頃から沖縄で海を眺めながら「インターネットを使って新しい音楽を世の中に紹介するには、どうしたらいいのだろう。」とウダウダ考えて、今の形にとりあえずまとめたのですが、そのまとめ方の70%ぐらいは、糸井さんの考え方に近いということを「インターネット的」を読んで発見しました。ですから、本来であれば「糸井氏が『インターネット的』で述べているように」といった引用を明示しなければいけなかった発言が数多くあるのです。幸いというか、私の表現が稚拙ですから「え?糸井さんと同じ意味?」と、おっしゃる方も居るかもしれません。そうであれば、それはそれで良いのですが、一方で私の表現力の弱さを実証することになるのでヘコミます。(笑)

丸山は何をしようとしているのか?あるいは、何を考えているのか?が、このブログを読んで、わからないという声が時々聞こえてきますが、是非、糸井重里著「インターネット的」をお読みください。そのほうが わかりやすいと思います。

で、こんな事情を知ったうえで「ほぼ日刊イトイ新聞」の私と糸井氏の対談をできればお読みください。(「社長に学べ 第5弾」という企画です)
そうすると糸井さんが、インターネットの先輩として、私のやっていることをハラハラしながら気遣ってくれていることがよーく判ります。一方お気楽な私が、えらく明るく先輩の「心配」をよそに楽しくしゃべっていることがわかっちゃいます。

マイッタナー!です。(笑)

糸井さんが、フラットな立場で遠慮しながら、私にアドバイスを伝えてくれていることに今ようやく気付き、感謝の気持ちをこのブログで表したいと思います。