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2012-10-21

脱原発論

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もっと前に書こうと思っていたのだが、あまりにも酷い小林氏の劣化具合に突っ込みどころが満載過ぎて、まとめるのに四苦八苦してしまった。

ものすごく長い投稿になるので、お読みいただける方は暇なときを選んでいただきたい。

Twitter小林よしのり氏が原発全廃がらみで、

「2030年代に
原発ゼロ方針の
閣議決定を見送った責任を、
野田首相一人に
負わせるわけにはいかない。」

ブログで言ってるとTLが流れて来たので、確認してみて脱力してしまった・・。

https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joabttvki-736#_736

脱原発論は、本屋でカバーもかけずに平積みしてあったので全部立ち読み。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論

ゴーマニズム宣言SPECIAL 脱原発論

戦争論以来、この人の本は中も見ないで購入していたので、購入見送りは珍しい事だ。

当然、「脱原発」という微妙な主張がどのようになされているかを確認してからでなければ、「購入」という支持カードを切れなかったからだ。

未来屋書店だが、この本屋は、三橋貴明小林よしのりなど、日本を破綻から救う系の著作家の本は、可能な限り置かないようにしているのが見え見えの、気持ち悪い書店である。

いつもの小林氏の本は、売れているので仕方なく、と言う感じに

「絶対立ち読みできないよう、ビニールをかけ」

「平積みだなに置かない訳に行かないけど可能な限り早く撤去」

と言う方針を貫いている。

しかるに「脱原発論」は

「ビニールもかけず」

「いつまでも平積み新刊コーナーにオキッパ」

である。

念のために言っておくと、私は決して原発推進論者な訳ではない。

むしろ、長年にわたる熱烈な脱原発論者であり、アル・ゴアとアメリカ政府による、「原発は地球に優しい」などという噴飯物の主張には吐き気を禁じ得なかった。

小林氏の「脱原発論」は、おかしいことを言ってる訳ではない。

誰でも知っている当たり前の事、たとえば、

自然エネルギーで日本の現在の電力需要の全てをまかなう事は不可能ではないという事

原発の状態が本当に危険であるという事

原子力村利権のせいで原発全廃が妨害されているという事

などなど、基本、誰でも知ってるし、それを否定している人間はそれこそ「原発利権村」からの金をしゃぶっている連中であるという事は嫌というほどわかっている事を、淡々と整理して記載していると言う感じだ。

しかるに、この本を読んで情けなくなったのは、問題点をそれなりに整理してはあるが、肝心要、一番の「原発廃止が出来ない理由」が、すっぽ抜けている事である。

そして、それを把握していないのだから、では本当に廃止する為にどうしたらいいのかの対策も打ち出せていない。単なるデモでもだってチャンなのだ。

この本で小林氏が主張した事の大枠は以下である

原発がどれだけ高くつく、未完成な危険な技術であるか

原発事故が安全に収束したなどと言うのは政府の嘘八百

福島原発事故による放射能汚染は人体に影響が無いなどと言うのは大嘘

原発が無ければ日本のエネルギー需要は満たせないなどと言うのは大嘘

日本の核武装の為に、日本の国防の為に原発が必要と言うのは大嘘

日本が原発を廃止できない理由

原発の代用エネルギー技術の紹介

このうち、原発がどうしようもなく危険で高価で未完成な技術である事は世界中誰も反対はしないし、原発事故が収束したなどと信じる馬鹿もいない。

事故による汚染のレベルが政府発表の値は、姑息な手段で矮小化されている事も、誰でも知っている事だ。

これはもちろん非難すべき事で、事実を隠せば隠すほど、疑心暗鬼になってパニックが拡大する。アホな政府だ。

事故による放射能汚染が、人体に及ぼす影響については、現段階ではたいした影響はなかろう。

事故があってから安全基準を引き上げたとぎゃあぎゃあ喚いているが、元々の基準値は、絶対安全基準値であって、基準限界値を被爆したとしても「健康に絶対被害が出ない」値だった訳で、これを超えたら健康に被害が出ます、と言う値ではない。

賞味期限のようなもんである。

放射能被爆による症例事例研究が全くなかった時代では既にない。

広島、長崎チェルノブイリ、他にも沢山の被爆後の症例研究があり、そこで得た研究成果に照らして安全評価をするのは当然の事だと思うのだが、なぜか小林氏に限らず、原発絶対廃止論者は、この手の研究を「でっち上げ」と決めつけ、症例の中の一部でしかない、発症者にひたすら注目したり、癌が発生しないから被害が無いとは言えない、などと、研究者が被害が無いようにデータの抽出方法を作ったと文句を言う。

氏は著作の中で、基準以上の放射線を浴び放題の宇宙飛行士は大丈夫じゃないかという原発推進論者に、短期間しか宇宙空間にいない宇宙飛行士被爆量と比べても仕方が無いと言い切っている。

これはもっともな話だ。

しかし、公平を期すなら、宇宙飛行士が浴びる程度の放射線被爆量と頻度であれば問題ない事も言っとくべきだろう。

もちろん、宇宙飛行士の被験者数が少なすぎるので、現段階では統計による研究対象としては採用できないが。

にもかかわらず、現実問題として、検証対象として十分の実績と検体数のある、ラムサールの住人の状況については。。。

天然放射線物質が土地にある為、日本の年間被爆限度など軽く超える地域の住人に放射線による健康への影響が見受けられない件にも触れて入るが、そういう土地で代々暮らして来た人たちは「耐性がついているのだろう」の一言で終了。

自分の主張に都合の悪い事は科学検証無しで「だろう」で終わりですか。。。

放射能被爆による、遺伝障害その他の人体、子供への影響と言う点で言えば、福島原発事故による放射能汚染より、60年台の、中国ロシアによる、地上核実験による被ばくの方が重度である。

国は全くと言っていいほど情報をだしていないが、旧ソ連時代、ソ連は日本の領海に放射性廃棄物不法投棄を行っていた。当たり前だが、放射能汚染が起きているのであるが、調査結果の報告は公開されていない。

さらに中国

このならず者国家と来たら、原潜を作っては沈めを繰り返している。

竹のカーテンの向こう側の話なので正確なところはわからないにしても、原潜が事故を起こして日本近海に沈んだ事は周知の事実だ。

あの国の原潜のつくりはひどい物で、今現在現役の原潜も、凄まじい放射能漏れを起こす事で有名で、気の毒な乗組員はもちろん、ものの数年であの世行きである。

現在でも、だ。

よって私は中国の原潜なんぞ、作戦行動と言う意味では全く脅威になるとは思っていない。

ただ、乗組員の生命などゴキブリと大して変わりないくらいにしか思っていないだろうから、特攻隊員よろしく日本に原潜爆弾としてこられたら怖いなあ、とは思う。

可能な限り、日本から遠い海で、撃沈する政治判断を日本政府が出来ればいいのだが。

日本政府がその決断をすれば、被爆してへろへろのへっぽこ原潜乗組員が操るへぼ原潜など、我らが日本海上自衛隊の敵ではないから心配するこたない。

当たり前だが、事故による海洋放射能汚染は起きている。

ソ連の海洋投棄は北海道沖、中国はは九州側、日本は不法投棄の核物質で大昔から汚染されきっているが、その汚染によるが海産物の摂取が原因で癌の発生率が上がったの、出生率が下がったの、奇形が増えたのと言う話を聞いた事があるか。

もちろん、今現在も放射能汚染水を垂れ流す福島の海で、わざわざ養殖をしたりすれば被害は出るだろうが。

中国で、実験にかりだされたあわれな人民軍兵士や近隣の住民はもちろん全てあの世行きだし、あの世行きにならなかった住民は重度の遺伝障害に悩まされているけれど、当時の日本人に被ばくによる遺伝疾患の増加、癌の増加は統計的に認められない。

当時の被爆量と大差ないのであれば特段心配する必要はないと、事実が証明している。

前回の「国防論」で、核廃棄物放射能半減期が30万年もかかる物もある!

(45億年、というのもあるけどね)などと恐ろしげに書いていたが、そもそも、放射性物質放射能半減期が長い方が恐ろしいかのような思い込みがあるのも困った物だ。

事実は逆で、半減期が短い方が危ないのである。

半減期」は、放射線を出す「頻度」の様な物だ。

放射線を出す頻度が、1万年に1回の頻度、ただし、いつ出るかはわからない、と言うような物だから、半減期の長い放射性物質が体内に入ったとしても、放射線を浴びる前にあの世行きになる可能性が高い。

ところが、半減期が短い放射性物質が体内に入った場合、入った人の寿命にもよるが、生きてるうちに放射線を浴びる事になり、影響が大きい。

雑破に言うとそういう物だが、もちろん放射性物質の種類により、「放射線の強さ」は異なる訳で、半減期だけでどうこう言える物ではない。

わざと混乱させているのか、と言うぐらい、放射線がらみの指数は複雑怪奇だが、知りたい事はシンプルだ。

自分たちに関係のある放射性物質の種類

その放射性物質が発する放射線の種類

放射線の発生頻度

放射線の種別ごとの、放射線の強さによる人体に与える影響

同じ放射線量でも、どのような状態で被爆したら危険になるのか、その臨界値

これだけだ。

それなのに、このシンプルな疑問に、「専門家」と言われる人間が何百人も雁首そろえてもまともに整理して話す事も出来ないと来てる。

放射線というのは、放射性物質原子核分裂反応を起こす際に発生すると言うのは一般にもよく知られた話だと思う。

ベクレルというのは、1秒間に1個の原子が壊れて放射線を出す、と言うのを1単位として計測する単位である。

これは、実験観測によって確定した値であり、うだうだ異論を挟む余地のない指数だが、違う放射性物質が、同じベクレル数で放射線を発するとしても、それで人体への危険度がわかる訳ではない。

放射性物質が、1秒間にどれだけ核分裂を起こすか」

を表しているだけだからだ。

この指数が役に立つのは放射性物質の崩壊速度計算でもするときぐらいの物だろう。

学者以外には本来無用の長物である。

だから、一般人向けに、放射線の人体への影響をはかる為の「シーベルト」と言う単位が作られた。

放射線の中には紙切れ一枚置いても遮蔽できてしまうような透過力の弱い物もあれば、1M厚さのコンクリでなければ透過してしまうような物もある。

当たり前だが、放射線の種類の中でも透過力の高い物でも、距離があればそれだけ影響力は比例して低くなる。

また、人間の身体の臓器は、物によって被爆耐性が異なる。

これらを考慮して、測定地において検出した(検出できる)放射線の種類と、強度、放射線の性質と臓器の性質から割り出した人体への影響指数などなどを混ぜこぜして、指数化したわけだ。

当たり前だが、これが信用に値するかどうかなんて、学者にすらわからないだろう。「人体への影響度」なんて、計算の前提やら、未解明の事実やらが変わればころりと変わってしまう。

確実に測定できるのは、放射線の種類、その性質、強さな訳だから、人体に影響が大きい放射線の種類と、人体に影響が出始める数値を覚えて、ある程度の種類の放射線強度測定器を買って住居の放射線強度を測定するしかあるまい。

もちろん、好き好んでわざわざ高濃度汚染のホットスポットで一年中暮らすなどと言う事をすれば影響が出る事はあるだろうが。

結果として、素人が、放射線の測定器を購入して、何シーベルト出たから危ない、と言うのの判断の基準としては、中国が地上核実験を行った際日本に黄砂とともにやって来た放射性物質による放射能と比較すると言うのがベストなんだが、これを国を発表しやがらないから信頼できる数値がね・・。

データソースが不明なので、参考値にしかなりませんが、

中国による核実験で放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故の
800万倍、放射性のストロンチウム福島第一原発事故の1
万倍。

中国核実験日本国内に
降り注いだストロンチウムは、福島原発で発生したものの60倍との報告もあります。

1960年代に10代を過ごした日本人は現在50代でしょうが、統計に甲状腺がんやら、白血病やらがこの年代から急増したなどと言う結果は現れていません。

放射線はもちろん、その種類と強度によっては危険な物です。

しかし太陽光線が危険な物であると言う認識が普通無いのと変わらず、出所が太陽だろうが、原発だろうが、人体に害を与える事ができないほどに希釈されている場合は恐れるような物ではないのだと言う認識が、どういうわけか事原発に関してはすっぽ抜けている。

放射線は強度が低くったって累積して〜!遺伝子がきずついて〜!」

・・あほかいな。太陽光線を浴びていたって遺伝子は傷つくわ。

放射能が〜!

なんて言ってる馬鹿に限って、真夏の太陽の下で「セルフタンニング♪これで俺様もてもて〜」なんてやってるんだから、救い難い。

小林よしのり氏も、他の著作で、ハワイで日焼けにいそしんでいたが、どう考えても日本国内での被爆による遺伝子破壊なぞよりハワイの直射日光での日焼けによる遺伝子破壊の方が強烈にして即効性のある害である。

東京電力が自分らの利権の為に、ありもしない電力不足を演出した事は既に国民全員が知っている。

そもそも、こんな事故が起きる前から大半の国民は原発などなくても「エネルギー供給」という理由では原発など必要ないし、「安価なエネルギーとしての原発」などというものも、核廃棄物の処理や、発電施設の廃棄にかかる経費を含めれば安価どころか現在存在する発電方法の中で一番高価な電力である事などわかっていた。

それを告発する書籍だって、3.11以前から数えきれないほど出版されている。

事故が仮になかったとしても、核廃棄物の処理、保管にかかる経費は棚上げで、他に比べれば割安な核エネルギーを、自分が経営者の間は使って業績を上げたいと考える、モラルのかけらもない経営者に腹が立つのは、もっともではある。

先の事を考えろ、と糾弾したい気持ちはわからなくもないが、それは自分が傍観者の立場から一歩もでずに喚く無責任者だから言える事だ。

旧ソ連からから独立し、旧ソ連時代に建設されたが元々ろくでもないソ連製の旧式炉、しかも老朽化して、いつ事故を起こすかわからない原発しか国内にない、貧乏東欧国家がある。

この国では独立してから、その危険な原発を使う事を恐れ、ロシアや、その他の産油国から石油や、天然ガスを購入して細々と暮らしていたが、まともな電力を供給する事も出来ない国家が、他国に輸出して競争力をもつ製品を生産できるはずもなく、元々極貧国家だったのが、超極貧国家へ転落。

資源高騰により、まともに家の暖房すら出来なくなり、結局ボロ原子炉を再稼働させることに国民が合意した。

事故が起きたら致命的なのはわかっていても、電力がなければ暮らして行けない。

今日を生きなければ、明日はないのである。

その気になればいくらでも他に手段がある日本と、東欧の弱小国家ではまるで事情が違う、と非難するのは愚かな話だ。

「日本」という国にとっては、なるほど、事情が違う。

ただし、後始末棚上げの偽り会計ではあっても、「とりあえず現在」「他の資源による発電より安価な」「電力価格」に依存して商売をしている企業にとっては、

「今日を生き延びなければ明日はない」事情は同じなのである。

もちろん、日本であればその気になれば、1企業であっても解決の道がないわけではない。

大企業であればなおさらだ。

しかし、海外の同業他社と、現在は直接競合していなくとも、国内相手だけの商売だとしても、ライバル会社は「モラルなど知った事か」と、安価な電力で原価を圧縮して商売を仕掛けて来たら、それに打ち勝って商売をするのは、外野で無責任に「原発危なーい」などとと叫ぶだけの馬鹿には、到底出来ないウルトラCの技なのだ。

従業員の生活を抱え、その人生に責任を負う経営者が、頭の中がお花畑な無責任サヨク原発反対論者の尻馬になど乗れようはずがない。

小林氏は、原発を使用しない為に高騰する電力が、製造業の原価に影響する割合は0.X%(たしか23くらいだったと思うが忘れた)と書いている。

どうやって出した数字かは記載していなかったが、当然それは国内産業サンプル抽出平均であろう。

大企業にとっては、それでも何とかなる割合かもしれないが、家内工業に毛が生えたような工場で、必至に日本の技術を守る中小企業にとって、どういう数字か、考えた事があるのだろうか?

たかが零コンマの割合?

零コンマの原価を削る為に血を吐く思いで、下手すりゃ青木ヶ原へ行くほど追いつめられても働く日本の会社員に土下座して謝りやがれというんだ。

断っておくが、私は小林氏がよく著作の中で言う、「自分自身は勝ち組」「金持ちは贅沢をする」を非難する気は毛頭ない。

正々堂々、まして何の保証もない自由業の世界で、自分の才能ひとつで稼いだ金を何に使おうが本人の自由であり、他人がどうこう言う話ではない。

金何ぞ使ってなんぼ、流してなんぼ。

人様に物を売って金をもらったのであれば、その金は人様にまた流してこそ意味がある。

AKBに鼻の下をのばしているから何だと言うのだ馬鹿らしい。

ただし、自分の商売にとって原価零コンマの値上がりがどうと言う話ではないからと言って、他人の商売に何の知識も、経験もないど素人くせに、ましてや自分がその原価を負担する訳でも、原価が上がっても商売上問題なく乗り切る魔法の解決策を提示する訳でもないくせに、偉そうに説教たれるなど言語道断である。

もちろん、電力が高騰してでも原発を廃止すべき、という論には賛成だが、ではその後始末をどうするのかと言う提案がまったくないのだ。

これでは原発廃止に反対する、「今日生き延びなければ明日はない」産業界を説得するなど夢物語の子供の駄々でしかない。

ったく、学校の先生だの、作家だのの、まともに社会にでで生産活動に従事した事のない連中の考える事はいつもずれているのだ。

昨今の物づくりの現場、分野を問わずなのだが、新規入社の社員や学生が、そろいもそろって頭でっかちで、「学校で習った理論ではこうなっているからこうなるはず」で、実際に作ってみる、やってみる、というのを馬鹿にして失敗ばかりすると言う話を思い出す。

「本で読んだ事だけではだめだ。実体験のない知識は使えない」

言い古された話ではあるが、この言葉は正しい事を言っているのに、聞いた人間に反発心しか起こさせないように思う。

私が学生だった時にも、別に大学の授業などでなくとも、小学校の朝顔の栽培だの、簡単な化学の実験だの、こんなの教科書を読めば全てわかるし、実際に実験したりしなくても本当にやりたいとか必要ならやればいいだけの事、なぜ授業時間をつぶしてこんな「作業」をさせるのかと文句を言っていたものだ。

でも、そうじゃないのだ。

教科書に書いてある事を実際にやってみる事は、「教科書に書いてある事をただそのままやってみる事」を目的としているのではない。

ましてや、「実際にやったと言う結果を出す事」が目的なのでもない。

教科書に書いてある事は、「過去に手順が確立され、失敗なくできる最短距離の手順」

である。

しかし、現実に教科書に書いてある事をやってみた時、「教科書に書いてある事以外起きない」などと言う事はほとんどないのだ。

「実習」の目的は、教科書に書いてある事を実際にやってみて、「教科書に書いていないどんなことが起きるのかを学習する」

ことにある。

ところが、ぼんくら教師どもと来たら、こんな大事な事を生徒に説明しないと来てる。

もしかするとあの連中は、教職課程でもこういう事は習っていないのかもしれない。

でなければ、長い学校生活の中で誰か一人くらいの教師はこの大事な事を説明していそうな物だ。

思いっきり話が脱線した。

この著作の中で、小林氏は、「原発から核兵器のひなは生まれない」と言っている。

私は、技術音痴の文系作家を自認する小林氏が、「原発を作る技術で核兵器は作れない」というトンチキを言っとるのかと思ったが、予想の斜め上を行っていた。

曰く

核兵器不拡散条約(NPT)で縛られている日本は核兵器の開発はできない

曰く

日本に輸入されているウラン国際原子力機関IAEA)によってガラス張り状態で管理/監視されており、万一核兵器を作る為にウランを使用したら、たちまちウランの輸入が出来なくなる

だから、原発があっても核兵器など作れない

のだそうである。

日本が核兵器を作りたいなら、まずNPTを脱退せねばならない。

よって、原発があっても核兵器は作れない。

まして、既に日本は、アメリカと張る数量の(500だが5000だか、数字は忘れた)核爆弾を作れるだけの核燃料を持っているのだから、核弾頭を作る為に原子炉が必要だなどというのは意味のない事

だそうである。

シャレや冗談ではなく、頭痛がした。

3つ目の理由だけはまさしくその通りで、そもそも核は使う為の爆弾ではない。

一発撃ったら終わりのリーサル・ウエポンなのだから、作る技術がある事、その気になればすぐにでも撃てる、と言う2点を満たしたら、数は少ないに超したことはない兵器なのだ。

沢山持ってたところで、大して意味が無い上に、「安全に」保有し続けるのには、通常兵器や軍隊を維持するのに比べれば遥かに安上がりとはいえ、もちろん、一般人の金銭感覚とはかけはなれた維持費がかかる。

飛ばす性能が良ければ、せいぜい2、3発もあれば十分で、作る技術があるなら、まして日本のようにロケット製造が出来る国であれば、既存のロケットに核弾頭積んで発射すればいいだけなのだからわざわざ核兵器など作る必要もない。

日本は既にその2つを世界一の水準で満たしている。

実際に核兵器を作ったと宣伝などしなくとも、脅し効果は十分すぎるくらいに持っているのだ。

それをまったく生かせていないのは日本の政治家が箸にも棒にもかからないウルトラ馬鹿揃いだからで、これとそれとは話が別である。

今だに核武装の為に原発が必要だと抜かす馬鹿はいるので、「原発から核兵器は生まれない」と言いたい理由はわかるし、原爆を作る燃料を仕入れる為に原発は必要、というアホな理由を否定するのは当然だ。

が、ここでやっと、小林氏が、日本が本来必要のない原発を、原発利権村の連中にしゃぶられ尽くしながらも廃止できない理由を理解できていない事が露呈する。

原発の原料のウランを自国で供給する技術など既に日本では確立している。

日本領海内の海底の泥にもウランは含まれているし、何より、海水には世界中どこででも、ウランが含まれている。これを吸着してウランを取り出す技術は既に日本で確立されていて、後はそれを採算ベースにのせる研究が残っているだけだ。

枯渇の心配もほぼ0、輸出を止められる事を心配する理由などまったくない。

だいたい、あんさん、原発廃止論を書いてるのに、ウランの禁輸措置なんか心配してどうする。

既に日本国内には、アメリカと張り合う量の原爆を作れるウランの量があるなら禁輸されたところで痛くも痒くもないだろうが。アレは使ったら終わり、戦争中継続して作り続けないと負けるって代物ではなかろうよ。

氏の、原発から核兵器は生まれない主張に目眩がしたのは、ここではない。

日本はNPTを脱退しないと核兵器は作れない

日本はIAEAに監視されてるから核兵器は作れない

これである。

・・・えーっと。

これから、泥棒しますって人は、警察に、「これから私は善良な市民である事を止めます」って報告してからでないと、泥棒が出来ないように、人体にソフトフェアロックでもかけてあるんでしょうか?

こんなたとえ話をしたくなるくらい、言ってる事がアホで泣けてくる。

原発は全廃するべき→核武装の為のウランは既に使い切れないくらいある→核兵器作る為にはNPT脱退しなくちゃ→脱退したらウラン売ってもらえなくなって困る

このループに矛盾を感じないのだろうか、この人。

まず、ウランを売ってもらえないからNPTを脱退できない、なんてのは、別にウランなんて欲しけりゃいくらでも日本は持ってるし、核兵器作る為だけに必要な分は使い切れないほどあるんだから無問題。

IAEA核兵器作らないように監視してるって、じゃー、あいつらに一体何が出来ると?

既にアメリカは、日本が核武装する事に反対しないとまで言ってるけど、そんなの無かったにしても、日本が核武装したから日本に戦争しかける、なんて馬鹿は世界にいないよ。

なぜなら日本人が死滅してしまったら世界は現在の文明を維持する事が不可能だからだ。

日本とガチンコで戦争できるのはアメリカだけだが、そのアメリカの産業は全て日本に依存しているのだから、戦争なんぞ出来ようはずが無い。

日本人がいなくなったら、一体誰が世界のハイテク工場で使う金型を作る?

日本人でなければ作れない、世界の先端技術のコア部品ばかりを輸出しているからこそ、これだけ日本の人件費が高くとも、国内GDPに占める貿易の割合がOECD内で最低でも、日本は貿易赤字など無縁なのだ。

日本人にその気あれば、核兵器なんて平和裏に作る事がいつでも出来た。

それをしなかったのは、政治家がへたれと言うのは確かにあるかもしれないが、はっきり言って日本に核兵器など必要ないからだ。

日本は世界で唯一、大陸間弾道弾ミサイルを宇宙空間で撃墜できる能力を持った国である。

いわんや、大気圏内をひょろひょろ飛んでくるミサイルなんぞ、日本の領海内に入る前に撃墜することなどオチャノコだ。

技術的に出来ないのではなく、アホな憲法のおかげで、日本にくるまで撃墜できない「ことになってる」だけである。

しかし、いくら中共アメリカ南北朝鮮ロシアクマの頭がおかしくとも、日本国民が虐殺されるとわかっていても、他国の領内から発せられたミサイルが日本の領空に入るまでは撃ち落とすと憲法違反だから待ってます、なんて馬鹿をやると考えていようはずがない。

アメリカのように、軍需産業以外にまともな給金を払える雇用を生み出す産業がない国なら、いっそ永久運動雇用として「作って」、「管理して」、「廃棄にまた金かけて」、というのも、ありではないかとは思うが。

ちょっと脱線するが、現代の戦争の原因は全て、目先の欲望を満たす今年か考えられないアメーバ脳の武器商人どもが自分の利益の為に戦争を画策する訳である。

一見民族紛争が、宗教が、独裁者が〜などと言うのが戦争の原因用に言われているが、それらを起こしているのは全て武器商人、これにひとつの例外もない。

重ねて言う。

少なくとも20世紀半ば以降に発生した全ての戦争は、武器商人が自分の商売の為に起こした戦争である。例外はない。

それ以前の戦争でも、武器商人は戦争を起こす為に暗躍はして来たが、純粋に武器を消費させる事だけが目的で、避けようとすれば避けられる戦争が勃発したり、必要もない紛争が発生したりするようになったのは、やはりWW2以降だろう。

戦争は武器商人が虫けらをえさに自分の懐を肥やす為にやらかすパーティであり、そんな物であの世に行く「兵士」こそ、いい面の皮である。

そういう意味で、日本が何はなくとも外国の紛争に首突っ込む事を避けて来たのは、賢明な事であるのだ。

戦争を起こさず、軍需産業の雇用を確保する目的で、スクラップ&ビルドでの武器開発と保有を肯定するのが世界平和への道ではなかろうかと思わないでもない。

もっとも、これが実現できる国はおそらく世界中に日本しかない。

日本であれば、自国のみで、ありとあらゆる兵器開発が出来、

日本であれば、国内軍需産業が外国に武器を売って儲けようとするのを止める事ができる。

日本であれば、雇用確保と戦争防止のため、作って保有するだけの兵器に税金を投入する事が無益ではないと理解できる、知能の高い国民が大半を占める。

が、このような条件を満たす国は悲しいかな、地球をひっくり返しても日本だけで、世界の軍需産業を牛耳る諸外国では、軍需産業のガリガリ亡者ぶりを静止する事は不可能だ。

なぜなら、どこの国の国民も、もし戦争が無いにも拘らず軍需産業が新しい武器を売りつける事を延々と続ければ、役にも立たない武器に税金を投入するな、と文句を付ける事請け合いだからだ。

戦争で武器を大量生産してぼろ儲けが出来なくとも、ありとあらゆる国家に抑止力としての武器を売る事で軍需産業を満足させようとしても、罪もない自分以外の人間なぞ虫けらとしか思っていない、軍需産業の所有者どもの狂った「自分以外の虫けらを殺す事でもっと儲けたい」欲望を、抑止力たる武器の更新程度の儲けで満足させる事が出来るかも疑問ではあるが・・。

自然エネルギー発電の問題点は、蓄電池技術が産業用どころか、個人住宅用ですら実用に堪えないほどの物しか、まだ開発されていない点だ。

発電事業とは何か、と言う説明が、この著作にはまったく出てこない。

電力会社は、個人が発電した電気の買い取りなど迷惑千万なのである。

それを、大抵の人は、自分の儲けが減るからだというとんちんかんな理由だと思い込んでいる。

そりゃあ、儲けは減るには減るが、そんなチンケな理由ではない。

電圧、電流を一定に保つ、電力供給量の調整が出来ない、これが、電力会社が民間発電電力の買い取りを迷惑と思う、唯一にして絶対の理由なのだ。

電力は社会インフラだ。

今日は、供給力読み間違えて発電量が足りなくなったからここからここまで停電ね♡

なんて事が許されようはずがない。

かといって、足りなくなるよりましとばかりにばかすか発電したとしたら電力は発電してしまったら保存が利かないのだから大赤字だ。

足りなくなったら大事だが、かといって余らせても電力会社の経営は破綻してしまう。

だからそ、凄まじい金額をかけて統計のプロを雇い、需要予測のITシステムを構築し、気候予測システムも完備、大の大人が寄り集まって、供給量を1%挙げるか挙げないかを毎日脂汗をたらしながら胃が痛くなる思いで決めているのだ。

個人住宅の電力買い取りなんぞ、少なくとも現段階では電力会社にとって100害あって1利無しのお荷物でしかない。

氏は「脱原発論」の最終章で、日本の、自然エネルギー発電技術研究についてのレポートを掲載している。

主として海洋風力発電の新技術についてのレポートがあったが、、

いや、別に、自然エネルギー発電の研究自体は今後も続けるべきであるし、エネルギー供給方法は隣のバ韓国のように原発に頼る以外ない、なんて馬鹿をさらす事のないよう、幾重にも上長化するのが望ましい。

これは国家の安全保障に関わる問題であり、A方式が一番安いからこれ一辺倒で、と言う物ではなく、国が税金で持って多少効率が悪くとも多種多様なエネルギー供給方法を保全整備すべきである。

が、それと、今現在現実の社会状況の中で、主力供給源として使用するかと言うのは別問題だ。

現実問題として、現在の太陽光発電では、日本の産業が必要とする電力供給量をまかなう事は不可能、風力も同様。現状の太陽光風力発電の能力では、盆栽の木を薪にして北海道の冬の暖房に使うがごときままごとにしかならない。

しかし、日本が原発を廃止できない理由は、自然エネルギーによる大体発電技術が必要需要に満たないせいではない。

単に電力需要を原発より安全な発電方法で、原発より低コストで調達したいのであれば、日本には「地熱発電」という最終兵器が既にある。

太陽光や、風力と違って、地熱発電の発電技術は既に実用段階で成熟しており、日本の国内環境であれば原発何百基分もの地熱発電を行う事が可能なのである。しかも、これは既に実績が伴っており日本の日立他の地熱発電プラントは世界の地熱発電プラント製造の7割以上のシェアを確立している、世界一の地熱発電技術保持国なのだ。

それなのに、なぜ日本国内に置いて、ただ同然の、枯渇する心配も無い地熱発電が主流とならないか?

ひとつには、設備を建築可能な候補地のほとんどが国立公園内にある事、大抵の候補地の源泉は、同時に国内の有名温泉地の源泉とかぶっており、温泉産業団体からの強い反対があるからである。

もちろん、そんな物は表向きの話で、本当の理由は石油産業と、原発産業の妨害であるが。

石油利権も、原発利権も、元をたどればアメリカの利権であり、つまるところはアメリカの金儲けの為に、その気になれば今日明日は無理でも突貫工事で国中に地熱発電プラントを作って回り、原発発電量と同等の発電稼働が確認された段階で順次危険度の高い原発から廃止して行けば、単純にエネルギー供給を満たす、問いう点から行けば原発の全廃などいくらでもできる。

地熱発電プラントを環境に配慮して作るとなると通常より山を掘ったり何ダリでカネはかかると言っても、原発作るよりか安上がりである事は明白で、作ってしまえば後は発電原料も不要ときているのだから、安上がりな事この上無し、財界も左うちわで諸手を上げて賛成するだろう。

石油、原発の利権にがつがつのアメリカは当然怒るだろうが、そもそも論として、そろそろアメリカは自国が没落の途上にある事を自覚し、高々100年強しかない、野蛮人国家の住人であるにふさわしい態度を学ぶべきときである。

アメ公の思い上がった難癖は、安倍次期首相の組閣する日本政権が責任を持って突っぱねるだけの政治能力を見せてもらいたい。もちろん、その為には自衛隊の国軍化が不可欠である。

つまるところ、国家間に置ける難癖を解決する為には軍事力が必須なのだ。

軍事力の無い相手の言う事なぞ、暴力で蹂躙すればいいだけの事だからだ。

代替の電力供給技術はある、金の心配も無い、アメ公の難癖は突っぱねる、国防の為の原爆製造に必要なウランの心配も無いなら、原発廃止してもいいんじゃね?

となるだろうが、ここからが、真に日本が原発を廃止できない理由だ。

そして、小林氏が「脱原発論」と言うお花畑本で述べていない理由。

それは、

「地球はつながっていて、日本だけで原発を廃止したところで、放射線汚染からは逃れる事ができない」

これである。

とくに、日本と言う国は、世界で一番この理由が大きく国に多いかぶさってくる国なのだ。

アメリカはいい。自国の国土は広いし、片方の隣の大陸はど貧乏の発展途上国ばかりで原発など作れる国は無い。

他の原発所有国は、太平洋か、大西洋を隔てた反対側だ。

しかし、日本は違う。

低能土人の分際で、満足に管理もできない、出来損ない原発をぼこぼこ作って、地震津波も無いのに、事故ばっかり起こしているアホな隣国。

目とハナの先に、韓国北朝鮮中国という気違い国家のぽんこつ原発が列をなしている。

その上、法だの、正義だの、ルールだのと言う言葉がむなしくなる土人国家ロシア

この国が、自分で管理しきれない放射性汚染物質を日本の領海に不法投棄しにくると来てる。

ロシアはまだしも、今後、朝鮮中国では必ず原発事故が起きるのである。

そのとき、お花畑サヨクの言いなりに原発を全廃していたら、日本はどうやって原発事故に対処するのだ。

まして、原発全廃した挙げ句、国内の原発技術者の海外流出を招いた日には、世界中のテロリストやテロ国家に、核の脅威をばらまく事に他ならない。

中国朝鮮半島の土人国家が、まともな国家に変貌し、ぽんこつ原発を自発的に全廃する見通しがあると言うのであれば、どうぞ、日本の原発など即刻全廃したってかまわない。

困るのは原発利権でやって来た電力関連会社だけだ。

原発技術者は、みんなまとめて核融合炉の実験設備の研究事業に吸収だ!

・・・と言う未来図は当たり前だが描く事はできない。

中国朝鮮ロシア土人がヒトモドキから人間になる日が永遠にこないとは言わないが、まあ、どんなに少なく見積もっても1000年や2000年では無理と言う物だ。

よって、ヒトモドキにあわせた戦略を日本はとらなければならない。

日本の核技術を盗まれない為にも、日本国内の雇用を守る為にも、日本に原発技術を残し、隣国での原発事故の対処方法の研究を続ける事。

強欲な隣国が、原発よりも効率がよく安上がりで、管理も楽な発電設備に飛びつくように、新規の自然エネルギー技術の開発を続ける事。

将来の軍事技術、宇宙船の原動力の為に、核融合炉開発研究を進める事

ただし、日本国の安全の為に、一国も早く原発は廃止する事。

即時全面停止などと言う、カネ、人、安全保障上の空論をこねくり回さず、カネ、人、安全保障をすべて満足させる、原発全廃のシナリオを描く事。

原発利権屋どもには新しいあめ玉、核融合炉開発利権を。

金の亡者経団連のアホ垂れどもには、新規地熱発電建設利権と、低額電力供給と言うあめ玉を。

温泉協会の連中には、地熱発電設備建設に伴う莫大な保証金、発電設備関連の雇用増大による経済効果と言うあめ玉を。

原発利権で暮らして来た原発の地元民には、新規に核融合炉研究設備を作る場所を原発設備のある場所に建設して雇用確保。

地熱発電は、現在原発による発電を望む全ての国での利用はできない。

太陽光風力発電の効率向上と、蓄電池の開発に日本国を挙げて取り組み、原発の効率をしのぎ、世界で原発を廃紙に追い込む事。

これを日本国民の共通目標として掲げ、次期首相たる安倍さんには、その確かな政治力を持って実現に尽くしていただきたい。

これが私の、「脱原発論」である。

断捨離と、中国製品不買と、日本再生

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断捨離がらみの本については過去2つほど掲載しているのだが、本家本元のやました ひでこ氏の著作を紹介していなかった。

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」

この言葉は今や流行語と言うのも恥ずかしいほどに巷間に満ちあふれているので、言葉の意味を知らない人はあまりいないと思われるのだが、誤解され易い言葉でもあるのでさっくり説明する。

提唱者であるやましたひでこ氏が、仏教の行である、断行、捨行、離行からヒントを得て作った造語である。

「物」の流入を断つ、「物」を捨てる、「物」から離れる、と言う意味で、この中の「物を捨てる」と言うところが、日本のがらくたにあふれている家庭にヒットしたと言うわけである。

もっとも、断捨離の目的は、単に物を捨てる事にはなく、物と、それを所有する人間が向き合い、なぜそれを買ったのか、もらったのか、なぜそれを使いもしないのに抱え込んだままだったのかを、真摯に考え、所有する物に象徴された自己の内面の問題に気がつき、現実の問題を解決し、「ごきげん」な生活を呼び込む事である。

「物」とは、家庭にあふれる「がらくた」のことであるのだが、「がらくた」の整理を通して、自己の内面に抱える「執着」「嫉妬」「不安」「怒り」などなどの、「物」をも、整理する為の方法論が、「断捨離」である、と言うのが提唱者の意図であり、かつてのいわゆる「物を捨てましょう運動」と差別化されている点であろう。

この国では、雑誌の売れ行きに詰まったら「片付け」特集を組め、と言われており、「もの溢れ」は国民的関心事となって久しい。

久しいと言っても、悠久の日本の歴史の中では、戦後の焼け野原での「物無し」暮らしを体験した世代が、高度経済成長の金儲けウランかな主義と相まって、「かつては物が無くて大変だった」と言う恐怖心からの溜め込み生活を行った時だけの一時的現象に過ぎないことではあるが。

私自身は、この方法論について特段感銘を受けたと言うところは無い。

正直、かなり大昔、大学生時代よりずっと、このような生活をして来たからである。

私は、子供の頃からとにかく物に執着する性格で、自分の欲しい物、好きな物に関して明確な基準があった。

「自分が欲しい物以外は欲しくない」を、それこそ物心つく頃から貫き通していた為に、親にはさんざん、子供らしくないの、かわいくないのと言われ通しだった。

「何か買ってやろうか」と言って、私が欲しいと言った物が予算オーバーだったりしたら、「それは高いからこっちはどお?」などと言っても、「ならいらない。今日は我慢する。いつ頃だったら買ってくれる?」と、「かならず」言う子供だったそうな。

子供時代は親が買ってくれる物だけで生活していたわけで、「欲しいもの」が山とあり、物を捨てる必要などそうそうなかった。

しかし、大学生となり、曲がりなりにも一人で暮らすと言う事になった際、(実は中学時代からずっと、いずれ一人で暮らす際にそろえる家財道具のリスト化に余念がなかった)せまいアパートで、最低必要な家財道具は何か、そして、物に執着し、物を擬人化して愛してしまう自分の性格から一度購入した物は、どうしようもないくらい壊れない限り捨てるのは困難なのだから、死ぬまで使う事が苦痛にならない、美しく、機能的な物を購入するのだ、と言う明確な意志があった。

断捨離」の中で、「物」を擬人化してしまうがために捨てられない、と言うのを、「物」は人ではない。「物」をくれた人だと思い込んで捨てられないのは間違いで、くれた人を捨てるのではなく、物を捨てるのだ、というのが出てくるのだが、私の言う「物の擬人化」はそれとは違う。

「物」に魂がある、と考える日本人的心による、「擬人化」である。

森羅万象、この世のすべての物は心を持っている。

これは日本人としての根っことなる価値観であり、これを否定するのであれば日本人とは言えないと、私は思う。

「もったいないおばけ」

物を粗末にすると、物が恨んで妖怪となって化けて出る。

日本人が物を粗末にする事を戒める為に作ったお話であるとは言え、迷信だとわざわざ放言したがる日本人は、そうそういないだろう。

「げげげの鬼太郎」を子供の頃、繰り返し繰り返し再放送で見て育った生粋の日本人である私は、「物を、粗末に捨てる」と言うのは、空襲でも受けて、持って逃げる事ができなかったんです、とでもない限り、許容する事はできない。

断捨離」で、物を捨てる際、感謝と、後悔の気持ちで手放す事によって二度と使い切れない物を無自覚に購入する事を防ぐ、とあるので、別に断捨離が物を粗末にする事を肯定していると言うつもりは無いのだが、私にはやはり、まだ使える物を捨てると言う選択肢はない。

洗剤を大量に買い込みすぎて、と言うのであれば、1月の使用量で全体量を割って、どれだけの期間で使い切れるか計算し、

「なくなるまで買わないで済む」と割り切り、あまりに大量にあるのであれば、それこそ家の大掃除に惜しげ無く使用して、量を減らせばよろしい。

歯磨き粉、歯ブラシが、30個も出て来て、と言うのなら、歯ブラシなんて1月に1つ交換するのがいい、と言われているしと、1年くらいかけて使い切ればいいだろうし、歯磨き粉としてではなく、シンク磨きの磨き粉として使ったっていいだろう。

少々もったいなくても、1月1本より短いペースで使って、サッシの掃除に使い倒して捨てたっていい。

未使用でゴミにするより、物も本望と言う物だ。

どうしてもさっさと家から追い出したいのであれば、残った分はフリマで売るなりして最後まで責任を全うして欲しいのだ。

こうして、苦労して使い切ったって、ちゃんと無自覚に物を買う事から遠ざかる事はできる。

私の生活はまさにそれで、自分で無自覚に買い込む事は無かったし、赤の他人からは物はもらわないが、家族からやってくる洋服やら、洗剤やら、食料やらの消費に結構四苦八苦した。

実家では、もう物は増やさないと、老後の物の整理を何年も行っていて、そうそう物がこなくなったので、洋服の類いはやっと減って来たが。

洗剤やら、基礎化粧品やらの場合は、がんばれば倍速消費ができる。

趣味の道具や、古本、食器、家具などは、ヤフオクで売るなり、フリマで売るなり、ブックオフに売るなり、ハードオフに売るなりできる。

問題は、売り物になるようなブランド物ではない、洋服、バッグ、靴の類いであろう。

これは本当に厄介で、国産ではなくなったとはいえ、中国産だろうがなんだろうが、日本で、日本企業が売っていると言う事は、ジャパンクオリティーなのである。

よって、10回や20回使ったくらいでへたれてくれる物などは無い。

新品ならまだしも、1度でも使ってしまったその手の服飾品は、まず売れやしない。

幼稚園やらのバザーなどに出しても、大抵は売れ残るのだ。

洋服の類いを「もう捨ててもいい」と思えるまで着たおす、その基準。

私の基準はおそらく一般日本人より厳しいと思うが、

・生地が何となく弱って来て、うっかり力を入れて生地を引っ張ったら割けるかもと思う

・ジーンズやジャケットなどの肘や膝に穴があいた、袖口などがすり切れた

・染み抜きなど効かないくらい汚してしまった

このうちのどれかに当てはまらない限り、お釈迦にする気はないのだ。

大抵の人間は、買い物が好きな物だ。

まして、着るものと言うのは「実用」から遠い事が多々ある上、流行と言う物もあるので、新しい物を見れば欲しくなる。

布地に対して、これだけの使い方をして、なおかつ買い物の楽しみを毎年楽しみたい、と言う事になると、手持ちの服飾品の数を、1年で捨てても惜しくないくらいに使い切れる量に減らし、使用頻度を上げるしか無い。

自分でだって、楽しみで多少は服を買うし、その上家族から大半は断るとはいえ、洋服がやって来て、タンスがぎちぎちだった私は、ここ10年くらい、室内着として着用する服を季節ごとに数枚にしぼって使い倒し、数を減らして来た。

しかし、洗い変えもある事だし1季節に上下5、6アイテムにしぼっても、それをお釈迦にするのに最低2年はかかるのだ。

Tシャツをやっと全て追放し、自分で新しいのを買えるようになって以来、私は1年に2枚以上のTシャツは買わない事にしている。

1枚500円で購入したTシャツでも、1年に4ヶ月くらい2枚ローテーションで着用しても、下手すると3年は持ってしまう。

まして、Tシャツより丈夫な衣料品においておや。。

そこで、である。

1年に、たった1枚しか買えないTシャツ。

1年に、たった1枚しか買えない、ブラウス。

2年に1回、たった1枚しかかえないジャケット。

・・・・

世界で一番貴重で高価な土地は、銀座でもマンハッタンでもない。あなた自身の暮らす、家のある土地である。

その土地の、貴重な一部を占めるタンスを占領するのは、大変な栄誉なのである。

そこに、「安いから」と言う理由で、出来の悪い、ヒトモドキ中国人の作った衣料品を突っ込んでよろしいのか。

お金がなくて、安い中国製品すら必要最小限しか買えないと言うのであれば、それはそれである。

しかし、大抵の日本人は物があふれて、「断捨離」などがはやるほどに物を手放したがっているではないか。

なんで、そんなに物があふれて困っているのかといったら、

安物をかうから

これにつきる。

洋服ばかりではない。

家具、家電製品、文房具、台所用品、食器、全て、とりあえずで、必要も無いのに量をそろえようとするから、安物しか買う事ができず、結果生活全般が安っぽくなり、満足できないからまたぞろ安物を買う。

安物とはいえ3回使ったら壊れてくれれば捨てられる物の、使いづらくても壊れはしないから、同じ用途の物がどんどん増殖する。

家電メーカーの技術者が、残業に残業を重ねて設計し、やっと送り出した製品が発売して3ヶ月で低下の10分の1になって売られているのを見るときの悲しみ。

一昔前の日本製品の家電に比べて、安っぽい上にも安っぽい、すぐに壊れて当然と言わんばかりの家電の数々。

こんな、アホな事は止めませんか。

洋服は、1アイテム、1季節、1着づつで十分足りる。

靴なんて、上等のベーシックな物を買えば、5年どころか10年、20年底を張り替えて保つ物だ。

捨てる罪悪感から解放され、上等の物だけに囲まれて暮らす、上等な私。

物を使い捨てにするのではなく、物を愛し、大事にし、修理して長年使い込む丁寧な暮らしをする私。

買ってから10年以上、どこにも不具合無し、修理なし、丁寧なサポートセンターの対応でストレスフリーな家電暮らし。

そのような、一昔前の理想的日本人の暮らしを支えるのは、日本製品ではないのでしょうか?

少なくとも、無学で、凶暴で、他国を野蛮な暴力で侵略し、環境保護?なにそれおいしい? 放火だ暴動だ略奪だ強姦だ拷問だ、の蛮族が作った、どんな危険な化学物質が紛れ込んでいるかわかった物ではない中国産では、理想的日本人の暮らしは実現しない。

もとより知性などあるとは思っていない中国人どもが、幸いにも中国などに金儲けしたい一心で道義を捨てて工場など立ておった日本企業の工場を焼き討ちしてくれたのだから、これを天からの警告と知るべきでありましょう。

今この時期、断捨離という、日本人の戦後消費生活に対する自省を促す方法論が流行にはやっている現実、それがちまたに行き渡ったときを見計らって、グローバリズムで何でも安ければいいと言う価値観への反旗が揚がったのは、偶然であるとは思えないのです。

世界は転換期を迎えている。

グローバリズムはとうの昔に終焉を迎えており、業種の独占を行い、資本家による安かろう悪かろう製品の押しつけ販売も終焉を迎えている。

物が売れないのは、買い手が欲しいと思う、品質のいい、生活の質を上げる、心を込めて使い手の事を思って作られた物を、大企業が作れなくなっているからで、大量生産の押しつけ商品以外の物は、きちんと利益を出して売れているのです。

もはや、消費者グローバリズムに背を向け、モチツ持たれつ、の精神で、自国の、買い手の事を心から思って丁寧に作られた商品を、必要な分だけ、無駄にしないよう少量ずつ購入する生活を取り戻しつつある。

先行きは、あかるい。

デモに行かなくたっていい。

ただ、中国製品を買わなければいいのだ。

店先に日本製の家電が無い?

「日本製のは無いの?じゃあ、いらない」と言い続ければいいのだ。

とりあえず使う分は、新品ではなく、古道具屋でしのげばいい。もし必要なら。

大丈夫、物の5年もすれば、大抵の物は国産しかなくなる。

日本人の国産信仰をなめるな!

国外産を今まで買ってやっていたのは、日本企業が、必至に海外でも日本の品質を、品企業の看板にかけて実現しますと言っていたから。海外で必至に働く日本の企業戦士へのエールもあったから。

もはや、そのエールは二度と響く事は無い。

海外に工場を立て、金儲けのために日本の誇りを売り渡す売国の輩にかける情けなど無い。

日本企業は速やかに日本国内に回帰せよ。

それができなければ、日本国内での販売は全滅だ。

日本での実績の無い日本ブランドなど、海外でやって行けると思ったら大間違いだ。

日本製品の海外販売苦戦は円高のせいなどではない。

お前らメーカーがぐうたらで、海外の企業見たく、寓たらしてても稼げるようになりたいなどと言う、卑しい根性でいるからだ。

原点へ帰れ。

世界一厳しい品質要求の日本人の期待に応え、山ほどいる日本のライバル会社との販売合せん、サービス合戦で鍛えられたからこそ、海外で敵無しだったのだ。

昨今の日本企業の不振を、自分たちの怠慢を棚に上げて円高のせいだの、サムスンの安売り攻勢のせいだのと、雇われ能無し社長どもの見苦しい事と言ったら無い

これを機会に、中国朝鮮とはすっぱり縁を切り、かつての日本を取り戻そう!

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