あの

あれだよね はてなダイアリーに限らず、blogってゆう「web日記たすことの相互リンク機能」?っていうかtrackbackとか。ああいうの、ちゃんと勧めるなら把握しておく機能もつけないといけないんじゃないの。誰の日記/blogにコメントしたか、とかいつ誰にtrackbackしたか一覧させる機能。コメント記録なんか、はてなダイアリー様(様をつけるのは京都に足を向けて寝られないからだな)内で済ますなら簡単だろうけど、他のしくみ(movabletypeとか)にコメントつけちゃったらわけわかんないから、コメントした->コメント来たよ->そのコメントの情報を「こっち」に書いとく、っていう機能をいろんなしくみ(はてなダイアリー様とかmovabletypeとかココログとか)で共通なのをつくんないといけないんだろうけど。そういう超電磁がやってくれんだろ。いいや。

こう

はてなダイアリー 様を利用させて頂いてからよく思うんだけど、
自分内の話のねたとか後で読もうと思ってる記事を日記として書いておきます。
そんで、後日「あーとえーとその記事はメモしておいたはず」と思って自分の日記内で検索して、目的の記事をひっぱりだしてよんでるんですけど、(自分のづのうの)外に情報があるのってすごく便利ですね。自分の中にゆるーいインデックスを築いておいて、肝要な本文は外にしっかりおいてあって。ああありがたい。ぐーぐー(とそのキャッシュ表示サービス)もものすごく便利だと思ったけど、これも便利。

こども(酔っ払ってるうちに書いておく素直なコメント)

 二日に、友人のお兄さんのお宅にお邪魔(どういう関係なんだか)して、2歳のお子さんと遊んだわけです。それから、昨年暮れには別の友人のお子様二人と遊びました。
 で、その時に(それから今も)強く感じたのは、希望、とゆう言葉です。
 こう、子供には無限の未来が、とかそういううそ臭い話じゃなくて、彼女/彼らの(←どんなに飲んでもPCで偉い自分)親の人たちに対して強くそう思ったわけです。親の人たちの様子をみてると、二十四時間頭のどっかで絶対に、何が何でも、子供のことを考えてるんだってことがわかるわけです。
 表面的には、親の人たちは子供の一挙一動に注意したり、あやしてあげたりしているだけだったし、そもそも僕は子供たちにも親の人も、ごくわずかな時間しかみてなかったわけだけど、それをみていてものすごく嬉しかった。「こういうのがたくさんいるんだから、世の中(相変わらずかもしれないけど)ぜんぜん捨てたもんじゃねえよな」と思ったのです。
 けっこう悲しい事件とかろくでもない話をきくけど、おおかたはこういうまともで強いちからのある親の人たちなんだから、世の中はいい方に進むに違いないよな、と思ったのです。全然論理的じゃないですが。宗教的直感でもいいや。
 この強いちから、っていうのは、僕はとくべつ親の人たちが「えらいなあ」と思ってるわけではなくて、「まっとうな環境に育った」か、「(何らかの必要性から)まっとうな倫理観を持つようにつとめた」だけが唯一の鍵だと思ってます。その点で僕は差別的かもしれない。でもまわりの友人たちを見ていつもそう思いますよ。まっとうな人からしかまっとうな人は育ちにくいって。
 それから、僕はさまざまな外見的内面的制約をものともせず、子供うけは比較的いいです。たぶんそれは僕の親がまっとうだからだと思うけど、申し訳ないけど僕はまっとうになれ(ら)なかったので、子供は持てないなあと思いました。おしまい。

参考:おおむね賛成だけど4は覚悟するもんじゃなくて、かってにそうなるもんだと思う。

何いってんだかわかんねえな 読み返すと。 いいや自分の日記だし。
でもそーこもぢうんこさんも、すごく「おかあさん」しててすごくうれしかったんだ、ということが言いたかった。 一行で要約できんじゃねえかくそ