49歳からはじめる短歌・俳句・川柳・連句・現代詩入門(




◇第二回目も書きました。
 「見出し」をつけるといいんですが、そのまま、上の方にコピペします。




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益田ミリに学ぼう


 益田ミリさんというマンガやエッセイ、イラストレーターでいろいろな本を
出している方がいます。「すーちゃんシリーズ」というのがまもなく映画化さ
れるそうです。
 この方が最初に本を出そうとしたときの話が大変おもしろいので少し紹介し
ます。
 彼女は最初イラストの本を出して欲しかった。
 しかしイラストだけでは、なかなか本は出してもらえない。
 そこで彼女が考えたのが、自分のイラストに川柳をつけることでした。
 残念ながら、一度買ったその本は、私の手元には今はなく、川柳を引用する
ことは出来ません。
 ただ彼女はいわゆる「川柳作家」の先生に教えを受けたりとかそういうこと
ではないようです。
 そして出版社への持ち込みにより、彼女の本は出版され、今は多くの著書が
出ています。
 有名な小説家や、エッセイストのように自分も「本」を出してもらいたいも
のだ、と思っている人は少なからずいます。ただ実際に「本」なり「原稿」なりを
作り上げて、出版社にまでいく、という人はその中の少数ですね。
 そして益田さんにとって、スタートしたそのときに書いた「川柳」というの
は、一種の「道具」、もうちょっと気の利いた言葉で言えば、パソコンのソフトで
よく言う「ツール」だったんだろうなと思います。
 「短歌」も「俳句」も「川柳」もそれ自体はひとつの「道具」です。
 ただ、私のようにその「道具」の「短歌」にほれこんで、「さわりもしないのに
紙が切れるハサミ」や「見ただけでなんだか涙が出てくるまな板」みたいなものを
必死になって作ろうとする人がいます。
 なかなか出来ませんけど。
 またそんなたいそうなものでなくてよいから、自分の思いのこもった「くつべら」や
子供の誕生日のために焼くおいしい「クッキー」、悲しいから、さみしいから、つい
書いてしまうツイッターのように作る人もいます。
 そういうわけで、「まな板」も「はさみ」も、今も様々なものが作られ、自分や誰かを
楽しませたりときにはうっとうしがらせたりしながら、そしていたんだものは捨てられた
り、使われなくなったりするのです。
 今川柳ではやすみりえさんという人が一番有名だと思います。
 なんといってもテレビに出ているからです。
 私は別にテレビに出たことはないですが、テレビというのは大変だろうと思います。
 テレビでは「明るくふるまわないと暗く見える」という法則があります。
 またある程度テレビで顔を知られるようになって、何かの事情や理由で出なくなると、
あの人は死んだのではないかとすぐに言われます。
 少し暗い話になりますが、それはたぶんそこに私達の「死」があるからです。
 益田ミリさんに学ぶのは、「やりたいことをなしとげることの大切さ」「アイデア
や道具を使うことの大事さ」です。
 ではそろそろその「道具」の話をしてゆきましょう。



◇「川柳」を楽しもう


 いま、川柳には大きな二つの流れがあると思います。
 ひとつは、サラリーマン川柳、**川柳、といった形での、投稿川柳の世界。
 もうひとつは、いまの言葉、いまの生活、のままで、どこかで遠い川柳の生まれた
場所と、見えないへその緒のようなものでつながろうとする「川柳」の世界です。
 ここでは投稿川柳のことは、いったん置いておきます。
 楽しむのはそう難しいことではないように思えるからです。
 楽しみ方がわかりにくいのは、後者の「川柳」の世界です。
 しかし私には、この楽しみ方がわかりにくい「川柳」のほうが、より深い楽しみ
方を用意しているように思えます。
 あなたは生まれた場所をおぼえていますか?
 いってみたいと思いませんか?
 「生まれた時間」「生まれた場所」というものへ。
 私は「ふるさと」というものがありません。
 ものごころついたときには、小さな、地味な、どこにでもある町に家族といました。
 お墓参りひとつしたことがありません。
 そういう家ではなかったのです。
 「川柳」の世界に触れるというのは、「ほんとうの川柳」というのを探す旅に
出ることです。
 赤ちゃんのようにまっさらな、いかめしい顔のひとでもついあやしたくなるような、
「無垢」の言葉に出会いたいと思うことです。
 いまの、あなたのままで。
 「川柳」というのは、まえがきでも書いたように、江戸期の、前句付けという興行
からはじまっています。
 当時は活字もなければオフセットも、もちろんエクセルもありませんから、
 (エクセルだけでもないほうが良かったというあなた、私の友人です!)
興行の結果は、一枚の紙に刷られるか、看板としてかかげられるものだったようです。
 その興行の選者として、選が非常に人気があったのが、柄井川柳という人でした。
 そしてその選ばれた句をまとめた人が別にいて、まとめたものから、こうした主に五
七五の句の「すがたかたち」が「川柳」と呼ばれることになりました。
 これらはいまでは古川柳と呼ばれます。
 「俳句とどう違うのか」というあなた。まだあわてないでください。
 でも大事な疑問なのです。とっても大事な疑問です。



◇友達は大事だ



 古典の「徒然草」を全部読んだ、という人はあまりいないと思います。私も読んでないです。
 でもその中にいい友達というのはどういうものか、ということについて述べた場所があります。
 あれやこれや上げた中に「ものくるる友」がいい、と書いてあったりします。
 古典の文書から何かを直接いまにつなげて説教じみたことを言うのは私は好きではありません。
 でもものをくれる友達というのはいい友達だ、というのは、納得できます。
 うれしいじゃないですか、なんかもらったら。
 今度は「短歌」について説明します。
 短歌にも新聞歌壇、と言われる、投稿短歌の世界があります。
 しかしこれは、川柳ほどあっさり「投稿」の世界で終わっていない部分があります。
 そういう言葉はないのですが、私はここで「本格短歌」という言葉を作ります。
 「投稿短歌」と「本格短歌」の間はどうなっているのでしょう。
 「短歌」というのは、「なんで短歌なんかやってるの?」という質問や、無言のジト目のよう
なものにさらされることが多いです。
 難しいことではないです。
 たいてい「短歌」が好きだからやっているのです。
 自転車が好きな人や、マラソンが好きな人は結構理解されるのに、なぜ短歌だとそうなってし
まうのでしょう。
 大新聞の投稿歌壇というのにはとても熱心な読者が時々います。
 呉智英さんがそうです。
 佐高信さんもそうです。
 佐高さんには『人生のうた』という本があり、新聞歌壇で見た「斎藤たまい」という人の
歌に魅せられて、それからのことを書き綴った長い140ページほどの文章が収められています。
 とても良い文章です。
 私は愛書家ではないので、本は手放すことが多いのですが、この本はいま二階の書棚から発見
することができました。昔の私よ、ありがとう。
 ここで「短歌」とは何かという答えを私は一応用意しないといけません。
 難しいですねえ・・・。
 「五七五七七の三十一音で作られる一定の形式を持った詩の形」というのでは、まったく説明
にならない気がするからです。
 こうしましょう。
 「五七五七七の三十一音で作られる一定の形式を持った、ひととひとを友達にする詩の形」。
 さて話は飛びますが、仮面ライダーは、敵を最後に倒すとき、必ず「ライダーキック!」と自分
で言って、相手を蹴り飛ばします。マジンガーZに載っていた兜甲児は、ビームを出す時、「光子力
ビーム!」と叫びます。テレビ番組だから、ここにエコーがかかります。どうして言うのか? 
叫ぶのか? 自分で言わないと誰もいってくれないからです。また言わないとそれがなんだか
わからないからです。さみしいですね・・・ヒーローは・・・。
 ここで、短歌一首をその「技や光線そのもの」作者名を「技や光線の名前」と考えると、短歌や
俳句のことがもう少し説明できそうです。
 原理としては、短歌に作者はいりません。
 しかしそれはあくまで原理です。
 「歌人A」「歌人B」でもいいといえばいいのです。
 しかしそれもまたおかしなものになる。
 ここで、正岡子規の名を出さないといけません。
 いやなんだけどなあ、短歌入門書みたいで。あ、入門書書いてるのか、いま。
 さて、学校で習った国語の教科書を思い出してください。
 短歌では、古典の、平安時代の和歌から、いきなり正岡子規斎藤茂吉の短歌に飛んでいるはずです。
 その間に短歌形式がなくなっていたかというとそうではありません。
 実はそのころのものは本当にもうどれがどれだかさっぱりわからないぐらい似通ったものしか
まったく残っていないのです。
 どうして似通うのかというと、みな「歌人A」「歌人B」で書いてるからです。
 (いいものもあるんですがここでは話を先に進めます)
 ここは、どうしても歴史の話になってしまいます。
 日本という国が、明治という時代の橋を渡ったとき、短歌も同時にその橋を渡りました。
 日本は、「名前」の国になりました。
 ある「社会」が成り立つ時、大事なのは、どこからどこまでが「人間」なのかを、みんなの
「感じ方」としてともに持つことです。
 それがなければ「殺人」とは何を指すのか、「父母兄弟」とは何か、すら定まりません。
 そこのところを子規とともに乗り越えた短歌形式は、「詩の無名性」を放棄せざるを得ませんでした。
 天皇制、肥大する軍事的必要と経済的必要、国民国家の形成、その中での幸福と充実、悲哀と圧迫、
それらすべてを「名前を持つ詩の形式」として一身に背負ったもの、それが明治以降の短歌だった
と私はここで言いたいのです。
 私達にはもう「幼名」はありません。生まれたときから私は「正岡豊」です。
 「牛若丸」とかそういうものはもうないんですね。
 もちろん古典芸などの「門」の中には、そういうものもあるんですが。
 新聞歌壇に熱心な読者がいるのは(呉智英さんは読んでぼろぼろ泣くこともあると何かに書いて
おられました)名前と、国家によって設定された「人生」の凝縮感を、一度にそこから受け取るか
らではないでしょうか。
 では「本格短歌」とはなんでしょうか。
 「名前のある」私たちは別に目からビームは出せません。
 あ、あなたは出ますか? それで魚焼いたりする? それはそれは。
 それでも歌の詠み手たちにあるのは、眼前にある「短歌形式」とまぎれもない自分の「生」を
渾然一体なかたちで、ひとつの音数律の中ではばたかせてみたいという願望です。
 そのためには自分の「職」も「妻」も「子供」も、「戦争」も「原発」も「津波」も「革命」も、
すべては「歌」の「音数律」のいけにえとする覚悟がいります。
 「本格短歌」とは、程度の差はあれ、その覚悟をともにする「仲間」で出来ているジャンルです。
 わたしが、投稿短歌は投稿短歌で、本格短歌は本格短歌で、「ひととひとを友達にする詩型」で
あるとするのはそういうことです。
 少し長くなりました。かっぱえびせんで、お茶にしましょう。











「以下第一回目です」


◇というのを考えました。


◇こんな本が出るわけはないですが、書いてみたら
 「おもしろかった」のでついつい書いてしまいました。
 いまわかりました、なぜあんなに「入門書」が短歌・俳句の本屋の棚にあるのか。
 書いてて「おもしろい」からですね。いやあ、まいった。


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「この本のまえがき」



 この本を手に取られたあなた。
 タイトルを見て「なんだこれは?」と思いましたか?
 私も本屋でこんな題の本を見つけたら、「何? こいつ、バカ?」と思うかも知れません。
 でも一冊ぐらいあってもいいかも知れません。
 「詩」も「詩人」も日常会話の中で、毎日のように使う人は、ほとんどいないと思います。
 「大根」「定期券」「テレビ見た?」「コーヒー買ってきて。おれ赤いの。」
 というのが私の思いつく、毎日の、普通の言葉です。
 詩を書いていても、詩人と名のるのが恥ずかしいのは、日本においては「詩人」とは
 「有名な詩人」のことだからだと私は思います。
 世間は、「仕事」というものに、一定の価値観をおくことにより、まわっています。
 「詩を書いている」というと、普通の人は、「(はあ、それでこの人は食べているのだろうか)」
 「(私はこの人の名前をまったく聞いたことがないが、谷川俊太郎と同じくらい有名なのかな)」
 と考えたりします。
 次にその人の「詩」を読むとします。
 「わかりやすい詩」だったとします。
 「(なんだ、こんな簡単なのならおれでも書けるぞ。たいしたことないな)」
 と思ったりします。
 「難解な、知らない言葉がいっぱい出てくる詩」だったとします。
 「(なんだこいつ、こんなの書いて、詩人気取りかよ。やれやれ。)」
 と思ったりします。
 「短歌」や「俳句」はどうでしょうか。
 「短歌」や「俳句」は自動販売機では売っていません。
 いや何もあなたをバカにしてるんじゃないんですよ。
 ただ私たちはいま、ほとんど、「もの」というのはコンビニで売ってる「もの」として生きている
と思います。
 基本的に「短歌」に興味がない人、基本的に「俳句」に興味がない人、にとり、まずそれは、自動
販売機で売ってる缶コーヒーの種類のようなものとして、受け取られるのだと思います。
 「赤い缶のやつ」「青い缶のやつ」といえば、缶コーヒーはある程度、他人に好みを説明できます。
 「BOSS」とか「FIRE」でもいいです。
 でも「短歌」にも「俳句」にも「色」はありません。
 タバコのように、ニコチンのミリグラムで細かくわけられてもいません。
 缶コーヒーもタバコも、アイスクリームもドーナツも、興味が無い、食べない人には、見分けがつ
かないし、その必要もありません。
 だから、「短歌」も「俳句」も同じものになります。
 「短歌」って五七五だっけ? 季語いるの? とか言われたりします。





 ここで、コンビニとか自動販売機とかを持ちだしたのは、それなりに理由があります。
 あなたは子供の頃、何で遊んでいましたか。
 テレビゲーム機がなかった時代。
 私は「ベッタン」という四角いメンコでよく遊びました。
 ドッジボールもしましたが、「卓球」という名前で、地面に大きくマスを「田」の字
に書いて、ワンバウンドで相手に返してゆく、という球技もよくやりました。
 大人たちはそのころ、なんで遊んでいたのでしょう。
 私の生まれる前にさかのぼってみましょう。
 戦前? いえもっと前。明治? いやいやもっともっと。
 教科書では江戸といわれるそのあたり。
 身分、というのが、普通にあったその時代。
 盛んになった大人たちの遊びがあります。
 前句付、川柳とのちに呼ばれるものが、そのころ大変盛んに行われていました。
 一人の主催者が、「おそろしい事おそろしい事」という短歌の下の句みたいなものを、
「題」のようなものとして出し、そこに気の利いた「五七五」をつける、今でいうコンテスト
を開催するのです。
 週刊誌もメールもない時代、それらは街道や当時のほこりっぽかったであろう街並みの、
「茶屋」や「お店」に何がしかのお金といっしょに自分の書いた「句」を出し、
神社のようなところで、結果発表が行われ、一等や上位にはにはお米や金銭などの賞品が
送られました。
 そしてそれは最盛期には、いまでいう「週刊単位」で行われた、という説もあります。





 色男金と力はなかりけり





 泥棒をとらえて見れば我が子なり




 などは、このころ生まれたものです。
 これらが「川柳」と呼ばれるのはもう少し先の話です。
 マンガもなければテレビもない、映画もなければ、ディズニーランドも影も形もない時代、
「ことば」を使ったこうした「ゲーム」は、大変盛況でした。
 また、いまの私達から見て、このころの人たちは、みな一様に「日本史オタク」だったと
私は思います。
 「教養」も「常識」も、ある程度、みなが知っているという約束の範囲の「日本史」のなか
からそれはやってくるものでした。
 「文学」(といまわたしたちがいうところ)のものは似たようなものはあってもその言葉は
ありません。
 「美」はあっても「美術館」という考え方もありません。
 しかしそれでも「裕福」と「貧乏」はありました。
 「連句連歌」というのは微妙にそこと関わってきます。
 でもまえがきにしては少し長いですね。いったんここで休憩しましょう。






 この本は、私から見て、日本で受け止めることの出来る、「詩」のいくつかの種類について、
「楽しみ方」や「うまくなる方法」についてのべていこうとする本です。
 野球選手だった長嶋茂雄さんに『勝つためのゲートボール』という本があるのを御存知ですか?
 どういう道筋で出されたのかよくわからないですが、そういう本があります。
 「短歌」「俳句」「現代詩」といっても「野球」「サッカー」「水球」みたいなものです。
 大きな意味での「スポーツ」というのが「詩」だと考えたらいいと思います。
 「現代詩」というのは、このなかでも歴史が浅い割には、何か「高尚」な雰囲気があります
が、やってることはそんなに変わらないし、実はバタ臭いものです。
 「海外詩」は日本ではあまり流行らないスポーツ、「クリケット」や「カバディ」みたいな
ものでしょうか。
 そしてここもまた大事なのですが、何でも、一定の場所で長く続けていると、地域や、集団の
中での「行事」や「広報」とやってる自分が関わることになることが少なくないのです。
 何でも、ですよ。何でも。
 「自転車」でも「園芸」でも。「少年野球」でも「収納」でも。
 若いうちは、転居も多いし(日本人は一年で500万人が引越しをする国だという説があります。
ほんとだったら、22年で日本人は一人残らず引越ししていることになります。なんて国だ。)
そういうことが身にしみるのは、ある程度年をとってからです。
 生きていればいろんなことがあります。
 楽しかったり苦しかったりします。
 でも「楽しい時間」が多いほうが、いいんじゃないかと私は思います。
 そういうことです。
 ではそろそろはじめていきましょう。
 目次を見て、好きなところから読んでください。