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日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED

HIRANOYA 平野屋 コンピューティング

2010-07-26

人生最高の日 あきらめてはいけない事を知った日

それは多分1999年の6月くらいだったと思う。

何度も何度も思い出しては涙が浮かんで来る。




【 工場日記 】

33歳の頃、東京での人生に区切りを付けて、地元に帰って来たが仕事は無い。

オヤジが長く経理を勤めていた新潟金属という小さな金属加工の会社に入る事になった。1994年くらいのはずである。

大平洋金属と言う、日本で大手のステンレスを作る会社が親会社で、作られたステンレスをコイルに加工するのが僕らの仕事である。

現場に2年くらいいた。初日僕の親方は高校卒業の20歳で、トイレに行ってしゃがむ金隠しにウジ虫が歩いているのを見て憂鬱になった。

工場長は、オヤジと犬猿の仲で『お前を事務所に入れる事はない』とはっきりと言う。

それでも辞めなかったのは、オヤジは社長と大の仲良しだったからと、オヤジの顔潰す訳には行かなかったからだ。世襲の就職である。手取り14万円の工員生活である(ベースアップ毎年5000円ボーナスは1.5ヶ月くらいだったかなあ)。


仕事は単調で、僕は何度も間違えた。その度に、「学士様でも間違えるんだねえ」とつぶやく梱包の爺さんがいたなあ。

まだ手にはその頃の傷がある。スリッターと言って鉄のコイルを一定の幅に切る仕事である。鉄が切れると言う事を知ったのも、歯を組んで実際に鉄を切るのもビックリの体験であった。


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当時の写真:一番右が僕



工場での体験は、学歴と人間の優秀さは全く関係ないことを知った。素晴らしい仲間を得た。

毎日どこか遠くでまたソフトの仕事をしたいと思い続けていた。

その後、結婚、事務所でコンピュータの仕事をする様になる。

僕は1998年中頃に小さな鉄工所の労働組合委員長に選ばれた。娘が生まれる少し前の頃である。




会社は親会社によって計画的に倒産させられる。その事自身は問題ではない。経営は難しい物だ、毎月社員に給料を払うだけでも辛いものだから。しかし、経営者は誠実でなければならない。

問題は、親会社の社員には多額の退職金が出るのに対して、僕らには規定通りの金額しか出なかったのだ。

頭に来た、くやしかった。


【 ストライキ 】

上部の労働組合に相談に行ったが、長年御用組合として経営者の手先だった僕らの会社は組織としては相手にされなかった。

会費を払っていなかったから公式には何らサポートしてもらえなかった。経営者の意見を社員に伝えるだけの組合だったのだ。組合員から金を集めて、経営者の言いなりになって結局は自分たちの首を絞める事になっている。『御用組合』とは良く行ったものだ。

ただ、そこで相談にのってくれた人は良い人で、いくつかアドバイスをもらった。


労働組合で「スト権を確立する事」

ストライキと言うのは合法的な恐喝である事。

◯用意周到に秘密に進めなければならない事。

◯全員が敵である事。


社内の納品先を当たり、何か手は無いかを考えた。

本社で、交渉をして、退職金の上乗せは駄目だと言う事を確認した。

組合員(100人弱だった)を集め組合総会で「スト権を確立」した。


日本精機と言う会社は長岡にあり、世界中のスピードメータの80%を供給していた。うちの会社は小指の先ほどの小さな部品を出荷していた。その会社に僕は一人で乗り込んで、来月からその部品が出荷出来なくなる事を伝えた。

スト権を確立しているので、損害賠償は経営側に行くのだ。

大騒ぎである。世界中の自動車がメータ無しで出荷される事になるのだ。小さな部品と言っても、金属特性をクリアしなければならず、簡単には代替えは見つからない。(だから、この合法的な恐喝は成立するのだ。)


親会社の大平洋金属に圧力がかかり、結局労働組合は1億3千万円を得る事になる。



その間の事、その後の事はいつか書きたいと思う。

余り気持ちのいい話では無い。

毎日経営者側の人間からは圧力をかけられるし、組合員も倒産後の雇用を餌に僕の足を引っ張る。

皆、生きるのに必死だから、責める事は出来ない。

人は自分に見えるものしか見る事は出来ない。



【人生最高の日】

会社側と契約が締結されて、相談に行った上部団体の人にビール券を持って挨拶に行った。

『契約が決まった後で僕らはバラバラになった』と話した。

その時に、彼に言われた。

「あなたは労働組合の存在意義を証明したんだ。それは素晴らしい事なんだ。」と。

帰りの道を自動車で運転していたら涙が止まらなくなった。

僕はこの日の事を忘れない。

新潟市からの帰り道をボロボロの軽自動車で走りながら、その言葉を何度も思い出していた。






毎日オルグ(組合員に話をする事)の為に朝6時から全工場を回り、書類を作り、金額の分け方を決めて行った。何度もどうして良いか分らなくなった。

いくら金を引き出せるかのギリギリの交渉だった。タイムアウトストライキの開始)は迫る、組合員は様々な意見を出す、猛烈に辛い日々だった。

毎日、バックドラフトのテーマを聞きながらボロボロの軽自動車で会社に向かう日々だった。

荒っぽい組合員の連中と怒鳴りあうことも有った。




あきらめないで良かったと思った。

僕の人生はどんなものになるかは分らないが、この時「1億3千万円」を得られた事は忘れられない。




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ストライキが終った後の飲み会、組合員の半分くらいしかいない。まあ、倒産後なんだから全員で喜ぶと言う訳にもいかないからねえ。金額の割当や、倒産後の再雇用(一部の部門が生残る事になっていた)などの問題から、僕に恨みを持っている人も多かった。




もうひと頑張りして、再雇用の先での条件とかを決めたかったが、それは無理だった。経営者は狡猾で、労働者は自分の見える事しか見えなかった。部長に君は優秀だからなあとか言われたら再雇用されるのかと思うのが人情である。


結局、従順に言われた事をする社員が最低の条件で再雇用される。




生きて行くのがやっとの生活をしている羊飼いは羊毛を刈り、羊毛は遠いどこかで高く売り買いされる。

羊達が一斉に羊毛を伸ばさないことができればもっと良いもの食べさせてもらえるだろうにねえ。






【負けたくない人達に......】

今、不況で、労働者と経営者は互いに取り分を奪い合っている。

正社員はますます少なくなり、社会は間違えた方向に向かっている。

経営者は社員を道具としてしか見ることが出来ない。

社員は、互いに助け合うことができない。団結出来ない。バラバラにされて、切り崩される。

そして、経営者も、親会社から切られる。遠い所にいるだけかが大笑いする。



互いに人間として尊重しあって、生きる道はないのだろうか。

辛い戦場で戦っている人達の為に、この頃の事を思い出してみたい。

この頃作ったweb

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この協定書以外に各組合委員にいくら払うかを明記した書類が必要。

とにかく、お金が振り込まれるのは会社が無くなった後だから、法的に対抗出来る書類を作る。

会社が約束を守るなんて思っちゃいけない。

僕らの運がよかったのは親会社が残り続けていた事、金が十分あった事、この2点である。



振込が有った事が確認された後で、組合の積立金の配分を行った。

経営者が約束を破った時に戦う為に金は残しておいた。

弁護士さんにはとてもお世話になった。


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この書類は、親会社と会社の覚え書き。

コピーを貰っておいた。


僕はこの争議でいろいろなことを知ったと思う。

人生には体験しないと得られない教訓もある。

大事な事はあきらめない事、自分を信じる事、誠実である事。


時にあの時の「友、同志、裏切り者、敵」の事を思い出す。

みなどんな人生を生きているだろうか。

どのような人生を生きただろうか。


この物語のエピローグはどのようなものになるのだろうか。

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